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第6話 レオナルド・ダビンチ

お食事中の方はごめんなさい。

 目の前にナポリタンがある。


 オレンジに近い赤色に和えられた麺。同じ色に染まった細切りのタマネギとハム。その中で異彩を放つ緑色のピーマン……じゃないな、これ。なんか別の緑色の野菜だ。あと、白っぽい何かのキノコ。

 具はともかく、これはどう見てもナポリタンだ。


 黒姫も目の前の皿に視線を奪われたまま固まっていた。


「あの、やはり別の料理に替えさせましょうか?」


 見かねたマスカーニさんが心配して言うと、


「え? あ、違うの。ちょっと、その、感動しちゃってただけだから」


 と、黒姫は添えられていた木のフォークを急いで手に持った。


「あ、マイ様。まず、私が毒見を……」


 イザベルさんはそう言ったものの、初めて見る料理なのか、フォークを持ったまま食べあぐねている様子。


「あ、スパゲッティを食べる時はこのフォークで――」

「大丈夫よ、イザベル。いただきます!」


 マスカーニさんが説明する間も無く、黒姫はフォークでくるくるとスパゲッティを巻き取ってハムっと口に入れる。


「……食べ方はご存知のようですね」


 マスカーニさんは感心半分驚き半分の顔で苦笑した。

 イザベルさんは心配そうにしていたけれど、黒姫が「おいしい!」と頬に手を当てて満足そうにしているのを見てほっと安堵の息を吐いていた。そして、黒姫の見様見真似でスパゲッティと格闘し始める。

 じゃあ、俺もいただきます。


 手を合わせてから、フォークを手にする。

 スパゲッティはすすって食べるのはマナー違反なんだっけ。

 くるくるくるとフォークで巻く。うん、ちょっと巻きすぎか? まぁいいや。

 アグッと大きく開けた口に放り込む。

 ムグムグ。あー、すすりてぇ。


 ちょっと酸味が強いけど、ちゃんとトマトケチャップの味だ。うん、これは確かにナポリタンだ。

 そう。俺たち(日本人)はこれがナポリタンだと知っている。


「つかぬことを伺いますけど」


 黒姫がマスカーニさんに問いかけた。


「もしかして、この料理を考案したのもレオナルド・ダ・ヴィンチさんですか?」

「はい。よくおわかりですね。ダビンチさんがスパーニャから入ってきたトマトを使ってこのスパゲッティを作った時は、魔法道具だけでなく料理においても新しいものを作り出せるのかと皆大いに感心したものです」

「やっぱり。じゃあじゃあ、ダ・ヴィンチさんは私と同じように黒髪黒眼なんじゃないですか?」


 黒姫は期待を込めた瞳で身を乗り出す。

 俺と同じことを黒姫も考えていたようだ。レオナルド・ダ・ヴィンチは俺たちと同じように召喚された日本人なのではないか、と。

 でも、


「いいえ。髪はもう白髪でわかりませんが、眼は青味がかった灰色だったと記憶しています」


 なるほど。もしそれが事実なら、召喚された日本人説は無くなるな。まぁ、魔法で髪や眼の色を変えている可能性も無くも無いけど、今のところそれができたのは黒姫だけみたいだし、その可能性は低い。レオナルド・ダ・ヴィンチは召喚者じゃない。


「え、そうなんだ……」


 黒姫は当てが外れてがっくりと肩を落とした。

 けど、俺は知っている。異世界でのもう一つの可能性(テンプレ)を。




 メディチ邸に戻ると既にユーゴは帰ってきていて、レオナルド・ダ・ヴィンチも待っているということでそのまま面会へとなった。


 最初の日にジローラモさんたちと会った部屋のもう一つ奥に応接の間があった。

 執事の人に案内されて、各々の側仕えと護衛のジャンヌを従えてその部屋に入ると、部屋の中央に置かれたソファーにジローラモさんと薄い灰色のローブ姿の老人が座っていた。

 老人は生え際が頭頂部まで後退しているものの白くなった髪は豊富でゆるくウエーブしながら肩甲骨のあたりまであり、同じくウエーブのかかったたっぷりの髭を生やしている。そして、深く刻まれた顔の皺と少し下がった眉の下にある思慮深い灰色の眼が知的な雰囲気を醸し出していた。


「本当にレオナルド・ダ・ヴィンチだ」


 ユーゴが独り言のように呟く。

 ダ・ヴィンチさんは部屋に入ってきた俺たちに目を止めると、その灰色の眼を大きく見開いた。

 

「おお……。その眼その髪……」


 ダ・ヴィンチさんはよろよろと立ち上がって一歩二歩と俺たちに歩み寄る。そして、大きく息を吐くとジローラモさんに顔を向けた。


「ジローラモ、彼らと差しで話しがしたい」


 ジローラモさんは黙って頷くと、控えていた使用人たちにお茶を出したら退出するようにと申し付けて、自分も部屋を出ていった。

 俺たちのほうも、側仕えのみんなに部屋を出てもらう。ジャンヌは渋い顔をしたけれど、なんとか了解してもらった。


「君は?」


 4人だけになったところでダ・ヴィンチさんが訝し気に俺を見た。正確には俺の生え際が黒くなっている茶髪に目線があった。なるほど。


「レン・タカツマです。髪の毛は脱色してるのでこんな色ですが、俺も日本人です」

「ふむ。確かにその肌の色やのっぺりした顔は儂の記憶にある人々とよく似ている」


 やはりそうだ。


「あなたは日本人だった記憶を持つ転生者ですね」

「転生者って?」


 黒姫が問いただしてくる。


「一度死んでから生まれ変わった人のことだよ。前の人生の記憶を持っていたりするのは異世界では定番だね」

「異世界の定番とか知らないわよ」


 オタク、キモっという目で見られたが、ダ・ヴィンチさんは「転生者」と何度も口にして考え込んでいた。そして、おもむろに語り出す。


「もうずいぶん朧気になってしまったが、儂には不思議な記憶があった。黒い髪と黒い眼をした人々が大勢住んでいる大きな街で暮らしていた記憶だ。確か、ニッポンという国だった。そんなことを口にするとおかしな子供だと気味悪がられたので、それ以来誰にも言わずにいたのだが、ある日商人からデロイラという国に黒眼黒髪の男女が召喚されてドラゴンと戦ったと聞いてな」

「それは私たちの前に召喚された人たちのことですね?」

「たぶんそうだろう。ただ、黒眼黒髪の人間ならこの世界にもおる。儂が確信を持ったのはかの地から伝わった『シャンプー』と『リンス』という洗髪剤だった。それらは間違いなく儂の記憶の中にもあった。だから彼らに会って話を聞けば、儂のこの記憶が何なのかわかると思ったのだ」

「じゃあ、サクラ・ナエバやカツトシ・タニガワに会ったんですか?」


 聞くと、ダ・ヴィンチさんは力なく首を左右に振った。


「いや、儂がその話を聞いた時には勇者と呼ばれた男は既に死んでしまっていて、なんとか旅に出る準備ができた頃には聖女と呼ばれていた女も死んだと聞かされた。その時の儂の絶望はいかばかりだったことか」


 がっくりと肩を落としたダ・ヴィンチさんはすぐにその顔を上げて輝かんばかりに綻ばせた。


「だがしかし、去年の秋の始めにデロイラで新たに召喚された勇者と聖女がドラゴンを倒したという噂が流れてきたのだ。儂は誓った。今度こそ彼らに会おうと。だが、今の儂にはいろいろとしがらみが多くてな。簡単にはデロイラに行くことができなかった。そこでデロイラに伝手のあるジローラモに彼らをフィレンチアに呼ぶように頼んだのだ。持つべきものは良きパトロンだよ。ワッハッハッハ」


 満足そうに笑っていたダ・ヴィンチさんがふいに真顔に戻る。


「それで、儂のこの記憶は君たちのいた国、ニッポンのもので合っているかね?」

「それは……」


 黒姫が視線で回答権を丸投げしてきた。しょーがねーなー。


「一つ確認させてください」

「なんだ?」

「あのナポリタンはあなたが考えたメニューなんですよね?」

「そうだ。スパゲッティといったらナポリタンだろう。なのに、ここにはオリーブオイルで和えたりチーズをまぶしたスパゲッティしかなかったのだ。それにトマトだ。誰も食いもんだとわかっておらん。まぁ、実際青臭くて生では食べられたものではなかったがな」

「それでトマトケチャップにしたと?」

「それもあるが、ナポリタンといえばやはりケチャップ味だろう?」

「ところで、ナポリタンってイタリアには無いんですよね。昭和時代に日本のシェフが作り出したメニューなんだそうです」

「なにっ? 本当か?」

「はい。ですから、あのスパゲッティをナポリタンだと知っているあなたが日本の記憶を持っているというのは間違いないでしょう」

「そうか」


 ダ・ヴィンチはそれだけ言うと感慨深そうに目を閉じて天を仰いだ。

 そこへ、


「あの~。確認したいことがあるんですけど」


 感動に水を差すのを恐れるようにユーゴが小さく手を挙げた。


「お名前を伺ってもいいですか?」

「ん? おお、名乗りがまだだったな。儂はレオナルド・ダビンチだ」

「ユーゴ・シロウマです」

「あ、私はマイ・クロヒメです」


 なんでここで名乗り合った?


「みなさん、あなたのことを『ダビンチ』と呼んでいますよね。そして今、あなた自身も『ダビンチ』と名乗りました」


 言われてみれば確かにそうだ。


「『レオナルド・ダ・ヴィンチ』はイタリア語で『ヴィンチのレオナルド』っていう意味ですよね。それはあなたがヴィンチ村の出身だからですが、なぜ『ダビンチ』であって『ヴィンチの(ダ・ヴィンチ)』ではないんですか? レオナルドさん」


 ユーゴの疑問にダ・ヴィンチさん改めダビンチさんは目をパチクリとさせてから、「そのことか」と気まずそうな笑みを見せた。


「君の言ったとおり、儂は『ダビンチ』と名乗っておる。それには深い理由があるのだ」

「深い理由……。それは聞いてもいいんですか?」

「ああ、かまわんよ」


 そう頷いて、ダビンチはゆっくりと語り始めた。


「実は儂の生まれた村の名はヴィンチではなく、ウンチだ」

「……」

「ウンチのレオナルドと呼ばれるのがどうしてもイヤでな。『ウンチの(ダ・ウンチ)』がな」

「まぁ、そうでしょうね……」

「故に、あえて儂は『ダビンチ』と名乗っているのだ」


 く、くだらねぇ。

 でも、『ウンチ』がイヤと感じる感性は確かに日本人のものだ。


「間違いなくダビンチさんは日本からの転生者ですね」

「そうか。この記憶は勘違いや幻ではなく、ちゃんとあったものなのだな。儂はニッポン人として生きていたのだな。しかし、なぜ儂は転生したのだろうか?」


 顔をほころばせていたダビンチさんは、一転その皺を深くする。


「なぜ儂にはニッポンで生きていた記憶があるのだろう? そこに意味はあるのだろうか? 儂が転生した意味……。確かに、儂はこの世界には無いものをいろいろと発明してきた。それにはニッポンで生きていた時の記憶が元になっていた。するとつまり、儂には特別な力があり、特別な使命を持って生まれてきたというわけだったのか。そうか、儂は特別な人間だったのか!」


 ダビンチさんは拳を握りしめて一人で熱く語ってるけど、俺にはもうちょっと別のある可能性を思いついていた。

 ダビンチさんは老人だ。だいたい60歳手前くらいだとすると、生まれたのはサクラさんたちが召喚された頃だろう。だとすると……。

 いや、やはりやめておこう。サクラさんたちの召喚に巻き込まれて転生しただけなんて言うのは。


「では、改めてダビンチさんに聞きたいんですが」


 と、ユーゴが居住まいを正すようにしてダビンチさんに問いかけた。


「今描いているのは何ですか? 『モナ・リザ』ですか? 『最後の審判』はもう描きました?」


 すると、ダビンチさんはきょとんとして、


「儂は絵は描いておらんぞ」


 と言い切った。


「え? 今なんて?」

「絵は描いておらんよ。いやぁ、儂には芸術の才能は無かったようでな。ニッポンの記憶でも絵なんぞひとかけらも無かったわい」


 カラカラと笑うダビンチさんを見てユーゴが膝から崩れ落ちる。


「そんな……。絵を描かないダ・ヴィンチなんてありえない……」


 だから言っただろ、ユーゴ。ここは異世界だって。



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