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第23話 夜会事件

 夏の日を翌日に控えた王宮では国王主催のパーティーが開かれていた。毎年恒例のことで、前夜祭みたいなものらしい。

 縦長の体育館みたいな会場の大広間は高い天井から魔法石の灯りをちりばめたシャンデリアがいくつも吊り下げられ、てっぺんが尖ったアーチ型の大きな窓や金色の装飾を施された柱とかが豪華な雰囲気を放っていた。

 壁際に置かれたテーブルには彩り豊かな軽食や飲み物が並べられ、弦楽器による静かなBGMが流れている中、貴族服の紳士やドレスを着た淑女があちらこちらで会話や飲食を楽しんでいる。

 パーティーの出席者は各領地の領主や王都に住む上級貴族とそのパートナーだそうで、それぞれの従者も脇に控えている。かく言う俺も、今夜はクレメントさんの従者という立ち位置でここにいる。

 そのクレメントさんはいつもの青いローブではなく、胸に飾り紐のついた赤い貴族服を着ている。勇者の付き人というのもあるけれど、父親が内務省のお偉いさんで、本人も内務省のエリートだったりするから人は見かけによらない。


 それにしても、流石にこれだけの貴族が集まると、その魔力量も膨大だな。まるでポタージュスープの中にいるみたいだ。まぁ、こういうのにも慣れなくちゃいけないんだけど……。


 隅の方でひっそりと佇んでいると、ざわりと会場の空気が変わった。

 大広間の一番奥には幅の広い階段があって、途中の踊り場で左右に分かれて2階部分に繋がっている。今そこに、国王一家が姿を現したのだ。

 出席者一同、お喋りをやめ。それに注視する。


 国王は少し茶色がかった黒髪の頭に金の冠を被り、この国のシンボルカラーでもある深い青味のある紫色(ユーゴによると菫色とかヴァイオレットと呼ぶらしい)のマントを纏っている。明るい金髪を綺麗に結い上げた王妃も同じ色の豪華なドレスで、ちりばめられた宝石か何かの飾りがきらきらと輝いていた。続いて二人の王子とその妃たち、クラリス姫の順に階段を下りてきて踊り場に並ぶ。

 王子たちは二十代前半か。もう奥さんがいるんだな。クラリスは歳の離れた妹って感じ。第一王女は既に他家に嫁いでいるんだっけ。

 二人の王子の髪色が父親譲りなのに対して、クラリスは母親似の金髪だ。それを綺麗な巻き髪にセットしている。白いフリルをふんだんに使った水色のドレスに濃い青色のリボンが映える。……と思う。たぶん。


 そんな曖昧な言い方になってしまった理由は、その姿が霞んで見えたからだ。

 ゴシゴシと目をこすってみても、それは治らない。王や妃、兄夫婦たちは普通に見えるのに、王女だけ輪郭がぼやけたように見える。


 なんだ、これ。


 王女に意識を集中しようとしたけれど、室内には大きな魔力が漂っていて、うまくできない。もっと近づきたいけど、今は国王の挨拶の真っ最中。動き回るのは顰蹙を買いそうだ。ていうか、偉い人の挨拶が長くて退屈なのは異世界でも同じなんだな。


 ようやく国王の挨拶が終わって、広間の隅を縫うように進む。

 正面の階段では、いよいよユーゴたちの紹介が行われる番だ。明日の公式なお披露目の前に、このパーティーを利用して貴族向けのお披露目をしておくのだとか。


 向かって左の階段の上にユーゴが姿を現した。上は白い柔道着みたいなものに太めの黒いベルトをしている。下は白い細身のズボンと黒い編み上げのロングブーツ。これが勇者の正装らしい。ライトセーバーとか持たせたくなる。


「勇者、ユーゴ・シュロゥマ殿」


 宰相のポルトの紹介に、戸惑うような拍手が広間に響く。


「あれが勇者?」

「まだ子供じゃないか」


 ちらほらとそんな囁きが聞こえる中、広間の最後尾からようやく真ん中あたりまでたどり着いた。

けど、肝心のクラリスが踊り場から下りてしまい、小さな体が人波に隠れてしまった。

 くっそ。焦りだけが大きくなる。


 ユーゴは、国王一家が下りて無人になった踊り場に向かって階段を下りてくる。その後ろには、指揮台みたいなものを持ったジルベールが続く。その飾りの多い貴族服がけっこう似合っている。公爵家の三男坊だと聞いていたけど、どうやら本当だったらしい。


 向かって右側の階段の上に黒姫が立つと、会場から思わずほうっと感嘆のため息が漏れた。

 黒姫の装いは肩を出した落ち着いた赤色のドレスで、ウエストには太めの黒いリボン。花の髪飾りをつけて両サイドで編んだ髪を後ろに回した髪型は柔らかな冠のようで、そこから垂らした黒い髪が赤いドレスに良く映えていた。……っと、見惚れてる場合じゃなかった。


「聖女、マイ・クロフィメ=プリンセス・ノワール」


 ポルトの言葉に会場がざわめく。


「プリンセスだと?」

「今度の聖女は姫君なのか」

「そう言われれば、そこはかとなく品格があるような……」


 そこここで囁かれる言葉が聞こえているのかいないのか、黒姫は微笑みを湛えたまま優雅に階段を下りてくる。まるで本当の貴族令嬢みたいだ。スタール夫人すげぇな。

 黒姫の後からは、見たことのない黒髪おかっぱの少女が『属性の石板』を両手で恭しく持って下りてきた。それを、ジルベールが置いた指揮台の上に置く。


「それでは紳士淑女の皆さま。勇者の証をしかと御覧あれ」


 ああ。例のデモンストレーションね。みんな驚け! 俺たちのユーゴの実力を!


 ユーゴが右手を石板にのせると同時に、ドドーンという効果音が聞こえてきそうな勢いで5色の光の柱が立ち上る。その高さは、呆れるほどに高い天井に届いていた。うん、ユーゴの魔力も確実に強くなってる。

 きっとありえない光景だったのだろう。誰もが息を飲み、言葉が出てこない。

 数秒後、おおーっという歓声と大きな拍手が湧き上がった。そして口々に驚嘆の言葉を交わす。


「おや、レン殿。こんな所でどうしたのじゃ? マイ殿の艶姿を間近に見に来られたのかのぉ?」


 歩みを進めるうちに、からかうような声をかけられた。

 筆頭魔法士を示すいつもの紫のローブを着たアンブロシスさんだった。

 

「いや、なんか王女様が変なんですよ」


 言うや否や、アンブロシスさんの顔が真剣になった。


「変とは、どのように?」

「遠くからだったけど、王女だけ霞んだように見えたんです。それを確かめようと思ってここまで来たんですけど」


 俺の力を知っているアンブロシスさんはすぐに応えてくれた。


「うむ。こちらへ」


 と、人波をかき分けて先導してくれる。その間にもイベントは進行する。


「皆さま、ご静粛に。続いては聖女の証を」


 俺の視界にようやく王女の姿が見えてきたのと、黒姫が手を置いた石板が光り出したのは同時だった。その金色の光は、ユーゴの光の柱とは対照的にゆっくりとさざ波のように会場全体に広がって、呆然としている観衆を包んでいった。


 その瞬間、見えた。

 辛そうに顔をしかめたクラリス姫が胸元をぎゅっと握り締めている姿を。それが二重に見える。いや、何かが彼女の体から抜け出そうになった。そんな感じ。


「……なんだ、あれ」


 黒姫の光が消えると、二重に見えていた姿は無くなり、クラリスの表情も平静に戻った。

けれど、今度はもっと違うものがはっきり見えた。黒い靄のようなものが彼女の体を覆っている。

 アンブロシスさんにそれを伝えようとした時、国王の大きな声が広間に響いた。


「デュロワール国王フランソワ3世の名の元に、勇者ユーゴ・シュロゥマがドラゴンを討伐したあかつきには、我が娘クラリスとの結婚を約束しよう」


 おおーっと歓声が上がる中、


「嫌です!」


 幼くも強い意思を持った少女の声がそれを掻き消した。


「ク、クラリス……?」


 国王の目が点になる。


「わたしは勇者とは結婚しません!」

「クラリス、何を言う。これはお前も承知していたこと――」


 娘の反抗におろおろとする父をスルーして、少女は踊り場に佇むユーゴに語りかける。


「勇者よ。国王は、いえデュロワール王国はあなたにドラゴンと戦うように要請するでしょう。けれど、それに従ってはなりません。なぜなら、ドラゴンは神聖な生き物、聖獣だからです」


 広間にいる誰もが耳を疑ったことだろう。娘といえど国王に真っ向から歯向かったのだ。しかも11歳の女の子とは思えぬ物言いで。娘の反抗期ってレベルじゃない。

 けれど、俺には見えた。黒い靄が彼女の体を操っていることを。

 そしてわかった。


「『憑依魔法』!」


 思わず口に出る。


「なるほど。憑依魔法か」


 俺の言葉に頷いたアンブロシスさんは、広間中に響く声で指示を出した。


「王女殿下は憑依魔法にかかっておる! 聖属性を持つ者は姫に浄化を!」


 途端に動揺が走り、大きくざわつく会場。

 黒姫の傍にいたおかっぱの少女を始め、聖属性を持っているらしい何人かが駆け寄ってクラリスに向けて手をかざす。


「彼の者に浄化を!」

「姫殿下に浄化を!」


 それぞれの手から出た透明な波のようなものがクラリスを押し包もうとする。が、彼女が胸のあたりを握りしめると黒い霞が強まって、ことごとく弾かれてしまった。


「効いてない。たぶん、あっちの魔力の方が強いんだと思います」


 アンブロシスさんに伝えている間にも、クラリス、いや黒い霞の言葉が続く。


「そして、勇者と聖女よ。王族の甘言に惑わされないで! 王族はあなたたちの血と力を――」

「は、早く、早く浄化を!」


 クラリス姫の言葉を遮るような国王の悲痛な叫びに、アンブロシスさんが黒姫の名を呼んだ。


「マイ殿! 浄化魔法を!」

「え、でもどうしたら……」


 戸惑う黒姫。たぶん、魔法のイメージができないんだろう。


「黒姫! 王女の体に黒い靄みたいなのがまとわりついてる! お前の魔法でそれをぶっ飛ばせ!」

「うん、わかった。黒い靄よ、王女から離れて!」


 かざした黒姫の両手から金色の風が吹き出した。春の嵐のようなその風に吹きつけられた黒い靄は、ほんのわずか抵抗したものの、伝えるべきことは伝えたとでも言うように、するりと王女の体から離れて消えていった。


「姫様、申し訳ありません」


 声にならない声が聞こえた。

 途端に王女の体が崩れ落ちる。


「クラリス!」


 叫んだのは王か王妃か。

 けれど、その小さな体を支えたのは、なんとユーゴだった。あいつ、いつのまに……。

 そこへすぐさま近衛の衛士や従者たちが駆けつける。それを心配そうに見守る国王と王妃、兄たち。


 あの黒い霞。

 あれは何だったのか。

 いや、誰だったのか。

 王女の体から離れる直前に、じっと俺のことを見たあいつは……。


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