凡人は神となる
「グオオオオアアア……ッ!」
魔神シュバルツの呻き声に、徐々に変化が生じた。
なんとも表現しがたいが、狂気の色がさらに増したような……
そんな感じだ。
さっきまで余裕ぶっていた表情には苦悶の感情が張り付き、眉間には皺が深く刻まれている。理性も知性も失ってしまったように感じられた。
「ふむ。奴の《内部》で、魂と魂がぶつかり合っているようじゃの」
「た、魂……?」
リアヌの言葉に、素っ頓狂な声を返す俺。
リアヌは「うむ」と頷いて話を続けた。
「しかり。キーア・シュバルツの精神が、魔神の怨念を封じようと懸命に戦っておるようじゃ。たいした女子じゃよ。――だからこそ、これが好機じゃ」
女神族が長――リアヌ・サクラロードは、一歩前に踏み出し、高々と杖を掲げてみせた。
「奴の理性が内部に封じられているいまなら……。妾とダーリンの二人がかりで倒せる」
「マジか……。リアヌでも、ひとりじゃあいつには勝てないってのか……?」
「いまの状態ではな。なにぶん、サヴィターのアホのせいでだいぶ体力を消耗しておる」
リアヌでも苦戦するほどの相手。
改めて、俺がこれから戦おうとしていた奴の凄さが窺いしれる。
ルハネスやアガルフでも適わなかったのだから、まさに《神》の座に君臨しているんだろうな。
「……そういうわけだ。マリアス、おまえは遠くで避難しててくれないか?」
俺は後ろでずっと戦いを見守っていた幼なじみに声をかける。
彼女とも一緒に戦いたいところだが、残念ながら《EXレベル》の境地に達していない段階では、戦闘の役には立たないだろう。
それよりは、わずかに生き残っている住民の避難誘導を任せたほうがいい。
「う、うん……わかった」
マリアスは素直に頷くや、俺の両手をがしっと握りしめた。
「アシュリー……。リアヌさんも。絶対に生きて帰って。絶対だからね!」
そう叫ぶ彼女はちょっと泣いていて。
震えていて。
それでも、俺たちを信じてくれていて。
「……わかった。すべてを終わらせて、また会おう」
「人間に心配される日が来ようとはの……。長生きしてみるもんじゃ」
俺たちの言葉を聞き届けたマリアスは、力強く頷くと、遠くへ走り去っていった。もちろん、生存者の気配もうまいこと索敵しているようだ。
……さて。
俺も俺で、腹をくくるか。
幸いというべきか、何百年という修行期間を経て、リアヌの戦い方はなんとなくわかっているつもりだ。
彼女は魔法を主体に扱う。
女神の魔法が間違いなく的中するように立ち回るのが、今回の俺の役目といえよう。
「ふう……」
腰に吊された剣を手に取り、俺は魔神と対峙する。
「グポオオオオオ!」
魔神はいまだ精神内部で戦っているようだ。自身の胸をかきむしりながら、狂気じみた叫声を響かせている。
「うおああああっ!」
俺も気合いの声を轟かせ。
魔神との距離を一気に詰める。
その過程で、俺は気づいた。
視界の脇で、景色がかつてない速度で後方に流れていっていることに。
自身が風そのものになったかのような感覚に。
俺はそのまま抜きざまの一撃を魔神に見舞う。横一文字に流れた剣先が、魔神の胴体を的確に切り裂いた。
「ギャアアアアア!!」
上半身を後方に逸らし、激しくもがく魔神。すっかり理性をなくしたようで、両の目が血走っている。
と。
『終焉魔法が一、敏捷の極み』
背後から、リアヌ・サクラロードの声が届いた。
次の瞬間。
俺の全身を金色の膜が包み込み。
俺のなにかが、変わった気がした。
まるで、新しい世界が開けたような……
「止まるなダーリン! 攻撃を叩き込め!」
「お、おう!」
言われるままに、俺は魔神に飛びかかる。左下段から、俺の刀身が魔神の元へと――
「…………っ!?」
その瞬間に紡ぎ出された俺のスピードに、俺自身が驚愕した。先程をはるかに上回る速度で、俺の攻撃が魔神に命中したからだ。
まさか、これがリアヌの魔法による影響か……?
とんでもない強化っぷりだ。さすがは女神といったところか……
「ギュウアアア!」
慌てて魔神が反撃に転じようとするが、もはや関係ない。補正された敏捷度にものを言わせ、奴が動き出す前に攻撃を叩き込む。
「グアアアアア!」
一撃、また一撃と。
魔神に動き出す予断すら与えず、俺はひたすら剣撃を浴びせていく。魔神の血液がそこかしこに飛び散り、甲高い悲鳴が響きわたる。
言ってしまえば、ずっと俺のターン。
奴に攻撃させることなく、俺は次々と剣を振るい続けた。
「す、すげえ……!」
ふと、どこかで何者かの声が聞こえた。
★
――一方で。
住民たちの避難誘導を済ませたマリアスは、安全地帯でアシュリーたちの戦いを見守っていた。
ここから魔神へは遠く離れている。いくらシュバルツが次元を異にする化け物であったとしても、いったんは落ち着いても大丈夫だろう。
「す、すげえ……! あいつ、すげえぞ……!」
「アガルフ様でさえ適わなかった悪魔を……」
「頑張れ! 頑張れ!」
住民たちはもう、アシュリーたちにすっかり魅入られているようだ。顔を真っ赤にして、アシュリーに声援を送っている。みな心から彼を応援している様子だ。
マリアスにも、その気持ちは痛いほどよくわかった。
絶望的なまでに強かった魔神シュバルツに、みんな底知れない恐怖を感じたのだろう。自身の死を予感した者も多くいたはずだ。
だが。
――アシュリー・エフォート。
彼の登場が、そのすべてを変えた。
転生者でもなければ、なにがしかの才能を持っているわけでもない。
たったひとりの凡人が、住民たちに元気と生きる希望を見出したのだ。
そして。
「馬鹿な……。アシュリー・エフォート……。なぜ……!」
わずかに残った《生存者》のひとり――アガルフ・ディペールが、目を見開いて戦場を見つめていた。
もちろん、マリアスが率先して彼を助けたわけではない。彼には言いたいことが山ほどある。
うまいこと隙を見つけて、自力でここまで逃げてきたようだった。
マリアスは決死の戦いを繰り広げている幼なじみを見守りながら、静かに言った。
「……アガルフさん。もしあなたが、利き腕を誰かに奪われて、まわりには強い人が沢山いて、それでも自分は凡人で……。そんななかで、あなたは立ち上がれる?」
「…………」
「アシュリーはね、それでも諦めなかった。あなたに簡単に追い抜かれても、懸命に修行し続けたの。だからこそ……いまのアシュリーがいる」
「…………」
マリアスの話を聞いて、アガルフはひとり、暗くうつむいているのだった。