奈良落語 「身入り」
えー、先輩後輩の関係というのはシビアなもので、お互いにナメられたら最後、とついつい気を張ってしまうものでございます。これが冗談を言いあえるくらいの仲でしたらいいのですが、さて、その関係になるまでが難しい。
これが学校の先輩後輩でしたら、まあマシなものでございます。
と申しますのも、1歳、2歳の年の差でしたら共通の話題もございましょうが、これが仕事となると10歳、20歳、はては後輩のほうが年上だったりすることもあるわけでございまして。
さて天気のことくらいしか話のネタがない、なんてこともございます。
さてさて。
相手が何を言ってるのかわからない、これは年の差ばかりが理由ではございませんでして……
「おい、何してる木村。約束の時間に遅れるだろ。早く歩け」
「ま、待ってください先輩。あ、足が痛あて、かなしませんねん」
「……は? 悲しませないってなにが? 俺をか?」
「へ? なにって? なにが悲しいんですか先輩」
「いや、俺が聞いてる」
「え? あ、違います。かなしません、敵わないって言うたんです。足痛くて、かないませんて」
「バカタレ、最初からそう言え。東京本社に来たからには、きちんとした標準語つかえ」
「は、はい、気ィつけとるんですけど。あ、いえ、気をつけてるんですけど、つい……」
「まあ若いんだからすぐ慣れるだろ……って早く来い!」
「せ、先輩。も、もうちょう、ゆっくり歩いてください」
「木村。いまなんて言った?」
「へ? なんスか?」
「盲腸ゆっくりってなんだ?」
「盲腸ちゃいます。もうちょう! もうちょっとゆっくりって意味っスよ」
「お前な、奈良の方言きつすぎるぞ。ちゃいますってのもやめろ」
「あ、あの先輩。もうちょう、じゃないもうちょっと、ゆっくり歩いてください」
「一体なんなんだ。会社出てからの、そのヒョコヒョコ歩きは」
「いや、両足とも身ィいってるんスよ。もう、痛て痛て……」
「なに?」
「こないだの連休に、奈良の実家に帰ったんですよ。したら……」
「待て。さっき何て言った?」
「奈良」
「バカ! ちげえよ両足がなんとかって言ったろ」
「身ィいってる」
「ミニってる?」
「身ィいってる」
「ミイとテル」
「身ィいってる」
「なんだ、その……なんだって?」
「あれ? 言いませんか? 身ィいってるて」
「聞いたこともねえよ……なにしてる、早く来い!」
「せ、先輩が早すぎますねんて。僕、身ィいってんのに」
「だからどういう意味なんだ?」
「え? マジで知りませんか? ほなクイズにしましょうか。まずヒント①……」
「答え言え」
「えー、正解は筋肉痛でした」
「なんとなくそう思ったよ。奈良じゃ筋肉痛のことを、身っていうのか?」
「いえ、言いません」
「……なんでだよ。「身」ってのが筋肉痛って意味だろ?」
「身ィって言葉はないです」
「……あ……え?」
「だから「身ィいった」でひとつの単語なんすよ。筋肉痛になるってゆう意味の」
「じゃあ、筋肉痛のことはなんていうんだ?」
「筋肉痛は筋肉痛です」
「じゃ「いった」って何だ? 痛いってことか?」
「え? 「いった」はホラ、「入った」やから「入る」ってことです」
「じゃあ「身が入る」でもいいわけだな?」
「身が入るは、集中するって意味スよ。勉強に身が入るとか」
「お前、俺をキレさせる気だろ」
「ちょ、ちょ、ちょう、待ってくださいよ。ホンマなんですって!」
「じゃあ、筋肉痛が治ったらなんていうんだ。身が出た、か?」
「治ったときは、筋肉痛なおったです」
「つまり……「身が入る」ってのは、足の中身がパンパンに腫れてるってことか?」
「そ、そうゆうことです! すごい近づきました。そんな感じです」
「じゃあ、たい焼きの中身がたくさん入ってたら、たい焼きの「身が入ってる」って言うのか?」
「いえ、アンコぎっしりって言います」
「……もういい、いくぞ」
「あ、ちょう! 待ってくださいって。先輩、お、置いてかんといてください。僕、東京の道わかんないスよ。はあ、はあ、待ってください。あ、痛い、いたい。足、足が痛た、悪なる! 足、悪なります! 赤なる! 小指こちょばなってきた! あ、せ、先輩! わ、い、いきなし、え、えらい人やんけ。ちょ、のいとくんなはれ、すんません、ちょう、のけとくんなはれ。せ、先輩、あ、あかん、もうめえへんようなってもうた。先輩! 待ってください、先輩……」
明日は我が「身」でございますゆえ、どうぞご用心ご用心。




