タペストリー
次の話は明日の18:00に
私はとある聖堂を訪れていた。
その目的は、過去の勇者が遺したとされるタペストリーを見ること。
そんな私は過去の勇者から200年後に召喚された、当代の勇者である。現在王都に向けて、その過去の勇者が倒したといわれる魔物が侵攻してきており攻略に難儀しているため、ヒントを求めてここにきた。
王城に保管されていた勇者の手記から、そのヒントがこの村の聖堂にあると知れたのは不幸中の幸いである。
私はそれを切実に求めていた。現在侵攻中の魔物は既にいくつかの街や村を飲み込んでいるため、早期に解決手段を王都へ持ち帰ることが私に望まれている。
「こちらが、お探しのタペストリーでございます」
神父が恭しく机の上に伸ばしていったのは、思っていたより小さなタペストリーだった。長机1個分くらいだろう。しかし、しかしだ。
「…」
ーー下手くそーッ!
いや、もしかすると下手ウマ?下手ウマの類いなのかも?私は仮にも200年前に世界を救ったという勇者の聖遺物に対して、大変失礼な思いを抱いてしまった。
「見事でしょう。魔物のおどろおどろしいさが描かれている反面、どこか神聖さがある」
「あぁ…」
その素晴らしさは塗料と風化の力のおかげの間違いではないですか?とは言えなかった。また、純粋に勇者の地の美術力を考えてもそうなのですか?とも。
これはたとえ素人の下手ウマ描いたものでも、思いを込めて描かれた、人々の信仰の光なのだ。そう思うと、下手ウマだのなんだのと茶化す木は萎んでいく。
描いただけ、すごい。すごいのだ。
「さて、本題に入らねばなりませんね。あなた様がお探しの絵柄はこちらです」
「あ、大きい」
「えぇ、最も重きを置かれたと言われる部分ですから」
神父が示したのはタペストリー中央に鎮座する、タペストリーの中で最も面積を占める絵柄である。そりゃあ重要に違いないだろう。
また、その下の細かな文字も示された。そこにはこの国の文字と、私にとって懐かしく、また、この世界で見ることは叶わないであろう文字が小さく、ほんの少しだけ記されている。それを見た私は、この偉大なるタペストリーを一生懸命描いて遺した勇者に心から敬意を表し、しばし目をつむった。
「勇者様?」
「えぇ、これであの魔物を倒せそうです」
ありがとう、過去の勇者よ、先達よ。そこにはしっかりと、襲い来る魔物の弱点や攻略法が描かれ、書かれていた。
ーー攻略のために用意するものがかなり多い。私は急いでタペストリーから読み取れる必要そうな部分のメモを取ると、神父に礼を言い、足早に聖堂を辞した。
魔物を倒したら、今度は鑑賞のためにまたこの地を訪れようと思う。タペストリーはよくよく見ると、装飾部分やメインの絵の周りの部分の小さな絵などは精巧なーーちゃんと画家が描いたらしきものが散りばめられていた。今度はそのあたりをしっかり鑑賞したい。
「…うん」
そして私もまた、何かを遺そうと思う。
あのタペストリーは結構年季が入っていて、仮に次の勇者が200年後に訪れるとすると持たないだろう。そうでなくてもまた勇者は呼ばれ、魔物は復活するのだから、資料があるにこしたことはない。
『復活するクソッタレ』
小さく、今のところこの世で私だけが読める言葉で書かれたその情報は、時を越えた長い戦いを予感させた。私の代ではあの魔物は滅しきれないだろう。私は平均的な勇者だから。次代に期待だ。
さて、これで私の今後の方向性が決まった。
私は王都への転送魔法陣を踏み、思考の海からあがる。戦いが私を待ち構えていた。
【ある勇者の描いたタペストリー】
聖遺物と呼ばれる。
王国を襲った巨大かつ凶悪、強靭な魔物・ディスムルペルイを倒すまでのことが描かれている。
その出現から始まり、どのような被害が起こったのか、勇者側からどのような攻撃が行われたかなどが描かれている。
記録によると、主だった絵と文字は勇者によるものだが、細部の装飾や仕上げ等は勇者の依頼を受けた画家によるものとされている。
その画家の名は不明で、実在したかの論争が時々発生する。
なお勇者が書いたとされる文字は今でもきちんと読めるのだが、時折どこの国のものでもない奇妙な文字で記されている部分があり、その解読は未だに進んでいない。
【ある勇者1】
聖遺物であるタペストリーを完全に読み解くことで、復活した魔物・ディスムルペルイの討伐に成功した『知の勇者』。
ディスムルペルイの討伐後は、魔物の弱点や習性、撃破方法などを国や教会が管理し、後世に引き継いでいく必要があると訴え、国立魔物研究所の迅速な立ち上げに貢献したとされる。
なお研究所が立ち上がってすぐに自身が倒した魔物の詳細を引き継ぎ、姿を消す。
一説によると異界からの使者であったとされ、元の世界に戻ったという。
【ある勇者2】
魔物・ディスムルペルイを初めて討伐し、その情報をタペストリーに遺したとされる人物。
記録が不自然なほど残っておらず、その人物像や出自は不明瞭である。
何者かがその記録を破棄し尽くした可能性について近年議論されている。
しかし断片的な記録や吟遊詩人が歌う内容から、明るい性格だったのはほぼ間違いないと推測されている。
我々の感覚でいうと、画伯。




