第5話 スパゲッティ
「レオナルド・ダ・ヴィンチ!?」
その名前に一番に反応したのはユーゴだった。
「彼に会えるんですか?」
「ええ。明日の晩餐の前にこちらに来る予定です」
感動で言葉も出ないユーゴを面白そうに見ていたジローラモさんがクラリスに向き直る。
「みなさんを歓迎する晩餐は明日に用意させていただきます。長旅でお疲れでしょうから、今夜はゆっくりとお休みください」
ジローラモさんはそう言って恭しくお辞儀をした。
確かに、王都からここまで20日以上かかっている。クラリスも気を張ってるんだろうけど、その表情に疲労が見え隠れしていた。
そこへタイミングを計ったように部屋の準備ができたことが伝えられて、それぞれの部屋へ案内してもらうことになった。
黒姫たち女性陣はさっきの階段をさらに上の階へと上がっていく。俺たちはそのまま中庭が見えるホールを抜けていった。
王宮とかダンボワーズ城でもそうだったけど、この館にも廊下というものが無い。部屋が廊下代わりなのか、廊下が部屋のようになっているのか、とにかく部屋が続いている感じ。
それでも部屋は単純につながっているわけでもなく二手に別れたりするので、近衛士たち、マゼランさん、ポンポンヌさんの順で部屋に別れていく。次が俺で、ユーゴとジルベールが更に奥の部屋へと進んでいった。
部屋の内装もいろんなところに彫刻が施されているものの飾りはシンプルで、絵を彫像も無かった。
ただ暖炉のようなものにスリットのはいった鉄板があててあって、そこから暖かいそよ風が流れ出ていた。なんかファンヒーターっぽい。
テーブル状になったところに赤い魔法石と空色の魔法石がついているところを見ると、たぶん魔法道具なのだろう。
夕食は各自の部屋でとった。
持ってきてくれた使用人にファンヒーターのことを尋ねると、やはり火の魔法石と風の魔法石を使った暖房器具だと教えてくれた。これもレオナルド・ダ・ヴィンチが考案したものだそうだ。
食事の後は、やっぱり疲れがあったのだろう。早々に眠ってしまった。
※ ※ ※
翌日。
今日は休養を取ることになっていて、夜まで予定がない。
軽めの朝食をとった後、さてどうすっかなとぼーっとしていたら、クララがやってきて、
「レン様、マイ様が街へ行かれるそうなので、レン様も一緒にいかがでしょうか」
と、笑顔満開で問いかけてきた。
「あー、いいね。行こうか」
まぁ、暇だったしな。
「でしたら、こちらに服をご用意いたしましたので、お着替えください」
「了解」
クララが用意してくれたのは、普段着のようでいてちょっとおしゃれな感じの服だった。
「こんな服、持ってたっけ?」
「え、は、はい。持ってきた荷物の中にあったものです」
ほんの僅かクララが視線をそらした。
まぁ、彼女がそう言うんならそうなんだろう。だいたい俺の服は全部支給品だもんな。
さっさと着替えてクララと一緒に入口の扉のところへ行くと、黒姫が待っていた。
「……」
言葉を失ってしまった。
いつもポニーテールにしている髪は、サイドから後頭部にかけて編み込まれ、残った髪をふんわりとたらしていた。服も動きやすさを選びがちな彼女にしてはフリルがついたフェミニンな装いだ。薄く化粧もしている。
それを褒めることも茶化すこともできない。言葉なんて出てこない。
「な、なに?」
ただボケーっと見つめていると、不審に思ったらしい黒姫が眼をすがめた。
「……あ、いや、その……、なんか、いいかなって思って……」
もうちょっと言うことがあるだろう?
何やってんだ、俺。
「そ、そう。……そっちもなかなか似合ってるじゃない」
ちょっと顔をそらして彼女が褒めてくれる。ちょっぴり見える耳が赤い。
「お、おう。サンキュ」
「私が選んだんだから似合って当然だけど」
ぼそっと零した声が、微かに聞こえた。
この服、黒姫が俺のために……。
そ、そうか。なんかにやけるな。
ふと、生温かい視線をいくつも感じた。
そっと振り向くと、イザベルさんとジャンヌがニヨニヨしながらこっちを見てた。いるんならいると先に言って欲しい。クララも満足そうに頷かない。
「えーと。街に行くんだったっけ」
「そ、そうよ。あの、マスカーニさん」
黒姫が名前を呼ぶと、イザベルさんたちの後ろから見たことがある男性がスっと姿を現した。港に迎えに来てたおじさんだ。
「フィレンチアの街は道が狭くて複雑らしいから、迷子にならないようにマスカーニさんがついてきてくれるそうよ」
「お邪魔にならないように案内させていただきます」
マスカーニさんは胸に手を添えてさらりと礼を執る。さっきまであった甘い雰囲気に微塵も気づいていませんという態度だけど、それはそれで恥ずかしい。
「そういえば、ユーゴとかクラリス姫は?」
やむなく話題を変えると、
「クラリスはまだ疲れが取れないから今日はここで過ごすって。白馬くんはとっくの昔にジルベールと出かけちゃったわよ」
「そっか」
ということは、街行きのメンツは、俺と黒姫、側仕えのクララとイザベルさん。ジャンヌさんは護衛かな。あと、案内役のマスカーニさん。カロリーヌさんたち侍女さん組は留守番のようだ。
街の中心部はこの館と川を挟んですぐ反対側にあるそうなので、徒歩で行くことにした。
3、4階建ての建物に挟まれた石畳の道をぞろぞろと歩いていくと、すぐに道の両側が店になっている場所に出た。軒先に品物を並べた台が出ていて道幅が狭い上に人出も多い。さっそく商店街かなと思っていたら、そこは橋の上だった。なんで橋の上に店なんか出したんだろうと不思議に思う。
そこは別格としても、通りのあちこちに店が出ていた。ちょっとした店先のスペースにテーブルや椅子を出している飲食店も多い。
そんな賑やかな通りをきょろきょろとしながら歩いていくと、広場のようなところにたくさんの屋台が並んでいた。市っていうやつか。
「これ何だろ?」
テントの下の台に置かれたいくつもの木箱の中に茶、黄、紫、黒と色違いの丸い実が詰め込まれていた。
「オリーブの実ですよ」
マスカーニさんがさりげなく現れて教えてくれた。
「へー。いろんな種類があるのね」
その隣の屋台に視線を向ければ、オリーブよろしく赤、青、水色、透明な石が綺麗に入れられた箱が並べられていた。
「これ、魔法石かしら?」
確かに魔法石だった。さすがファンタジーな異世界の屋台。
「へー。こういうのも売ってるんだ」
「黒姫も『聖水の魔法石』売れば儲かるんじゃね?」
「あれは売り物じゃないわよ。ていうか、『治癒の水の魔法石』だから」
黒姫は未だに『聖水』と認めない。あの水を飲んだ人の92%が『聖水』って言ってるんだが。(俺調べ)
「でも、これ買ってどうするんだろ?」
「魔法道具に使うのです」
またしてもマスカーニさんが現れて説明してくれた。
「ほら、あちらに魔法道具を売っている屋台もありますよ」
見ると、懐古的なデザインの道具が所狭しと並んでいた。ランプやコンロみたいなのはわかるけど、用途のよくわからないものも多い。
「ダビンチさんが考え出したものが多いですね」
確か、レオナルド・ダ・ヴィンチは芸術家としてだけじゃなくて発明家としても凄かったんだよな。こっちのダ・ビンチも凄いらしい。
屋台は他にも肉や魚、果物、チーズ、花、服、日用雑貨なんかがあって、二人でいろんな店を見てまわった。
あれ? これってデートっぽい?
さっきからクララたちがちょっと距離を取ってるせいで、なんかイイ感じに二人になってるんだけど、もしかしてワザとか?
まぁ、いいか。せっかくだからもう少しデート気分を楽しもう。
少し先にアクセサリーや小物を売ってる屋台が見えた。
女の子はああいう店がいいんじゃないか。
「なぁ黒姫、あっちに――」
「あ、ほら、あれトマトじゃない?」
いきなり黒姫が俺の服の袖を引っ張った。そして、野菜が並んでいる屋台に突進する。
そこにはキャベツやカブ、でかいカボチャ、太いネギ、ハーブっぽい葉っぱとともに赤い実が並んでいた。でも、トマトにしては形がちょっと縦長い。
「これ、トマトですよね?」
黒姫はその赤い実を手に取って、屋台のおじさんに問いかけた。
「おう。見た通り、トマトだ」
やっぱりトマトなのか。そういう品種なのか。
「よかったー。デロイラじゃ見なかったから、まだヨーロッパに来てないのかと思った」
「嬢ちゃんたち、デロイラの人か。よくトマトを知ってたな」
おじさんが驚いたように言った。
「このトマトっていうのは西の大海の向こうにあるっていう大陸からスパーニャ人が持ち帰ったもんでな、フィレンチアでも最近になって食べるようになったんだぜ」
「へぇー、そうなんですか?」
「ああ。あのダビンチ先生がトマトの食べ方を広めたんだよ。それまではこんなに真っ赤なもんが食べられるって誰も知らなかったんだよなぁ」
「へぇー、そうなんだ」
黒姫は意外そうに手の中の赤い実を見つめた。
「まぁいいわ。おじさん、一つちょうだい」
「あいよ。嬢ちゃん、わざわざ遠くから来てくれたんだ。一つおまけしとくよ」
「ほんと? ありがとう、おじさん」
黒姫はご機嫌でお金を払う。こいつ、いつのまにこっちのお金を持ってたんだ。
「トマトがあるなら、マルゲリータピザが食べれるわね。スパゲッティは何があるかなぁ、ボンゴレ・ロッソ? ボロネーゼ? あー、なんか急にスパゲッティが食べたくなっちゃった」
トマトを腕に抱いた黒姫が指折り数える。そして、
「マスカーニさーん」
と呼びかけた。
「お呼びでしょうか」
どこにいたのか、スっとマルカーニさんが現れた。
「スパゲッティの美味しいお店を知らないかしら」
「スパゲッティ……ですか?」
黒姫の問いにマスカーニさんが戸惑う。
「スパゲッティは庶民の食べ物なので、貴族のみなさまをご案内できるような店にはございませんが……」
「え、全然大丈夫よ、私」
「私たちの身分のことは気にせず、マイ様のご希望を優先してください」
イザベルさんの口添えに、マスカーニさんは「それでしたら」と承諾した。
そこから路地をいくつか曲がったところにそのお店があった。
店内は白い壁にいくつものランプが灯り、明るい雰囲気を作っていた。
そこそこ客で埋まっていたけど、騒がしい感じはない。
「いらっしゃいませ」
料理を運んでいたエプロン姿のおばさんがこっちに気づいた。
「あら、マルコさん」
「6人、席はあるかい?」
「はい。こちらへどうぞ」
案内されたのは奥まったところの2つの4人掛けのテーブル。
イザベルさんが引いた椅子に黒姫が座り、その対面の椅子をクララが引いてくれたので俺もそこへ座った。残りの4人はもう一つのテーブルにつく。マスカーニさんが若い女の子に囲まれて心なしか嬉しそうだ。
そこへさっきのおばさんがメニューを持ってきて、まず黒姫に差し出す。
黒姫はそれにさっと視線を走らせてから、
「スパゲッティをお願いします。トマトソースのものがあるといいのだけれど」
と、おばさんを見上げた。
「トマトソースでしたらとっておきのがありますよ。フィレンチア名物なんです」
「フィレンチア名物!」
黒姫の声が弾む。
こいつ、名物とか名産とかいうのに弱いんだよなぁ。
「じゃあそれを!」
案の定即決すると、メニューを俺に渡してくる。
それを右から左へとイザベルさんに回しつつ、「俺もそれを」と注文した。だって、メニューとか見てもわからんし。
メニューを回されたイザベルさんは「トマトソース?」と首を捻っていたものの、
「私もそれでお願いします」
と黒姫に合わせた。そうなるとクララの選択も決まってくる。
結局、全員フィレンチア名物のスパゲッティになった。
待つこと暫し。
「お待たせしました」
おばさんがオレンジに近い赤色に染まったスパゲッティの皿をことりと置く。
「フィレンチア名物、ナポリタンです」
フィレンチアの名物なのにナポリタンとはこれいかに。
って、待て待て待て待て。
ナポリタンは日本発祥のはずだぞ!




