翼をください(前)
サークル活動で、「羽」をお題に書かせていただきました。よろしくお願いします。
俺がその天使と出会ったのは、五歳の頃のことである。
いつも遊びに行っていた小さな公園のベンチ。そこで俺と同じくらいの背丈の少女が空を仰いでいた。色素の薄いショートカット。真っ白なワンピースを着ている。彼女の頬には細い涙が伝っていた。
「どうした? どこかいたい?」
俺はそんな風に声をかけたように思う。こちらを振り返る彼女の瞳は溢れそうな程に大きく、涙で潤んだ眩さに、俺はゾクゾクした。この感情はなんだ。この時の俺は、初めての感情を言葉で言い表すことが出来なかった。
「ううん、いたくはないの」
澄んだ空気を通り抜けるような声で、彼女は答えた。
「いたくは、ない。けれど、とてもさみしいの。わたしはひとりになってしまったから」
「ひとりがさみしいのか? まいごか?おとうさんとおかあさんは? きょうだいは?」
同じ迷子になり得そうな子どもがこれを言っていると思うと、今となっては笑える。
「いないわ……いないこともないけれど、いまはてもあしも、つばさもとどかないところにいるから」
そう言って、目を真っ赤に腫らしながら、口端を持ち上げる。なんだかいたたまれない気持ちになって、俺は彼女に近づいた。そして、彼女の小さく冷たい手をぎゅっと握る。
「それなら。それなら、おやにもきょうだいにもなれないが、おれがともだちになってやるよ」
「コラーッ、早く起きろ、このねぼすけさんめーっ‼」
平衡感覚を失ったまま、俺の頭と背中に鈍い痛みが走る。どうやら、俺はベッドから転がり落とされたらしい。
頭をさすりながら、声の主を見上げると、そこには高校の制服を着た美羽が仁王立ちしていた。人様の部屋で踏ん反り返っていた。
「もうちっと、優しく起こせないのか?」
「ゼータクゆーな。可愛い幼馴染に起こしてもらえるだけ、ありがたく思え」
「へーへー、おはようさん」
「うん、おはよう。おばさんがもう朝ごはん作ってるから、早く着替えて下に降りてきてよ」
「おう、今着替えて良いか?」
「せくはらっ!」
美羽は大きな音を立てて、俺の部屋のドアを閉めた。
朝一番のセクハラは最高だぜ。
しかしまあ、余裕がない朝だ。美羽の言う通り、支度を急がなければ。
「それにしても、随分と懐かしい夢を見たものだ。十年前に公園で出会った少女は、いつの間にか俺の家の隣に住んでいた――前日までは、そこは空き家だったはずなのに。そして、その少女――美羽は両親との三人家族なのだが、仕事が忙しいだとかで、この十年、美羽の両親に一度も会ったことがない。これは普通なのか、異常なのか。ともかく、俺と美羽は幼稚園から高校までを共に過ごし、美羽が言ったような幼馴染という関係になった。
全国の男子たちよ、羨ましいか?
美羽は昔から可愛いとは思っていたが、大きくなるにつれて、その美しさが花開き、見事な美少女へと成長した。他人のことながら、これは誇りたい。
さて、その関係性についてだが、現状、俺たちは恋愛関係ではない。俺に関しては一目惚れだったから言わずもがなだが、美羽の方はどうかわからない。特別親しい間柄ではあるものの、美羽が俺をそういう風に意識しているかどうかは、まだ確信が持てない。いつか告白しようとは思っているが、美羽の想いと、――ついでに言えば、自分に自信が持てるまではまだ出来ない。
ヘタレと言わば言え。結構エネルギーが要るんだぜ、こういうの。
ま、とにかく、俺と美羽を渦巻く状況はこんな感じだ。
今日も俺は、彼女と登校する。
「アンタ、何長々と呟いてるの? 気持ち悪いよ」
「漏れてた⁉」
おかしい! これはモノローグのはずなのに!
「だって、最初の方に鉤括弧があったもん……全部は聞こえなかったけど」
「マジでか!」
これは不注意だった――しかし、この様子だと、恋愛云々のくだりは聞かれていなかったようなので、胸を撫で下ろす。助かった。モノローグで告白とか、風情も何もあったもんじゃない。
「ああ、そう言えば、今日って進路希望調査があったよな。まだ俺ら高一なのに、早くないか? 大学どころか、高校生活ですらあっぷあっぷなのに」
「………………」
「ん、美羽?」
「え、ああ、うん。そうだね。でも、こういうことは、早くから考えておくに越したことはないんじゃないの」
「確かに、それはそうなんだけどな……。自分が三年後にどうなってるかなんて、見当もつかねーよ。多分、進学するんだろうが。美羽はどうだ?」
「私は……、うん、私もそうかな」
「だよな。少なくとも、俺はあと三年ぽっちじゃ社会には出られないな。まだまだ、ガキで居られる猶予が欲しい」
「ホント。アンタ、背丈以外は子どもの頃と全然変わんないもんね」
「んだと! そういうお前は……、割と大人だな」
「今どこ見て言った?」
「何も見てねーよ。お前の順調に育ってるたわわなんて、全然見てねーよ」
俺がそう言うと、美羽に蹴られた。むこうずねを、ローファーで。
「ぎゃあああああああああああああああああああああああ!」
「うっさい。そんなことばっか言ってると、むこうずね蹴っ飛ばすよ」
「もう蹴ってるじゃねーか! いてー、いてー」
「あと、そんなマンガみたいにわざとらしく悲鳴をあげてるのって、見ててイタいよ」
「いたい…………そばに?」
「居たいじゃなくて、イタい! なんで、これ以上アンタのそばに居なきゃいけないのよっ!」
「はっはっは」
こんなことをやってる内は、まだまだガキだな、と我ながら思った。
高校二年になった。俺と美羽はもちろん無事に進級し、神のどんな采配なのか、同じクラス歴十一年目を更新した。
この頃にもなると、大学受験がチラつきだし、意識の高いやつはもう進学先を見据えた勉強を始めていた。
俺はといえば、行きたい大学はまだ定まっていないが、薄らぼんやりと文学部に行きたいと思うようになっていた。意外に思われるかもしれないが、俺は読書が好きで、得意科目も文系教科だ。国語でやっているような文学作品の読解に、より深く取り組みたい。就職にはあまり有利じゃあないかもしれないが、まあ何とかなるんじゃないだろうか。
「なあ、お前はもう行きたい大学とか決まってるのか、美羽?」
俺は小声で、向かい合わせに座ってテキストを開く美羽に訊いてみた。ここは図書館。大きな声は出せない。
「大学はまだ。けど、学部はもう決まってるよ。アンタとおんなじ」
「そうか。……って、あれ? 俺、学部は決まってるって、お前にまだ言ってないぞ」
「え、でも、確かに聞いたよ、私」
「いやいや、言ってない言ってない。大事な事柄だ、言ったことを忘れるなんてないぞ」
「…………もしかして、力が……?」
右手を口元に添える美羽。
「……力? 力って、なんだ?」
「なんでもないのよ」
「いや、でも、」
「なんでもないのよなんでも!」
「声がデカい」
俺は周囲を見回し、誰も特に気にしていないのを見てとってから、再び美羽に視線を戻す。
「いきなりどうしたんだよ」
「ごめん。…………でもさ、アンタ結構周りに気を配れるようになったよね」
「これもいきなりどうした、藪から棒に?」
「ううん、なんとなく。ちゃあんと成長しているようで、何よりだよ」
「お前はどのポジションで喋ってるんだ」
「……長年、アンタを見守って来た天使?」
「よりにもよって、変なところを突いてきたな。天使って、お前輪っかがないだろうが。あと、羽も」
その他の見た目は割と天使として不足はないんだよな。まあ、冗談だけどな。冗談だよな?
「……………………」
すると、美羽が急に頭を抱え出した。どうした、頭痛か⁉
「頭は痛くない。…………あと、今のは、冗談だから」
見るからに具合が悪そうだから、心配になる。
ただ、それ以上に、俺は困惑してしまう。
なんでお前、俺が口に出してないことがわかるんだ




