第41話 勇者の魔法
ここの周囲をぐるりと取り囲むような魔力を感じていた。大きさ的にはリギューよりちょっと大きいくらいか。ただ数が多い。
「囲まれてるってのはどういうことだ」
「え、ああ、そのまんまですよ。ここの周りにぐるっと魔力を感じるんです。たぶん魔獣だと思うんですけど、完全に包囲されちゃってますね」
「魔獣が俺たちを包囲してるって言うのか」
「それと、騎士さんたちが追われてます」
そこへ、森の中から数人の騎士が這う這うの体で駆けてきた。何人かは怪我もしている。
「どうした?」
「そ、それが、いきなりシヤンデュの群れが現れて」
シヤンデュはオオカミの魔物だ。
「シヤンデュか。もう血の臭いを嗅ぎつけたのか……」
「まだ、追われてくる人が何人もいますよ」
腕組みをして森を睨むネイ団長に、感じたままを告げた。
すぐに、別々の方向からやってきた騎士たちが口々に報告を上げる。
「シヤンデュの群れに遭遇! 応戦できずすみません」
「こちらもシヤンデュです! 数は不明」
「オングールが2頭、尾根筋をこちらに向かってきます!」
オングールはクマの魔物で、魔物の中では一番大きくて凶暴なやつだと聞いている。
「おいおい、散開してたやつらが全員集まってきたじゃねぇか」
「報告からの推測ですが、シヤンデュの大きな群れに囲まれているようです」
副団長が状況をまとめると、ネイ団長は横目で俺を見ながら「ああ、わかってる」と返した。
そこへアンドレがやって来て、
「どうなっている」
と、横柄に問いただしてきた。クレメントさんも心配顔だ。
「シヤンデュに囲まれたようだ」
「囲まれた?」
「ああ。おまけに逃げやすい尾根筋にはオングールときたもんだ」
「どうしますか? 団長」
副団長に問われた団長が俺に顔を向ける。
「おい、魔獣たちの動きはわかるか?」
「えっと、ゆっくりと包囲を縮めてきてる感じですね。なんか狩られる側になった気分です」
「変なことを言うな」
ネイ団長は心底イヤそうに片眉を跳ね上げた。
「魔獣の相手は9分団の仕事だろう? なんとかしろ」
苛立つようなアンドレの注文を聞き流して、ネイ団長は副団長に顔を向ける。
「ここで四方から襲われたら防ぎきれん。今のうちに一点突破で撤退する。狙いはオングールだ」
「了解です」
副団長はすぐに部下たちに指示を出し始めた。
が、アンドレは納得できないみたいで、
「オングールだと? 魔物で一番強いのだろう? 大丈夫なのか? 聖女様を危険な目に遭わせるわけにはいかないのだぞ」
と、ネイ団長に詰め寄った。対するネイ団長は面倒くさそうな顔で答える。
「確かにオングールは強いがシヤンデュより動きは遅いし数は少ない。俺たちが相手をしている間にあんたらに逃げてもらう。時間がねぇ。さっさと動いてくれ」
「待って」
ユーゴの声が割り込んだ。
「レン。騎士はみんなここにいる?」
「んー。何人かまだ残ってる」
「ああ。魔獣の様子を見張ってるのがいるはずだ」
ネイ団長は確認するように周りを見回して答えた。
「団長さん。すぐに呼び戻して」
「……ああ、了解だ」
ネイ団長はわけを聞かずにうなずいた。それほどにユーゴには有無を言わせないオーラがあった。
指笛が鳴って、程なく四方から数人の騎士が急いでやってきた。
「これで全員だ」
ネイ団長の言葉に無言でうなずくユーゴ。
「みんな一か所に集まって」
ユーゴの意図がわからず騎士たちが逡巡してると、
「勇者様の命令だ! さっさと動け!」
ネイ団長がドヤす。
慌ててガチャガチャと騎士たちが黒姫を中心に集まった。聖女様は人気者だな。俺とクララも同じく移動する。
「レン。魔獣の様子はどうなってる?」
「えっと……。もうかなり近い。50m無いくらい」
実際、木々の向こうに灰色の陰が見え隠れしている。
「りょーかい」
ユーゴは軽く言うと、両手を高く上に突き出した。
「風よ、我が意のままに! デストロイトルネード!」
その両手から放たれた膨大な魔力が渦を巻いて周りの空気を巻き込んでいった。
ユーゴのネーミングセンスはともかく、魔法そのものは強力無比だ。俺たちの集まっている場所を中心に半径20mくらいの反時計回りの風の渦がゴウゴウと吹き荒れる。
強風がバキバキと木を根こそぎ倒し、上空へと巻き上げていく。俺たちを包囲していた魔獣もその脅威からは逃れられない。巻き上がる木々に混じってそれらしき影がいくつも見えた。
「うわぁぁぁ」
「なんなんだ、これは!」
俺たちの周りにも強風が吹き荒れてみんな必死に木や人にしがみついた。
「ユーゴ!」
学院の二の舞が心配になって大声で呼ぶと、ユーゴは背中越しに「大丈夫!」と叫び返してきた。
その風の渦はどんどん俺たちから遠ざかり、その半径を拡大していった。巻き上げられる木々は更に増え、土色の中に緑色が混じった風の壁が空高く続いている。巨大な竜巻を内側から見ているみたいだ。
竜巻が大きくなるにしたがって、俺たちのいる場所に吹く風も弱まった。すると、固まっていた一同は安堵するようにほっと息を吐いた。
「これが勇者の魔法か……」
「凄えなんてもんじゃねぇな」
口々に驚異する中、俺はユーゴに駆け寄った。
「ちょっ、ユーゴ。もういいんじゃね?」
「まだだ! 僕の力はこんなものじゃない!」
ユーゴの眼に怪しい光が宿っていた。
「どうしちまったんだ? 勇者様は!」
「なんか変なスイッチが入っちゃったみたいです!」
ネイ団長の大声に大声で返す。
「何言ってるのかわからんが、魔獣たちを吹き飛ばしてくれたからいいか!」
ネイ団長はそう叫んでカハハハハと笑う。
その途端、ふっと風が止んだ。
見ると、凶悪な竜巻は忽然と姿を消して、遠くの空では大量の木々が落下していき大きな地響きを立てていた。
「「ユーゴ様!」」
アレンたちの声でユーゴを見ると、ばったりと倒れ込んでいた。
「ユーゴ!」
「魔力切れだな。全員、周囲を警戒! ぐずぐずするな!」
背後でネイ団長の怒鳴り声が聞こえた。
ユーゴが魔力切れ? そういえば、ユーゴからいつものような魔力量を感じない。
「ユーゴ! しっかりしろ!」
「ううっ……」
呼びかけると、ユーゴが小さくうめいた。意識はあるな。
「ユーゴ殿、ご気分は?」
クレメントさんがやってきて冷静な声で問いかけた。
「なんか……急に……力が……抜けちゃって……」
血の気の失せた青白い顔で途切れ途切れに答えるユーゴを見て、クレメントさんが頷く。
「やはり、魔力切れになったようです。強力な魔法を一度に使うとなりやすいんです。大丈夫、魔力を補充してもらえばすぐに治りますから」
「すみません……。ちょっと調子に……乗りすぎちゃった……かな」
ユーゴはちょっとだけ瞼を開けて申し訳なさそうに眉を下げた。
「謝ることはありませんよ。ユーゴ殿は常人にはできない魔法でみんなの危機を救ってくれたのですから。それに、魔力切れなんて誰でもたいてい一度はやるものです。ここにいる者たちも皆覚えがあるはずです」
クレメントさんが周りを囲む面々を見回した。どれも苦い顔になったり遠い目をしたりしている。おかげで、張り詰めていた空気がちょっと和んだ。ユーゴも照れくさそうに小さな笑顔になってる。
「マイ殿、すみませんが、ユーゴ殿に魔力を分けていただけますか」
クレメントさんに呼ばれた黒姫がアンドレに付き添われて歩み寄ってくる。
「やり方はわかっていますね?」
「はい。ルシールに教えてもらったから」
黒姫は寝ているユーゴの側に跪くとユーゴの両手に自分の両手を合わせる。
「……えっと、やります」
そう宣言して黒姫は静かに目を閉じた。技名は言わないのか。残念。
黒姫からユーゴへと魔力が流れていく。ユーゴの顔色も徐々に赤みが戻ってきた。どうやら大丈夫そうだ。
ほっと息をついてから、改めて周囲を見やる。
俺たちが固まっていたあたりは特に被害は見られない。が、その木立の向こうがやけに明るく見える。
確認しようと木立の切れ目まで歩いていくと、ぱっと視界が開けた。
「っ……」
あっけにとられるとはこのことか。
小高い丘の上から下まで幹の途中で折れたような木の残骸があちこちに見える。根こそぎ持っていかれたのか地面にぼこぼこと穴が開いたような場所もあった。奇跡的に被害を免れたらしい木立がまだらに緑を残していた。
その惨状は周りの丘陵にも及んで、辺り一面に倒木の山を作っていた。いったい東京ドーム何個分の森がなくなったのか見当もつかない。東京ドーム行ったことないけど。
「やれやれ、やることが無茶苦茶だな。勇者様はよ」
ネイ団長も側にやってきて心底呆れたように、でもちょっと楽しそうに呟いた。
「魔獣はどうなった?」
「あー、魔獣はですねぇ……」
魔力感知の範囲を広げてみても特に感じる魔力は無い。魔獣どころかその他もろもろの生き物の魔力も無くなってる。環境破壊とか大丈夫か。
その薄くなった魔素の中に、ちょっと妙な魔力を感じた。
なんだろう? ぼんやりとあたり一面に広がっているような……。
「どうした?」
ネイ団長の怪訝そうな声に意識を戻された。
あ、魔獣の気配を探るんだったな。
「えっと、ここらへんのは1匹残らず駆逐されちゃったみたいだです」
「そうか」
ネイ団長はふーっと大きく息を吐いた。
「それにしてもさっきのあの魔獣たちの動き、尋常じゃなかったな」
「昨日以上に巧妙でしたね」
髭面の聖魔法使い、副団長のヴァレンティンさんも寄ってきて会話に加わった。
「ああ。シヤンデュの群れとオングールに囲まれたのもそうだが、その前のベックノワが襲ってきた場面、まるでリュギューに集中していた俺たちの虚を突いたように現れやがった。その後のリギューにしてもレンが気づいたから対応できたが、そうじゃなかったら後方からの急襲で混乱して挟み撃ちになってたかもしれん」
「思えば、それさえも我らを包囲するための陽動ではなかったかと勘繰りたくなります」
副団長が追従した。
「だな。レンじゃないが、まるで狩られる側になった気分だったぜ」
「まるで人間相手のようで気味が悪いですね」
人間相手……?
その言葉と、最初にリギューから感じたものを思い出して、あたりを見回した。さすがに、圧死したリギューには近づきたくない。クララが吹き飛ばした方のリギューに駆け寄る。魔石を取るために腹を裂かれていたので、けっこうグロいしくさいが我慢だ。
まだ少し温みのある死体に手を触れた。
……やっぱり。
「おい、何やってる?」
ネイ団長の声を無視して、風に飛ばされて木の根元に引っ掛かっていたベックノワにも触った。覚えのある魔力の残滓を感じる。
間違いない。
「憑依魔法。いや、使役魔法か」
ぽそりとその単語が口からこぼれ出た。




