#A1 雑務の合間
朝だ。
とても清々しい朝だ。
魔王様が魔王城に来てから一週間が経過した。
つまり、カグラが宮廷術士に就任してから一週間経過した事になる。
そして、レイロフが専属騎士に就任してからも一週間が経過した事になる。
魔王様は勉強熱心ではあるが、あまり仕事をしたがらない。
ヒキニートのスキルがあるから仕方がないとは言え、そのしわ寄せは全て私に来るから早々に何とかしてもらいたい。
カグラは仕事は出来ているようだが、宮廷術士はエリート集団。
カグラの肌に合わないのか、他の宮廷術士達とはまだ馴染めていない様子だ。
カグラには素質があるから、きっかけさえあればこちらは何とかなりそうだ。
問題はレイロフ。
私はレイロフの人族嫌いを何とかする為に、カグラの専属騎士に任命した。
レイロフにその意図は伝えていないが、一週間も共に過ごせばレイロフの人族嫌いも、ある程度は治るかと期待していたのだ。
しかし、どうにもレイロフは重症だった様だ。
自分の殻に閉じこもっている。
カグラだけでは厳しいのかもしれないな。
何かきっかけでもあれば良いのだが。
着替えを済ませ、しばし考え事をしていると、扉をノックする音が部屋に響いた。
こんな朝早くに、いったい誰が来たのだろうか?
「失礼します。アナスタシア様、起きていらっしゃいますか?」
この声はカグラか。
私が部屋の扉を開くと、そこではカグラが一礼をしていた。
「おはようございます」
「おはよう。こんな朝早くに、どうしました?」
「実は、両親からこの様な手紙が届きまして」
カグラから差し出された手紙に目を通す。
その内容は、近況報告の為に国に帰ってこいというものだった。
「分かりました、外泊の許可を出しましょう。それから馬車も用意しましょう」
「そこまでしていただいて宜しいのですか?」
「ええ、それは問題ありません。ただ、レイロフを置いていってくれれば」
レイロフにも考える時間が必要だとは思っていたし、これは丁度良い機会だと私は思っていた。
「レイロフ様を、ですか?」
「そう。モンスター討伐隊が街道の安全を確保している筈だから、カグラへの護衛も必要ないでしょう」
あまり納得していないようだが、レイロフにも休暇を与えないとならない。
恐らく、レイロフはこの一週間、かなり気を遣っている。
心身の休息も騎士の勤めだ。
……と、ベルンハルトも言っていた。
それに、こんな理由で優秀な人材を失いたくない。
これを期に、レイロフも考えが纏まれば良いが。
とりあえず、馬車の手配と宮廷術士達には話しておくと伝える。
それを聞いてカグラは一礼すると、その場から立ち去った。
さて、カグラの両親に書簡を送っておかないと。
その後はレイロフに、カグラが一度祖国に帰る事を伝えて、戻るまでは休暇扱いだと説明しないと。
そう言えばベルンハルトが、騎士団の使う武器の発注申請を出していた。
あまり無理な使い方はしないでほしい。
あとは、今日の魔王様の仕事は少なかった筈だから、ゆっくり休んでいただこう。
ふむ、今日も忙しそうだ。
馬車の手配と書簡の作成を済ませ、その他の細々とした雑務をこなした後、私はベルンハルトに会いに行った。
武器の使用について注意する為だ。
騎士団は毎月、武器の発注申請を出している。
騎士団はモンスターを相手にしているから、これだけ武器の発注をしてくるのも仕方のない事だと思っていた。
原因がモンスターだけであるなら。
どうやら、発注した武器の半数は、私の目の前で不機嫌そうな顔をしているベルンハルトの仕業のようだ。
ある程度噂にはなっていたが、私もその所業を目撃していた。
それは、今から10日ほど前の事。
ベルンハルトが武器を粉砕しているとの噂を聞いた私は、騎士団の寄宿舎へ抜き打ちで調査を行っていた。
噂を鵜呑みには出来ない為、騎士団全員を調査した。
そして最後に、ベルンハルトの部屋に向かう途中。
突如、訓練部屋からブォンッ、と風を切る音が聞こえた。
訓練部屋と壁一枚を隔てた通路に居たのに、隣の訓練部屋から風を切る音が聞こえたのだ。
私はこっそりと、訓練部屋の扉を開いて中を確認した。
そこには、上半身裸のベルンハルトが、重石をくくりつけた剣を物凄い勢いで振っていた。
大変目の保養になりま……ではなく、彼はいったい何をしているのか。
いや、その理由も分かる。
ベルンハルトは屈指の脳筋だ。
だからこんな、馬鹿な鍛え方をしているのだろう。
重石の大きさも規格外だ。
私はベルンハルトの体を堪能……ではなく、ベルンハルトの鍛錬の様子をこっそりと眺めていた。
すると、ベルンハルトが振る風圧と重石の過重に耐えきれず、剣は呆気なく折れてしまった。
折れてしまった剣を見ると、何事も無かったかのように次の剣に重石をくくりつけた。
この脳筋は毎日こんな事をしているのだろうか?
私は悶々としながら……ではなく、どう叱ってやろうかと考えながら、その場を後にした。
よし、この事は単刀直入に言った方が良いだろう。
早く言わないと、ベルンハルトはどんどん不機嫌になりそうだ。
「ベルンハルト。貴方の鍛錬方法では、武器が何本あっても足りません。代用品を探すか、鍛錬用の武器を実費で出してもらわないと困るのです」
「何かと思ったら、そんな事だったか。分かった、考えておこう。……それにしても」
「はい?」
「まさかアナスタシアに、覗きの趣味があるとはな」
「なっ!」
「やはり、あの時の気配はアナスタシアだったのか?」
バレていた?
いや、それは有り得ない。
私は物音も立てず気配を殺して覗いて……観察をしていたのだから。
私は必死になって否定をするも、その必死さがかえってベルンハルトの確信になってしまったようだ。
「何と言うか、意外だな」
「だから違います!」
「分かった分かった。他に用がなければ、俺は騎士団の指導に戻るが?」
「……分かりました。ですが、もし変な噂を広めたら、私は貴方を許しませんよ?」
「分かっている。お前の趣味は、俺の心に留めておくとしよう」
「だから!」
私の抗議も聞かず、ベルンハルトは立ち去ってしまった。
私としたことが、よりによってベルンハルトに弱みを握られてしまうとは。
これは早々に対策を考えないと。
さて、切り替えていこう。
まだ昼食までは時間がある。
今の内にウラド商会へ行って、発注を済ませてしまおう。
その後は、魔王様が美味しいクッキーを食べたいと仰っていたから、巷で人気と噂の店にでも行ってみよう。
噂を信用出来ないのは職業病だろうか。
実際に自分の目で確認しないと落ち着かない。
決して、私がクッキーを食べたいからとか、そう言った理由ではない。
問題は、その店が恋人達に人気だと言う事。
つまり、御一人様は入りづらい雰囲気なのだ。
さすがの私も、そんな雰囲気の店に入る勇気は無い。
誰かを誘うにしても、男友達や彼氏は居ない。
どこかに手頃な人材は居ないものか。
考え事をしながら歩くのは非常に危険だ。
目の前が見えていなかった。
だからこうして、ウラド商会に来ていた客にぶつかってしまう。
「悪い、余所見をしていた」
どこかで聞いたことのある声だが、悪いのはこちらの方だ。
「いえ、こちらこそ申し訳ありません」
私はすぐに頭を下げて謝った。
「ア、アナスタシア……様」
やはり聞き覚えのある声に顔を上げると、そこには驚いた様子のレイロフが立ち尽くしていた。
カグラの事を伝えた後、レイロフは外出届を出していた。
気分転換だろうと思っていたが、まさかウラド商会に来ていたとは思わなかった。
この脳筋め。
……そうだ、ここに良い人材が居るではないか。
レイロフは脳筋だが、顔立ちは整っている。
あの店に連れて行くのに相応しい人材だ。
「ところでレイロフ、この後の予定はありますか?」
「と、特にありません」
ならば好都合だ。
私は、どこか辿々しいレイロフを連れて、例の店に向かった。
そこは、最近出来たカフェだ。
小洒落た雰囲気は女性人気も高いのだろう。
そして、周囲はやはり恋人ばかりだが、こちらにはレイロフが居るから問題ない。
そのレイロフだが、ガッチガチに緊張している。
女性とこの様な店に来る事が無いのだろうか?
「どうしました? この様な小洒落た店は馴染みませんか?」
「そうですね……この様な店に来る事はありませんから。そもそも、アナスタシア様は俺に何をさせたいのですか?」
「この店では美味しいクッキーを食べられるとの噂があったのですが、なかなか1人では入りにくい雰囲気の店でしたからね」
レイロフは周囲を見渡して、顔を真っ赤にしている。
うんうん、やっと自分の現状に気付いたようだ。
この店にはほぼ、恋人達しかいない。
そんな店に、顔立ちの整った男性と容姿端麗な女性が連れ立って来店しているのだ。
私達だって恋人同士に見られていることだろう。
レイロフは顔を真っ赤にしたまま俯いてしまった。
本当に可愛い奴よのぅ。
しかし、こんな状態では一緒にいる私が参ってしまう。
少し元気づけてあげよう。
「……私と一緒にお茶をするのは嫌ですか?」
自分でも引くくらいの可愛らしい声で、レイロフに聞いてみる。
当然、可愛らしく見えるよう上目遣いも交えてだ。
これでキュンと来ない男性は居ないだろう。
……目的が違うな。
しかし結果的には落ち着いたようだから、私はレイロフの反応を楽しみながらクッキーを堪能しよう。
大変満足です。
とても美味しいクッキーでした。
クッキーもテイクアウトしたし、魔王城に戻るとしよう。
レイロフは……まあ良いだろう。
軽く放心しかけてるが、私には関係ない事だ。
魔王城に戻った私は、魔王様の寝室に向かった。
もう昼食になるし、そろそろ起きてもらわなければ。
私は魔王様の寝室の扉をノックする。
……返事はない。
扉を開けようとするも、珍しく鍵が掛かっている。
扉に耳を当てる。
物音はしない。
……嫌な予感がする。
私は開錠の魔法を使用した。
セキュリティーの為、魔王様の寝室の合い鍵は存在しないからだ。
しかし、今は緊急事態だ。
私の直感が、そう告げているから。
「魔王様!」
私は勢い良く扉を開いた。
そこはもぬけの殻だった。
普段閉じられている窓が開ききっていた。
言いようのない焦燥感に駆られる。
まさか、まさか、まさか、まさか。
ふと、テーブルを見ると、その上には手紙が置かれていた。
私はその手紙を見た瞬間、目の前が真っ暗になっていた。
良い男にうつつを抜かしていた罰が当たったのだろうか?
『しばらく出掛けます。探さないでください 魔王』