第49話 王都に戻って
黒姫の考えた理由を言って王都に戻りたい旨を伝えると、クレメントさんは渋々と、アンドレは表情を変えずに即答で許可を出してくれた。
一番の難敵はオットーさんとオスカーさんだった。なぜ帰るのか、いやお前はいいがクララは置いて行けと、置いてけ堀もかくやとばかりに呪詛の言葉を吐き続けられた。まぁ、クララの「そんなことを言うお祖父さまとお父さまは嫌いです」の一言で片付いたけど。
そんなこんなで、翌々日には俺とクララは乗ってきた馬車に揺られてサルルルーイの砦を後にした。
※ ※ ※
サルルルーイから王都に戻る俺とクララの護衛に第13分団から騎士が2人、馬車の御者とかにその従者たちが同行してくれた。
来るときはずっと馬車に揺られて来たけど、帰りは船を使うらしい。デュロワールにいくつも作られている運河を利用するのだ。距離的には陸路よりも長くなるが、風や水の魔法を使って航行するので、馬を休ませなければならない馬車よりもずっと早く移動できるのだそうだ。特に俺たちみたいな少人数ならだんぜん船の方が便利なのだとか。
船に乗る時に騎士の1人とその従者は馬車を持って砦に帰った。残った騎士と従者が王都まで付き添ってくれる。
船は荷物も大量に載せていて10人も乗ればいっぱいだ。乗務員は平民の4人。うち2人が交代で操船するようだ。
小川のような運河は日本の川のような堤防は無くて、岸にはずっと木々が生えている。その景色の中を小さな帆に魔法で起こした風を当てた船は流れるように進む。揺れが少なくて気持ちがいい。そして意外に速い。なんかまじまじと魔法の便利さを実感した。
たぶん今は8月上旬くらいなんだろうけど、移動中は川の上だからか涼しく過ごせたし、たまに通り雨があった程度で天気も良く、これといったトラブルも無しに10日もかからずに王都に着くことができた。
アルセーヌ川の船着場からは徒歩で王宮に行き、城門の入り口でクレメントさんに書いてもらった手紙を見せるとすぐに入城の許可が下りた。護衛の騎士の任務はここまで。この後は、騎士の詰め所で待機(と言う名の休暇)だそうだ。
俺とクララはそのままロクメイ館へ向かう。ロクメイ館の中は数人の下働きが掃除をしているだけで、しんとしていた。
とりあえず使っていた部屋に荷物を置いて一息入れているところへカロリーヌさんがやってきた。黒姫の侍女頭をしていたこげ茶の髪をひっつめにした品のいいおばさんだ。
俺一人が戻ってきた理由(脚本:黒姫)を言うと半眼で見られたけれど、王都を出てからの黒姫の様子を聞かせて欲しいとのことだったので、当たり障りのない範囲で報告してあげた。戻ってきたらさぞかし嬉々として所作の指導をし直すことだろう。
ついでに、アンブロシスさんとルシールへの面会の要請もお願いした。
翌日にはルシールからの返事が届き、ちょうど王宮に来ているとのことで次の日の午後に会えることになった。
アンブロシスさんのほうは生憎ロッシュ城にいるそうで、返事が来るまでしばらくかかりそうだ。
1日暇な日ができたので、朝はゆっくり過ごして、お昼前に平民っぽい服に着替えてロクメイ館を出た。前みたいに外出を厳しく制限されないので簡単な手続きで王宮の門をくぐる。向かう先は平民の街。ほら、サルルルーイがつまらなくて戻ってきた設定だから、それっぽい行動を取らなくちゃね。
王都パルリはアルセーヌ川を挟んで貴族街と平民街に別れていて、平民街は王宮から川下に向かって左側、アルセーヌ川の左岸にある。厳密には平民街の中にちょっとした宮殿みたいのがあったり、貴族街に平民の店があったりするのだが、だいたいそういう認識でオッケーだ。
あいにくのどんよりとした曇り空の下、橋を渡って平民街に入る。
商店の並ぶ大きな通りにその店はあった。
この界隈では平均的な3階建てで、壁には薄い黄土色のレンガが使われている。窓に当たる部分には円を基調にした金属の枠に色のついたガラスがはめ込まれて、なかなか洒落た雰囲気の店だ。
建物の端に壁から突き出す感じで小麦に麵棒をあしらった看板がついている。書かれている文字は、『フールニエ』。
というわけで、ペネロペの実家のパン屋、フールニエ商会にアポなしで来ちゃいました。
木製の扉を開けて中に入ると、店内の壁一面に備えられた棚には、フランスパンと言われて一番に思い描くような細長いパンは見当たらず、何種類かのサイズのこんがり焼けた円いパンが並んでいた。数人のお客がそれを選んで手に取っている。
正面のカウンターに店員がいるけど、特に声をかけてくる様子は無い。その横、一番目につく棚には例のベーコンサンドが並んでいた。
ふと、パン棚の上に飾られているモノクロの人物画が目に入った。なんか見たことがあるような……。
「あれ? もしかしてレン様?」
絵を睨んでいると、戸惑うような声がした。ペネロペだ。
「こんにちは、ペネロペ」
「はい、いらっしゃいませ。ええと、また、髪の色が変わってますけど……」
そうなのだ。サルルルーイを出る前に黒姫に頼んでカラスが泥水を浴びたようなと言われた髪色を綺麗に脱色しなおしてもらっていたのだ。おかげで、王都への移動中も街中でも注目を集めることは無かった。まぁ、顔立ちとか肌色は東洋人のままなので、チラチラとは見られたけど。
ただ、ペネロペに「髪色が違うから一瞬誰だかわかりませんでした」と言われたのはちょっとショックだったな。何? 俺って髪色で認識されてたの? 髪が本体なの?
ペネロペは焼きたての香りがするパンが入った籠を抱えて、
「レン様もユーゴ様たちと一緒にドラゴン討伐に行かれたのではなかったんですか?」
と、不思議そうに俺を見た。
「ちょっと用事が出来て一旦戻ってきたんだ」
「そうでしたか。それで、今日はうちのパンを買いに来てくださったんですか?」
愛嬌のある笑顔でそう聞かれたけど、
「ごめん。ちょっとお兄さんに用があって」
と答えると、こげ茶の眼を不満そうにしていた。それでも、「では、こちらへ」とカウンターの奥へと誘う。
そこにあった扉の向こうはパンを焼く工房で、火属性の魔法を使って焼くそうなんだけど、各店で秘伝があるらしい。
「工房へは他所の人は入れないので」
と、階段を上った所の部屋に通された。
たぶん商談用の部屋なのだろう。10畳程の部屋の中央に2人掛けのソファーがテーブルを挟んで置いてあった。その奥に大きな机があって、窓の外には通りを挟んだ向かい側の建物が見える。一方の壁には暖炉。
貴族の応接室に比べるとこじんまりとして装飾品も少ないけど、綺麗に整頓されていて心地いい。
ペネロペはテキパキとお茶を淹れてから、お兄さんを呼んできてくれた。
「レン様、お久しぶりで……え? レン様ですよね?」
入ってくるなり、お兄さんの訝し気な視線が俺の頭を捉える。この人も髪の色で覚えてたのか。
「ちょっと髪色は変わりましたけど、レンです」
立ち上がってそう言うと、お兄さんの後からお父さんのポールさんも入ってきた。
「レン様、ようこそ我がフールニエ商……レン様?」
もういいよ。
ついでに、「レン様」というのをやめてもらった。やっぱり年上の人に様付で呼ばれるのは落ち着かないからね。メイドさんに呼ばれるのは全然いいんだけど。ていうか、呼ばれたい。
「ドラゴン討伐のほうは終わったんですか?」
ソファーに腰を下してピエールさんが口を開く。
「いえ、俺はそっちはあんまり役に立たないんで。実は、また変わったパンを作っていただけないかと相談に来たんです」
「変わったパンとは『ベーコンさんど』のようなものですか?」
「だいたいそうです」
「今度は何を挟むのですか?」
ポールさんも興味深そうに聞いてきた。
「フリカデラです」
「フリカデラ? 聞いたことがありませんが、それも『まよねーず』のようにレンさんのいらした世界のものですか?」
「いいえ。彼女の実家で食べられている料理です」
と、クララを紹介する。
そして、クララに書いてもらったフリカデラのレシピを渡してハンバーガーの説明をすると、二人とも興味津々に食いついてきた。
「これは面白そうなパンになるな」
「うん。このフリカデラっていうのは王都では知られてないし、これなら『ベーコンさんど』のように真似できないよ」
「今度こそうちの看板商品にしてやるわい」
親子でひそひそとやっているけど、
「あ、やっぱり他のお店に真似されちゃいましたか。ベーコンサンド」
「はい。お恥ずかしい話ですが、レンさんの言うとおりです。発売したばかりの頃は、行列がつくほどに売れたのですが、すぐに他の店でも売り出されまして」
「しかも、うちよりも安い価格で」
フローレンスが言ってたとおりだ。
「ハンバーガーも真似されるんじゃないですか?」
「フリカデラの作り方を知らなければ簡単には真似できないでしょう」
そうかなぁ。
「マヨネーズのほうはどうなりましたか?」
聞くと、ピエールさんはにんまりと口角を上げた。
「ええ、レンさんの希望どおりのものが作れるようになりました。今日は用意できませんが、明日にでも試食していただけますか?」
明日か。ルシールとの約束は午後だから、
「昼前なら時間あります」
「では、お待ちしております」
お兄さんは自信満々だ。これは期待してもよさそうだな。
明日の再来を約束して暇を告げた。
1階の売り場まで降りてきて、さっき目に留まった壁の絵のことを思い出した。
「ちなみに、あの壁の絵はどうされたんですか?」
見覚えのある白黒の人物画を指さすと、お父さんは興味深そうに笑みを向けた。
「ほう。レンさんもあの絵に興味を持たれましたか。あれはシュヴァルブラン画伯の作品です」
「シュヴァルブラン画伯?」
白い馬、か。
「はい。シュヴァルブラン画伯は今貴族の間でとても話題になっている若手の画家なのですよ。殊にご婦人やご令嬢の間で描いてもらいたいと引っ張りだこになっているそうです」
「へぇー」
「あの絵は、リッツ商会のお嬢さんが庶民にも人気が出るか調べるためにこの店に来た客の評判を聞かせて欲しいと手ずから持ち込んでこられたのですが、いやぁ、これが結構好評で。さすがはリッツ商会ですな」
「そのリッツ商会というのは?」
「王都一、いやデュロワール一の商会ですよ。農産物や商工品の流通を主力に宿屋から金融まで手広く商売をしています。実は、この絵の評判を伝える対価に小麦を優先的に融通してくれると言われましてね」
「あ、そういう繋がりですか」
「いえ。うちとはこれまで特に取引はなかったのですが、それがなんと、あちらのお嬢さんとうちの娘が知り合いらしくて、そのつながりでこの話が来たのです」
「マイ様の専属使用人のフローレンスですよ。レン様もご存知でしょ?」
と、ペネロペが言い添える。やっぱりか。
あの絵、モデルがソフィーだし、ユーゴが魔法操作の練習のために描いた絵だもんなぁ。そっか、ペネロペはユーゴが描いた絵のことは知らないんだっけ。ま、作者の正体をばらすのはマナー違反だし、黙ってるか。
「いやぁ、あのお嬢さんはなかなかのやり手ですな」
ポールさんが絵を見上げながらそんなことを言った。
「と言うと?」
「なんでも、お嬢さん自身がシュヴァルブラン画伯を見出したのだそうですよ。絵も需要があるようならば、印刷物にして売りに出す予定だそうです」
「需要はありそうなんですか?」
「ええ。あの絵を譲って欲しい、買い取りたいという人は多いですね」
それでフローレンスを嫁に出さなかったわけね。
「あの絵は無名の女性ですが、人気のある人物の絵ならもっと需要があるだろうとお嬢さんは言っていましたね」
「へぇー。例えば誰の絵ですか?」
聞くと、ポールさんは声をひそめた。
「ここだけの話ですが、今勇者様や聖女様の護衛をされている騎士の方だそうです」
あー、アンドレか。あいつなら間違いなく売れるな。女子に。けっ。
「それに、畏れ多くも第2王女のクラリス姫殿下の姿絵もあるそうですよ」
それも売れそうだけど、肖像権とか大丈夫か?
「残念なことに、今庶民に一番人気のある勇者様と聖女様の絵だけは手に入らないと嘆いていましたね」
まぁ、黒姫は断固拒否してたし、ユーゴも自画像は描いてないみたいだったからなぁ。
「リッツ商会は良い娘さんをお持ちですな。うちの娘もあのお嬢さんを見習って欲しいものだが」
と、自分の娘をちらりと見やる。対するペネロペはうへぇと嫌そうな顔を返すだけ。
「そうですか? 実はそのリッツ商会のお嬢さんを知ってますけど、俺はペネロペの方が好きですね。いいお嬢さんだと思いますよ」
うっかりさんだけど。
「レン様……」
「ほう……」
ペネロペは照れくさそうに、ポールさんは興味深そうな笑顔で俺を見てくる。あ、ピエールさんはなんか睨んでるけど。
「じゃあ、また明日。マヨネーズ、期待してます」
と、フールニエ商会を後にした。
王宮への帰り道、ふと空を見上げた。
空一面に濃い灰色の雲が広がっていた。
「どうかされましたか?」
足を止めた俺に、クララが問い開ける。
「え? いや……」
無意識に見上げただけだから、理由は無い。
「なんか、今にも雨が降ってきそうだなと」
適当に答えると、クララも空を見上げて「そうですね」と頷いた。
「急ごっか」
「はい」
一瞬感じた不可解な感じを振り切るように、俺はクララと並んで王宮へ向かって駆けだした。




