第53話 ロッシュへ急げ!
この建物の出入り口らしい両開きの扉を見つけて勢いよくそれを開けると、ちょうど眼前に広場が見渡せた。
あちこちに水たまりの残る広場に騎士や馬が集まっている。その中に一際目立つ赤い鎧。
「ユーゴ!」
一目散に駆け寄る。
「レン! どうして?」
馬に乗ったユーゴが驚いて目を見開く。
「高妻くん?」
近くに黒姫もいた。革の鎧を着て、今しもアンドレの手を取って馬に乗ろうとしているところだった。
「マイ!」
「ルシールまで?」
一息遅れて走ってきたルシールに更に驚いている。
「どういうこと? 王都に行かなかったの?」
黒姫がアンドレの手を放して駆け寄ってきた。アンドレがイヤな顔で俺を睨んでくる。へっ。
「転移魔法で来た。ここと王宮が魔法陣で繋がってるんだ」
「そうなんだ」
「何をしに戻ってきた」
呑気に返す黒姫の後ろから剣呑な表情のアンドレが割って入ってきた。
「緊急の連絡があって来たんだよ」
思わず乱暴に返してしまった。
「緊急って、何があったの?」
「流星雨が降ったんだ」
「えっ」
「ウソ!」
ユーゴも黒姫も息を飲んだ。
「いつ?」
「王都は曇ってたから俺も詳しくは知らないんだけど」
「王宮には昨日の夜に早馬で報告があったそうですから、実際に降ったのは一昨日の夜だと思います」
「一昨日……」
ルシールの説明に黒姫が愕然とする。
「とにかく行こう」
「そ、そうね」
「待てっ! どこへ行くのだ!」
ユーゴが馬を降り、黒姫が駆けだそうとするところへ、アンドレの声が響いて思わず動きが止まる。
「どこって、そんなの……」
「ロッシュに決まってる」と言いかけて口を閉じた。言えばややこしくなるのは明白だ。
「……一旦王宮に戻る」
「なぜだ? 星の雨が降ったのならば、この砦でドラゴンの動きを待つと決めていたであろう?」
「事情が変わったんだよ」
「どういう事情だ?」
「それは……」
ああ、クソっ。こんな言い合いしてる場合じゃないって言うのに。
「何を揉めているのですか?」
クレメントさんまでやってきた。「実は」とジルベールが現況を伝える。
「レン殿。ちゃんと事情を説明してください」
「すみません。そんな余裕無いんです。話せば長くなるんで」
「納得できる理由がなければ、この討伐隊の責任者として勝手な行動は許可できません」
「だから、許可をもらってる暇無いんですよ! ていうか、王弟殿下の許可はもらってますから」
「殿下の?」
クレメントさんの顔がルシールに向けられる。
「はい。間違いありません。私たちは父の許可の元で行動しています」
「そうですか……。では――」
「待て」
クレメントさんのセリフをアンドレが遮った。
「許可は陛下やポルト卿のものではないのか?」
「王弟殿下だって言ってるだろ! ダメなのかよ」
「ああ、そうだ」
即答されてしまった。え、なんで?
ルシールも理解できないって顔だ。
「謀反の疑いがある」
「はぁ?」
何言ってんだ、こいつ。
「ルイ殿下が王室で冷遇されていることは一部ではよく知られている。娘しか産めない聖女の血筋の者を正室に娶らされるくらいにな」
ルシールの顔が険しくなる。
「それを根に持ち、勇者と聖女を己のものとして王権を奪うつもりなのだろう?」
「そんなわけないだろ」
「ならばなぜ陛下の許可ではないのだ。殿下の独断である証拠であろう」
めんどくせぇ。
こっちは急いでるんだよ!
「事後承諾ってやつだよ。行こう」
アンドレを無視して行こうとすると、
「レン!」
アンドレがただならぬ迫力で俺を呼んだ。
眼を向けると、恐い顔で腰の剣に手をかけている。
「このまま行くというのなら、逃亡と見なすぞ」
アンドレと睨み合う。ヤバい、マジで斬る気だ。下手に動けない。
緊張感に周りからも声一つ聞こえない。
そこへ、
「ジャルジェ団長! ルメール殿!」
俺たちが来た方向から焦ったような声が聞こえた。振り返ると、さっき部下の非礼を謝っていた中間管理職っぽい人が走ってくる。ショワジーさんだっけ。
ショワジーさんはアンドレの前で止まって、荒い息のまま手に持っていた紙の筒を差し出した。
「て、転移陣での知らせが来ていました」
「どこからだ?」
「スイースの物見からです。ドラゴン現ると」
「ドラゴン!」
広場にざわめきの波が起こる・
「知らせにはなんと?」
筒になっていた紙を広げるアンドレにクレメントさんが問いただした。
「ドラゴンが住処の山から西に向かって飛んでいったとある」
西! スイースってスイスか。スイスから西って……。
「レン!」
「高妻くん!」
ユーゴも黒姫も意見は同じだ。
「急ごう!」
「待てっ!」
「結合せよ!」
俺とアンドレとクララの声が重なった。
直後、ガシャっと鎧の音がして「アンドレ様!」とアランが叫ぶ。
思わず足を止めて見やると、アンドレが前のめりに倒れていた。
「足が地面に……」
クララがしゃがんで地面に右手をついている。その手から流れた魔力がアンドレの金属製の靴と広場の土をくっつけていた。
「お前! アンドレ様に!」
「いい! レンたちを捉えろ!」
クララに向かおうとしたアランに倒れたままのアンドレが命令する。
「はっ」
「結合!」
クララの詠唱と同時に、俺たちに向かって駆けだそうとしたアレンとヴィクトールもつんのめってぶっ倒れた。サフィールやジャンヌも動けないみたいだ。
「レン様、私が足止めします! お早く!」
背中を向けたままクララが叫ぶ。
「クララ?」
戸惑う黒姫の腕を引っ張り再び足を前に出す。今は彼女の気持ちに縋ろう。
「クララ! 頼む!」
「はい! 皆さま、ご武運を!」
「誰でもいい! あいつらを止めろ!」
アンドレの怒声が響いて、騎士たちが動き出す気配がした。
いかにクララの魔力が大きくても全ての騎士を足止めするのは無理だ。10人以上の騎士が追いかけてくる。
俺とユーゴはいいけど、黒姫とルシールの速さじゃ追いつかれる。
すぐ背後まで鎧の音が聞こえてきた時、横合いから別の騎士たちがワッとなだれ込んできた。
「聖女様を助けろ!」
「俺たちの聖女様に何しやがる!」
ちらりと見やると第9分団の鎧が見えた。
「おい、レン!」
ネイ団長だ。
「面白そうなことやってるじゃねぇか。聖女様と駆け落ちか?」
「今、そういう冗談はいいんで」
「カハハハ。ま、ちょうどいいや。13分団は俺たちが相手してやるよ。あいつら気取ってて気に喰わねぇって思ってたんだ」
と、悪い笑みを浮かべる。
「恩に着ます」
「ああ。ここは俺たちに任せて行きな!」
くっ。ネイ団長のくせにカッコイイ。
「9分団のみなさんも、ありがとうございます!」
「おおっ!」
「お任せを!」
黒姫がかけた言葉で9分団の騎士たちの意気がぐっと高まった。ほんとに任せて大丈夫か?
転移陣のあった建物に入る前に広場の様子を確認すると、入り乱れる騎士たちの向こうでクララがクレメントさんに取り押さえられていた。
ごめん、クララ。
後ろ髪を引かれる思いを振り切って、扉を閉めて奥へ向かう。
来たとおりに仕事部屋から倉庫を抜けて階段を下りて、魔法陣のある石造りの部屋に戻ってきた。
魔法陣に4人が入る。みんな神妙な顔だ。特にルシールの顔色が優れない。さっきのアンドレが言ったこと気にしてるのか。
「ルシール。アンドレが言ってたことなんて気にすることないよ」
なんてことないというふうに軽い口調で声をかけると、ルシールは「はい」と気丈に微笑みを返してきた。
「それにしても、アンドレ、どうしてあんな酷いこと言ったのかしら?」
黒姫も非難するようなトーンだ。
「あいつ、なんか俺のこと嫌ってるみたいだし、嫌がらせで適当なこと言ったんだろ。俺のせいでルシールにまで嫌な思いさせちゃってごめんな」
「いいえ。レンが謝る必要はありません」
ルシールはふるふると首を振って、
「それよりも、急ぎましょう。あの人もこの転移陣は使えるのですから」
と促す。
そっか。あいつも王族の血筋だもんな。きっと追いかけてくるだろう。
「わかった。行こう」
クララのことも気になるけど、今は前に進むしかない。
※ ※ ※
王宮の転異陣の部屋を出ると、廊下にセザンヌさんが待っていた。
「お帰りなさいませ。ご無事でなによりです……彼女は?」
クララがいないことに気づいてスザンヌさんが怪訝そうに聞いてきたけど、
「俺たちのために足止めを買って出てくれて……」
「左様ですか」
と、深入りしないでくれた。
「セザンヌ、お父さまは?」
「ルイ様は陛下にお会いになるとお戻りになりました」
ほら、王弟は約束どおりにしてくれてるじゃん。謀反とか、やっぱりアンドレのでまかせだな。
正直言うと、ほんのちょっと疑ってた。ていうか、王権のあーだこーだに巻き込まれるのは勘弁してほしいって思ってたんだよな。巻き込まれるのは召喚だけで十分だっつーの。
内心でほっと息を吐いているうちに、
「私たちはすぐにダンボワーズに向かいます」
と、ルシールがセザンヌさんに指示を出すした。
セザンヌさんは「かしこまりました」と出口に向かって廊下を先導する。
「これみんな転移魔法陣があるの?」
両側の壁に並ぶ同じような扉を見ながら黒姫が感心する。
「はい。私も全ては知らないのですが、王家の所有する土地と繋がっていると聞いています」
「じゃあ、ロッシュ城は?」
「残念ですが、それはありません」
「そっか。ダンボワーズからロッシュまでは馬車かぁ」
「アンドレが追いかけてくるかもしれないし、馬車じゃ追いつかれちゃうよ。馬を使おうよ」
落胆する黒姫にユーゴが異を唱える。でも、それは無理だ。
「え。俺、馬とか乗れないんだけど」
「私も。さっきもアンドレと一緒に乗るはずだったんだから」
なるほど。グッドタイミングだったようだ。
「どうしよう?」
「大丈夫ですよ、マイ。私に任せてください」
何が大丈夫なのかちょっと気になるけど、それよりも気になるものがあった。
「ところでユーゴ。その木箱は何だ?」
今気づいたんだけど、ユーゴの背中にランドセルよりも少し大きめの木箱が背負われていた。鬼の娘が入るには狭そうだ。
「これ? 秘密兵器だよ」
ユーゴがニヤリと口角を上げる。不安しかない。ネーミングが。
出口の2つ手前の所で立ち止まり、ルシールが扉の魔法陣を解く。
ダンボワーズ行きの部屋はさっきの部屋よりも少し広く、魔法陣も大きい。
今度はスザンヌさんも一緒に転移した。
※ ※ ※
暗闇に白いランプの灯りが灯り、石の壁が目に入った。
ダンボワーズ城の教会の地下にある転移の間だ。
部屋を出て、暗い廊下にスザンヌさんが灯りを灯す。石壁の狭い廊下には他に扉は無く、少し先に階段が見える。そちらに進もうとしたら、グイっとローブを引っ張られた。
「なん――」
ついでに口も塞がれた。
スザンヌさんの手だった。必然的に彼女の手にキスをすることになってしまったけど全然嬉しくない。
何するんですかと眉を寄せると、スザンヌさんは慎重に辺りを見回してから声をひそめた。
「ここからは他言無用にお願いいたします」
そして、廊下の奥に誘う。
「ルシール様」
スザンヌさんはもう一度廊下の出口を確認してから、ルシールの耳元で声をかけた。
ルシールは無言のまま頷くと、目の前の石の壁に手を当てる。すると、ぽわっと魔法陣が浮かび上がった。
「えっ?」
ただの石の壁のはずが、すぅっと扉の形で開いていく。
「静かに」
小声で窘められて、そっと開けられた扉のうちへ身を滑り込ませる。全員が中に入ると、そっと扉が閉められ、暗闇になった。その視界の端にまた魔法陣が光る。そして、パッとランプが灯った。
「もう声を出しても大丈夫ですよ」
「どうなってるの? これ」
ルシールが言うと同時に黒姫が問いかける。
「ロッシュ城に転移できる魔法陣です」
「でも、さっき無いって」
「王宮からはありませんから」
ルシールが申し訳なさそうに眉を寄せた。
「ルシールのお父さんもここからは馬でいくしかないって言ってたはずなんだけど」
「この転移陣はサクラお婆さまが作られたもので、お婆さまの血筋の者でなければ使えませんし、その存在も秘匿されてきました。ですので、お父さまにも秘密なのです」
「じゃあ、アンドレはもう追ってこれないんだ」
「はい」
どことなく自慢げなルシールだけど、ちょっと顔色が悪い。そういえば、転移魔法ってけっこう魔力を消費するんじゃなかったっけ?
「ルシール、大丈夫か? 転移魔法、これで今日何回目だ?」
「みなさんをこの世界に召喚したのは私です。ですから、みなさんが元の世界に帰るためにならこの力を惜しむことはありません」
彼女が今までで一番の笑顔を見せる。
「大丈夫です。私は聖女と王家の血と力を受け継ぐ継子ですよ。あと一度くらいの魔力は残っています」
ルシールが床に描かれた魔法陣へと両手をかざす。
「聖女の血において、我らを転移せしめよ」
彼女の手から力強く魔力が流れ出した。




