凡人、悟りの道を歩み始める。
あれから何年……いや、何百年が経ったことだろう。
俺は夢中になって魔法を打ち込んでいた。
本来ならば《魔力切れ》を起こしてしまうところを、リアヌが即座に回復してくれた。おかげで食事と睡眠時を除いて、四六時中、修行に熱中することができた。
「…………」
俺は意識を研ぎ澄まし、全身に流れる魔力を左腕に集中する。
この作業が一番難しい。魔力の制御は意外と大変なのだ。
このとき必要な魔力量が足りていなければ、魔法が不発に終わってしまう。魔法において一番重要なのはこの魔力操作なのだ。
そのことを知ってから、俺はひとつ、気づいたことがある。
――身体が大きければ大きいほど、魔力の制御は難しい、ということ。
俺の記憶でも、優れた魔術師は小柄な人間が多かった気がする。自身の魔力を一点に集中しやすいがゆえに、背丈の低い人間が魔法を扱いやすいんだろう。
一方の俺は、別に背が低いわけじゃない。
けれど、片腕を失ったことにより、むしろ体内の魔力が操作しやすくなったんだと思う。その状態において二百八十年も修行したことで、体内に滞留する魔力がどんどん増えていったんだろう。
あのときリアヌが俺の右腕を斬り落としたのは、まさにこのため。
俺が最強の魔法剣士と成り上がるためなんだろう。
転生者に腕を奪われたことが、こんな形で活きてくるなんて……当時は思いもしなかったけれど。
「はっ!」
俺はかっと目を見開き、気合いの声を発する。と同時に、左腕に滞留していた魔力を一気に放出した。
中級魔法、ファイア・エクスプロージョン。
中規模な爆発を起こすことのできる、そこそこ難易度の高い魔法だ。
瞬間。
俺の数メートル先で、巨大な閃光が発生した。次いで爆風、そして耳をつんざく爆発音。遠くのほうで、オークたちの悲鳴が聞こえる。
手応えあり、だ。
「ほっほー。やるようになったのう」
いままで天空から見下ろしていたリアヌが、俺の隣に舞い降りてきた。
「体力に特化するオークを、千体も同時に瞬殺。これで一定の実力は身についたといっていいじゃろうな」
「そう……かな……」
対する俺は、集中力と魔力を使い果たして絶賛疲労中。なにせいままで中級魔法をぶっ放してきたんだ、さすがに疲れるよ。
「く……ぅ」
両膝に手を当てたまま、俺はぜぇぜぇと激しく呼吸する。汗が顔から地面へと落ちていく。
魔力の消耗ってのは、体力のそれと同じくらい疲れるもんである。
「でも……まだまだだよ……。俺はまだ……炎魔法しか使えないし……」
魔法分野においては、いくつか属性というものが存在する。
代表的なものだと、炎、水、氷、雷、風、地といったところか。基本的に魔術師は得意な属性が生まれながらに備わっている。そして言うまでもなく、得意な属性ほど成長率が高い。
反して、俺に得意属性はなかった。
すべての属性において、才能なし。
つまり地道な修行を重ねることでしか成長できない。
才能のない属性の場合、一生をかけて修行してもせいぜいが《中級魔法》が限度だとされている。いまの俺も多分に漏れず、炎魔法を中級までしか使うことができない。
剣の才能もないし、とことん俺は《なにもない奴》だと再認識させられた。
対して、転生者はその逆をいく。
《幸運》とかいうぶっ壊れスキルをレベル5で手に入れてるし、剣の腕前も達人級。
俺もそこそこ強くなったとは自負しているが、それはすべてリアヌのおかげだ。幽世の神域で修行しなければ、ここまでの力を手にすることは絶対にできなかった。
特別な才能を持つ転生者とは違い、必死に努力さえすれば、俺程度の領域には誰でも到達することができる……
修行するに連れて、俺はすこしずつ《自分》と向き合わされることになった。
運よくリアヌと出会えただけの、凡庸なる自分に。
「ふ……」
俺の考えを察したのだろうか、リアヌがふいに優しげな笑みを浮かべる。
「剣とは己なり……境地に達しつつあるようじゃな、ダーリンよ」
「はは……。だといいんだがな……」
こんな、なにもできない俺だからこそ、必死になって修行するしか道はない。リアヌのおかげでそれがわかった気がする。
「で……俺は何年くらい修行してたんだ……? 百年は超えてると思うんだが」
「そうじゃの。ざっと二百年といったところかの」
「二百年か……」
ってことは、前回よりはまだ短いんだな。
「どうする……? 一休みしてから、あと百年くらい修行するか……?」
「いや、その必要はなかろう。そろそろ現世に帰還するときじゃ」
「え……もう?」
今回は随分と早いな。
あと千年くらい修行して、一気に転生者との差をつけるのもアリだと思うんだが。
休息だって、ここでできないわけじゃないしな。
それをリアヌに問うたが、
「すまぬな。我々にも事情があるのじゃ」
と一蹴されてしまった。どんな事情かも教えてくれそうにない。
まあ、こちらは修行をつけてもらっている身。あまりワガママを言える立場ではないし、ここは素直に聞き入れるのが賢明だろう。
ちなみにマリアスは、ちょっと離れた先で大の字になっている。さっきまで大勢の魔物と戦っていたようで、俺と同じく満身創痍の様子だ。
「さて……ではダーリン、現世へ妾たちを戻してくれんかの」
「はいはい、っと……」
リアヌに言われるがまま、俺は転移術を発動し、元いた場所――商業都市ルネガードの宿屋に戻ったのだった。