第28話 ルシールの秘密
次の日の午後の鐘が鳴る前に、ルシールの言っていた使いの人が来た。落ち着いた服装の物腰の柔らかい壮年の男性だ。応対したクララがやけに緊張している。
その使いの人について王宮内を歩いていく。中庭の見える回廊をぐるっと回って渡り廊下を通って建物に入って進んで曲がってさらに進んで庭園を通り抜けてようやく着いた先はとある立派な館。
あれ? ここ、まだ王宮の中だけど……。
「あの、ここって?」
「お、王弟殿下のお住まいです」
こそっと教えてくれたクララの声が震えている。
はい? 王弟? 王様の弟ってこと?
状況をうまく理解できないまま中庭のような場所に連れていかれた。屋根付きのテラスにテーブルと椅子が置かれ、そこに優雅に座っている黒髪の女性がルシールだと気づくまでに数秒かかった。後ろにはスザンヌさんと数人の侍女さんたちが控えていた。
俺が到着すると、ルシールはスザンヌさんに椅子を引いてもらいふわりと立ち上がった。
彼女の装いはいつもの桜色のローブではなく、涼し気な水色のドレスだった。その裾を軽くつまんで、
「ようこそおいでくださいました。レン」
と、柔らかに微笑む。
「あ、ああ、うん。いえ、どういたしまして……。じゃなくて、ほん、本日はお招きいただき、ありがとうございます」
やべぇ。めっちゃ緊張してる。
話をするだけだと思ってたのに、こんなの緊張するなって言う方が無理だろ。だって彼女、化粧とかしていつも以上に綺麗なんだもん。
ルシールは俺の失態を見ないふりで微笑して椅子を勧めた。その気遣いに助けられて、少し落ち着く。
椅子に座ると、侍女さんたちがお茶やお菓子をテーブルに並べてくれる。それが終わると、ルシールがスザンヌさんを見やった。
「スザンヌ」
名前を呼ばれたスザンヌさんは軽く頷いて、今度は侍女さんたちに目で合図を送る。すると侍女さんたちはこちらに向かってお辞儀をして静かに去っていった。
「そちらのお嬢さんもよろしいですか?」
スザンヌさんが俺に向かって小声で言った。あ、人払いか。なんかあっけにとられることばかりで調子が狂うな。
「えっと、クララ……」
声をかけると、すぐにクララは無言で一礼して会話の聞こえない距離まで下がっていった。
それを見送ってから顔を戻すと、同じように見送っていたルシールとバッチリ目が合ってしまった。慌てて目を伏せるルシール。
「えっと、もしかしてルシールの実家ってここ?」
「はい」
「てことは、ルシールのお父さんは王様の弟で、つまり、ルシールさまは王様の姪っこさまであらせられたんですか?」
「……はい」
と答えて、ちょっと困ったようにちらりと俺を見る。その青紫色の瞳が王様やアンドレと似ていることに今更のように気づいた。
「隠していたわけではないのですよ。ただ、私は王弟の娘としてではなく聖女様の継子としてあなたたちに接していたので。それと、お願いですから変な言葉遣いはやめて今までどおりにしてください」
「いや、でも今のルシールってなんか別人みたくて。こう、気品があるっていうか」
「普段のルシール様に気品が無いとでも?」
すかさずスザンヌさんに睨まれた
「ええと、スザンヌさんはここに残ってるんですか?」
「当然です。嫁入り前のルシール様を殿方と二人きりにはできませんので。ましてや相手がレンですからね。二人きりを良いことに不埒なまねをしでかさないとも限りません」
「しませんよ、何も。ちょっと話をするだけです」
スザンヌさんと視線の火花を散らしてから、ルシールに向き直る。
「で、話なんだけど……」
そう切り出すと、途端にルシールの表情が硬くなった。そこへ「はぁー」と聞こえよがしにスザンヌさんがため息を吐く。
「なっていませんね、レンは」
「は?」
「いきなり本題に入るとは何事ですか。いいですか。まずは時候の話から始めて手入れのされた庭園を眺めつつお茶やお菓子の味を堪能し、それからルシール様のお召し物を褒めて、更にはルシール様本人の美しさを讃えてから、それとなく本題に移るものですよ」
マジか。いや、最後の方はちょっと怪しい気もするけど。
まぁ、そういうことならやってみるか……。
「ええと、本日はお日柄も良く、じゃなくて、えっと、綺麗に手入れされた庭ですね。けれど、ルシールの方が綺麗だよ。ルシールのそういう恰好って初めて見たけど、いつもより可愛いっていうか、ほら、いつもはあのローブ姿だからどっちかって言うと清楚で気高くて近寄りがたい美しさがあるんだけど、今日の服装だと可憐なお嬢様って感じで親しみやすい可愛さがあるよね。普段と違う印象が新鮮で、こんなルシールもいいなぁって思った。えっと、あ、髪もつやつやで綺麗だよ。日本人でもこんな綺麗な黒髪の人めったに見ないから。いやマジで。ぶっちゃけこんな可愛い子は今まで見たことない――」
「あ、あの、お世辞はそのくらいで、もう本題に入ってください」
ルシールが俯いてストップをかけた。
ふぅー。何言ってるか自分でもわからなくなってたから丁度良かったな。
ちらりとスザンヌさんを見ると、その眼が「まぁ、良しとしましょう」と言っていた。
「で、話なんだけど」
ルシールのまだちょっと赤い顔が真剣になる。
「ちょっとルシールの手、触ってもいい?」
「はい?」
「レン、言った傍からとはいい度胸ですね」
え、ちょっと、スザンヌさん。フォークを持って何をするつもりですか。
「あ、や、別に下心があって言ってるんじゃないんですよ」
「ルシール様の珠の様にお美しい肌に触れるのに、下心以外に何があると言うのですか」
「あるよ! ありますよ! ていうか、男だって女の子の手に触れるのは恥ずかしいし勇気がいるんですよ!」
「何を情けないことを堂々と」
「あ、あの、私は構いませんので、レンの好きなように触ってください!」
二人の言い合いを断ち切るように、ルシールがとんっとテーブルの上に両手を投げ出した。
目を閉じて両手をテーブルの上に置いたルシールの肩が小さく上下している。そんなに緊張されるようなことでもないんだけど……。
「じゃあ、ちょっと失礼して」
ルシールの白い手の甲にちょんと右手の人差し指を乗せる。途端にビクッとルシールの体が震えて「っん」と思わず息を詰めるような声が聞こえたが、俺の意識は指先から伝わるイメージに集中していた。いや、してねーな、これ。
集中しろ集中。
前にシュテフィさんの実験でした時と同じように、底の深い透明な水を湛えた湖が頭の中に浮かぶ。今日は少し湖面に波があるな。……けど、やっぱりそうだ。
「ありがとう、ルシール」
指を離して礼を言うと、ルシールは俺が触れていた右手の甲を左手で押さえるようにして急いで胸元に引き寄せた。うん、まぁ、そういう反応になるよね。いいけど。
「ルシール様、お手を」
スザンヌさんがハンカチを差し出す。が、ルシールは軽く首を振った。
「大丈夫です。それよりも、レン。理由を聞かせてもらえますか。ただ私に触りたかったなどというのは嬉しいけれど許しませんよ」
と、上気した顔で俺を睨みつける。おかげで、可愛い子は睨んでも可愛いということがわかった。
「うん。実は昨日、魔獣の魔石に触れた時にイノシシの他にほんの少し残ってた魔力を感じたんだ。それは深い森の中にある湖みたいで……」
「それが、私だと?」
「レン!」
スザンヌさんの咎めるような声に首を振って応える。
「最初はそう思ったんだけど、ちょっと違うように感じたんだ。懐かしい感じがする透明な水の湖っていうのは似てるんだけど、なんか水の感触が違うような気がして。それでもう一度ちゃんと確かめるためにルシールの手を触らせてもらったんだよ」
「それで、レンの答えは?」
「やっぱり違う。ルシールじゃない。ルシールの水は優しいけど、魔石に感じた水は硬い感じがする。よく似てるけど違う。例えるなら、姉妹とかそんな感じ」
「えっ……」
ルシールの菫色の瞳が見開かれて大きく揺れている。
「ルシールには姉妹がいるんだね」
「……はい。姉がいました」
「そっか。夜会の時、何人かで同時にかけた浄化魔法が全部跳ね返されてたんだ。だから、あの憑依魔法をかけてた人ってかなり魔力が強いんだろうなって思ってたけど、ルシールのお姉さんなら納得だ。でも、なんで過去形?」
「はい、それは――」
「ルシール様」
「いいのです。レンには話した方が良いと思います」
止めようとするスザンヌさんに首を振って、ルシールが向き直る。俺も居住まいを正した。
「私には二つ上の姉がいました。3年前、継子であった母が亡くなった後、それを継いだのはその姉でした。けれど1年前、姉は突然いなくなってしまいました」
「いなくなった? 家出? まさか誘拐されたとか?」
「わかりません。継子になってからの姉はほとんどをロッシュの研究所で過ごしていました。いなくなったのもロッシュにいた時なのです。ですので、私は詳しいことは知りませんし、教えてもらえませんでしたから」
「心中お察しいたします」
スザンヌさんがルシールに寄り添う。
「その姉のせいで、ルシール様は急遽継子を引き継ぐことになったのです。召喚の儀が迫る中、この1年のご苦労を思うと、私……」
スザンヌさんが手に持っていたハンカチで目元を拭った。
「スザンヌ、大袈裟です。そんなに苦労はしていなかったでしょう? むしろロッシュにいる時の方がこちらにいた時よりも気ままにできたほどです。それから、姉のことを悪く言うのはやめてください」
「いいえ。いくらルシール様のお言葉でも承服しかねます。ルシール様に黙って姿を消されただけならばまだしも、今回のクラリス姫殿下への不敬な行為。これが王室に知れたらルシール様、いえ御父上にも罪が及ぶやもしれません」
「お父さまにも?」
「はい」
ルシールが押し黙る。
「あ、いや、魔石の件はあくまでも個人の感想だから」
「……何を言っているのですか、レンは」
スザンヌさんがいつものしらっとした眼を向けてくる。
「えっと、つまり、憑依魔法をかけたのがルシールのお姉さんだと決まったわけじゃないから」
あせあせと説明すると、ルシールが首を振った。
「でも、レンはあの魔石に姉の魔力を感じたのですよね」
「まぁ、たぶん……」
「ならば、姫殿下に憑依魔法をかけたのは姉です」
「だから、それは状況証拠であって……」
「姉はなぜそのようなことをしたのでしょう?」
「え? いや、それは本人に聞いてみないとなんとも……」
意外に思い込みの激しいルシールにしどろもどろになって答えていると、
「はぁ~。やはりレンは頼りになりませんね」
スザンヌさんから盛大なため息と共にダメを出された
「いいえ、スザンヌ。そんなことはありませんよ。レンのおかげで少なくとも姉が生きていることがわかったのですから」
と、ルシールが慈しむように俺に微笑んだ。でも、それって逆に「それ以外のことはわかんねーのかよ」って言われているんだよね。すいません、役立たずで。
こういう時は話題を変えよう。
「ていうか、ルシールって王族だったんだね。ビックリした」
「え……。いえ、それは……」
困惑するルシールの後ろでスザンヌさんが冷ややかに俺を見下ろす。
「なんですか突然に。ルシール様は王族ではありませんよ」
「え、でも、王様の弟の子共なんでしょ?」
「ルシール様は確かに王弟殿下の御息女でいらっしゃいます。その美しくも慈悲深い紫の瞳が何よりの証。ですが、ルシール様は先の聖女様の血を引くお方でもあります。故に、先の聖女様からの倣いに従って王族の籍には入っておられません」
聖女様の倣いって、サクラさんの王族嫌いも徹底してるなぁ。
ん? でも王家の血は流れてるんだよな。
「もしかして、ルシールもダンボワーズの転移魔法使えたりする?」
「は、はい」
「じゃあ、シュテフィさんと一緒にいたのって」
「はい。アンブロシス様からの知らせに至急とありましたから、彼女を連れてくるのに転移魔法を使わせてもらいました」
どうりで、夜会からそんなに日数が経ってないのにもうシュテフィさんが来てると思った。
いや……。てことは、ルシールのお姉さんも――。
「あの、レン……」
ルシールの遠慮がちな声に意識を戻す。
「あの、姉のことなのですが、その……」
「ああ。今日の話のことは誰にも言わない。クレメントさんにも内緒にするよ。約束する」
言葉を濁す彼女に代わって俺の方から言うと、ほっとしたように小さく微笑む。
「二人だけの秘密ですね」
スザンヌさんもいるんだけど。
「じゃあ、そろそろお暇するよ」
そう言って立ち上がると、
「えっ……、お話って、それだけですか?」
と、ルシールが困惑したように問いかけてきた。
「うん。疑念も解けたし、ルシールのこともわかって良かったよ。今日はありがとう」
笑顔でお礼を言ったはずなのに、なぜかルシールはちょっと不満そうな顔で見送ってくれた。……あ、お茶とお菓子を堪能するのが抜けてたのか。
まぁ、おかげで可愛い子は不満そうにしてても可愛いことがわかったからいいか。




