第3話 アークサム メン
楠さんはサッサッと廊下を歩いていき、階段を下り保健室に向かう。
俺は手首の痛みに耐えながら、連行される犯罪者の様な気分でついて行く。
ちょうど生徒が登校してくる時間帯で、多くの知り合いともすれ違った。
楠さんは知り合いやクラスメイトににこやかに挨拶を交わしていき、俺は脂汗をたらしながらゼハゼハと荒い息をして、皆からは色んな意味で心配そうな視線を送られた。
保健室に入ると、楠さんはくるりと振るかえる。
「昨日の事、憶えてるの?」
赤いフレームの眼鏡の奥から、俺に問い掛けてきた。
俺はやっと解放された手首をさすりながら、楠さんの質問に答えようとする。
けど、やっぱりゼハゼハと息をするのがやっとだった。
そんな俺の様子をみると目の前にいた楠さんは、にっこりと笑って、一歩前進して俺に近づいてきた。
俺のすぐ目の前、鼻の頭が楠さんのおでこにふれそうな距離に近づいてくる。
な、なんだ?
あまりに距離が近すぎて、俺は動揺してしまう。
その瞬間
「ふっ!」
楠さんが気合い一閃
俺に腹に、今度は楠さんの拳がのめり込む。
一瞬息が止まる。
その後、痛みと共に今まで肺にたまっていた空気が一気に外に流れだしていった。
「いだだだだだ。さっきから何するんだよ!」
俺が抗議の悲鳴をあげると、楠さんは眼鏡の奥で柔らかく微笑した。
「これで、話せるように様になったでしょ?」
楠さんの微笑があまりに素敵だったのと、そしてその微笑があまりにもすぐ目の前にありすぎたせいで、俺は次の言葉が出てこなかった。俺の抗議は、そこで尻すぼみで終わってしまった。
「さてと」
楠さんは一歩下がって、普通の距離で俺に向き直り改めて質問をしてきた。
「昨日の事、覚えてるの?」
「あんな事が会って、忘れる訳無いだろう」
「どうやら、本当に憶えてるみたいね」
「だから、忘れるほうが変だって」
俺の返答に聞いて、楠さんは腕を組み、う〜〜むと悩みだす。
そして、そのまま少しの間、悩み続けてしまった。
俺は聞きたい事が山の様にあった。
けど、悩んでる所を邪魔するのは悪い気がして、楠さんが悩み終わるのをとりあえず待つ事にした。
不意に楠さんがつぶやいた。
「とりあえず、もう1回やってみようかしら」
「もう1回?何を?」
俺の問いかけには耳も貸さず、楠さんはいきなり保健室のカーテンを締め出した。
朝の光は遮れ、室内が鬱そうと暗くなる。
「ちょっとこっちきて」
楠さんがベッドの横で手招きする。
俺は事態が解らず突っ立ったっていると、彼女は俺の手をひっぱりベッドの所へ連れて行く。
ボン、と俺を突き飛ばし無理矢理ベッドに放り込む。
そして保健室のドアの所までトコトコと歩いて行って
カチャリ
と 鍵をしめた。
なんだ?なんなんだ?
楠さんが、柔らかく笑う。
ゆっくりと、ベッドにいる俺に近づいてくる。
そして、
楠さんは、自分のセーラー服の胸元に手を入れながらささやく様に言った。
「見て…」
「え?そ それは?」
俺にはまったく事態が飲み込めない。
「いいから…見てほしいの…」
楠さんは、もうすでに俺のすぐ近くまで寄ってきていた。
俺の目の前には、
「何も言わずに……ただ見つめて…」
俺の目の前には、深紅のペンダントがユラユラと揺れている。
楠さんの胸元から取り出した、深紅のペンダントがユラユラと揺れている。
いつの間にかペンダントの揺れにあわせて俺の体も揺れていた。
少しづつ少しづつ意識が遠のいていく。
楠さんがブツブツと何かを囁いているのが聞こえるが、内容が聞き取れない。
俺の世界には、ただ深紅のペンダントがユラユラと揺れているだけだった。
パン!
目の前で楠さんが手を叩く。
俺はびっくりして飛び起きた。
あれ?
いつの間にか、少し眠ってしまったようだ。
俺のすぐ横で楠さんが優しく優しく微笑んでいた。
「もう、びっくりしたわよ。貴方ったら教室でお腹を押さえて急に倒れてしまうんですもの。とっても苦しんでいたから、とても心配だったのよ。でも、もう大丈夫よね?さっき薬も飲んだし、少し休んだものね。もう大丈夫でしょ?」
俺は寝起きの頭で少しボーとしながら答える。
「そうか、俺は教室でお腹がいたくなって倒れちゃったのか。」
「うんうん、そうよ。それで私が保健室まで連れてきてあげたのよ。」
楠さんは、飛びっ切りの微笑みを浮かべている。
とてもうれしそうだ。色んな意味で。
「そうかー 倒れた俺を保健室まで って言うか!!さっきのペンダントは何なんだよ!?ついでに聞くけど昨日の死体も何なんだよ!」
俺の質問に、さっきまでニコニコ笑っていた楠さんが急に無表情になる。
能面のような、怖いくらいの無表情だ。
小さく小さくボソッと
『チッ メンドクサイヤローダナ』
と、呟いたのが聞こえた気がするが、気のせいだと信じたい。