第四十九話 誰かの為に駆ける足。
「近寄らないでッ!」
鎮火してもなお起き上がらない匠の前に立つシレイアは、矢を番えてそう言った。
「そんな怯えないで良いんだよ。別に取って食おうって訳じゃないんだからさ」
そう言ったのは鬼萄丸、しかし、それでも彼女の様子は変わらない。
足が震え、照準が小刻みに揺れている。また口元が引きつっている事からも、恐怖していることは見て取れる。
「ただ、桐野っていうおじ様を知らないかい」
「………ホントにですか?」
訝しげな表情をしながら弓を降ろすシレイアに、朗らかな表情で歩み寄る鬼萄丸。
「ホントだよ。というかある程度察しはついてるんだけどね。念のためさ」
「なら恐らくその察しの通りです。この痕を追っていけば、姿は見えてくると思います」
「ありがとね。じゃ、私急いでるからッ!」
そういって地面に刻まれた痕を追って走る鬼萄丸。
「急がなくても、いいんですけどね」
咄嗟に矢を番えた彼女がただ一点。地面にできた痕を真っ直ぐに追う鬼萄丸の背を狙う。
その瞬間だった。
鋭い金属音が辺り一帯に響き渡り、斬られた弓と同時にシレイアは腰が抜けて後ろに倒れ込む。
「それだけは、させないぞ」
同時に言った同じことを述べる二人。振りかざされた銀の大太刀とそれを防ぐ神の二刀。一人は走る鬼の為、一人は倒れ込んだ仲間の為に立ちあがって剣を振るった。
「魔将シレイアッ……!」
「神の勇者に名を知られていようとは光栄だな」
斬り下がり後方へと飛ぶシレイアに対し、二刀を構えて立ちふさがる匠。
その足は今にも崩れ落ちそうなほどに震えており、身体の至る所から血を噴き出していた。
「その身体で戦うのは無理だ。貴様から撤退を勧告し、人間たちを退かせれば私達もこれ以上の深追いはしないことを約束しよう」
それを拒もうと口を開いた匠。しかし、口から出て来たのは大量の血。急速な再生能力を有する身体はその活性化に耐えきれなくなっていた。
「それは……ダメだぁッ……!」
血を吐き散らし、掠れた声を発しながら、それでも彼は立ちあがった。その瞳の輝きも、刀身の輝きも、くすんでなどいなかった。
「そこまでして魔族を殺したいか。貴様のその意思はなんだ。桐野の命だけではないのか」
「…………ああ、そうだ。俺が欲しいのは桐野の命。あいつを越えたという強さの証明だ」
笑いながら言った匠。その口から血があふれることは無く。震えは止まっていた。
「回復した……!?」
「俺はあいつと戦わないといけない、邪魔をするな別世界の愛人よ」
二刀を収める匠。もはや銀魔剣を構えるシレイアなど眼中になく。地面に座り込むシレイアの視線に合わせてしゃがみ込む。
「言ったら離れてしまいそうで言えなかったけど、もう言うよ」
優しい口調で話しかける匠。
「何を……ですか?」
「俺はね、この世界の人間じゃないんだ」
その一言聞いた瞬間に、シレイアの目から涙が零れた。
「何で、今言うんですか」
「それをもっと早く知れたなら!私はもっと!貴方のそばに居たかったのにッ!」
「もう俺は長くない。それにいずれこの世から消える身だったんだ。恋する乙女を一人で残していくわけには行かないだろう?」
「それでも!それでも……!」
嗚咽が混じり声にならないシレイアの肩を抱きしめた匠が。
「ありがとう。それじゃあ俺は行くよ」
立ち上がり、振り返りもせずに歩き始めた。
その姿を、取り残されて泣く少女を、呆然と眺めるシレイア。
「別世界……か」
そう呟いた瞬間に、二人の身体が光を放ち始めた。
「そうか、別世界の私は、強き者に惚れたのか」
ふと空を見上げた。青く広がる綺麗な空。戦争であることを忘れさせるような、そんな青空。
もし、私が恋をするのなら。
「フッ。無いな。私はいつまでも私なのだろう」
空を見上げて笑ったシレイア。地に座り込み泣きじゃくるシレイア。
邂逅してしまった二人は、
気付いてしまった二人は、
次第に光の粒子となって空へとほのかに消えて行く。
それを、誰も見ることは無かった。




