上層にて
上層へ向かう階段を上るにつれて、目に見えるように黒い瘴気が空気中に混ざり始めているのを見て、彼女は顔を歪ませた。
正直、これほどの瘴気……何をどうやって造り出したのかと言いたいし、この中で普通に活動できる人物はあまり居ないとしか言いようが無かった。
「あのゲス……、思い切りクロウがしたことの真似っこじゃないですか。……いや、神をどうにかするのは自分のオリジナルなんでしょうけど……」
嫌そうな顔で呟きながら、彼女は握り締めたワンダーランドに練り上げた魔力を込め……『火』と『聖』の属性を与えて解き放った。
瞬間、複数の光り輝く炎がまるで狐火のように彼女の周りに出現し、煌々とした輝く炎が黒い瘴気を消し飛ばした。
瘴気がジュッと音を立てて消し飛ばされる度に、周囲から悲鳴に近いような声が洩れていたが……きっと気のせいだと言うことにして先に進んだ。
それからしばらく進み、彼女は上層のカーシの街長の家の前へと辿り着いた。
「これは……濃いなんてものじゃない……ですね」
呟きながら、彼女は《鑑定・極》で表示される周囲の情報を見て、顔を曇らせた。
中層から上層に向かう際に気づいたことだが、どうやら《鑑定》は見たい物をジッと見ることでより詳しい情報が見ることが出来るらしかった。
だから、空気を見るようにしてみたら、空気中に含まれる『瘴気濃度』が見えるようになっていたのじゃった。
便利じゃよな。こう……くじ引きをするときに使ったら、中身が丸分かりじゃろう? ん、ズルは良くない? そうじゃな、かかかっ。
っと、話が反れてしもうたな。中層で彼女が見た空気に含まれる瘴気濃度は『中』だったのが、上層だと『特大』となっておったのじゃ。
正直、こんな所に生きている者が居たらどうなるかと言うとじゃな……。
『あ、ア、A……助KEテ……』
助けを求める声を上げながら、自分を見て顔を紅く染めていた門番エルフが近づいてくるのを彼女は見ておった。
しかし、その顔はドロドロと融けており、人の形を保てなくなり……まるでエルフの形をしたスライムのようになっていたのじゃ。
少しだけ残った理性が助けを求め、理性を塗り潰して行く本能が目の前に居る彼女を欲望のまま滅茶苦茶にしたいと近づいて来ておった。
「……ごめんなさい、あなたを助けることが出来ません。だから、せめて安らかに……逝ってください」
近づいてくる門番エルフだったものに、哀れむように言い……彼女は魔力を練り上げ、属性を与え……解き放った。
直後、彼を包むようにして……炎が上がり、黒くなっていた彼の身体を燃やし始めていった。
門番エルフは炎に焼かれながら、何処か清々しい表情を浮かべながら口をパクパク動かして、消えて行った。
彼が何を言ったのかを理解し、彼女は泣き笑いを浮かべ……「こちらこそ」と呟いて、大扇を構えた。
「息苦しいので……、祓いますっ!!」
そう言って、彼女は工房で放ったよりも強力な《浄化の光風》を上層に巻き起こした。
声にならない悲鳴が周囲から聞こえる中で……どす黒い瘴気が祓われ、ゲスが襲い掛かってきたときの抵抗の跡らしきものが周囲にあるのに気がついた。
何かが押し潰されて出来た赤黒い壁のシミ、腹に穴が空いているが装備していた者が居ない鎧、臓物がこびり付いている岩。
それらを見て、彼女は何とも言えない気分にさせられ……彼らの冥福を祈るために、静かに手を合わせたのじゃった。
そして、蹴破られた長の家の扉を見て、そこへと彼女は歩き始める。
「待っていてください、ティア」
呟いて、彼女は家の中へと入っていった。
家の中を進み、食堂となっている場所でも押し入ってきたゲスに抵抗しようとした跡が分かるように、テーブルが砕かれ……、ヒノッキに向かう前に取った朝食の風景とはまったく違っており、腹立たしい気持ちと同時に悲しいと彼女は感じたのじゃ。
そう感じつつ、彼女は移動を再開し……今度は長の部屋の扉を開けるために手を掛けた。しかし、ただ付いてるだけだったらしく、バタンと音を立てて扉は前に倒れた。
いきなりのことに彼女は驚きかけたが、中を見た瞬間――そんなことはどうでも良くなった。
「ッ!? ……カーシ、様…………」
執務用の机に座るようにして、カーシは息絶えていた。
それを見た彼女は、手を合わせたが……一つ疑問に思ったのじゃ。
瘴気に汚染された場所であったのに、何故カーシは身体に何とも無いのか……と。
いきなり起きてこないかと注意しながら、カーシの亡骸に近づくと……抉られた胸に何かが埋め込まれているのに気づいた。
それは、どす黒く……吐き気を催すかのような気分に陥らせるような珠のようであった。ただし、ヒビが入りすぎている上に……肌に張り付いているようだった。
「これが原因で……融けていない?」
呟きながら、《鑑定・極》を使ってカーシの亡骸と珠を見てみたのじゃった。
その結果、カーシの亡骸の瘴気汚染度は『手遅れ』となっておった。
だが、更に驚いたこと……それは胸に付いた珠だった。
――――――――
名称:壊れた黒瘴珠
説明:
ある魔族が別種族の名のある武人を殺すよりも、自分たちの陣営に引き込ませたほうが良いと考えた結果生み出した魔道具。
これを別種族の肉体に埋め込み、高濃度の瘴気の中に入れることで魔族へと肉体が変質する。
ただし、素質が無い者に使うと通常よりも強い瘴気スライムへと変化するので注意が必要。
※壊れているので、効果が失われている。
特性:
肉体変異『魔族』
瘴気吸収
呪いの魔道具
――――――――
説明を見終わった瞬間、彼女は表情を怒りに歪めておった。
握り込んだ指が赤から白へと変化し、歯が力強く噛んでいるからかギギギと歯軋りが聞こえる。
「何、ですかこれは……何ですかこれは!! これを付けられたら魔族になる? そんな酷い話がありますか! 種族には種族の役割があるんです! これはやってはいけないことです!!」
気がついた瞬間、彼女は叫んでいた。
色々やっていた彼女だから分かる。これは、本当にやってはいけないことなのだと……。
そう思っていた所に、奥の扉が開かれた音に気づき……そっちを見ると、ティアが立っていた。
殴られたであろう顔には歪んだ笑みが張り付き、肌蹴られた服から見える肌には……どす黒い光を放つ珠が――埋め込まれていた。
3分経っても点滅しませんからね。