第13話 三人寄れば
完全に寝不足。あと、筋肉痛。
昨夜見た月のせいで全然寝られなかった。
あの月は日本で見ていた月と同じだった。
完全に同じかと言われたら、そこまでしっかりと覚えてないし詳しい知識もないけれど、見た感じ明らかに違っている所もなかったから、同じと思っていいだろう。
だとしたら、ここは地球だ。
なるほど、一年が365日なのも一日の長さや季節が同じなのも納得だ。思えば、太陽だって空気だって重力だって何の違和感もなかった。
問題は時代と場所だよな。
やっぱり中世ヨーロッパなのか? パルリとかアルセーヌとかあるし。でも、微妙に違うし、そもそも普通に魔法とかある時点で俺の知ってる歴史と違うんだよなぁ。
もしかして、封印された歴史? あるいは、ずっと未来で繰り返される文明? いや、パラレルワールドっていう線もあるな。ファンタジーだと思ってたら、なんだかSFじみてきたぞ。うーん……。
「なに朝っぱらからだらけてるのよ」
食堂兼談話室のテーブルにぐでんとうつ伏せていると、黒姫が声をかけてきた。
「筋肉痛。昨日の剣の稽古のせいで」
うつ伏せたままそう答えた。
なんとなく月のことは言えなかった。
「はぁ? だらしないわねぇ。……ほら」
肩甲骨のあたりに暖かいものを感じた。そしてすぐに、まるで乾いた砂地に水がしみ込むように、何か金色の粒のようなものが体の隅々に広がっていく。
なんだ?
顔を上げると黒姫が俺の肩に手をかざしていた。
「どう? 私の黄金水は」
黄金水とか、朝っぱらから何言ってんだ、この人は。今のところ俺にそういう趣味はないんだが……。
俺のジトっとした視線に気づいたのだろう。
「ごめん、今のなし! 忘れて! お願い!」
我に返った黒姫が耳まで真っ赤になった顔を両手で隠す。
でも、せっかく自爆してまでボケてくれたんだし、このままスルーするのも悪い。
「ああ、これが噂の『聖女様の黄金水』、略して『聖す――」
黒姫がバシバシとかなり本気で叩いてきた。
いや、これマジで凄い。もう筋肉痛が治ってる。さすが『聖水』。
そこへ眠そうな顔のユーゴがやってきた。
「ふあぁ、おはよう。って、何やってるの?」
黒姫は両手をパッと引っ込めて引きつった笑顔で挨拶を返す。
「お、おはよう。なんでもないのよ。ええ、ほんとに。それより、なんか眠そうね」
「うん、ちょっと寝不足で」
「え、お前も月見たのか?」
思わず聞いてしまった。
「月? ううん。僕はソフィーとちょっと……」
「おはようございます。マイ様、レン様」
言いかけたところへソフィーが朝の挨拶をしてきた。その顔も眠そうだ。
「ソフィーも寝不足なんだ」
「はい。昨夜はユーゴ様のお相手をしていて遅くなってしまったので」
は?
「ごめんね。なかなかやめれなくて」
「いいえ。あたしユーゴ様のためなら何回だって平気です」
え、ちょっと。
「じゃあ、今夜も頼める?」
「はい、喜んで」
何、朝っぱらから、そんなに明け透けに。
そんなに大人の階段上ったの自慢したいの? いや、俺もすると思うけれども。
「ユーゴ様すっごく上手なんですよ」
そしてソフィーさん。なぜ俺に振ってくる。
「そ、そうなんだ。よかったな」
「はい。あたし、あんなの初めてでした」
「そうかなぁ。まだまだ思うようにできなかった気がするけど。魔法を使ってするの初めてだし」
「えっ、魔法使ってするの?」
思わず聞いてしまった。黒姫が。
慌てて口を押えているけど、時すでに遅し。どうやら、ガッツリ聞き耳を立てていたようだ。
その黒姫に、ユーゴがきょとんとして返す。
「え? だって、黒姫さんだよ。僕に魔法で絵を描いてみたらって言ってくれたの」
「え? 絵? ……そ、そう。そうだったわね。絵の話よね」
なんだ。絵の話だったのか。
月のこととか寝不足とかすっかり吹き飛んでしまったじゃないか。黒姫も「まぎらわしいんだから。もう」と小声で文句を言っている。何がどうまぎらわしかったのか詳細に問いただしたいところだけど、命が惜しいのでやめておく。
「ソフィーにモデルになってもらってたんだけど、夢中になっちゃって何回もポーズ変えてもらってたら、いつのまにか時間が経ってたみたい。時計がないから時間がわからなくて。ごめんね、ソフィ-」
「大丈夫ですよ、ユーゴ様。それに、ほらっ」
ソフィーが何枚もの紙を見せてくれる。
そこにはいろいろなポーズを取ったソフィーが黒いインクで描かれていた。
「どうですか? こんな鏡を見てるみたいな絵って初めて見ました。やっぱり勇者様は凄いです」
そこは勇者は関係ないと思うが、まぁいいか。事実上手いし。さすが美術部。
「これ、魔法で描いたのか。どうやって描いたんだ?」
「普通にデッサンする時みたいにこうやって」
と、鉛筆を持つ仕草をする。
「後はインクで描くイメージで手を動かしたら、実際にインクが紙に乗っていくんだよ。なんかすっごく不思議」
「暴走しなかったんだ」
「あ、そういえばそうだね。気づかなかった。やっぱりいつもやってるからかなぁ。黒姫さんのアドバイスのおかげだね。ありがとう、黒姫さん」
「高妻くんもよ。三人寄れば何とやらね」
黒姫はちゃんと俺のことも気遣ってくれる。やっぱりいい子なんだよなぁ。
「うん。レンもありがとう」
「どういたしまして。この調子で日本に帰るまで力を合わせていこうぜ」
「ええ、そうね」
「うん」
頷き合う俺たちの傍らで、わらわらと集まってきた他のメイドの子たちが興味深そうにソフィーの絵を見て、「いいなー」とか「私も描いて欲しい」とか騒いでいる。フローレンスなんか恐ろしいほど真剣な眼で一つ一つの絵を検分していた。
ねえ、朝ご飯食べたいんですけど。
その朝ご飯。
いつもどおりの丸い白パンにチーズとハムと生野菜。ペネロペには顰蹙を買ったけど、また挟んでみる。パンがべしょっとしないように野菜にはドレッシングをかけないものを使ってみたものの、やっぱり物足りない。
ユーゴも黒姫も真似をして食べているが、同じ意見のようだ。
「こういう丸いパンだと、サンドイッチよりもハンバーガーにしたくなるわね」
なるほど。黒姫の言うことももっともだ。確かにこの丸いパンはちょっと大きめのバンズと呼ぶにふさわしい。
でも肝心のハンバーグはどうやって作るんだったっけ。えーと、ひき肉と何かをアレしてアレするんだよな。ダメだ。さっぱりわからん。
なので、黒姫に聞いてみよう。
「なあ、ハンバーグってどうやって作るんだ?」
途端にギクッとなる黒姫。
「……あ、アレね。ハンバーグね。えっと、確かひき肉とアレをアレして焼くのよ」
「つ、使えねぇ……」
「何よ。女子だから料理ができないとダメとか偏見だわ。女性差別よ。セクハラよ」
むっと睨みつけたかと思うと、「あ、思い出した!」と人差し指をぴんと立てた。
「ナツメグ! ナツメグを入れるの!」
ドヤ顔で言ってくるが、何だそれ?
「肉の臭みを消す効果があるのよ」
「ひき肉とそれだけでいいのか?」
「え? 後はほら、チーズとか?」
それはチーズインハンバーグだろ。ほんと使えねぇ。
あ、こういうのは意外とユーゴが知ってたりするんだよな。
「タマネギのみじん切りが入ってた気がするけど……」
おお。一歩前進だな。でも、それ以上はユーゴもわからないみたいだ。なんだ、三人寄ってもダメじゃん。
メイドの子たちもひき肉を団子にするミートボールみたいなのは知ってたけど、ハンバーグは見たことも聞いたことも無いそうだ。
ちなみに、マヨネーズを知ってる子もいなかった。まだ作られてないのか流通してないのか。やっぱり、異世界に来たからにはマヨネーズ無双しなくちゃ。
材料は、卵と酢と油だっけ? 混ぜるだけでいいのかな?
ダメもとで黒姫にマヨネーズの作り方を聞いたら、「え、マヨネーズって作れるの?」と返ってきた。こいつは……。
ま、チャンスがあればチャレンジしてみよう。
※ ※ ※
午後の魔法の訓練。ユーゴは休みになった。
魔法の暴走になかなか進展が見られなかったことと、寝不足で体調不良なこともあり、一旦息抜きをしようということになったのだ。
黒姫はルシールと一緒に城の中にある救護院という病院みたいな所に行って、町から来た病人やけが人を治すとのこと。もちろん聖女ということは隠して、ルシールの弟子みたいな扱いでするらしい。
聞いた話では、この世界の病気は体の中の魔素が穢れるのが原因と考えられていて、病気を治すには聖魔法でその穢れを浄化する必要があるのだそうだ。もっとも、その恩恵に預かれるのはほんの一部で、たいていは薬草を素にした薬による対処療法がせいぜいらしい。無論、ポーションなんてない。
俺の方は剣の稽古の続き。
その前にランニングとウオームアップの運動をする。
始めてすぐにそれに気づいた。
体の中に金色の粒みたいなものを感じる。それも体の隅々に。
これは今朝黒姫にかけてもらった聖水、げふんげふん、聖魔法だ。それが体を動かす度に流れるように動いている。
それは型の稽古でも変わらず、意識を向けるとその流れをよりはっきりと感じ取れた。
金の粒の流れが体を動かそうとする意識とリンクしてる。凄く感覚的なものなんだけど、筋肉の動きをサポートしてくれている感じ。
「ほう。ずいぶん動きが良くなりましたな」
教師役の衛士の人も感心してそう言ってくれた。
これ、なんかおもしろい!
稽古が終わって汗を拭いたら、そのまますぐにシュテフィさんの所へ向かった。
途中、救護院から戻ってきた黒姫たちとばったり出会ってしまい、なぜか一緒にシュテフィさんの研究部屋に来ている。
「ようこそ、レン。何かあったかい?」
あいかわらず興味のあること以外は眼に映らないようだ。スザンヌさんが不機嫌な顔になっている。まぁ、俺もスザンヌさんの機嫌とかどうでもいいのでそのまま話を合わせることにする。
「はい。さっき剣の稽古をしている時にちょっとおもしろいことがありまして」
と、金の粒のことを説明した。
「うん。それは魔力の流れだろうね」
「では、やはりレンには魔力があるのですね」
ルシールが自分のことのように喜ぶ。優しい。
「ただ、金の粒というのがわからない。聖女の聖魔法の名残りのようだが……」
じっとルシールのことを見ていたかと思うと、
「丁度いい。ちょっとルシールの聖魔法と比べてみよう」
と言い出した。
それに真っ先に反対したのはスザンヌさん。
「いけません。このような者にルシール様の尊き聖魔法など、もったいない」
「そうよ。ケガもしてない高妻くんなんかにルシールの聖魔法をかけちゃダメ」
黒姫まで反対しだした。
「研究にもったいないなんてないし、レンは剣の稽古で疲れてるだろう? ほら、早くレンに聖魔法をかけて。あ、聖女と同じ感じで頼むよ」
「はい。マイ、どんな感じでした?」
黒姫が渋々答えて、朝と同じように机に突っ伏した俺の肩にルシールの聖魔法をかけてもらう。
「この者に癒しを」
言葉に続いて、肩が暖かくなる。あの時ルシールに感じた暖かくて優しくどこか懐かしい透明な水だ。それはすぐに体にしみ込んで……しみ込んで、消えてなくなった。
「どうだい?」
「なんか黒姫の時と違って、無色透明な水がすーっと体の中に溶け込んでいく感じでした」
「金の粒は?」
「感じなかったです」
「だとすると、金の粒は聖女特有のものか」
「でも、騎士たちも救護院に来た町の人たちからも金の粒などという話は一度もなかったと思いますが」
ルシールが首を傾げる。
「それはなかなか興味深い話だね。聖女の聖魔法を金の粒として感じているのはレンの方に原因があるのかもしれない。やはりレンはおもしろいな」
そう言って、シュテフィさんは俺のことをじっと見つめた。
「どうだい、レン。私のものにならないか?」
「ええーっ!」
叫んだのは黒姫。
「シュ、シュテフィさん、結構年上ですよね?」
「なんだい? 年上じゃダメかい?」
「ダメというわけじゃないですけど……」
「大丈夫ですよ。マイ殿」
口ごもる黒姫の横からスザンヌさんが助け舟を出す。
「レンなら嫁ぎ遅れの生贄には丁度良いでしょう」
助け舟じゃなくて泥船だった。
「誰が嫁ぎ遅れだ。私は魔力と魔素の研究に人生を捧げているだけだ」
「で、でも、レンと結婚したいんでしょう?」
黒姫が不審そうに言うと、シュテフィさんは一瞬ぽかんとして、それから「あははは」と盛大に笑った。
「私はレンと結婚したいわけじゃないよ。ただ彼を研究してみたいだけだ」
だと思った。
「なーに、レンと寝食を共にして一日中観察して体の隅から隅まで調べ尽くしたいだけさ」
何それ。結婚よりハードな気がするんだけど。
なので、丁重にお断りしました。




