143 セルバンテス
十年前。
セルバンテスがまだ、力に固執していなかった頃。
ベルンハルト、セルバンテスの二人は、師の元で剣術に打ち込んでいた。
二人の師は表舞台に出ることはなかった。
それゆえ師は、知る人ぞ知る剣術の達人だった。
「ベルンハルト、セルバンテス。お前達に問う。力とは何だ?」
「力とは、相手を打ち倒す手段だ」
セルバンテスが答えた。
しかし、ベルンハルトはその意見に賛同しなかった。
「いいや、違うな。力とは相手に向けるものではなく、誰かを守るために振るわれるものだ」
ベルンハルトが主張するが、二人の師は首を横に振った。
「どちらも正しくあり、またどちらも間違っていると言えよう。……力とは、その身に宿るもの。単なる手段でしかない。その力をいかにして使うのか。何が正しく、何が間違っているのか。それを導く思考、そして間違った方向へ振るわぬ意思の強さこそ、真の力と言えるだろう」
師の言葉を聞き、首を傾げる二人。
「お前達には、まだ理解出来ぬだろう。だが、これだけは覚えておけ」
師は若き二人の肩に手を置いた。
「相手を倒すだけが、そして誰かを守るだけが力ではない。決して道を違えるな。もし、どちらかが道を違えたなら、奥義をもって止めるのだ。良いな?」
二人は大きな返事をした。
それを見た師は、安堵のような笑みを浮かべて見せた。
それから三年。
セルバンテスは故郷であるロムルス王国の兵団に所属していた。
師の言葉を理解するためた。
兵団に所属したセルバンテスは“順調”だった。
所属から間もなく腕を認められ、驚くべき早さで階級を上げていった。
美しい妻ができ、子供も産まれ、セルバンテスはその幸せを噛み締めていた。
しかし、それから数年後に悲劇が起こる。
その日、セルバンテスは山賊の討伐依頼を受け、部下を引き連れ近くの山を訪れた。
そこには、確かに山賊の住処が存在していた。
規模は、頭を含めて十人程度。
セルバンテスは、通行人を襲う山賊など、全員殺してしまっても構わないと思っていた。
しかし、セルバンテスの脳裏には、師の言葉が焼き付いていた。
こいつらを捕らえ、更生させることも、師の言っていた力なのではないか。
山賊達を倒しながら、そんなことを考えていた。
そして全ての山賊を倒し、残すは頭のみとなった。
「投降しろ。命までは奪わん」
しかし、山賊の頭はどこか余裕を見せていた。
「断ったら? 俺を殺すか?」
「……いいや、お前を捕らえる。もし投降すれば、更生後に自由にしてやろう」
それを聞いた頭は、大きな笑い声を上げた。
「俺はこの生活が気に入ってんだ。お前達に捕まるつもりはない」
そう言うと頭は、懐から取り出した物を地面に叩き付けた。
それは小さな爆発と共に、大量の煙を放出した。
「え、煙幕とは……」
「古くさい手法だが、だからこそ効き目はある」
頭の言った通り、セルバンテスの部下は突如の煙幕に混乱している。
セルバンテスですら、その場から動けずにいた。
ようやく煙が晴れると、頭は姿を消していた。
煙が晴れ、身動きがとれるようになった部下達は、倒した山賊達を洞窟の外へ運び出しているが、セルバンテスはその場に立ち尽くすだけだった。
「虐げられた者の居場所を奪ったお前を、俺は絶対に許さねえ。必ず復習してやる」
去り際に頭は、セルバンテスにそう告げていた。
たかだか山賊の一人や二人に、いったい何が出来ようか。
しかし、セルバンテスはそう思えなかった。
そして、言い様のない胸騒ぎを感じていた。
セルバンテスはその場を部下に任せ、足早に王国へと帰還した。
そう、この胸騒ぎは気のせいだと。
家に帰れば、妻と子供が出迎えてくれると。
しかし……。
家に辿り着いたセルバンテスが見たものは、真っ赤に染まった部屋と、変わり果てた妻と子供の姿。
その惨状を目の当たりにしたセルバンテスは、声を出せずにいた。
セルバンテスは妻と子供のもとへ駆け寄る。
妻は辛うじて息があるものの、これは最早助からない。
それは、セルバンテスが妻を抱き抱えた時に、目に飛び込んできた状態が物語っていた。
「あ……あなた……。ごめん……なさい……。この子を……守れなかった……」
「違う! 守れなかったのは我の方だ! 我が、あいつを捕らえていれば!」
「ごめんなさい……ごめん……なさい……」
セルバンテスは叫んだ。
力を正しき方向へ使おうとした。
その見返りがこれなのか。
大切な者を守れずして、何が力か。
……力が欲しい。
あらゆるものを討ち滅ぼす力が欲しい。
力が全てであると、師は間違っていると証明したい。
「力が欲しいか。ならば与えよう。お前にはもう、失うものなど無いのだからな」
突然の声に振り返ると、そこにはロムルス王の姿があった。
そして、ロムルス王の後ろには、山賊の頭が邪悪な笑みを浮かべていた。
「王よ! その者は!」
「ああ、こいつか。見事にお前から逃げ果せ、お前の家族を殺した犯人だ。そして」
ロムルス王はセルバンテスの髪を鷲掴みにし、高く持ち上げた。
「そうするよう命じたのは、この私なのだよ」
「き、貴様ぁ!!」
セルバンテスは剣を抜き、髪を掴んでいるロムルス王の手を切り落とした。
「何故だロムルス!」
「お前を、屈強な狂戦士へと作り直すためだ。お前の家族はその為の、尊い犠牲だったのだよ」
ロムルス王の手は、いつの間にか再生していた。
その手でセルバンテスの顔面を掴むと、そのまま床へ叩き付けた。
「お前が望んだ力だ。受け取るが良い」
セルバンテスの体に、ロムルス王のものではない魔素が流れ込む。
これは危険だと、セルバンテスの脳が警鐘を鳴らしているが、最早抗う術はない。
体が、自分のものではなくなっていく。
そんな恐怖も、体の内から湧き出る、未知なる力が掻き消していった。
言い様のない全能感。
セルバンテスは次第に、その力に酔いしれていった。
後に残ったものは、憎しみや怒りと言った、負の感情が入り乱れた混濁たる精神と、かつての自分では得られようもなかった力だけだった。
セルバンテスは、モンスターへと変貌したのだった。