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第44話 精の話

 あんまり寝た気がしない。

 クララに起こされてもなかなか起きられず、ぼーっとしたまま食堂に行く。


 王都を出てから俺たちはしっかりした朝食を取らなくなった。移動中の野営の時なんかは特にそうで、ビスケットとチーズと飲み物だけということがしょっちゅうあったからだろう。この砦の宿舎に来てからも同様で、朝はいつも軽いメニューが多かった。


 食堂の入り口で、俺と入れ替わるように出てきたユーゴと鉢合わせした。お付きのジルベールも一緒だ。


「あ、レン。おはよう」


 ユーゴの方から爽やかな朝の挨拶がきた。


「いつもより遅くない?」

「んー。ノンレム睡眠が足りなくて。ユーゴは早いな。今日は休養日だろ?」


 馬車の長旅に休む間も無く魔獣の討伐で疲れが溜まっていたと判断されて、今日一日休養を取ることになっている。


「うん。だから気分転換にちょっとスケッチにでも行こうかと思って」


 と、ユーゴが朗らかに笑う。一晩寝て元気が出たのかな。


「おう。いってら!」


 軽く片手を上挙げてユーゴたちを見送り、食堂の中に入った。

 中にはユーゴの食事の後片づけをするソフィーの姿。……ん?

 なんかソフィーがいつもと違う感じがする。


「あ、レン様、クララ様、おはようございます!」


 ソフィーが俺たちに気づいて笑顔を向ける。

 ちなみに、クララが貴族でここの領主の令嬢だということはみんなに知れ渡っていたりする。

 俺も「おはよう」と挨拶を返して、


「ソフィーって、なんか雰囲気変わった?」


と、探るような感想を言うと、


「うふふふー。わかっちゃいますかぁ」


 と、にんまりとした笑顔が返ってきた。いや、わかっちゃわないんだが。


「ソフィーはユーゴ様と同衾したようですよ」


 突然、背後から声がした。


「同衾?」


 振り返ると、皿やカトラリーを乗せたトレイを持ったフローレンスがいた。


「おはようございます、レン様。まぐわったと申した方がよろしかったでしょうか? あと、そこに立たれると邪魔です」


「あ、ごめん。って、言葉の意味がわからなかったわけじゃねーよ。おはよう」


 フローレンスの動線から避けて、ソフィーに顔を戻す。


「え、またユーゴと寝たの?」

「だって、昨夜のユーゴ様、なんだか元気が無さそうでしたから」

「あー、まあね」

「そういう時に男を元気づけるのが女の役目なんです!」


 ふんすとソフィーが両拳を握る。

 ユーゴが元気になったのってそういうわけかぁ。


「へー」

「なんですか、そのどうでもよさそうな返しは。ははぁーん。さてはレン様、そういうことをしてもらったことが無いんですね?」

「は? ちょ、何言って」

「ソフィー。そういう答えのわかり切ったことをあからさまに聞くのは経験の無いレン様に失礼ですよ」


 と、フローレンスが窘める。ほんと失礼だぞ、フローレンス。


「でも、経験が無いレン様はどうして私がユーゴ様としたことがわかちゃったんですか?」

「いや、それがわかったわけじゃないけど、なんか前と雰囲気というか感じ方が違ったんだよ。あと、俺の経験の有り無しは明言してないからな」

「どういうことですか?」


 フローレンスが鋭い眼光で聞いてくる。


「だから、俺がそういう経験が有るとか無い――」

「それはどうでもいいので、ソフィーのことを答えてください」


 俺の経験がどうでもいいと切り捨てられてしまった。まぁ、明言しても虚しいだけだけども。


「えーと、なんかね、ソフィーの魔力が増えてるように感じたんだよ。それもすっごく」


 平民から感じる魔力量じゃない。


「……なるほど」


 フローレンスが真剣な面持ちでふむふむと頷く。そして「これは平民の女性の間でまことしやかに言われていることですが」と前置きをする。


「貴族の男と寝ると魔力が増えるのだそうです。思うに、男の精には魔力が含まれているのでしょう」

「じゃあ、ソフィーの魔力が増えたのって……」

「ユーゴ様の精がソフィーの中に注がれた結果ですね」


 なんとも信じ難い話だけど、そんなセリフを平然と口にするフローレンスの神経のほうが信じ難い。


「ですが、それが本当ならレン様は大変なことになりそうですね」

「え、なんで? どういうこと?」


 無表情だったフローレンスの口角がほんの少し上がり、瞳も怪しく光る。


「私の調査によると、レン様は魔力そのものはお持ちです。たぶんユーゴ様と同程度の。ですが、レン様は魔法が使えない。そのうえ経験も無い。となると、やはりそうとう溜まっているのではないでしょうか」


 溜まってるのは魔力だよね?


「いやはや、レン様の精にはいったいどれほどの魔力が含まれていることやら」

「レン様、初めて経験する時は気をつけてくださいね」

「おまえらなぁ。さっきから経験無い経験無いって好き放題言いやがって。だったら、おまえらで経験すっぞ、ゴラァ!」

「おまわりさーん。ここにレイプ犯がいまーす」


 すっごく聞いたことある声が背中から聞こえてきた。

 恐る恐る声の主を見ると、自分より背の高いクララの耳を両手を伸ばして塞いでいる黒姫がいた。


「え、黒姫……。おは、よう?」

「……」


 挨拶の代わりに軽蔑の眼差しを返された。


「ていうか、いつからいた?」

「……『お前らで』のあたりから」


 ふっとそらす顔が真っ赤なのは、うん、そういうことね。


「黒姫がいるならそう言ってくれよ、フローレンス」


 小声でクレームをつける。


「申し訳ございません。興味津々なご様子でしたので」

「ちょっ、フローレンス!」


 黒姫が焦ったように声を上げたけど、フローレンスは誰がとは言ってないんだよなぁ。


「まったく! 白馬くんにも困ったものね」

「ほんとだ。ユーゴのせいで酷い目に遭ったぜ」


 期せずして、この件の責任はユーゴに押し付けようと二人の意見は一致した。



 ※  ※  ※



 公開羞恥プレイのような朝食の後、


「レン様。今日はどのように過ごされますか?」


 黒姫のファインプレイでさっきの話を聞いていない(と思う)せいか、いつもと変わらぬ態度でクララが訊ねてきた。


「もちろん、休養日だからゆっくり休むよ」


 と言うわけで、やってきました。領主の屋敷。

 一応午前の常識的な時間だったけど、先振れも無しに来ちゃったから応対に出た執事のゼバスさんがビックリしてた。それも一瞬、すぐに平静な表情に戻って「どのようなご用件でしょうか?」と用向きを聞いてくる。


「休養日なので、クララに今日一日ここで過ごしてもらおうって思って来ました」

「レ、レン様?」


 事情を話さずに連れてきたクララが驚いている。


「左様でございますか。では、中にお入りください」


 ゼバスさんは事務的にそう案内するものの、目じりと頬に感情が漏れ出ていた。


 いつもの応接室に案内されてソファーに座る。

 ゼバスさんが「主人を呼んで参ります」と部屋を出ていくなりクララに問い詰められた。


「レン様、どういうことでしょうか?」

「うん。クララってずっと俺と一緒にいてあれやこれや世話してくれてるたろう? 休養日だし、クララも休んでもいいんじゃないかな」


 デュロワールでは定休日と言う観念が無いみたいで、各候の始まりにあるお祭りが休日の代わりになっている。働いている人は他に15日に一度くらいで休暇をもらっているらしい。でも、クララはもう30日以上休み無しで俺の世話をしてくれている。


「ですが」

「せっかく家族が近くにいるのにゆっくり会うこともできないなんてなんか悲しいじゃん。俺ならそう思うけど、クララは迷惑だった?」

「……いいえ。お気持ち、とても嬉しいです」


 そう言ってクララが顔を伏せる。

 と、いきなりドーンと扉が開いて、


「クララ!」


 大声で名前を呼びながらオットーさんが突入してきた。


「姉上!」


 続けざまに弟くんが駆け込んでくる。


「お、お爺さま! それにミハエルも! ノックも無しに扉を開けるなんてレン様の前で失礼です!」

「いや、すまん。つい嬉しくてな!」


 クララが窘めても一向に気にしてなさそうなオットーさん。ずかずかと勢いよく歩み寄ってきて、


「レン。クララを連れてきてくれたこと、礼を言うぞ。君は見た目に寄らず心遣いのできる男のようだな」


 立ち上がった俺の背中をバシバシと叩いた。


「なんなら、このままクララに暇を出してくれてもよいのだぞ?」

「お爺さま!」

「姉上。母上もあちらの部屋で待っているから、早く行こうよ」

「ミハエル、レン様にご挨拶するのが先でしょう?」


 せわしなく注意するクララに、苦笑交じりで声をかける。


「そういう堅苦しいのはいいから。ほら、お母さんを待たせちゃ悪いよ」

「いいえ、レン様。こういうことは幼いうちからちゃんと身に着けておかないといけませんので」


 と、お姉さんっぽく不満顔の弟に挨拶をさせた。

 そっか。見た目は中学生くらいだけど、まだ学院に入る前の歳なんだよな。


「姉上、王都の話を聞かせてください」


 ミハエルは挨拶もそこそこにクララの手を引いていく。クララは困った顔で俺に小さくお辞儀をすると、弟と一緒に部屋を出ていった。


「君も遠慮せずにくつろいでいってくれたまえ」


 オットーさんも上機嫌でそう言い残して孫たちに続いた。

 ま、俺としてはクララが望むのなら家族の元に返すのも吝かじゃないけど、一応アンブロシスさんに言われて俺の傍にいるわけだし勝手なことはできないよなぁ。それに、クララがいないともろもろ困るし。


 一人になった応接間のソファーにどっこいしょと腰を沈める。

 すぐにドアがノックされて、確かチネッタとかいう名前の若いメイドさんがお茶を持ってきてくれた。シンプルなクッキーもついている。

 それを一口飲むと、知らずにはぁ~と息が漏れた。


 昨日は怒涛の一日だったなぁ。

 初めて見る魔獣。血生臭い討伐。

 ユーゴの魔法。そして魔力切れ。

 不思議な黒い石。

 黒姫の涎……は置いといて、

 やっぱり、ゾーイさんのあの言葉。


「日本に帰るのは諦めろかぁ……」


 なんであんなこと言ったんだろう?

 俺たちに帰って欲しくないってわけじゃなさそうだし、実は送還できないっていうほうがまだ納得できるんだよなぁ。まぁ、それはあっさり違うって言われたし、アンブロシスさんやルシールも普通に送還の話してたもんな。

 うーん……。

 …………。

 ……。




 名前を呼ばれたような気がして目を開けた。さっきのメイドさんだ。

 いつの間にか寝てたようだ。

 メイドさんが言うには、オットーさんから昼食のお誘いがあるとのこと。

 けど、せっかく家族水入らずの席に俺が行ってもお邪魔虫だろうし、お誘いも形式的な感じがしたので丁重に辞退申し上げると、代わりに応接室に食事を運んでくれた。

 やっぱりここの料理って王都のものより美味い。もう一回フリカデラ食べたいなぁ。


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