女神族と邪神族
五百年前――
「そちらの様子はどうだ、リアヌ」
「ふむ。まずまずといったところじゃの」
神域と呼ばれる場所で、二人の神が言葉を交わし合っていた。
一方は可愛さを残した女性の神――リアヌ・サクラロード。
流麗な金色の髪が特徴で、毛先があちこちに向いている。実年齢は億を超えているはずだが、外見だけで見れば十代後半に見える。
もう一方は、彼女より幾分も身長の高い男性――サヴィター・バルレだ。
灰色の髪を後方で束ね、紅色にぎらつく瞳がなんとも印象的である。
世界を司る神々のなかで、二人はトップクラスの権力を誇っていた。戦闘面における実力はもちろん、知識面においても他の神々の上をいっているわけだ。
神。
それは人間界を監視・管理し、正しく導いていく者たち。その知能や戦闘力は、人間のはるか上をいく。
人間たちでは到底なしえない《神業》を、彼らは易々とやってみせる。
その筆頭に立つのが、リアヌ・サクラロード、そして、サヴィター・バルレだった。
「やれやれ。今日も下界は平和か。退屈なことだ」
眼下に広がる雲間を見下ろしながら、サヴィターがため息まじりに言う。
「たわけが。それほど貴重なものはあるまい。放っておけば、人間たちは負の感情――殺戮と闘争にとらわれてしまうからの」
「……それのなにが悪いというのだ」
呆れたように肩を竦めるサヴィター。
「闘争こそが進化を促し、人をより高次元の高みへと昇らせる。あなたの言う《平和》とは、ただの停滞ではないか?」
「だから違うと言っておろうに……おぬしとはとことん話が合わぬのう」
――そう。
立場も実力もほぼ拮抗している二人だが、両者には明確な違いがあった。
「ふん……あなたこそ、いつまで経っても私の話が理解できないとは」
「……妾には、何億年とかけても殺戮の偉大さはわからんよ」
リアヌは秩序を。
サヴィターは破壊による進化を。
それぞれ、違う道を望んでいた。だからこそ、二人の哲学は絶望的なまでに噛み合わなかった。
「…………」
サヴィターは片手を空に掲げると、灰色の球体を出現させた。
なんの力も輝きもない、ただの灰色の球だ。
「……これさえ目覚めてくれれば、私の理想郷が作れるものを」
「幽世の至宝……。おぬし、まだそんなものを……」
そう。
人間界を統治している神々だが、その神々をさらに統括する、リアヌたちでさえ適わない絶対的な存在がいた。
その名も幽世神。
ここから遠く離れた次元にも別の《世界》が存在し、その世界にも別の神々が存在する。
それら世界のすべてを統括する、まさに絶対的な存在だ。
リアヌやサヴィターを始めとする神々も、幽世神によって作られた。
その幽世神が、気まぐれにひとつの至宝を世界に隠した。
それこそが、幽世の至宝……
人々の負の感情を思うままにコントロールし、殺戮と闘争を引き起こすとんでもない代物である。
だが――その力は大昔よりすでに失われている。
リアヌは腕を組むと、つまらなそうに至宝を見つめて言った。
「……だから言っておろう。もう闘争の必要はない。幽世神様も、それを理由に至宝の力を封じたのじゃろうよ」
「ふん。私はそうは思わんがな。時がくれば、自ずと破壊の時代は訪れる」
「なに……?」
「リアヌ・サクラロード。あなたの命も――ここまでだ」
パチン、と。
サヴィターは不気味な微笑みを浮かべるや、気取った仕草で指を鳴らす。
それが合図だったのだろう。
彼の背後に、五十体もの神々が現れた。全員が緑色のローブをかぶり、サヴィターとやや似た服装をしている。
「な……サヴィター、おぬし……!」
突然の展開に、リアヌは驚きを禁じ得ない。
そのまま数歩後ずさり、サヴィターから距離を取る。
「クク……」
彼女の様子を楽しむかのように、長身の神は片腕を突き出して言った。
「サクラロードよ。あなたとは考えが合わぬ。私の理想郷のために……死んでもらうぞ」
そう。
サヴィターは己の理想を実現化するために、陰で部下を募っていたのだ。むろん、構成員のすべてが神である。
「…………」
リアヌは数秒間、悲しそうにうつむき。
そして力強く、サヴィターを見据えた。
「……たわけ者が。この妾が、おぬしの企みに気づかぬとでも思ったか」
「なに……?」
サヴィターが目を見開いた、その瞬間。
リアヌの背後にも、同様に多くの神が出現した。
その数、五十体。
サヴィターの部下と同数だ。
そして、この場に集ったのが、この世界における神々の総人数でもある。
リアヌはなおも悲しげにうつむいて言った。
「……わかっておったよ。おぬしが秘密裏に、至宝の力を蘇らせんと動いていること。手始めに魔神シュバルツでも蘇らせるつもりかの?」
「ふん……腐っても神のトップ……。易々とは出し抜けぬか……」
悔しそうに歯噛みするサヴィター。
彼にしてみれば、この場でリアヌを始末するつもりだったから、まさに胸くそ悪い展開だった。
そのまま、たっぷり数分間、両者は睨み合った。
このまま総勢で戦えば、両者ともに甚大な被害が出る。
そして言うまでもなく、下界にも多大なる悪影響を及ぼすだろう。
それは二人にとっても好ましいことではなかった。
「……仕方あるまい。この場はお開きとしよう」
舌打ちをかまし、サヴィターはくるりと身を翻す。
「だが、今後おまえたちとともに動くことはなかろう。今度会うときは――敵同士だ」
「ふん……。ぷりてぃーな妾が率いる一族は、さしずめ女神族といったところかの?」
いつもの調子で軽口を叩くリアヌ。だがその表情はやはり悲しいままだった。
そんな彼女に、サヴィターは苦笑いを浮かべて言った。
「ならば、私は邪神といったところか。……まあ、あながち間違ってはいまい」
それが、神々に起こった決裂の始まりだった――