第二話 災厄の勇者。
いつものように剣道道場からは木刀を打ち付ける音が響く。
木刀を振るう男たちの叫びが木霊する。
踏み込みが地を鳴らす。
いたって普通の、何も変わらない剣道道場の日常。
そんな剣道道場も、匠が剣道道場を飛び出してからはや数か月が経とうとしていた。
「桐野師範代?桐野師範代?」
慌てるような門下生の声に瞼を開ける桐野。
「聞こえておるから安心せい。どうした?」
「あの、匠のことなんですが、あれからどうですか?帰ってきましたか?」
そう言われた桐野が外に出て辺りを見渡す。されど姿は見当たらない。
続けざまに木刀を腰から取り出し地面に置いた。されど姿は見当たらない。
更に更に地面にあぐらを掻いて座る。されど姿は見当たらない。
「見ての通りだ」
「何がですか」
「取れる首を用意しても出てこない。ならば居ないという事だ」
自分を餌にする方法で確認し終えた桐野が、門下生から浴びせられる視線も気にせずに木刀を腰に差してそのまま外へ出歩いていく。
「桐野師範代?どこへ?」
「少々人探しに甘味屋へ。他の門下生たちを頼んだぞ」
そう桐野が言うと門下生は「はいっ!」と期待の持てる返事を返し、桐野は手を振りながら街へと赴いていった。
「あの人があの子の師匠さんだな……!」
その様子を木陰から覗き込む一人の女性がいた。この日本に、いや、この世界に似合わぬ黒衣を身に纏う褐色肌の女性、右手に赤く輝く杖を。左手に金の装飾がなされた本を持った女性が桐野の後を追いかける。
しかし、どんどん桐野の姿は森の中へと溶け込んでいく。
「何処まで行くんだ……?そもそもこちらに街なんかなかったはず」
もはや町の方角すら向いていない桐野の背中を、疑問に思いつつも必死になって追いかける女性。
「こっちに街なんかありはしない」
考え事に気を取られた女性は、木の陰に隠れ待ち伏せていた桐野の姿に気付くことが出来なかった。
「ひゃあぁっ!?」
突然喉元に木刀を突き付けられる女性。彼女を睨む桐野のその眼光はもはや人のそれとは違う、一種の圧を放っていた。
「下手な事をすればその喉笛を砕く」
その瞳が冷酷に光る。殺意で空気が張り詰める。
「お、おお、落ち着いて!危害を加えるつもりは無いの!」
そう言って女性が杖と本を手放して無抵抗をアピールすると、桐野はその杖と本を脚で手繰り寄せ、一定の距離を保ちつつ木刀は構えて警戒を解かない。
「何者だ。なぜゆえに儂を尾けた?」
「わ、私は神よ。貴方に頼みたいことがあって来たの」
「…………世迷言をのたまうな」
木刀を握り締める力が強くなり、少しづつ木刀が喉に食い込み始めていた。
「本当だ!貴方の弟子のコバヤカワタクミ?って子について話したいことがある!」
「ほう、その名を出してくるか」
その名を聞いた桐野がすぐさま木刀を収め、杖と本に付着した土を払ってから神に返した。
「それで、神様とやら。その頼みはなんだ?」
木刀を腰に収めた桐野が座り込んで神にそう申し上げた。神は少々不機嫌そうにしながら口を開く。
「貴方の弟子である匠君が、強くなりたいって言ってそこらじゅうの軍人に喧嘩を売ってたんだ。折れた木刀を両手に持ってだ」
「なるほど」
「それで、処刑されそうになったところを他の神が何を思ったのか助けたわけ!まだ若いし、使えそうだと!」
「なるほど」
「それで、その神がふざけた力を渡して私たちの世界に降臨させたのだ!」
「なるほ…………は?」
先程からやけに呑み込みの早い桐野、しかし、彼も理解できない言葉の前に頭が理解を拒んだ。
「その私達の世界。とは?」
「だから、私達の世界。この日本とはまた違う世界でその他の神、オーディンって言うんだけど、そいつと私で半分ずつ統治している」
「と、とりあえず。広い領地を半分に分け、各々で治めている。という認識で良いのか?」
「それでいい」
「そして、そのふざけた力を持ったその子がこう言ったのよ!」
「魔族を全て滅ぼすって!」
先程の言葉をようやく飲み込めた桐野の前にまたしても新たな言葉が立ちふさがった。
「ま、魔族?」
「そう。私の所に居る生物よ!私とオーディンの治める所はまず生態系が違うの!だから生き物に関しては何もかもも違う!そこで、互いに種族の王を定めて平和に暮らす様に指示をしたんだ!」
「なるほど、領民の人種が違うのか。日本人と南蛮人の様に。そして将軍を決め法を敷き統率を取ったと」
またも自分なりの解釈で言葉を理解した桐野。
「だ、大体そんな感じ!」
その桐野なりの言葉を神は理解できていなかった。
「そして、いきなり蹂躙の宣言をしたと」
だが、それでも話はつながった。
「そう!」
「止められなかったのか?」
「強すぎるのよ!並大抵の魔族じゃかなわないし私もこの世界に来たことで力を失ってる!」
「それでも神か」
桐野のその言葉が、神の中で何かを切り落とした。
「ごめんなさいね!自分の作った世界すら守れなくて!これでも頑張ったのよ!けど皆死んでいくの!どうしようもない力の前に!自分の作り上げてきたすべてが……崩れていくの……!」
桐野の言葉が断ち切ったのは彼女の限界だった。洪水のようにあふれ出る神の感情。神と言う高貴な存在であるからこそ、貯め込んだものを発散する場所の無かった彼女の瞼には、いつしか涙が浮かんでいた。
「それならば、儂が肩を付けよう」
そんな彼女の心に、その声が響いた。
「……え?」
「儂の不肖の弟子が世界を壊す強さを得て、罪なき命を摘み取っている。これすなわち師の不甲斐なさがもたらした災害であると儂は捉えた」
あの冷酷な眼が、いつしか朗らかになっていた。
殺意で満たされた空気は、解けていた。
その老人は立ちあがっていた。木刀を天に向けて、勇ましく。
「だからこそ、儂は匠を止めに行く。神よ。儂をその世界に飛ばせ」
「今の話を聞いて……それでも止めに行くと?相手は無類の強さを誇る一人で世界を壊しかねない化け物よ!」
「あやつは化け物ではない。我が不肖の弟子だ」
「あっちとは違って、特別な力を渡すことも出来ないわよ!」
「我が腕一つに木刀一本。それだけで儂は事足りる」
「本当に……本当に良いのっ!?」
「あぁ!飛ばせ!」
森の中に、男の決意が木霊する。
「…………桐野師範代?」
門下生に、その声が届くことは無かった。