第8話 宮殿と神殿(前編)
クラリスと黒姫が神殿学校に通い、俺とユーゴがダビンチさんのアトリエに通うようになって数日が経った頃。
今日はフィレンチア公国の主であるロレンツォ・ソデリーニ公爵に挨拶するために宮殿に行く予定になっている。
非公式とはいえ一国の王女がお邪魔しているのだから君主への挨拶はあってしかるべきなのだろうけど、なんで今ごろ感は拭えない。
謁見は午前の早い時間に指定されていたので、みんな朝早くから準備に追われていた。
宮殿に上がるのだから正装がデフォだ。
クラリスを始め側仕えのアンリエットさんやイザベルさんもラインはシンプルながら飾りや宝飾の多いドレスを着ている。ポンポンヌさんたちも飾り紐のついたいかにも貴族らしい服装。
一方、ユーゴと黒姫はあのコスプレかと思いきや、デュロワール王国のナショナルカラーの菫色のローブ姿だ。魔法士はローブでも正装になるらしい。
そういう俺も魔法士見習いの水色のローブだったりする。いや、楽なんだもん、これ。
クララも水色ローブだ。ドレスを着ないのかと聞くと、俺に合わせたのだと言う。
むぅ。クララのドレス姿見たかったな。
ヴイエさんたちは近衛師団の制服だ。鮮やかな黄土色のマントの下の紺色の詰襟っぽい服がそこはかとなく昭和っぽいなと思っていたら、先代の勇者タニガワカツトシの考案したデザインだとか。なるほど。
準備が整ったところでさっそく馬車を連ねてメディチ邸を出発する。
向かう先は、首が痛くなるほど高い塔が突き出ていたシニョーリア宮殿だ。
まだ太陽の光が建物の陰になっている宮殿前の広場で馬車を降りて、大きな石像が両脇に立っている入口を抜けて中に入ると、メディチ邸と同じく周囲を回廊に囲まれた中庭になっていた。ただしメディチ邸ほど広くはない。
案内係と思われる衛兵の先導で奥に進むと、槍を持った屈強な衛兵が両脇に立つ扉があった。ここから先へは公爵に謁見できる者しか入れないのだと言う。即ち、クラリス王女、ユーゴ、黒姫、ポンポンヌ侯爵とマザラン侯爵の5人だけで、側仕えも近衛士もついていくことはできない。
護衛とか大丈夫なのかと思ったけど、ユーゴと黒姫がいればたいていのことは何とかなるだろう。
残された側仕えと近衛士たちは、付き添いで来ていたジローラモさんと一緒に控えの間に通された。
当然俺も居残り組なわけで、クララとともに控えの間に入る。
この控えの間もここまで来る間に通った部屋もさすがに宮殿と言うだけあって豪奢で華美な装飾が施されていた。
「でも、メディチ邸のほうが立派なんだよなぁ。どっちが王宮かって10人に聞いたら11人がメディチ邸だって答えるよな」
「数が合わないが?」
天井に描かれている絵や壁や床の装飾を見ながら独り言を零していると、愚か者を見る目のサフィールに指摘された。そこは「11人いる!」と突っ込むところなんだけど。
「レン殿がわけのわからないこと言うのはいつものことですが、ここよりもメディチ殿の館のほうが立派だというのは私も同感です」
ジャンヌが天井から提げられているシャンデリアを見上げながら頷いた。
「亡くなった父がね、公爵への対抗心からこの宮殿を上回る館を建てたんですよ」
ジローラモさんが苦笑して肩を竦める。
「平民がそんなことをして大丈夫なのか?」
貴族を代表するようにジルベールが眉をひそめて問うと、ジローラモさんはほんの少し不敵な表情を作った。
「このフィレンチアでは昔から商人や職人が力を持っていましてね。経済はもちろん執政にも大きく関わっきました。我がメディチ家はその中心を担っていましたから、フィレンチアを動かしているのは公爵ではなく自分たちだ、そういう自負が父にはあったのでしょう」
「貴族を蔑ろにするのか」
「蔑ろにしているわけではありません。ただ、ピタリアではデロイラ王国ほど貴族と平民の垣根は高くないのですよ」
それは俺も感じていた。
ジローラモさんを始め、ここの平民たちは他国とは言えクラリスたち貴族に対する応対は丁寧でも敬ったりへりくだるような感じはなかった。
「それは何故?」
「それは神殿の影響でしょう。ピタリアでは広くクリアト教が信仰されています。神々の前では貴族も市民も等しく同じというのがクリアト教の教えなのです」
デロイラ王国でも信仰されているクリアト教は創世の神クリアトを中心とした神々を祀る多神教で、俺たちの世界にある三大宗教の一つと名前が似ているかもしれないが全くの別物のようだ。
「確かに、ピタリアのロムルス神聖国にはクリアト教の中央神殿がありますからね。神殿の力が強いと聞きました」
信仰心が篤そうなジャンヌさんが納得顔で言った。
ちなみに、ロムルス神聖国は俺たちで言えばローマにあるバチカン市国のようなものらしい。
そんな話をしながら結構な時間が経って、ようやくクラリスたちが戻ってきた。
けれど、その表情は冴えない。
「あ~疲れた」
黒姫がぼやく。
「なんなのだ、あの公爵は! 朝早くから呼びつけておいて散々待たせた挙句に殿下に対して見下すような態度を取りおって!」
ポンポンヌさんは憤懣やるかたない様子を隠そうともしない。
「どうしたん?」
「ポンポンヌさんの言ったとおりだよ。謁見の待合の部屋でけっこう順番待たされてさ。やっと自分たちの番かと思ったらクラリス姫が挨拶して終了だったから」
「それに、わざわざ会ってやってるっていう態度が見え見えなのよ」
ユーゴと黒姫が謁見の様子を教えてくれた。その声の調子から面白くない体験だったのは二人も同じだったようだ。
「ピタリア人から見ればデロイラのあるガリアの地は僻地ですからね。文化的に見ても遅れた国という意識なのでしょう」
ピタリア生まれだと言うマザランさんだけは平静な顔で解説してみせた。
田舎の発展途上国扱いなのか。
「それはおかしいだろう。ピタリアで使っている植物紙や印刷技術も、シャンプーやリンスだってデロイラで生まれたものだぞ!」
ジルベールが憤る。
でもあれ、先代の聖女のサクラさんの知識チートだからね。
なんかこのまま帰るのも面白くない雰囲気だったからか、花の大神殿まで足を延ばして見学することになった。
花の大神殿はフィレンチア公国で一番大きなクリアト教の神殿で、オレンジ色をした大きなドーム屋根がとても目立っていた。
小さな広場を隔てた場所にはクラリスたちが通っている神殿学校がある。当然彼女たちには見慣れた建物だけど、いつも馬車で通っているので中に入ったことは無かったのだそうだ。
ドームのあるほうとは反対側に入り口がある。その傍には高い塔が建っていた。
「鐘楼ですよ」
ジローラモさんの説明によると、この塔にある鐘を鳴らして時刻を知らせるらしい。ただし、日時計だよりで朝昼夕とその中間に鐘が鳴るデュロワール王国と違って、きっかり2時間ごとに鳴るとのこと。これもダビンチさん発案のものらしく、1日24時間という概念が広がりつつあるようだ。
細やかに装飾された大きなドアから神殿に入る。
中はやや薄暗いものの、建物の高さとほぼ同じ高い高い天井付近にあるステンドグラスの窓から差し込む明かりで厳かな空間を作っていた。
建物の端から端まで貫く長いホールには長椅子が並べられ、その先には薄暗いホールと対照するような明るい祭壇があって、そこに置かれているいくつかの神像を神々しく際立たせていた。
ホールには神像に祈りを捧げに来た人たちが途切れなく行き来していた。その流れに乗って俺たちも祭壇に向かって歩みを進めていく。
祭壇には高さが3m以上ありそうな大理石の彫像が6体置かれていた。
中央にあるのはギリシャ神話にでてきそうな襞の多い布を纏った男神の像。同じくギリシャ神話風の服を着ている5体の女神の像が男神を囲んでいた。
なんかもの凄くハーレム臭がするんだが……。
「中央の男神が創生の神クリアトで、周りの女神は属性神です。左から風の女神ヴェントス、火の女神イグニス、水の女神アキュア、金の女神メタルム、土の女神ソル」
「あれ? 聖属性の女神はいないんですか?」
「聖なる女神アギオスの像はあちらにあります」
ジローラモさんに言われて左手にある祭壇に視線を移すと、そこには背筋をぴんと伸ばしてまっすぐに正面を見ているポニーテールの女神像があった。その立ち姿や髪型が誰かと同じなのはきっと偶然だろう。
なんとなく目のやり場に困って反対のほうを向くとそこにも祭壇があって、まっすぐな髪を肩の上あたりで切り揃えた女神がまるで聖なる女神と対峙しているように正面を見据えていた。こっちも見覚えのある人に似ているように見えるのは錯覚に違いない。
「そちらは光の女神フォスです。フォスには瓜二つの姉がいて、姉の方は闇の女神タールになります」
うん、絶対偶然だ。
「あんたってクリアト教のこと全然知らないのね」
黒姫に指摘されたけど、宗教ってあんまり興味無いんだよなぁ。ていうか、深く関わると碌なことがないイメージがある。
そんなことより、参拝者たちがちらちらと俺たちを盗み見るようにしているほうが気になった。まぁ、全員正装だから浮いてるのは仕方がない。
そこへ、
「やぁ、メディチさん。漸く懺悔にいらしたのですか?」
爽やかな声でジローラモさんに話しかけてきたのは、袖口の広がった白いローブを着た30代ほどの背の高い男だった。長い銀髪をさらりと流した細面で、柔らかな笑みを浮かべている。
その後ろに似たような服を着た一団が付き従っているし、彼のローブだけ袖口や襟元に金色の刺繍が施されているところから、この男の地位が高そうだと察する。
「心外ですね。私には懺悔するような罪に心当たりはありませんよ」
「そうですか? 神々は常に我々を見ておられますからね。よくよく日頃の行いを振り返ってみることをお勧めします」
フッフッフッフと含み笑いで対峙する二人。
「コホン。今日はデロイラからのお客様を案内しているのです。こちらがデロイラ王国第2王女のクラリス殿下です」
咳払いをしてからジローラモさんが紹介すると、クラリスは無言でつっとスカートの裾をつまんだ。
「これは遠いところからようこそおいでくださいました。私はこの神殿の神殿長を務めていますジュリアーノ・ボルジアです」
そう名乗った神殿長は軽く握った右手を額に当ててお辞儀をする。
「そしてこちらがドラーゴを倒せし者、勇者ユーゴ・シュロウーマ殿と聖女マイ・クロフィメ殿で――」
「聖女だと!?」
ジローラモさんのセリフを遮る声が神殿長の後ろから上がった。
「神聖なる神殿で自ら聖女を名乗るなど、なんたる不心得者!」
白い神官服を着た青年が拳を握っていきり立っていた。
「あ、いえ、私は聖女だなんて名乗ったことありませんから。ただ周りの人が勝手にそう呼んでるだけで……」
「聖女とは神々がお選びになり神殿に認められて初めて聖女となるのだ。人間ごときが決められるものではない」
「それを無責任な衆人に呼ばれただけなどと恥知らずな」
さらにヒートアップする神官たち。黒姫の弁明は火に油を注ぐ結果になってしまった。
「いえ、ですから私は自分が聖女だなんて――」
「まだ言うか! そのように髪や容姿まで聖なる女神様に似せおって。この罰当たりが」
その時、建物全体に軋むような不気味な音が鳴り響き、床が激しく上下に揺れ出した。




