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第31話 聖水

誤字脱字報告ありがとうございます。

 学院の見学を終えて王宮のロクメイ館に戻った俺たちを待っていたのはベーコンサンド!

 ベーコンサンドを食べにペネロペの店に行こうと思ってたんだけど、やっぱりというか当然というか、王宮の外、ましてや平民の街へ出る許可が下りなかったのでデリバリーを頼んでいたのだ。


 食堂に入ると、隅の方でペネロペと彼女と同じ髪色の毛をオールバックにしたお兄さんらしき男性が床に片膝をついて頭を垂れていた。その両脇には王宮警護の衛士が立っている。


「お初にお目にかかります。フールニエ商会のピエールと申します。この度は勇者様、聖女様に当商会の商品をご所望いただき、誠に恐悦至極に存じます」


 ピエール兄さんは頭を下げたまま緊張した声で挨拶をした。

 どうにもまだこういう身分差があるような応対には慣れない。まぁ、挨拶されてるのはユーゴたちなんだし、対応は彼らに任せておこう。と、顔を向けると、二人とも俺を見ていた。そして「お前が返事しろ」とその眼が言っている。「いや、おまえらだろ」と眼で返すと、黒姫が「ほら、はやく」とあごをくいっと上げて押し付けてきた。

 しょーがねーなぁ。


「えっと、ペネロペのお兄さんですか。俺たちにそういう堅苦しい挨拶はいいんで、顔をあげてください」


 ピエールさんは「はっ」と答えて顔を上げた。


「あ、俺はレンです。聞いてるかわかりませんけど、妹さんにはお世話になりました」

「もったいないお言葉、妹に成り代わりお礼申し上げます。レン様のことは聞き及んでおります。このベーコンさんどの元になる変わったパンの食べ方をされた変わったお方とか。おかげさまで、この新商品を作るきっかけをいただきました。なんとお礼を申し上げたらよいか」


 ペネロペが俺のことを何て伝えたかだいたいわかった。

 しかし、どうにもやりにくい。


「えーと……。ちょっと、ペネロペ。俺、こういうの苦手なの知ってるだろ。ロッシュにいた時みたいにしてくれないかな」


 ペネロペに助けを求めるが、彼女の表情も硬い。


「め、めっそうもございましぇん」


 と噛んだ。


「ほらぁ、慣れないことするから」

「え、だって、レン様だけならいいですけど、ユーゴ様やマイ様もいらっしゃるし」


 まぁ、ペネロペってソフィーやフローレンスほどユーゴたちとの付き合いがあったわけじゃないもんな。なんなら、話をしたこともないんじゃないか。


「いいのよ、ペネロペ。高妻くんと話すのと同じで。ほら、お兄さんも立ってください」

「そうだよ。それに、堅苦しい挨拶より早く食べたいな、ベーコンサンド。もう、お腹ペコペコ」


 二人の気さくな言葉にピエールさんも「はい、只今」と立ち上がる。


 食堂のテーブルは縦長で、両側に5人分ずつの席がある。窓側の端にユーゴ。その隣に俺。ユーゴの向かいに黒姫というのがいつもの席だ。

 各々席につくと、ペネロペたちが持ってきたベーコンサンドをクララたちが給仕してくれる。でも、皿に置かれたベーコンサンドは端が切り取られていた。


「毒見はしてありますので、安心してお召し上がりください」


 カロリーヌさんが言い添える。

 ちらりと見やったピエールさんは、緊張した面持ちだけど気を悪くしてる感じには見えないから当たり前のことなんだろう。

 あんまり気にしたことなかったけど、いつもの食事も毒見してるっぽい。


「いただきまーす」


 黒姫が手に持ってがぶりとかぶりつく。カロリーヌさんが渋い顔してるから、きっとはしたない食べ方なんだよ、プリンセス。


「おいしい! これこれ、こういうのを食べたかったのよ!」

「うん。貴族のご馳走も悪くないけど、たまにはこういうジャンクフードもいいかな」

「えー、私毎日でもいいけど」


 念願のベーコンサンドを頬張り、ユーゴも黒姫も大満足だ。二人の楽しそうな様子にピエールさんの固い表情も緩み始める。


「カロリーヌさんもどう? イザベルさんも」

「いえ、私は」

「せっかくなので、いただきます」


 黒姫に勧められたカロリーヌさんは辞退したけど、イザベルさんは嬉しそうに頷いた。


「ベーコンさんどはまだありますので」


 何個注文したか知らないけど、まだ余分はあるようだ。


「えっと、他にも食べたい人いたら遠慮なく食べてね」


 黒姫が声をかけると、まっさきに応えたのはジルベール。


「ユーゴ様の食べているものは僕も食べておかないといけませんから」


 と、さっさと空いた椅子に座った。それを見てイザベルさんも席に着く。


「クララは?」

「私は以前にいただきましたので」

「じゃあ、俺と半分こしよ」


 恐縮するクララの向こうに身じろぎする騎士たちが映った。


「そっちの騎士さんたちもいかがですか。仕事中かもだけど」


 誘うと、二人の騎士はお互いの顔を伺うように見る。


「なんなら、僕が命じたことにしてあげるよ」

「で、でしたら、我らもご相伴に預かります」

「王宮の騎士の間でもこのベーコンさんどが噂になっていたので、一度食べてみたいと思っていたのです」


 ユーゴが助け舟を出すと、二人とも相好を崩してパンに手を伸ばす。こちらも半分こだ。


「ほら、カロリーヌさんたちも」


 黒姫が再度誘うと、他の侍女さんたちの期待に満ちた視線を浴びたカロリーヌさんは、


「では、マイ様のご厚意に甘えさせていただき、私どもは後ほど」


 と渋々ながら、でもちょっと嬉しそうにお辞儀をする。


「うん。平民の食べ物もいいね」

「レン殿が変な食べ方をしていたのは聞いていましたけど、それがこんな美味しいものになるなんて」


 ジルベールもイザベルさんも褒め方が微妙なんだが。


「おう。これは評判どおり食べやすいですな」

「これなら警備中でも食べられそうだ」


 騎士さんたちにも好評みたい。ピエールさんも嬉しそうだ。よかった。


「そういえば、お父さんの病気ってどうなったの?」


 何気にペネロペに聞くと、彼女はちょっと困った顔になった。


「良くなったり悪くなったりです。今日も皆様にご挨拶するだって言ってたんですけど」

「誠に申し訳ありません」


 ピエールさんまで頭を下げた。

 それを見てユーゴが声をかけてくる。


「ああ、お父さん病気だって言ってたね」

「はい。酷い時は体を起こすこともできません」


 ユーゴの問いにペネロペが沈痛な面持ちで答える。


「黒姫さんて、ロッシュの救護院で病気の人を治してたんでしょ。行って治してあげたらいいんじゃない?」

「あ、そうね。そうしようか」

「ダメです」


 ユーゴのアイデアは速攻でイザベルさんに却下された。


「そもそも王宮から出られないから、こうして持ってこさせたのでしょう?」

「でも、治療のためだし」

「たかが平民一人の病気を治すためにマイ殿の聖魔法を使うわけにはいきません」

「父ごときの病に聖女様のお手を煩わらすなど滅相もございません」


 ピエールさんも恐縮してる。


「じゃあ、お父さんがこっちに来てもらえば?」

「そ、それこそお許しください。平民の病人が王宮に上がるなど、とてもそのようなことは……」

「王宮にはロッシュみたいな平民用の救護施設ってないみたい」


 お父さんのデリバリーもダメか。


「じゃあ、治療は薬で?」

「はい。それでどうにかもっておりますので」


 薬って言っても、薬草を煮出したものらしいからなぁ。聖魔法のデリバリーとかできれば……。あ!


「えっと、黒姫さ……黒姫」


 じろりと睨まれて言い直す。


「さっき学院で作ってた魔法石の失敗したやつってどうした?」

「一応持って帰ってきたけど。記念に」

「その中に『水の魔法石』ってある?」

「水の? ……あ、そういうことね」


 黒姫も気づいたみたいだ。ローブのポケットからさっきの魔法石を出して、じゃらじゃらとテーブルの上に広げる。


「どんだけ失敗してんだよ」

「ほっといてよ。えーと、これだと思う」


 薄い黄色と水色が混じった小さな魔法石をつまみ上げる。


「カロリーヌさん、グラスを持ってきてもらえる?」


 カロリーヌさんに言われて侍女がグラスを一つ黒姫の前に置く。

 黒姫は『水の魔法石もどき』を右手に握りこんで、人差し指と中指をグラスの上に伸ばした。


「うまくいくといいけど」


 何が始まるのかとみんなが注目する中、黒姫の指先から水が流れ出した。それはちょろちょろとグラスの中に溜まっていく。

 3分の1ぐらいのところで流れが止まった。

 グラスの中の水には魔力を感じる。でも、それが聖魔法かどうかはわからない。それを確認するには……やっぱ、そうするっきゃないな。

 手を伸ばしてそのグラスを取った。

 薄い黄色の液体がグラスの中で揺れている。これは黒姫の魔力を閉じ込めた魔石から彼女自身が取り出した、いわば黒姫汁100%ジュース……。

 ふと、殺気を感じた。

 その方向を見ると、黒姫が睨んでいた。「余計なことを考えるな」と射殺しそうな眼が言っている。はいはい。思考は止めて、試行に移そう。

 俺はその水が入ったグラスをゆっくりと口元にもっていった。


「ちょっと! 何で高妻くんが飲むのよ」


 黒姫が慌ててストップをかける。


「いや、これちゃんと聖属性の魔素が入ってるか確かめようと思って。ほら、俺なら黒姫の聖魔法わかるし」

「そ、そうかもだけど……高妻くんに飲まれるのはなんかイヤ」


 赤い顔でプイっと横を向く黒姫は放っておいて、意を決してクイっと一口口に含む。すぐに舌の上に例の金色の粒が広がった。ほんのり温みと甘みがある。一呼吸遅れてふわっと立った芳醇な香りは以前嗅いだことのある彼女の匂いに似てなくもない。

 そのままゴクンと飲み込むと、金色の粒がシャワシャワとのどを刺激して胃に落ちていった。そしてそこからじんわりと体中に広がっていく。


「大丈夫。ちゃんと黒姫の聖魔法が混じった水だ」


 サムズアップで成功を報告したのに、黒姫はフンっとそっぽを向いた。


「あの、何をやっているのですか?」


 イザベルさんが不思議そうに聞いてきた。


「さっき学院で魔法石を作る授業で黒姫たちも作ってたじゃないですか。ユーゴは簡単に作ってたけど、黒姫はなんか聖属性の魔素が混じった失敗作ばっかり作ってて」


 黒姫が「う~」と顔を覆う。


「で、それの『水の魔法石もどき』から水を出したら聖魔法が混じった水が出てくるんじゃないかって思ったんですよ。結果は大成功。これ、黒姫の聖魔法が混じってる水です。これを飲めば、聖魔法の治療の代わりになるはずですよ」


 と、薄い黄色の水が入ったグラスを掲げてみせる。


「それが聖女様の水……。聖水……」


 黒姫が赤い顔で睨んでくる。いや、今言ったのピエールさんじゃん。とんだとばっちりだ。俺もそう思ったけれども。


「ペネロペは『水の魔法石』から水を出せる?」

「は、はい。その程度でしたら」

「ちょっと試しにやってみて」


 黒姫に頼んで新しい『なんちゃって水の魔法石』を選んでもらい、ペネロペのところへ持っていく。

 魔法石を持ったペネロペの指先に新しいグラスを差し出すと、ぴちょんぴちょんとさっきよりも若干濃い黄色の水が滴り落ちる。


「オッケー。大丈夫みたいだね」

「はい」


 ペネロペの視線はグラスの底にほんの少し溜まっている聖水に釘づけだ。


「あ、でもお父さんに飲ませてあげる時は、薄めたほうがいいかも」

「え、薄めるんですか?」

「うん。薬はね、効きすぎると毒にもなるんだよ。これが実際どれくらいの効き目があるかわからないから、最初はグラス一杯の水に数滴たらすぐらいからやってみて、効き目が無いようならちょっとずつ増やしていってみて」

「はい。わかりました」


 愛嬌のある笑顔で頷く彼女の隣でピエールさんが恐縮しまくっている。


「本当にこのような貴重なものを頂いてよろしいのでしょうか。恥ずかしながら我が家にはそれほど貯えが無いのですが」


 貯え……? あ、お金か。

 黒姫に目で確認を取ると、ふるふると首を横に振った。


「代金はいらないそうです」

「え、本当ですか? いや、ですが……」


 ピエールさんは一旦視線を落としてぎゅっと唇を引き結んだ。


「聖女様のご厚意には感謝いたしますが、対価無しに物を頂くのは商人としての矜持が許しません。畏れ多いことではございますが、この聖水は頂けません」

「え、別にいいんだけど……」


 ペネロペも首を振っている。困ったな。……あ、そうだ。


「黒姫、これの対価にマヨネーズを作ってもらうってのはどうかな?」

「あ、それいいわね」

「まよねーず?」


 ピエールさんが首を捻る。


「えっと、卵を使ったドレッシングなんだけど」

「どれっしんぐとは?」


 あれ? ドレッシングって通じないのか? フレンチドレッシングってあるのに?


「えーと、サラダにかける液体の調味料?」

「ああ、サラダソースのことですか」


 まんまじゃん。


「材料は卵と酢と油です。卵は全卵でも黄味だけでもよかったと思います。あと、混ぜ方とか混ぜる順番とかあるかもだけど、全然わからないんで、そのへんのところをお兄さんに調べてもらおうかと」

「混ぜるとなると、卵は生のものを使うわけですね?」

「たぶん」


 ピエールさんが難しい顔になる。生卵はダメなのかな。


「難しいっすか?」

「いえ、なんとかします。新しいサラダソース、是非やらせてください」

「ではこれを。マヨネーズ開発費です」


 聖水の入った魔法石を差し出すと、今度はしっかりと受け取ってくれた。


「何から何までありがとうございます」

「いや、お礼は黒姫に言ってください。俺何にもしてないし、できないんで」


 パタパタと手を振って黒姫を指さす。


「聖女様も。何とお礼を申し上げてよいかわかりません」


 ピエールさんは黒姫に向き直って両膝を床につけ、両手を胸に重ねて頭を垂れる。隣でペネロペも同じように膝をついた。最も礼を尽くすポーズらしい。


「お父さん、早く良くなるといいですね」


 黒姫の聖魔法入りだ。きっとすぐに良くなるさ。




 何度をお礼を口にしながらペネロペたちが食堂から出ていった後、俺からも改めて黒姫に礼を言った。


「ほんとにありがとうな、黒姫」

「ほんと、なんで高妻くんの好感度を上げるために私が協力しなきゃいけないのかしらね」


 黒姫は胸の前で腕を組んでむくれている。


「いや、別に俺の好感度とか上がってないだろ。むしろ何もできなくて下がってるまである」

「そうかしら」

「でも、ほら、うまくいけばマヨネーズが手に入るかもだし」

「まぁ確かに、マヨネーズは魅力よね。でも」


 彼女は俺の鼻先に指を突きつけて、


「今日のはおっきな貸しだからね」


 と、ニッコリ微笑んだ。

 すみません。催促なしの無利子無担保でお願いします。



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