第38話 ゾーイ
オットーさんたちの執拗なお泊りの要請を振り切って戻ってきた砦の宿舎で与えられた部屋は従者用というやつで、広くはないが文句は無い。
部屋の灯りはロウソクだったから、クララの手を煩わせることもなかった。フッと吹き消してベッドに入る。
それほど時間は経ってないと思う。
小さなノックの音とドアが開く音でうとうとしかけていた目が覚めた。
「クララ?」
いや、この魔力の気配は違う。それに覚えがある。
すぐに起き上がって薄闇に眼を凝らすと、その白い寝間着姿の女性の顔に見覚えがあった。黒姫の専属メイドの一人で、名前はアナベル。ソバカスとこげ茶の髪の三つ編みお下げがポイントの生徒会の書記とかやってそうな子だ。
書記ちゃんは俺の目の前まで歩み寄って恭しくお辞儀をした。
「夜のお世話に参りました」
なるほど。けど、答えは決まってる。
「憑依魔法にかかったままの方とはご遠慮します」
彼女は一歩後ずさって小さく息を吐いた。
「……やっぱりわかるんだ」
自嘲ぎみな声音で彼女は続けた。
「王宮の夜会でも私のこと見てたわね」
彼女の体を覆っている黒い霞から感じる魔力は、王宮の夜会でクラリスがまとっていた霞と同じで、その時彼女が身に着けていた魔獣の魔石から感じた魔力と同一のものだ。
「ルシールのお姉さんですね?」
「そんなことまで知ってるの」
「妹さんが心配してましたよ」
彼女はそれには応えずに、ゆっくりと歩み寄ってくる。
「あなたいったい何者なの?」
「と、仰いますと?」
「どうして憑依魔法をかけているのがわかるの?」
「企業秘密です」
彼女は「きぎょう?」と小首を傾げた。意外に可愛い。
「そんなことより、お姉さんはなぜここに? また警告しに来たんですか?」
「いいえ。今日はあなたのことを探りに来たのよ。本当に何者なの?」
「何者って言われても、勇者や聖女と同じ日本人なだけですよ」
「ニホン人? 嘘よ。髪が黒くないじゃない」
ビシっと指さされる。
「あー、今日本じゃこういうふうに髪の毛の色を変えるのが流行ってるんですよ」
「変なことが流行ってるのね」
呆れ顔だが、わかってもらえたかな。
「でも、勇者と聖女はちゃんといたわ。なぜあなたがいるの?」
「あ、俺は偶々そいつらの近くにいたせいで召喚に巻き込まれちゃったんですよ」
「はぁ? 巻き込まれた?」
「ですです」
「まったく、あの子は何をやってくれたのよ」
彼女は頭を抱えて嘆く。
「あんなバケモノみたいな魔力の聖女と剣を飛ばしちゃう非常識な勇者だけでも予想外なのに、こんな変な男まで召喚するなんて」
「ちょっ、お姉さん。変な男って」
クレームをつけようとした俺を冷ややかな眼が見据える。
「ねえ、あなたさっきから私のことをお義姉さんお義姉さんって呼んでるけど、まさかルシールとそういう関係なの?」
「え? ち、違いますよ。全然そんな関係じゃないです。ていうか、お姉さんの名前聞いてないからしょうがないじゃないですか」
文句を言うと、お姉さんは「ゾーイよ」と、そっけなく告げた。
「俺はレンです」
名乗り返すと、改めてキッと俺を睨む。
「レン。もし嘘をついていたり、この先妹に手を出すようなことがあったらドラゴンをけしかけるからね」
「おね、ゾーイさんてドラゴンをけしかけるとかできるんですか?」
「言葉のあやよ」
ゾーイはふいっと目をそらしてそう零すと、
「まぁ、私もさんざん周りから勇者と結婚しろだとか子供を作れとか言われてきたから。あの子にもそういう重圧がかかっていないといいのだけれど」
と、遠い目で妹を心配した。けど、
「え、ゾーイさん、もしかして勇者と結婚するのが嫌で逃げ出したんですか? そういえば、憑依魔法にかかってたクラリスも結婚なんてしないって言ってたし」
「ち、違うわよ! 私にはもっと崇高な使命があったのよ!」
「その使命って何ですか?」
「ふんっ、それこそきぎょー秘密よ」
「じゃあ、結婚が嫌で逃げ出したってルシールに報告しておきますね。妹さん、どんな顔するかなぁ」
「この男は……」
ジト目で見返された。
「いいわ。教えてあげる」
「お願いします」
と、居住まいを正す。
「サクラお婆さまの遺志よ」
「遺志? それって、王権の打倒ですか?」
「はぁ? 何言ってるの。確かにサクラお婆さまは王族のことをあまり良く思っていなかったらしいけれど、全然違うわよ。そんな大それたことよく口にできたわね」
「じゃあ何ですか?」
「それは……教えられないわ。とにかく、私は継子の役目を果たしているだけよ」
「継子の役目って、今の継子はルシールじゃないですか」
「あの子は本当の継子じゃないもの」
「は?」
「継子というのはね、サクラお婆さまの遺志を継ぐ者のことよ。むしろ、その遺志を継ぎ叶えるために継子はいるの。あの子はそれを知らないから継子とは言えないのよ」
「妹さん、けなげに継子やってるんですけど」
「妹には悪いと思っているわ。でも継子は私で終わり。私がサクラお婆さまの遺志を叶えて禍根を断ち切るのよ!」
彼女を包む靄から熱い魔力が溢れ出る。それもつかの間。
「あ、でも、妹には今のこと言わないでね。自分が本当の継子じゃないってわかったら拗ねるかもしれないから」
一転して姉の顔になる。
「え、じゃあ何て伝えればいいんですか?」
「何も言わなくていいのよ」
「でも、ゾーイさんがクラリス姫に憑依魔法かけたこと妹さんにバレちゃってますし」
「どうしてそう余計なことをするのよ」
「はぁ、すいません」
「とにかく、妹には私のこと言わないで」
「善処します」
言わないとは言っていない。
「それと、私の邪魔もしないで」
「サクラさんの遺志ですか? それが何なのかわかりませんけど、俺たちには俺たちの目標があるんで」
「目標?」
「はい。俺たちは3人とも日本に、元の世界に帰りたいって思ってます。3人そろって日本に帰る。それが目標です」
そう言い切ると、急に彼女の表情が浮かないものになった。
「そう。ニホンに帰りたいの」
「そうです。それまでは、まぁ、この国に厄介になるしかないんで。ドラゴンと戦う必要があるならそうしますよ。あなたは反対みたいですけど」
「そうよ。ドラゴンは聖獣なのよ。それを退治するなんて無理だって、勇者に言っておいて」
「言うだけは言ってみますよ。まぁ、お披露目で宣誓しちゃったし、どのみち戦わなき日本に帰れなさそうですから無駄だと思いますけど」
「そう……」
ゾーイが憑依した書記ちゃんは数秒眼を伏せた後、「そろそろ行くわ」と背を向けた。
その背中が扉の前で立ち止まり、くるりと振り返る。
「この子、どうする? 置いていこうか?」
「は?」
「夜のお世話、いるでしょ?」
何言い出すんだ、このお姉さんは……。
「憑依魔法にかかった方はご遠慮願いますって」
「そう? 後で後悔して戻ってきてくれと言ってももう遅いわよ?」
「そういうのはいいんで、行ってくだい」
ぺいぺいっと手を振った。
ゾーイが憑依した書記ちゃんは、
「妹に手を出したら抹殺するから」
と、念を押してから部屋を出ていった。シスコンめ。
ふーっと緊張を解すように深く息を吐く。
憑依魔法だから追いかけていっても無駄だろうなぁ。それに、ルシールとの約束もあるし大ごとにしたくない。
それよりも、今しがたのルシールのお姉さんの言葉を吟味してみよう。
ドラゴンは聖獣だって言ってたな。だから戦うなって。
それがサクラさんの遺志ってやつか?
いや、それなら憑依魔法なんて使わずに直接ユーゴに訴えればいいはずだ。
ルシールが言ってた話だと、3年前にお母さんが亡くなってお姉さんが継子を引き継いだんだよな。その時にその遺志を知ったとして、でもすぐにそれを実行しなかった。いや、できなかったのか? そして、1年前にロッシュからいなくなった。それはサクラさんの遺志を叶えるため……。あ、そうか。勇者の召喚自体をしなければドラゴンと戦うこともないわけだ。
でも、それはルシールが代わりにしちゃった。その可能性は考えなかったのか? いや、ルシールが召喚したことそのものには驚いていなかったから、それは無いだろう。じゃあなんだ……?
あー、わからん。
どうやら俺は推論の達人じゃないみたいだし、もう寝ようっと。
………………。
…………。
……やっぱり夜のお世話して……いや、ないない。そんなことしたら、黒姫に軽蔑されてグーパンもらう未来しかない。
うん、もう寝よう。




