第五十九話 英雄はようやく眠る。
空を見ていた。
いや、そうではない。
そうする事しかできなかったのだ。
満身創痍の身体。握っていた刀はさほど遠くない場所に突き刺さり、両腕はまだ刀を握り締めていた。
昔の日々を思い出していた。
異世界に飛び、異界の地にて馬鹿弟子と刃を交えた日を。
のちの愛刀を見つけ出し、凩と言う銘を付けたあの日を。
鬼萄丸との出会い。キールとの約束。大樹牢での生活を。
そして、それぞれが一人ずつ、消えていった今日の事を。
「あぁ…………」
涙が、ふと流れた。けれど、それを拭う術も腕も無い。息を整えれば喉や肺から血を吐き出し、なおさら苦しくなる。神のまりょくとやらはもう無いようで、再生することも無い。
立ち上がる力も無い。
自分に残されたわずかな時間。それを活用したい。だがその時間に出来る事はただ、己が死を待つことだけだった。
「何とも、退屈な物だな。昔は死にたくないと思い戦ったものだが、もう死んでも良いと思い戦っていたのかもしれないな」
フフっと笑った。口からあふれ出す血などもはやどうでもよかった。呑み込もうともせずに、横に吐き出した。
「桐野……すまない……!」
ただ、自分の死を待つ。それだけのはずだった。
突如として脳内に響く声。周囲に視線を巡らせるも見えるものはなし。
目はとうに灼けていた。
しかし、その声を忘れられるわけがなかった。
「ロキ?ロキなのか?死んだんじゃなかったのか?」
脳内に響いた声。その正体はあの日、異世界へと飛ばしてくれた者。そして、オーディンに倒されたと言われていたあのロキの声だった。
「ああ、私だよ。オーディンに魔力量で抑え込まれ、封印されかけていたのだ。神は死なぬ。死の概念が無いからな。とは、昔もお前に言ったことだったな」
思い返せばそんなことも言っていた気がする。けれど、そんなことを懐かしんでいる場合では無かった。
「すまない。止めに行くと言ったのは儂であったのに、結局儂は何一つ守れなかった」
「それどころか儂は守られてばかりであった。様々な仲間たちが居なかったら、儂は恐らくここまでは来れなかった」
「それでも、貴方は人間を斬り続けた。そして、その刃は神にも届いた。もう勝利を享受する存在は居ないけれど、これは紛れもなく、貴方と言う英雄が魔族たちにもたらした勝利よ」
「儂は英雄などではない」
儂はそう言い続けてきた。
幕末の世に多くの人を斬った。自分の信じた者の為にあらゆる罪人に天誅を下した。そうして変わった世に訪れた平穏。儂の功績を知っている者は皆、儂を英雄と称えていた。
しかし、それは違うのだ。
結局、儂がやっていたのは人斬り。大義名分を得て人を殺した事に他ならないのである。
褒め称えてくれる彼らの前に居るのは、英雄の名に飾られた殺人鬼。
そして、儂は知らぬ所で恐れられていたのだ。
化け物と。
儂は、決して褒め称えられてはいけない存在なのだ。
「儂はただの殺人鬼だ」
だからそう言ってきた、自己暗示の様に。自分のしたことを。この腕で奪った命を。忘れぬために。
とはいえ、もはやその腕すらも、私は無くしてしまったのだが。
「そ、そんなことは無い!」
ロキの叫び声が、脳内に木霊する。
「お前は確かに魔族たちにとっては希望の光だったのだ!神の勇者を前に絶望し、神徒の前に故郷を捨てて逃げる者たちとって!迫り来る死の鎌をはねのけたお前は。確かに、英雄なのだ」
「英雄として……魔族たちの目には映っていたのだ」
ロキの声が震え、泣いていることが伝わってくる。
「人を殺した。それは覆せぬ事実だ」
「だが、その背後に守るべき命があったこともまた、覆せぬ事実なのだ」
「お前が守った命が、守られた笑顔があったことを、忘れないでほしいのだ」
乾いた心の中に、そんな言葉が木霊する。
そんな言葉を聞いた事など一度も無かった。
だが。
「最期に聞けて、良かった」
「……桐野?」
空を見ていた。
昔の事を思い出しながら、ただ、空を見ていた。
満身創痍の身体、腕は無くなり、我が命も既に風前の灯火。
残された僅かな時間を何にも使うことなく、ただ死を待つばかり。
退屈な物だなと、血を吐きながらつぶやいた。
けれども、それも悪くはなかった。
「桐野ッ!」
「オーディンはまだ、生きている。かもしれぬ。気を付けよ」
「オーディンはお前に斬られて神界に戻った!ヨルズを救うためにこの世界を手放した!そして安心しろ!お前を連れてきたものとして、私は何としてでもお前を生かしてあの世界に返すッ!」
そう言ったロキの声が真横から感じられる。いつの間にか彼女は私の真横に顕現していたようだ。だが、その姿が良く見えない。けれどまりょくが伝わってくるのが分かる。身体の傷が治るのが分かる。
「馬鹿ものッ!」
そう、声が出た。
「死にゆく者に力を使うな!お前が手に入れた世界で、次は奴を倒せるように、そんな世界にするためにその力を使うのだ」
「でも」
「でもではないッ!人の上に立つ存在であるならば、己が下に付いて来てくれる民の為に力を使え。人斬りの儂にではない、儂の守ったものの為に。その力を使うのだ」
まさか、神に説教する日が来るとは思ってもいなかった。けれど、そうでなければ恐らくロキは同じことを繰り返す。
見捨てられず、助けるために力を使ってしまう。
それは、良い事だ。
けれど、少数を救うために大勢を捨てるのは、指導者としては間違いなのだ。
「ロキには、指導者は向いていないな」
「…………え?」
「些か、優しすぎる」
溜まっていた血を口から吐き出し、息を吸う。
只の空気であるはずなのに。それはとても美味で、手放したくないように思えた。
「ならば、私は指導者になろう。いつか、その言葉を覆す為に」
「ほっほ。頑張れ…………よ」
微睡んでいく意識。まるで命が身体の内側に引き込まれていくようなそんな感覚。
ああ、死ぬとはこういう事か。
生死の境界。1から0へと移るその刹那に、儂は光の中で泣く、少女の姿を見た気がした。
「感謝する。我らが英雄、桐野利明。よく眠れ」
震えた声で、神はそう言った。空虚な世界に一つの言葉が響くと共に、風が吹いた。
光の粒子が風に運ばれる。というよりは、寄り添っている様にも見えた。
まるで彼と彼女の様に。一緒になった粒子と風は、そのまま世界を駆け巡る。
自分たちが救った世界を。




