第4話 魔法のある世界
話が一段落したところで、
ぐうぅぅぅぅぅぅぅう。
どこからか変な音がした。
腹の虫が鳴ったのかもしれないし、黒姫が真っ赤な顔でお腹を押さえているかもしれないが、どこからか変な音が聞こえたのだ。何もできないのでせめて気遣いぐらいはしてあげようと思う今日この頃です。まぁ、4限目だったからね、そろそろ腹も減るよね。
「ああ、そろそろ夕食にしましょうか。ジルベール、厨房に聞いてみてくれんか」
「え、まだ早いと思いますが」
ジルベールよ、空気読め。
ていうか、夕食なんだ。召喚されたのはたぶん正午くらいだったはず。あれからそんなに時間は経ってないと思うんだけど、時間は繋がってないのか。じゃなかったら、召喚中の時間が思った以上に長かったのか。まぁ、どっちにしても腹が減ってることに変わりはない。
クレメントさんに凄い眼で追い立てられてジルベールが出ていった後、白馬がおずおずと手を挙げた。
「あの……トイレに行きたいんですけど」
「といれ?……ああ、閑所ですかな。ちょうどいい。ついでにここを案内してもらうといいでしょう」
「じゃあ俺も」
「すみません。私も」
つれしょん効果なのか、奇しくも三人ともトイレに行くことになった。クレメントさんとイザベルさんが案内してくれるようだ。
廊下に出てすぐに広い玄関ホールみたいな所があって、そこにある階段で2階へ上がるとそこも小さなホールになっていてバルコニーのようなものも見える。
クレメントさんは1階の時とは反対側の廊下へと歩いていく。それについていこうとすると、「聖女様はこちらです」とイザベルさんが黒姫を3階に誘った。
「2階に勇者様の部屋が、3階には聖女様の部屋が用意されているのです。ここから上は男子禁制ですよ」
なるほど。いつか行ってみよう。
2階には1階と同じように廊下が伸びていた。
「ここに勇者様の部屋と私たち付き人の部屋があります。閑所はこの一番奥になります」
タイル張りの廊下を歩きながら窓の外を見ると、綺麗な庭園風の中庭が見えた。向こう側に見える3階建ての建物がさっきまで俺たちがいた棟だろう。傾斜の強い赤茶色の瓦屋根と凹凸の多いベージュっぽい色の壁といういかにも中世ヨーロッパ風のデザインだけど、石造りじゃなくて漆喰って言うのかそういう質感だな。
その奥、たぶん俺たちが召喚された場所にあたる所には円筒形の塔のようなものがあった。高さはこっちの建物より少し高くて、がっつり石造りだとわかる。この建物はそれをコの字型に囲むように建てられているようだ。
それにしても、あの塔だけ薄い虹色の光が反射しているみたいに見えるんだよなぁ。どんな石材使ってるんだろう?
「どうされましたか?」
俺が窓によって見ていることに気づいたクレメントさんが歩み寄って訊ねてきた。
「いえ、なんかあの塔だけ他と違うみたいで」
「ロマネスクかな? こっちの建物より古い感じですね?」
白馬も窓の外を覗いて会話に加わった。
「あの塔はここが砦だった頃の名残なのです。今いる建物は勇者と聖女の居館として後から建てられたと聞いています」
「なるほど。だから違うんですね」
「こちらには王族が住んでいたこともあるのですよ」
興味深そうに建物を見る白馬に、クレメントさんが気さくに答えてくれる。
窓の外の塔が視界いっぱいになったところで、本来の目的でもあるトイレに着いた。
中に入る。
ん? なんか薬臭い。
どうやら匂いの元は編みかごに入っている草の束のようだ。ハーブとかいうオサレな草だな。
壁際に木製の大きめの椅子があった。これが便座? 座面が蓋になっていたので開けると穴があった。そこからむわっとアレな匂いが……。こりゃ、芳香剤いるわ。
傍に水の入った甕と手桶が添えてある。クレメントさんによれば、用を足した後、これで水を流すのだそうだ。手動の水洗ってところか。
「あの~、水魔法とか使わないんですか?」
「魔法? はははっ。そんなの魔力の無駄ですよ」
せっかく魔法がある世界なのに、無駄って……。
その代わりというか、ここまで水を運ぶ時には魔法を使っているそうだ。『無駄』の基準がわからない。
あと、A5くらいの薄い灰色のザラザラした手触りの紙が重ねて置いてあった。これがトイレットペーパーの代わりか。尻が痛そうだ。今は小さい方なので関係ないけど。
用足しが終わった後、せっかくなので白馬が使う勇者用の部屋も見せてもらった。
広さは教室の半分程。床はこげ茶色の板張りで、薄いクリーム色の壁にはタペストリーが飾ってある。大きな暖炉。そして目につくのはお貴族様御用達、天蓋付きのベッドだ。ここで寝るのは恥ずかしいな。ま、使うのは白馬だけど。
あとは机と椅子とチェスト、サイドテーブルくらいで、思ったよりシンプルだった。
部屋の中にも扉があったので覗いてみると、風呂だった。タイル張りの床によくある足つきのバスタブが置いてある。その傍には竈があって寸胴鍋が乗っていた。
「竈でお湯を沸かすんですか?」
「そうですが?」
当たり前だろという顔を返された。
「風呂の水を火魔法とかでお湯にするのかと思ったんだ……。魔法使わないんですか?」
「ああ、そういう話ですか。竈に火を点ける時や火加減を調整する時には使いますが、お湯を沸かすためにわざわざ魔法を使ったりはしませんよ。竈を使ったほうが魔力の無駄になりませんからね」
ふーん。なんでも魔法でするわけじゃないんだな。思ったほど便利じゃなさそうだ。
一階の会議室に戻ると、テーブルにはクリーム色のクロスが敷かれていた。中央には火のついていないろうそくが三本乗った燭台。ろうそく使うんだ。でも壁のランプはろうそくじゃないみたいだったけど、何使ってるんだろう?
しばらくして戻ってきた黒姫は、水色のローブを纏っていた。衣装部屋にあったのを着せてもらったと見せびらかす。なんかノリノリですね。
そのタイミングで料理が乗ったワゴンが運ばれてくる。運んできたのは俺たちと同い年くらいの女の子たち。えんじ色のワンピースで襟と袖口は白。それに生成りのエプロンをつけている。
んん? この子たちから受ける印象がアンブロシスさんやクレメントさんから受けるそれとなんか違う。
もちろん、可愛い乙女らとむさいおっさんたちじゃ違うに決まってるんだけど、イザベルさんとも違うから年齢とか性別とは関係ない何かだと思う。何が違うのかと問われたらはっきりとは答えられないんだけど。
食器やカトラリーが配られる中、女の子の一人が「失礼します」とテーブルに近寄った。そして腰のポーチから小さな赤い石を取り出す。
彼女はそれに右手の指先をつけて何かを念じるように目を瞑った。途端に指先に小さな炎が宿る。
ああ、これが火を点ける魔法か。……地味だな。
女の子は火のついた指先をろうそくに伸ばして火を移していった。指、熱くないのかなーと心配しているうちに、女の子の指先の火は自然に消えていた。
夕食のメニューは鳥の丸焼きを切り分けたもの。ハーブの匂いが凄い。ドロドロのポタージュスープ。茹でた野菜。果物。あとは丸いパン。こういう世界の味付けは薄味だって書いてあったけど、食べられないほどでもないな。
飲み物は赤紫色のジュース。と思って一口飲んだら凄く酸っぱ苦かった。これがワインっていうやつか。飲めそうになかったので果実水に変えてもらった。
魔法のことも聞きたかったけど、食事中に聞いたのはこの世界の社会情勢。まずは自分たちの置かれている現状を把握しないと始まらない。
で、聞いたことをまとめると、この国はデュロワール王国と言い、貴族が領主をしている39の領地と国王フランソワ3世の直轄地で成り立っている。ここ100年で大きく領土を広げ、ガロワの地では最大の国だそうだ。
ガロワの地とは、西の大海と南の内海、北にある狭い海とに囲まれたなだらかな丘陵地帯が続く土地で、東には深い森が広がり、また南東には高い山脈があって、そこにドラゴンが住んでいるのだとか。
社会制度は、貴族と平民に分けられる階級制度で、奴隷もいる。政治はほぼ貴族が独占し、平民は農工商業で生計を立てている。軍隊もあり、これもほぼ貴族で編成されている。今は大きな戦争も無く、北の海岸沿いと南の内海で海賊との小競り合いがある程度で、もっぱら国内の治安が任務だそうだ。
「あの~、冒険者ギルドっていうのはないんですか?」
「商業ギルドや職人ギルドはありますが、冒険者のギルドは無かったはずです」
「冒険者っていうのはいますけどね」
おおっ! いるんだ冒険者!
クレメントさんには否定されてしまったけど、イザベルさんが希望の光を与えてくれた。
やっぱり異世界はこうでなくちゃ!
「あの、西の海の向こうに誰も行ったことのない豊かな大地があるとか、南の砂の海の向こうには見たこともない動物が地を埋め尽くすほどいるとか言っている奴らだろう? あんなのは一獲千金を狙う山師じゃないか」
ふんっとクレメントさんは鼻を鳴らした。
……マジな方の冒険者でした。
ふと、外から鐘の音が聞こえてきた。
「おお、もう暮れの鐘か。灯りを」
アンブロシスさんがメイド(使用人とか小間使いとか言うのかもしれないけど、俺的にメイドなのでそう呼ぶことにした)に向かって指示を出す。
気づけば部屋の中は薄暗くなっていた。
「灯りは僕がつけるよ」
ジルベールが言うと、壁にあるランプに歩み寄ろうとしていたメイドの子たちはちょっと驚いたようにジルベールの顔を見て、それから「かしこまりました」と元の場所に戻った。
それを見届けたジルベールはちらりと俺に視線を飛ばして優雅に右手を伸ばす。
「光よ、我が意のままに!」
彼の指先から陽炎のようなものがランプに伸び、それが触れるやいなや、ぱぁっとランプの中に白い光が灯った。陽炎は次々にランプを光らせていく。
「光魔法!?」
光魔法は使えないんじゃなかったのか? ジルベールすげえぇぇぇ!
「違う違う」
イザベルさんが呆れた顔で手を振った。
「魔法石が光ってるだけですよ」
「えっ? 光魔法とは違うんですか?」
「あのランプは魔法具で、魔力を注ぐと中に入っている魔法石が光る仕組みになっているんです。平民だってできることなのに、それを恰好つけて。ばっかじゃないの」
「魔法の無駄遣いだ」
クレメントさんに追い打ちをかけられても、当のジルベールはしれっと食後のお茶を啜っている。
ええー、光魔法じゃないのか。感動して損した。俺のすげえぇぇぇを返せ!
ていうか、
「魔法具なんてあるんだ」
さすがファンタジー世界。
「ええ。魔法石に込められた力を使う道具を魔法具と言います。ランプの他には竈の代わりに煮炊きできる『コンロ』とかもありますよ」
「たいていはフロレンティアからの輸入品だけどね」
ジルベールが不満げに言い足す。
「ここでは作ってないんですか?」
「儂らは直接魔法石を使うからのぅ」
黒姫の問いに、アンブロシスさんが答えた。
「あ、さっきも赤い石から火を出してましたよね」
「あれは『火の魔法石』ですな。あとは水が出る『水の魔法石』とか」
「これも魔法石でしたっけ。いろんな種類があるんですね」
と、黒姫が額の石を指さす。
「魔法石は鉱山で採れる魔力を溜め込みやすい透明な石なのですが、それに込める魔力の属性で違ってくるのですよ。その『言葉の魔法石』のように術式も一緒に込められているものもあります」
「でも光の属性は無いんでしたよね?」
「ええ。あのランプはフロレンティア公国のレオナルドという魔術師が考案した画期的な魔法具なのです。なんでも、あの魔法石に込められているのは人間の魔力ではなく、太陽の光なのだそうですよ」
「彼は初めて光の魔素を利用できるようにした人間だ」
「ほんと、凄いこと考えつくよね」
「この魔法石のおかげで、夜の暮らしが一変したそうですからね」
「魔法学と芸術に関してはあの国が抜きん出てるんだよなぁ」
イザベルさんたちも口々に賞賛の声を上げた。
「……あの、ちょっと聞いていいですか?」
白馬が小さく手を挙げた。
「なんですかな」
「どうしてこれは『光の魔法石』じゃなくてろうそくなんですか?」
と、テーブルの上の燭台を指さす。確かに。
「それは食卓だからです」
「食卓ですからね」
「食卓にろうそくはあたりまえだろ」
クレメントさんとイザベルさんとジルベールにあっさりと言い返されてしまった。
そういう慣習なんだろうね、うん。
それはそれとして、ちょっと気になったことがある。
「あの、魔石、魔法石って鉱山で採れるんですか? 魔物を倒して採るんじゃないんですか?」
異世界では定番だよな。
「ほぉ、よくご存じですな。そちらの世界にも魔物や魔石があるとは知りませんでした」
「あ、いえ、実際にいるわけじゃなくて、そういう話が物語によく出てくるから」
「物語ですか。なるほどなるほど」
アンブロシスさんがなにやら感慨深げにあごひげを撫でつける。
と、横から服を引っ張る黒姫。
「まものって何?」
「えっと、ゴブリンとかオークとかスライムとかそんなやつ」
「全然わかんない」
「ははは。ゴブリンやオークはこちらでも伝説や物語の中の存在ですね。『すらいむ』とやらは聞いたことがありませんが」
クレメントさんが乗ってきた。
「確かに一部の魔獣の体内から魔石が採れることはありますが、それを使うなんてことはないですね」
「東の森の奴らは使うらしいよ。あんなの使うなんて気が知れない」
イザベルさんが顔をしかめて言った。
「魔獣?」
魔物じゃないの?
「魔素の濃い森に住む獣のことです。ふつうの獣よりもずっと大きくて凶暴なのです。デュロワールにも昔はそういう魔獣が多くいたようですが、今は一部の森を除いてほとんどいません」
「ゴールにはまだまだいっぱいいるって聞きますよ」
ゴールというのはこの国の東に隣接する国だそうだ。さっきイザベルさんが言った『東の森の奴ら』はその国の人たちのことだろう。
「なんで魔獣から採れた石は使わないんですか?」
「穢れているから、と言われています」
クレメントさんがなぜか苦い顔で教えてくれた。
「穢れてる?」
「魔獣というのは、もともと普通の獣だったものが穢魔に侵されてなるんですよ」
クレメントさんに代わってイザベルさんが答えた。
「えま?」
「魔素の濃い森で発生する穢れた魔素のことです。だから穢れた魔獣から採れる魔石も穢れているというわけです」
「どうして魔素が穢れるんですか?」
「それは、ええと……。あ、アンブロシス様ぁ」
イザベルさんが助けを求める。
「なんだ、学院で教わったじゃろ」
「だ、だって、もうン年も前ですし」
「魔素が穢れる原因は今のところ不明である」
教科書を音読するような調子でジルベールが言った。
「あんたは去年卒業したばっかりでしょ」
イザベルさんに突っ込まれても構わずにジルベールは続ける。
「魔獣についても昔からそう言われているだけで、学術的な定説はまだ確立されていないのである」
「つまり、魔素にしても魔獣にしても、まだまだわかっていないことが多いのですよ。だからこそ、この魔法学研究所の存在が重要になるのです」
と、アンブロシスさんがいい感じにまとめた。