翼をください(後)
高校三年。気持ちとして、子どもでいられる最後の年だ。思えば、高校は義務教育ではなかったのだが、中学校を卒業した流れに乗った形だったので、受験をした感覚がしない――いや、これは浪人をすることがなくどこかしらの高校に入ることは出来たという意味であって、その時はその時なりに受験勉強を頑張っていたように思う。
ただ、これは確信をもって言える。
高校受験の際、志望動機なんてありはしなかった、と。意欲のないまま、進学するというのはそこはかとなく恐ろしいものがあるが、それでも何とかやっていけたのは、これまでの話。
大学への進学は違う。自分の意欲とそれに基づいた努力がなければ、とてもじゃないが、やっていけない。自分の努力が実らないかもしれない、成功した人の栄光をただ眺めているだけになるかもしれない、そんなことを考えたくなくとも脳裏に焼き付いて離れない、そんな中で勉強しなければならない状況はストレスが溜まる。
何より、最近美羽と会う機会が減っていることが、俺にとっての懸案事項だ。受験勉強でお互い忙しいにしても、それにしたって会う機会が少ない。なんとなく、彼女から避けられているような気がする。
俺が何か彼女に害するようなことをしたのだろうか。まるで心当たりがない。もしかして、彼氏ができたとか。それもないな。これは俺の願望があることも否めないが、それでもありえないと思う。
色々と考えすぎて、勉強が手につかなくなりそうだ。だが、やらねば。やらなくて失敗することがとても怖いから、そんな怖さに突き動かされるように、俺のシャーペンは止まらない。
俺は独りだとこんなにもろかったのか。
高校を卒業した俺、勝利である。
大学に合格した!
華のキャンパスライフが俺を待っているぜ!
六行前の俺とだいぶテンションに差があると思われるかもしれないが、そんなこともどうでも良くなるくらいの欣喜雀躍ぶりである、我ながら。
そして、俺をここまで浮かれさせたのは、美羽から久しぶりに会いたいという連絡があったからである。たまに会うことはあっても、短い会話で終わってしまうばかりだったので、こういうチャンスがあるのはとても嬉しい。
場所は、公園――俺と美羽が初めて会ったところだ。何か深い意味があるのではないかと考えてしまうが、まあ表には出さないでおこう。最近の美羽はやけに鋭いからな。
「…………久しぶり、だね」
すでに来ていた美羽は、俺にそう声をかけた。久しぶりに会う彼女は、何というか雰囲気が様変わりしていた。服装も髪型も顔つきも背丈も、何も変わらないが、言葉で言い表せないような迫力にも似たものを感じる。これはなんだ?
「うん。それをちゃんと説明しようと思って…………、ごめん。もうアンタが口に出して言った言葉と、そうでない言葉の区別がつかないの」
ああ、そっちか、と、俺は思ってしまった。不思議なほどに、胸にストンと落ちるものがある。
意外じゃない。
いつか、こんな日が来ると思っていた。
「あまり良い話をできないのは、なんとなくわかるよね。
「私の、アンタとの十三年間の話。あっという間だったよね。……別れ話みたいな切り出し方をやめろって? まあ、聞いてよ。
「まあ、アンタも何か感じたんだろうけど、今の私はもうあらかた力が戻ってるんだよね、――天使としての。
「いつだったか、冗談みたいに言ったことがあったよね。嘘みたいだけど、本当なの。ほら、アンタが言ってた天使の輪っかと白い羽も、この通り。
「……もっと、驚いてくれても良いのに。反応薄いなあ。
「でも、アンタには気づかれてもしょうがないか。ずっと、そばにいてくれたもんね。
「私ね、昔天界である禁忌を犯してしまって、地上に追放されてしまったんだ。たった独りで。
「だから、寂しかった。とても寂しかったの。そんな私の目の前に現れたのが、アンタだった。
「この際だから言っちゃうけど、嬉しかったよ。救われた。本当だったら、天使が救う側なはずなのにね。
「ありがとう。私、私、アンタのことを……
「それを言って、どこへ行くつもりだ!」
俺は美羽の手を掴んだ。
あの時のように、あの時よりも、固く、堅く。
「さっきから黙って聞いてれば、これで最期みたいな言い方をしやがって! 天使なんて知るか! お前はお前だ! 俺を残してどこへ行くつもりなんだよ」
「離して」
「俺もこの際だから、言ってやる! 初めて会った時から、お前が好きだった! これから先も俺のそばにいてくれ」
「離してよ」
「大学の準備もあるが、これから春休みだ。一緒に出掛けよう。海の魚に興味があるって言ってたよな。水族館に行こう。この近くだったら……」
「離してって言ってるの‼」
「…………」
彼女の言葉でなく、その表情を見て、これ以上俺は言葉を紡ぐことができなかった――初めて会った時と同じように、彼女は目を真っ赤に腫らして涙を流していたのだから。
「…………なあ、美羽。お前、天界とやらに帰るのか?」
「うん。もう、帰る時が来たから」
「お前がここに残りたいと希望すれば、それは通るのか?」
俺がそう訊くと、彼女は瞳に溜まった涙を散らすように、首を横に振った。
「どうしたいのかじゃなくて、どうすべきかが優先されるから。そして、決める権利を私は持っていない」
「そうか、それは残念だな」
「諦めちゃうの?」
「諦めないでほしいのか?」
「うん、なんかムカつくから」
「…………じゃあ、どうしろってんだよ」
「わがまま聞いてもらっても良い?」
「断る。これ以上、わがままを聞くつもりはない」
「だめ? 私のこと好きなんでしょ?」
「そういうところは嫌いだ」
「ちぇっ」
「で、なんだよ、わがままって?」
「聞いてくれるんだ。大丈夫、難しいことじゃないから――――私を、忘れないで」
「ははっ、忘れるなって、言われてもな。一生忘れられねーよ」
「良かった。他のみんなには記憶を消して、私がはじめから居なかったことになってしまうから」
「記憶をいじれるのか。両親がいるかのように見せかけてたのも、それと同じ理屈だな。便利なもんだな」
「アンタ、何だか淡泊になってきてない?」
「淡泊? 俺がそんな余裕があるように見えるか?」
「ごめん」
「で、もう行っちゃうのか?」
「うん」
「最後に一つ聞いていいか?」
「なあに」
「十三年なんて中途半端な時期でここから去る理由はなんだ? もっとキリの良い年数になるもんだと思うんだが」
「……本当は分かってるんじゃないの?」
「……ああ、だが、なんだか認めるのがシャクでな」
「それなら、答えないでおくよ」
「ああ」
「じゃあ、もう行くね」
「ああ、元気でな」
「さよなら…………私も、だいすき」
美羽はそう言い残して、一本の光の線と化し、天へと昇って行った。別れにしては、あまりに淡泊なやり取りだった。それにしたって、美羽にはこの情けない俺の表情を誤魔化すことは出来なかったが、仕方がない。
俺の青春は、これで終わった。
さよなら、美羽。
翼のない俺だから、地べたを踏みしめて、明日への今日を生きていこう。
ここで話は一区切りです。要望あって、続きを書かせていただきましたが、ここで読了していただいても構いません。読んでいただき、ありがとうございました。




