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第30話 学院訪問(後編)

 これで見学は終了となり、応接室に戻ることになった。

 案内役の校長(ユーゴの魔法のせいで立派な頭髪が行方不明中)を先頭にユーゴと黒姫が続き、その周りを護衛騎士が固めている。その後ろをイザベルさんとジルベールがついていき、最後尾は俺とクララだ。


 教室を移動中の生徒たちが廊下の脇に寄って通り道を開けてくれる。うん、さすがエリート校。よく躾されているな。

 その生徒の中からひそひそと話す声が聞こえた。

 きっと校長の髪の毛が話題になってるんだろうと思ったが、ちょっと違うようだ。


「あいつ、クララ・マイスナーじゃないか?」

「本当だ。クララ・マイスナーだ」


 クララのことを言ってるのかな。クララの家名ってマイスナーって言うのか。なんかカッコイイ。

 けど、話し声から伝わってくるのは全然カッコイイものじゃなかった。


「あいつ、学院を辞めたんじゃなかったのか。なんでいるんだよ」

「また穢れるじゃないか」

「魔獣の子は穢れた地に帰れよ」


 その瞬間、背後でぶわっと魔力が膨れるのを感じた。

 振り返ると、スカートを握りしめたクララの両手から陽炎が立ち上っていた。いや、手だけじゃない。腕や肩のあたりまで陽炎がゆらめいている。


「クララ!」


 思わず彼女の腕を掴んで引き寄せた。その体から陽炎から、屈辱と自己嫌悪と反抗心、それに若干の後悔が伝わってくる。

 そうだ。彼女は学院を辞めたって、アンブロシスさんが言ってたじゃないか。

 学院に行く話が出た時にも彼女は動揺してなかったか?

 実際行くことになった時にどんな顔してた? 

 なんで気づかなかった! 俺のバカ!


 俺が引き寄せたせいで、クララの魔力も周りの声も一旦止んでいる。

 今のうちに撤退だな。悔しいけど事情もわからんし、何よりクララをここにいさせちゃダメだ。

 けれど、クララの足取りは重い。萎縮しているのか、なかなか前に進めない。

 もたもたしているところへ、追い打ちのように嘲る声が聞こえてくる。


「おい。変な髪色の奴が連れていくぞ」

「見て、あの変な髪色。きっと穢れた魔素でああなったのよ」


 無視無視。


「ねぇ、あの子使用人の服着てるわ」

「学院辞めて使用人か」


 スルースルー。


「うちなら絶対雇わないわよ。穢れた地の使用人なんて」

「変な髪色の奴は、使用人も変わってるな」


 我慢我慢。


「きっと、あのおっぱいが気に入ったんだろ」

「おい、今なんつった!」


 思わず言い返してしまった。

 言われた男子生徒は一瞬怯んだものの、すぐにニヤニヤ笑いを浮かべる。


「どうせマイスナーのでっかいおっぱいが気に入って使用人にしてるんだろうって言ったんだよ」

「そうでなきゃ、穢れた地の子なんて雇うはずないもんな」

「そうよ、そうよ」


 女子生徒からも賛同の声が上がる。半分やっかみが混じってる気がするが。


「チッ。これだからガキは」


 舌打ち交じりに言うと、「どういう意味だよ」と返された。ならば教えて進ぜよう。


「おっぱいが大きければ良いなんて言ってるうちはガキ、いや赤ん坊だな。いいか。おっぱいっていうのはな、こう、手のひらに収まるくらいが至高なんだよ!」


 親切な俺は、わかりやすいようにと左右の手のひらをお椀の形に曲げて見せてやった。

 すると、「きゃあ」と女子生徒たちが一斉に胸を隠すようにして俺に軽蔑の眼差しを向けてくる。どうやら俺の手つきと自分の胸をシンクロさせたようだ。


「いや、ちょっと待て。そこのお下げの子とそっちのチビッ子。おまえらペッタンコじゃないか。見栄を張って胸を隠すな、む――イテッ」


 いきなり後頭部をはたかれた。


「立ち止まってるから何してるのかと思って来てみれば、何セクハラかましてるのよ!」


 赤鬼みたいな形相をした黒姫だった。


「いや、この子たちに自分を客観視できるように……、いえ、何でもありませんすいません」


 黒姫のグーを見て、とりあえず謝った。


「聖女様が痴漢を懲らしめてくださいましたわ」

「ありがとうございます、聖女様!」


 女生徒たちから歓声が上がる。

 もちろん男子からも感嘆の息が漏れる。


「あの変な髪の頭を思いっきり叩いたぞ!」

「さすがは聖女様だ!」

「あれが手のひらに収まるくらいの大きさか」


 なんかわけのわからんことを言ってるやつもいるが。


「ほら、行くわよ」


 と、黒姫は俺を連行しようとする。そこへ、


「お待ちください!」


 と、一人の生徒が進み出た。


「何かしら?」

「ヴロワ伯爵家の子、ジャンです。聖女様にお伺いしたいことがあります。よろしいでしょうか?」


 さっきまでおっぱいがどうとか言ってたやつとは別人のような言葉遣いだな。


「お前、失礼だろう」

「いいのよ。で、何が聞きたいの?」


 ユーゴたちと一緒に戻ってきたジルベールが窘めようとするのを黒姫が手で制して、生徒に続きを促す。


「聖女様や勇者様はなぜそのような穢れた地の者と一緒におられるのでしょうか?」

「穢れた地の者?」

「そこのクララ・マイスナーのことです」


 と、俺の隣で身をすくめる少女を指さす。


「マイスナーはサルル領の出身なのです」

「ええと、それがどうかしたの?」

「サルルは穢れた地なのです。だから――」

「黙りなさい!」


 校長が割って入ってきた。


「勇者様や聖女様の前で何を言い出すのですか!」


 校長の剣幕にジャンと名乗った生徒が縮こまる。


「いいんです、校長先生」


 黒姫は凛とした声で校長に言うと、今度は穏やかな顔つきになってジャンに語りかけた。


「私たち、この国のことをまだよく知らないの。だから、教えてくれないかな? ただし、わかりやすくね」


 ねっと、黒姫が自分より少し背の高いジャンに上目遣いで小首を傾げると、ジャンはぽっと顔を赤くして噤んでいた口を開いた。ちっ、マセガキめ。


「サ、サルル領はここからずっと東にある森の多い小さな領で、でもデュロワール王国で一番魔獣が多いんです。魔獣は穢れた魔素のせいで生まれます。だからみんなサルルのことを穢れた地と呼んでいます」

「うんうん。それで?」

「そ、それで、だから、その、穢れた地のクララ・マイスナーが聖女様と一緒にいるのは相応しくないと思います」

「どうして相応しくないの?」

「穢れているからです」

「クララが?」

「はい。彼女がいると聖女様まで穢れてしまいます」


 ジャンの声には、自分はただ事実を言っているだけだという自負が見える。一方、校長やアンドレ、イザベルさんたちは渋い顔だ。

 きっとこれがサルルという領に対する一般的な見方なんだろうな。いや、大人ならもっとうまい言い方で誤魔化すんだろうけど。

 でもな……。


「あれれ~? おかしいぞ~?」


 横から声を上げた俺に奇異な視線が集まる。こほん。


「前にさ、魔獣は普通の獣が森の穢れた魔素に侵されてなるって言われているが学術的な定説は確立されていないってジルベールから聞いたことあったんだけど、もしそうなら魔獣が多いからってその森や土地が穢れてるとは言えないんじゃないかなぁ。ましてや、そこで生まれ育った人々は言うまでもないんじゃないかなぁ」


 周りの空気が緊張で強張る。


「ジルベールはここの卒業生だって言ってたけど、違った?」

「……違わない」


 ジルベールは硬い表情で言い切った。


「レンの言っていることも間違いじゃない」

「だったらサルルとかいう領地が穢れているとは言えないし、彼女が穢れてるとも言えないはずだよな」


 俺はジャンをまっすぐに見据えた。


「キミ、ちゃんと勉強してんの?」

「なっ――」

「高妻くん、何その言い方!」


 ジャンが言い募ろうとするのを黒姫が遮った。


「きっとこの子はまだそこまで習ってないのよ。なのにそんな責めるような言い方するなんて酷いわよ。大人げない」


 黒姫はビシっと俺に指を突きつけてからゆっくりとジャンに向き直る。


「あなたはまだ習っていなかったから噂で言われていることしか知らなかったんでしょ? でも、これからしっかり本当のことを学んで正しい知識を身に着けてね」


 そして、振り返って校長たちに顔を向けた。


「そうですよね、校長先生?」

「……はい。聖女様の仰るとおりです。生徒たちにはここで正しい知識を学ばせます」


 校長は厳しい顔で低く答えた。

 黒姫は満足そうに頷くとパンっと手を叩く。


「じゃあそういうことでかいさーん。はいはい、みんなは教室に戻ってね。あと……」


 急に黒姫の声の温度が下がった。


「いつまでクララの肩に手をかけてるのよ。セクハラくん?」

「え?……おぅっ」


 無意識にまたクララを引き寄せていたようだ。急いで手を放した。


「あ、ありがとうございます。マイ様」


 と、クララはセクハラ男の魔の手から救ってくれた黒姫に向かって小さくお辞儀をする。

 さっきといい今といい、俺の評価はダダ下がりだな。


 黒姫は軽い調子で「いいのよ」と告げると、さっさと歩きだした。ユーゴがポンっと肩を叩いてそれに続く。ジルベールは横目で俺を見てからユーゴの後を追って、イザベルさんは苦笑いで片目を瞑ってくれた。ま、校長や護衛騎士たちの顔つきから、この後の苦言をいただくのは決定だな。


 ははっと小さく苦笑していると、くいっとローブの袖を引かれた。


「レン様も……、ありがとうございました」

「いや、俺の失敗だ。クララをこんな目に遭わせてしまって。配慮が足りてなかった。ほんと、ごめん」

「……いいえ、……いいえ」


 クララは俯いて首を振るばかりだ。


「さ、行こう」


 クララの背中を押すようにして歩き出す。今度は彼女もしっかりと足を踏み出せた。


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