Q.メンがヘラってきたら? A.いいから休め
自宅アパートに逃げるようにして帰り、汗まみれの制服のままソファに倒れこんだ。
「……あつい」
エアコンのスイッチを入れる。設定温度は二十一度だった。
「…………あつい」
リモコンのボタンを連打して十七度まで下げた。下げすぎだろうか。いいや、私は冷たいのが好きなのだ。電気代? どうせ離婚した元父親の養育費から出るのだ。私の知ったことではない。怒る人だっていない。母は知らない男と涼しい場所にいるから。
無機質な風が肌を撫でる。体温が奪われ、ぼうっとしてくる感覚がたまらない。
つめたい。さむい。きもちいい。
眠気とともに、だんだんと心がセカイから切り離され、海をたゆたう海月のような心持ちになる。意識が堕ちきれば、次に目を覚ますのは月が黄金に輝く時で、私は時を越えている。
私がどんなに喚こうが、泣き散らそうが、無慈悲に明日が今日になる。そうすれば全部諦めて、惰性で今を生きさせられる。
いやなきもちになった時、私はそうやって過ごしてきた。
今日もそうなるはずだったのだが、インターホンが無理矢理意識を吊り上げた。
「うるさいな……」
イライラしながら玄関を開ける。
凪紗が居た。鎧姿ではなく、どこからか調達した『こちら』の服を着ていた。パンキッシュなのは彼女の趣味なのだろうか。
なんとか笑顔の仮面を顔に貼り付けた。
後はいらっしゃいと言うだけだ。が、先に口を開いたのは凪紗だった
「はい、これ」
そう言って差し出されたのは私のかばんだった。屋上に置き忘れたやつだ。
「……ありがとう」
「入るから」
「えっ」「ダメ?」「別にいいけど」
聞くや否や、ずかずかと部屋に押し入ってきた。
「十年前と全然変わらないね。エアコンが妙に強いのも」
そう言って私がさっきまで寝ていたソファに深く座った。
「久しぶり」
彼女は花のように明るく笑った。
「驚いた?」
「それなりに」
「勇者と魔王が同時に現れたのに「それなり」ですむなんて、『あちら』の住民が聞いたら卒倒するって――いや、ユキの魔力量なら確かに対したことじゃないかも」
「魔王も同じようなこと言ってたね」
「本当は巻き込みたくなかった」
どこか心苦しそうだ。
「トラックに跳ねられた後、私は転生して『あちら』でまた生まれた。かつて魔王を討伐した、勇者の家系にね。最初は名誉職の様なものに過ぎなかったのに――」
「魔王が復活した」
「その通り。そして私は王様から魔王を倒すことを命じられた」
「RPGみたい」
「実際そんなとこ。本当に大変だったんだから。砂漠の街では暑くて失神しそうになるわ、そしたら次は氷の町では鼻水まで凍るかと思ったし、かと思えば次はマグマの大陸! もうめちゃめちゃだって」
言っていることは大変そうだが、語る凪紗は楽しそうである。
「冒険は大変だったけど、大体のことはうまくいった。唯一の大失敗は、魔王に逃げられたこと。魔王を封印するために『iqleufl glmunleu』を起動しようとしたら、パーティーの一人が裏切ってさ。四人分の魔力が必要だったから、それで失敗。魔王はその隙をついて、別の世界――ここに逃げてきたった。……ん、『iqleufl glmunleu』? あ、ダメだ。これじゃ通じない」
「封印術式?」
凪紗が驚いて、
「どうして分かったの?」
「なんとなく」
「……ま、見ただけで魔法が使えるんだから、それくらいは理解できるようになるか」
「魔王は強いの?」
野暮な質問だ。
「強い。でもここで必ず倒す。それが私の使命だから。幸い魔王は弱ってるから普通に殺せる。」
「凪紗はえらいね」
「ユキを守るためだよ。まさかアイツ、あろうことかユキを狙うなんて――」
「私のため?」
「そう」
「そんな価値、私には無いよ」
「ユキがどう思ってるは別にいいの。価値は私が決めるから。だから、屋上で逃げられたのはちょっとショックだった」
しん、と。冷たい風が私の頬を撫でた。
「どうして?」
「自分のクズさに飽き飽きしたから」
「そんなことない」
「それに気付かせてくれたのは凪紗だよ。だから、私を守ってくれていたのが凪紗だって気付いた時、どうすればいいか分からなくなって逃げちゃった」
それ以上喋るな私。お前にその言葉を語る資格は無いというのに。
「凪紗が死んだ時、私は自分のせいだ。喧嘩なんてしなければってずっと思ってた」
「あったね、そんなこと。そっか、あの日に私は死んだんだ。……でも喧嘩とトラックに因果関係はなくない?」
「それでも私は自分を責めた」
「優しいね」
違う。本当に優しいのは凪紗の方だ。
「今日死んだと思ってた凪紗が目の前に現れた時、私は「つまらない」って思った」
「……」
凪紗は何も言わない。次の言葉を待ってくれているのだ。
いいや、やめろ。ここで言葉を撤回しろ。
「だって死んだはずの人間と再会するなんて、そんな喜劇――私がかわいそうじゃなくなるから」
言葉を、止めろ。凪紗に嫌われたくないなら、それ以上伝えるべきじゃない。
「親友が死んだ。それは私のせい。両親は離婚した。母とはうまくいかない。それは私がダメな子供だから。
夏休みは毎日補習だし、登校するたびに不幸な事故に巻き込まれて、死にかかる。挙句の果てには魔王なんてものが現れて、しかもそれは過剰な魔力なんていう体質のせいで、多分それは逃れられない運命。
どう思う? 私は苦しいよ。苦しいけど、そうしてる時だけ私はこのセカイで生きている気分になれる。悲劇のヒロインになりたがってるんだ――だって、かわいそうな人間は誰にとってもかわいそうだから」
もう言葉は止まらない。残念、もう自分自身を制御できないみたいだ。
「凪紗さ、『あちら』でお酒飲んだことある?」
「……無いよ。ちょっとだけ舐めたことあるけど、ぜんぜん美味しくなかった」
「私も無い。けど、お酒を飲むとどんな気持ちになるかは知ってる。心が軽くなって、でも体は重くなって、肉の器から魂だけが引き剥がされるような感覚。枷から開放された私は享楽的に、されど猟奇的に、例えるなら夢のように踊り続け、やがて死んだ様に眠り、また生き返る。
……どうして知ってるかって? だって、私は悲劇に酔ってるから。お酒の味は知らないけど、どうして大人達がお酒を飲むかは知ってるの。だから凪紗が私をずっと守ってくれていたって気付いた時「つまらない」って思っちゃった。だってそれは喜劇だからね」
「……結局、ユキは何が言いたいの?」
「私は可哀そうな私が大好きで、こういう話をあなたにするのもあなたにかわいそうだって思って欲しいから。だから私は永遠に好みのバッドエンドを探して生きる。それは誰かのために何かを為そうとする凪紗とは間逆の考え方。
もしもあなたが見知らぬ騎士様だったら、私はずっと悲劇ごっこを続けてたでしょう。でも騎士様は凪紗だった。だから、もうそんなことできない。――私はそういうクズだから、もう凪紗に守ってもらう資格なんてないね」
「……ふぅん」
凪紗が頬杖づいて私を見つめている。
「ユキは私のこと嫌いなんだ」
「どうして?」
「そういう話でしょ?」
「違っ……」
それだけは断じて違う。私がユキが嫌いなワケがない。
「じゃあ私のこと好きってこと?」
「凪紗の事は好きだけど」
「うん」
「あなたのことが好きな私が嫌い」
「そっか」
何を思ったのか凪紗は立ち上がり、腰のポーチから折りたたみナイフを取り出した。目測刃渡り6センチメートル以上。余裕で銃刀法違反の代物だ。
「……凪紗?」
「ごめん、ちょっとグロいかも」
「怖いよ……」
「怖いなら目つぶってていいよ」
刃の方を曲芸師の様に持っている。ナイフ投げの持ち方だ。当然そんなのマンガでしか見たことない。だが凪紗はマンガの様に、細い指に大振りのナイフを絡ませている。慣れた手付きでしなやかに、迷い無くそれを振るった。
白銀のきらめきを放ち、そしてそれはゴミ箱から私達を観察していたネズミに突き刺さった。ギイィとうめき、痙攣した後動かなくなった。
「……えっ」
「魔王の使い魔。ゴメン、全然気付かなかった。多分ずっと盗み見してた」
いやな妄想通りにならずホッとした。
「――例えば私が魔王を討伐するのやめたとする。そうなると魔王は嬉々としてユキを殺しに来る。それは私には耐えられないほどの悲劇で、想像したくないくらい悲しいけど、ユキにとっては望んだ悲劇」
凪紗の灰色の瞳が私を射抜いた。
「そうする?」
「私が死んだら凪紗は悲しい?」
「あたりまえじゃん」
「じゃあやだ」
「……そっかあ」
凪紗がにへら、と筋肉を緩ませて笑った。
「そっかあ」
「どうしたの?」
「きっとユキにとって私は例外で、特別なんだ」
「……さあね」
そんなこと私にはわからないよ。ただ、あなたが死んだ時、私はこの世の終りを願うくらいむせび泣いたよ。
「んー、と」
凪紗が軽く伸びをした。疲れているのだろうか。
「今日はここに泊まるから」
「決定事項なんだ……」
「廃ビルはエアコンないし。暑いし。あとさ、」
ナイフを仕舞って言った。
「私を不安にさせた責任とってよ」
その後はテレビを見たり、インターネットの使い方を教えたり、一緒に買い物したり、どっちが布団で、どっちがソファで寝るか揉めたり(私がソファで寝るって言っているのに、凪紗は力任せに私を引きずり降ろした。結局一人用の布団に二人で寝た)……それだけだった。他愛の無い、世界のどこでも見られる日常。
その日だけは月が沈まなければいいのにと思った。




