凡人の葛藤
「…………!?」
あまりにも大きな爆発音に、俺は思わず肩を竦める。慌てて背後を振り向くと、そこには信じがたい光景が広がっていた。
商業都市ルネガード。
昨日俺たちが寝泊まりしていた街から――いくつもの硝煙が立ち上っていた。カーンカーンという甲高い警報音が、この場所まで届いてくる。
「…………っ!!」
さすがに怖ぞ気を禁じえない。
このタイミングで爆発音と警報音。
あの街でなにが起きているのか、誰だってわかるだろう。
はちきれんばかりの怒りとともに、俺は大臣を睨みつけた。
「あんたたちは……魔神を呼び出すために、自国の国民を犠牲にするつもりかっ!?」
「ふっふっふ。国を守るためには多少の犠牲は仕方あるまい? 綺麗事を言っていられる場合ではないのだよ」
「あ、あんた……!!」
「さあ、アガルフ殿にレイリー殿。あなたたちの力を民に見せつけてくだされ。この計画が完遂すれば、魔神を倒す足がかりになりますぞ!」
「はっは! 面白い! 転生勇者の最強スキルで……世界を救ってやんよ!」
「ふっふっふ。転生チート魔術師の無双譚、ワクワクしますねぇ!」
奴らのそんな言葉を聞いたとき。
ぷつんと、俺のなかでなにかが弾けた。
「ふざけんな……」
俺のなかで、燃えさからんばかりの激情がめらめらと沸き起こる。
震える拳を懸命に抑えつけ、俺はキッと転生者どもを睨みつけた。
「ここはお遊びの世界じゃねえんだよ……。おまえたちの承認欲求を満たす場所じゃない……。俺たちだって、生きてるんだ……!」
「あ……?」
アガルフがぎろりと俺を見据える。
転生者というだけあって、さすがの大迫力だった。
リアヌに会う前の俺ならこれだけで怖じ気づいていただろうが、昔の俺はもういない。
力強く一歩を踏み出しながら、負けじと続ける。
「俺は弱いよ。おまえたちの才能の足下にも及ばない。だけど……おまえたちには負けない! 絶対に!」
しん、と。
しばらく沈黙が続いた。
「ふふふ……はは……。はーっはっはっは!」
やがてアガルフが抑えきれないというふうに笑い出す。
「できるもんならやってみろよ! せいぜい引き立て役にならねえよう気をつけな! レイリー、転移術だ!」
「はいはい……っと。向かうは商業都市ルネガードですね」
皮肉めいた笑みを浮かべながら、レイリーが転移術を発動する。間もなく転生者が深緑の輝きに包まれ、呆気なく姿を消した。考えるまでもなく、ルネガードへ人助けをしにいったのだろう。
こうしてはいられない。俺も奴らを追わなくては……!
「ルハネスさん! 俺たちもルネガードに転移しましょう! 奴らの好きにはさせない!」
「ああ! 頼むぜ!!」
ガツンと両拳を打ち付けるルハネス。こういうとき、Sランクの味方がいるのは心強い。
俺は体内の魔力を抽出し、転移術の発動を試みる。最初こそ魔法の運用に苦労したが、いまなら問題なく使いこなすことができる。幽世の神域での修行は伊達じゃない。
そうして、間もなく転移術が発動しようとしたとき――
「させんぞ……」
低く唸るような声とともに、邪神族の長――サヴィターが俺の腕を掴んできた。
「くっ……」
俺は思わず舌打ちをかます。
どういう原理か知らないが、転移術が使用できなくなってしまった。俺たちを包み込むはずの深緑色の輝きが現れない。
魔法を妨害する術でも使っているのだろうか。
せっかく溜めていた魔力が拡散されていく。消えていく……
俺の腕を掴んだまま、サヴィターはにやりと笑う。
「せっかくの我々の計画、阻止されては適わんからな。妨害させてもらうぞ」
「くっ……」
さきほどとは別種の恐怖感を、俺はまざまざと感じ取った。頭の天辺からつま先にかけて、冷たい衝撃が走っていく。
さすがは邪神のトップ。
威圧感がすさまじい。
転生者はもちろん、俺やルハネスよりも遙かに強い――そう思わせるだけの圧倒的な力が奴から発せられていた。
「な、なんだこいつ、化けモンか!?」
隣のルハネスもその力を察したようだ。慌てたように大剣を構えるが、ガクガク身体を震わすばかりで動かない。いかにSランク冒険者であっても、所詮は人間。
神には適わない。
「気をつけろアシュリー、そいつは人間じゃねえ……。尋常じゃないほほどの力を感じる……」
「はい……。でも、このままじゃ……!」
こうしている間にも、ルネガードでは多くの人々が魔物に襲われている。あの転生者どもが向かったとはいえ、あいつらは自己顕示欲のためだけに動く人間。当てにするわけにはいかない。
と。
「――やれやれ。サヴィターよ、人間のやり取りに干渉するとは、ずいぶん大胆になったもんじゃな」
妙に懐かしい、天使のような声が響きわたり。
どこからともなく、一筋の光がサヴィターに向けて発せられた。
「ぬおっ……!!」
邪神の長は苦悶の表情を浮かべ、勢いよく後ずさる。
「お、おのれ……! また貴様か……!」
そう言って腹立たしげに空を見上げるサヴィター。
つられて俺も天を仰ぐと、そこに懐かしい姿を見た。
ほのかに優しい光沢を放つ金の髪。
肌は白く透き通っており、誰もが目を見張るような美しさを誇る女性。
そう。
女神族が長、リアヌ・サクラロードが、神々しい光とともに空に浮いていた。
「妾たちは人間に手を下すことはできん。だが同じ神族ともなれば話は別じゃぞ?」
リアヌは真剣きわまる表情でサヴィターを見下ろすなり、片腕をゆっくりと突き出した。金色の煌めきが、リアヌの身体のラインに沿ってほのかに発光している。
その尋常ならざる魔力。
やはり神の名は伊達ではない。
「リアヌ……あんた……!」
「立ち話は後じゃ。邪神の馬鹿タレは妾が相手する。おぬしはさっさとルネガードへ向かうがよい!」
「す、すまない……! 恩に着る……!」
いまの俺では、ルハネスと結託したところでサヴィターには適わない。心苦しいところではあるが、ここはリアヌに任せるしかないだろう。
「ふん、愚か者が! させるわけがあるまいっ!」
サヴィターは甲高くそう叫ぶと、高々と片手を掲げた。
「出でよ我が僕たち! アシュリー・エフォートを足止めせよ!」
瞬間、またしても信じがたい出来事が起こった。
そこかしこに小さな魔法陣がいくつも浮かび上がるや、その上に人間たちが出現したのだ。
いや――人間と表現するには少々はばかられる。
現れたのは総勢三十人ほどだが……その全員から、意志がまったく感じ取れない。
顔をだらんと垂らし、両腕はだらしなく弛緩している。
なかには涎を流している者もいて、俺は例えようのない気味悪さを覚えた。
「な、なんだぁありゃ!」
隣のルハネスも困惑したように大剣を構える。
対して、人間たちは呻き声をあげながら迫り寄ってくるのみ。しかも思った以上に速い。
俺が身構えていると、天から女神の声が降り注いだ。
「気をつけろアシュリー! そいつらは異世界からの屍じゃ!」
「異世界から、の……」
言われてはっとする。
――まさか。
《隠し部屋》において、異世界人の死体が転がっていたことを思い出す。もしかして、彼らは……
「くくく……はーっはっはっは!」
サヴィターが邪悪な笑い声を響かせた。
「こいつらは実験に失敗した出来損ないだが、どうせなら有効活用しようと思ってな! 使役させてもらったよ!」
「て、てめぇって奴は……!」
転生者に負けず劣らずのクズがここにもいたか。
自分の都合で呼び出した転生者を、屍になってもなお使い倒すとは。
「さあ我が僕たちよ! 女神は私が相手をする! 貴様たちはアシュリーを足止めするのだ!」
「グオォォォォオオオ……!」
「ちっ……正気かよ……!!」
これは少々厄介だ。
あの人間たちは敵ではない。サヴィターに操られた犠牲者だ。殺すのは躊躇われる。
「ふっふっふ」
反して天空のリアヌは、相も変わらず余裕綽々とした笑みを浮かべた。
「サヴィターよ、おぬしも八百年前から変わっとらんのう」
「なんだと……」
「詰めが甘いと言うとるんじゃ。――マリアス、出番じゃ!」
「はいっ!!」
続けて、同じく懐かしい声が周囲に大きく響きわたった。