第1章 メルダン王国の衰退 第3話
~2020年7月23日 0930 メルダン王国聖域 聖なる丘 魔法陣前~
集められた奴隷たちから抜き取った血を用いた魔法陣を敷き終え、100人もの魔法士たちによる詠唱も終盤を迎えた。
生きたまま血を抜かれ、眠るように死んでいった奴隷たちの屍が本隊に匂いが流れてこないよう、風下に山のように積み上げられていた。
ユリウスはその光景を目の当たりにして、この作戦を止められなかった悔しさを感じていた。
兵士たちは魔法陣を取り囲み、剣や槍を構えいつでも突撃できるように身構えている。
「――っ!?」
魔法士達が詠唱を終えたと同時に全員光を帯びて消えた。
グラン中将がその様子から異世界と接続できたのだと考え突撃を命令した。
「全軍突撃ーー!」
それを合図に7万の兵たちは魔法陣に殺到した。
ユリウスなどの頭脳組は、全員の突撃を見届けた後、作戦立案に必要な用具などを持ち、魔法陣へと向かった。
魔法陣を踏んだ途端、若干不快な感覚とともに視界が暗闇に包まれた。
瞬き程度の間をおいて再び光が差し込むと、そこは本に描かれていた"コウソクドウロ"のような橋、"コンクリート"と呼ばれる石か何かでできた四角い建物が立ち並んでいた。王城より遥かに大きな建物がいくつもあった。
ユリウス達が手持ちの荷物を確認し、作戦本部の設営に向け位置決定を行おうとした直後、
「イヤーーーー!」
若い女性の悲鳴が聞こえた。
悲鳴のした方向を見ると、敵国民と思われる女性を襲う王国兵士がいた。
ユリウスは隣にいた部下に荷物を渡して、急いで駆けつける。
「おい! いまは突撃任務中だぞ!」
「ちっ……。」
注意された王国兵士は舌打ちしながら、その場を離れていった。
ユリウスは参謀としての頭脳だけではなく、武術の才まであり、綺麗な剣捌きではないながらも、メルダン王国騎士団の隊長クラスと試合をして全勝を誇るユリウスには勝てるとは誰も考えてはいない。
当のユリウス本人は、まだまだ異世界人には及ばないと、常に劣等感を感じている為に、他人を見下すこともなかった。
走り去る兵士も分が悪いと考えて、この場から離れることを最善と判断したのだろう。
異世界のことについての本を読んでから十数年の間、夢に見てきた異世界人とのファーストコンタクトに若干の緊張を感じていた。
ユリウスはニホンゴという言語をある程度学んでいた。本に記されていたものはすべて理解している。
「コン……ニチハ?」
ユリウスは怖がらせることの無いよう、できる限りの笑顔で怯える女性に手を差し伸べた。
「いや! こないで!!」
ユリウスの手は怯える女性の反射ともいえる動作によって叩かれた。
正しい発音を知らないユリウスは片言でしかしゃべることができなく、日本人ではないことが誰にでもわかる。
女性の警戒心を抱くのは至極当然のことであった。
自らを律し続け、異世界との良い交流を目指して今日まで努力してきた彼にとっての記念すべきファーストコンタクトは悲しい結果となった。
流石にこの無念にユリウスは耐えきれなかった。
「各隊に伝令を送れ!! 戦闘の意思の無い者は生け捕りにしろ! 危害を加えることを禁ずる! 大本営まで一人残らず連れてこい!」
と当り散らすように命令した。
しかし、周囲にいた兵士達は一向に動こうとしない。ユリウスの変貌ぶりに戸惑っていることもあるだろう。
「し、しかしユリウス副参謀、王国民以外は皆等しく奴隷。……重要人物でもない限り、犯すも殺すも各自の判断に委ねられております。」
沈黙に耐えかねた一人の兵士が進言する。
帝国の兵士である彼の言ったことは、帝国で誰もが首を縦に振る常識だが、ユリウスはそれに対する幾年の不服と合いまって怒りの感情がとうとう爆発した。
溜まっていた不満を吐き出すかのように、激しい剣幕でもう一度命令を出すと、兵士達は一斉に伝令任務を遂行すべく走り出した。
普段からとても温厚と評判で、最下級の兵士にすら敬語と礼儀正しい対応で接し、何があっても声を荒げることなく冷静に対処し続ける彼がここまで怒りを露わにしていることに驚いていた。
兵士たちは彼の逆鱗に触れた理由も理解できないまま、副参謀の指令の伝達に向かった。
ふと震え続ける女性の肌蹴た服装から覗く、薄い水色の服にユリウスは興味を持った。メルダン王国の貴族夫人達や息女達が身に着けているブラとよく似ているが、装飾から見ても高度な技術によって編み出されたものだと解る。レースや光沢のある生地を使ったリボン。
このタイミングで女性の下着に技術的な面だが興味を持つ事は非常に良くないが、研究探求学習鍛錬を欠かさないユリウスにとっては、最早異世界に有るものすべてが長年求めてきた物であり、絵ではなく現物。長いこと異世界に滞在できるチャンスもそう無いであろうと考えているユリウスは、相手の警戒意識を逸らす意味でも有益な質問と考えて聞いてみることにした。
ユリウスは女性の胸を指を差す。
服を脱げと宣告されたと思った女性が青ざめる。
しかし、目の前に立つ青年の拙い日本語による質問で、それは勘違いだと知らせる。
「ソノ、ムネ、フク、タカイ?」
指差したり、自分の胸に手を当ててみたり、服を摘まんだり、必死にジェスチャーするユリウスを、残っていた付近の者は何をしているのかと疑問に思いながら静かに注視していた。
予想外の質問に一瞬キョトンとした女性は少し間を空けた後、勇気を振り絞って答えた。
「高くない。誰でも買える。」
ユリウスは"高い"と"ない"、"買える"の意味を知っている。決して彼女達にとって高価なものではないと分かった。
彼はもう一つの可能性についての質問を行った。
「アナタ、セイジカ?」
「政治家? 違うわ。」
「チガウ?」
「違う。いいえ。NO。」
否定の解答を確かに聞いたユリウスは考察する。
(この国の政治家が我々でいう貴族に一番近い地位にあたる。貴族じゃないとすると、下等国民でこのレベルの衣服を購入できるという事。かなりの規模の奴隷が居て国全体が裕福なのか、それとも安価に製造できる技術を持っているのか。いや・・・。その両方か。)
あの本には一割の"セイジカ"と呼ばれる貴族と巨万の富を築いている"ザイバツ"と呼ばれる商家と、9割の"シャチク"と呼ばれる奴隷によって、国が成り立っていると供述されていた。
平民という地位がなく、一部を除いて皆等しく平等な労働者。
ユリウスが最も恐れていた事が本当に起きてしまった。やはり、王国は王国よりも遥かに強大な国に戦争を吹っかけてしまったのだと確信した。
そう考察していると、周囲からけたたましい破裂音が聞こえ始め、これは自軍の大砲が火を噴き始めたのだとユリウスはすぐに気付いた。
一際大きな建物をグラン中将達は敵の王城と思い込み、侵攻を開始した。
主力は敵の王城に攻め込み、遊撃隊は周辺の哨戒に当たっている。
王国兵士たちが王城と思い込んで、大砲による攻撃で無残に削られていく京急蒲田駅。
間違った解釈で作戦が進行していることを理解したユリウスは、この戦いに勝機がない事を悟っても尚、任務に戻ることにした。
速やかに退却でできるように布陣を練り直す必要がある。
だが、ここに彼女を置いていくことも憚られる。
(連れて行くか……。)
ユリウスは半ば強引に女性の右腕を掴んだ。身の危険を再び強く感じた女性はギュッと目をつむる。
それに構うことなく彼女の右手首を左手で掴み、右手で握手した。
そして、できるだけの笑顔を見せた。
突然の行動に彼女は眼を見開いた。
これもユリウスの読んだ本に記されていた"アクシュ"。異世界の親交文化だそうだ。
大人しくなった異国の女性の手を引いて、すでに設置を終えた作戦本部に向かった。
~2020年7月23日 1000 メルダン王国聖域 聖なる丘 魔法陣前~
黒い地面に杭を打ち込むのが難しくテントを張れなかった為か、作戦本部は青空天井となっていた。
参謀たちや、本部勤めの兵士たちから好色の目を向けられながらも気に留めずに歩く。
「遅いぞ! ユリウス! 城の攻略は既に始まっている。会議を行う前にその隣にいる乳のデカい女はなんだと聞いておこうか? ユリウス……。後輩たちから好意を向けられても気にも留めなかった為に男色とすら噂されたお前が……。まさか!? お前は異国民が趣味なのか!?」
わざとらしくおどけて見せたのはユリウスの補佐官で参謀見習いのバロン。
彼はユリウスより後にフォーリア大学に入学した同い年の男。あるごとにユリウスを蹴落とそうとする本当に腐った縁という意味での腐れ縁だ。
作戦の邪魔をすることがあるが軍法会議にかけられない程度で、最低限のラインを踏み越えることは無い。そこまで大きな邪魔はしてこない為、ユリウスの多彩な兵法により戦況が覆ることは無く、ユリウス自身はあまり気にしていなかった。
バロンが指摘した異国民好きというのは基本的に嫌われる傾向にある。王国の血を薄くする愚かな行為であり、王国民以外は皆等しく奴隷だと思っている彼らからすれば好き好んで奴隷を抱く者は見ていて不愉快なのだ。
……という建前を掲げている。結局は好みの娘がいれば躾とか適当な理由をつけて抱くことが多い。
参謀たちはユリウスに冷たい視線を送る。ユリウスはそんな会話は無かったかのような態度で、すべてを無視し、作戦立案を開始した。
「参謀長は?」
ユリウスはこの場にいない上長を所在に疑問を抱いた。
「参謀長は尋問中です。敵の貴族階級を思われる女を捕まえることに成功したので尋問を行うと。」
「敵に国の言葉もわからないのに? それこそ異国民好きじゃないのかねぇ……。」
ファーストコンタクトの無念さが心に強く深く突き刺さっていたユリウスは普段は口に出さない自身の内心をため息交じりにつぶやいた。
参謀長への愚痴は当然バロンの耳に届き、
「上長になんてことを!! ユリウス副参謀長今の言葉を軍紀違反とし、軍法会議にかけさせてもらう!! そこの兵士! こいつを牢屋にぶち込んでおけ!」
そう言い放ったバロンはやっとユリウスを蹴落とすことに成功したと確信し、心の底から喜んだ。
ユリウスに嫉妬を抱く者は多く、その場に反論するものは居らず、ユリウスは見做し的に解任となった。
ユリウスは絶望した。任を解かれたからではない。自らの心情を優先し、戦力を削ぐような腐った上層部では、侵略するどころか撤退すら出来ずに全滅すると。同時に自分の軽率な発言に後悔した。
だが、来るべき時のために日本国に対等とまでは行かなくとも、属国になるようなことは絶対に避けるべく動く必要がある。
その為にはこの作戦に参加した兵士達を少しでも多く元の世界に、是が非でも帰還させ、移転魔法陣を包囲して守りを固めることが先決であり、ここで終わるわけにはいかないのだ。目の前にいる兵士たちの命を無駄にするような上層部たちを皆殺しにしてでも完遂しなければならない。
自らの失言から招いた事とはいえ、ここでおめおめと捕まる訳にはいかない。
ユリウスは剣を抜き、何が起きているのか全く分からないといった顔で立ち尽くす異国の女性を自らの背に引き寄せた。
「ユ、ユリウス! 貴様乱心したかっ! こ、殺せ! こいつをすぐさま殺せ!!」
流石にユリウスが剣を抜くとは思っていなかったバロンは動揺しながらの命令を下したが、それが遂行されることはなかった。
バラバラと音を立てながら現れたソレによって、兵士たちはあれは何なのかと棒立ちになっていた。
そして、1分も立たぬ間に、上空に現れた異形の竜によって作戦本部は壊滅する。