凡人、急ぐ。
リアヌの修行は過酷を極めた。
なにしろ容赦ってもんがない。
やっとゴブリンを百匹倒せたと思ったら、続けざまに別の魔物を百匹放ってくるのだ。おかげで何度も死にかけた。リアヌが召喚した魔物たちは、みな本物の悪意で以て襲いかかってくるのだ。
気を失いかけたとき、
「まだ諦めるでないぞ!」
と天から声が降り注いでくるのだ。と同時に、女神の回復魔法もかけられる。
こんな苦しい修行、普通ならきっと耐えられまい。俺も兵士として相応の訓練をこなしてきたが、ここまで苛烈なものではなかった。
でも、俺の心には燃えたぎる怒りがあった。
転生者に馬鹿にされた憎しみ。
転生者にまったく敵わなかった屈辱。
それを思えば、どんな苦しい修行だって耐えられる。
気づいたとき、俺は夢中で剣を振るっていた。利き腕をなくしたのもすっかり忘れ、ただひたすらに戦闘に集中していた。
まだだ、俺はまだ強くなれる……!
ついてこいよ、魔物ども……!
★
――八十年後。
「ふむ。よう頑張ったの、ダーリンよ」
リアヌが慈愛のこもった声とともに頭を撫でてきた。
俺はといえば、オークを千体倒したばかりで満身創痍だ。そこまで強くはない魔物だが、さすがに千体と戦うのは骨が折れた。
ぐたりと地面に仰向けになったまま、俺は荒い呼吸で言った。
「これで……すこしは……強くなったかな……」
「うむうむ。見事な戦いぶりであったぞ」
修行のときとは打って違い、リアヌの声はどこまでも優しかった。
「!?!?」
そしてあろうことか、俺の頭を抱きしめてくるではないか。
「厳しくしてすまんな。この経験はきっと糧になる。絶対に忘れないでおくれ」
気のせいだろうか。
ちょっとだけ泣いてる気がする。
修行中はほんと鬼みたいなスパルタだったからな。そのことに対して罪悪感を覚えているのかもしれない。改めて、優しい人だと思う。
のだが。
「ふがふが……!」
当の俺は、でかい胸に圧迫されて返事ができなかった。
――さて。
当初の約束通り、俺はいったん現実世界に戻ることとなった。俺はこのまま修行しててもよいのだが、リアヌがそれを拒否した。いわく、なにかしら理由があるようだが――詳しいことまでは教えてくれない。
まあ、リアヌの指導はずっと的確だったからな。いまさら反抗するつもりはない。
ちなみに、帰る前にはリアヌが入念に回復魔法をかけてくれた。千体のオークに身体をズタボロにされていたので、そのまま帰っていたら事件になるところだ。
「さて。戻るぞい。準備はいいかの?」
「ん? ああ、いいけど……」
準備って、いったいなんの準備だ?
そう問い返す間もなく、リアヌはパチンと指を鳴らす。瞬間、転移術が発動し、俺は懐かしき現実世界に戻った。
二百八十年前――こっちの世界では昨夜の話だが――マリアスから弁当を受け取った草原だ。
「帰ってきたな……」
無意識のうちに呟いてしまう。
なんとも不思議な感覚だ。
俺の体感では二百八十年も経っているのに、ここの風景はまったく変わっていない。記憶にある《俺の故郷》そのまんまだ。本当にこっちでは一秒も経っていなかったんだな。
……って、ん?
ちょっと待て。
なんだこの気配は。
さっきは感じなかったが、エストル村の方面から不穏な空気が漂っている。
「――気づくようになったか、ダーリンよ」
隣のリアヌが言った。いつになく真剣な表情だ。
「これに気づかなかったら《やり直し》であったが……奴らは修行前からそこにいたぞ。おぬしがそうと気づいていなかっただけでな」
「な、なんだと……」
たしかにまったくわからなかった。
察するに、気配は村の入り口あたりから発せられている。
かなり険悪な雰囲気だが、魔物の気配じゃない。
これは、そう――王国軍兵士の気配。
「ま、まさか……!」
瞬間、俺の脳裏にある予感が閃いた。このタイミングで兵士が来るとなれば、あいつの仕業以外に考えられない。
アガルフ・ディペール。
思い出すだけで腹の立つ、クソ転生者の顔が頭によぎる。
「前にも言ったが、妾は観測せし者。人々の戦いに直接関与することはできぬ。この村を救えるのは、アシュリー・エフォート、おぬしだけじゃ!」
「…………っ!」
俺は表情を引き締めると、村の方へ全力で疾駆した。
★
「だから、来てないって言ってるでしょ!」
「あぁん? ほんとかよ女」
――エストル村の入り口。
俺の見立て通り、大勢の兵士が村に詰め寄ってきていた。三十人、五十人――いや、もっといる。
全員が重々しい鎧を身にまとっていて、なにやらただならぬ雰囲気を放っている。小さな村を訪問するにはあまりに似つかわしくない。
そして代表格らしき兵士が、マリアスと激しい口論を繰り広げていた。
「アシュリー・エフォートを出せ。あいつの身寄りはここしかないはず。帰るとしたらここ以外に考えられねえ」
「何回言えばわかるの! 来てないって言ってるじゃない!」
「嘘言っちゃあ駄目だぜ嬢ちゃん。証言はもうあるんだ」
「え……」
「すでに聞いてるんだよ。王都の馬車商人から、片腕の不自由な男をここまで乗せたっていう話をな」
「き、来てない! 絶対来てない!」
「おいおい、そりゃあ説得力ないぜ嬢ちゃん?」
代表格が醜悪な笑みを浮かべながら、マリアスの顎をくいっと持ち上げた。
「これはな、勇者様のご命令なんだ。刃向かうならてめぇもただじゃ済まさねえぞ?」
「っ……!」
マリアスの表情が苦痛に歪む。
「さぁ答えろ。アシュリー・エフォートはどこにいる」
「い……いない! どこにもいないんだからっ!」
「ちっ……てめえっ!」
「ああっ!」
バシン! と。
代表格がマリアスの頬を殴打し、マリアスは大きく吹き飛んだ。