明るい未来を託して
「おらぁぁぁぁあああ!」
Sランク冒険者による、怒濤の大声が響きわたる。
自身の命すら顧みぬ後ろ姿に、俺はもう、静止を呼びかけることもできなかった。
常識外れに強い魔神シュバルツ。
おそらくルハネス・ゴーンは、あいつにはどう向かったところで勝てないと踏んだのだろう。
転生者をも弄ぶ強さ。
《即死チート》という離れ業。
これだけでも絶望に値するが、他にも特殊能力を持っている可能性は否定できない。
そうと思わせるだけの圧倒的な風格が奴にはあった。
尻尾を撒いて逃げたところで、即死スキルにやられてしまうのがオチだろう。だからルハネスはみずから囮に乗って出たのだ。
――俺やマリアスに、明るい未来を託して――
そんな決死の覚悟を秘めた彼を、どうして呼び止めることができようか。
「マリアス! 逃げるぞ! あいつの目の届かないところへ!」
「…………!」
彼女は切なげにルハネスに目を向け――数秒後、力強く頷いた。
マリアスの葛藤は痛いほどによくわかる。
だが、これはルハネスが託してくれた貴重な時間。
無駄にするわけにはいかない。
俺とマリアスは手を取り合い、一目散に駆けだした。
さっきまで戦いを見守っていた住民たちはもう、ほとんど魔神シュバルツによって殺されてしまっている。念のため生存者の姿も確認しつつ、俺たちはできるだけ全速力で疾走した。
「……ふふ。美しい絆ってやつか。みずからを殺し、仲間を生かすとはな」
背後から、魔神の小馬鹿にしたような声が届いてきた。
「調子乗んなよ。俺ゃあ死ぬつもりはねえ!」
対するルハネスも、魔神に向けて大剣を振り回しているようだ。当たっている様子はないが。
「その度胸や良し。だが――!」
「ぬおっ……!」
瞬間。
おぞましいほどに怜悧な予感が、俺の背筋を貫いた。
――さっきまであったはずのルハネスの気配。それがぴたりと消えてなくなった。
そんなまさか。
嘘だ。嘘だ。嘘だ。
認めたくない。
あんなにお世話になったのに。
彼のおかげでここまで来られたのに。
だけど、俺の本能が告げている。
ルハネスの命は、もう……!
俺は恐る恐る後ろを振り向いた。
そこにあったのは、大量の血液を吐き出し、すでに事切れているルハネス・ゴーン。
あんなに力強かった瞳が、白目を剥いたまま動かない。
あんなに逞しかった後ろ姿が、もはや動き出す気配もない。
それを見て、俺はやはり現実を受け入れきれない。
……ありえない。
なんだこれは。悪夢でも見ているのだろうか。
「悪夢じゃあない。れっきとした現実さ」
途端、俺の前方から悪魔の囁きが聞こえてきた。
俺は驚愕とともに立ち止まる。
俺の眼前に立ちふさがるは、ルハネスが命を賭して逃がしてくれたはずの相手。
魔神シュバルツ。
そこそこ距離を取ったはずだが、魔神はそれをあっさり詰めてきた。まるで、俺やルハネスの努力が無駄だったとでも言わんばかりに。
「くく。良い顔だ。すっかり絶望に染まりきっているね」
「…………」
俺はもう歯の根すら合わない。
マリアスもぎゅっと俺の腕にしがみついているが、もはやその感触を楽しむ余裕すらない。
――死。
なかば諦めに近い感情が、俺の胸を支配する。
それだけ圧倒的な差が、俺と魔神の間にあった。
無意識のうちに後退する俺に対して、魔神は嬉しそうに歩み寄ってくる。
「アシュリー・エフォート。さっきの意趣返しだ。今度こそ、我が即死スキルで死んでもらおうか」
「…………っ!」
魔神シュバルツの瞳が――真紅に輝いた。