プロローグ3
「お帰りなさい。私の騎士たち」
腰まで伸びたプラチナブロンドの髪に、どのような宝石よりも美しい瑠璃色の瞳。
美形の者が多いといわれるアストリア王家の中で、最も美しいとまで評される美貌を持つ少女、リリーシャ・アストリアがそう護とケインに向かって言った。
戦闘から数日。
高速飛空艇でアストリアの王都・レガリアに戻った護とケインを出迎えたのは、アストリア王国の第一王女であるリリーシャ・アストリアその人だった。
「無理やり飛行艇に乗せた癖に、お帰りなさいか?」
自分より2歳年上で、氷のような冷たい美貌を持つ麗しき姫に、護はすぐにそういった。
そんな護の言葉に、リリーシャは怒ることも、驚くことなく、表情を全く変えなかった。
「あなたが出撃を渋るからです。私も乱暴な手段は本意ではありませんでした」
「なんで俺が出撃することが前提なんだよ! あんたの配下には俺より強い騎士が何人もいるだろう!?」
「残念ながら、アストリアの騎士はあちこちに散らばっているんです。それこそ、あなたの祖国である日本を守るために派遣されている者もいます」
「……だから?」
返ってくる答えはだいたい予想できていたが、とりあえず、護は聞き返した。
リリーシャは冷たさすら感じる無表情を保ったまま告げた。
「ですから、日本在住の私の騎士に出張をしてもらいました。日本も文句はいえないでしょう」
「俺はそもそもあんたの騎士じゃない! 日本とも無関係だ! 俺は普通の中学生! もうすぐ高校生になるただの15歳だ!」
ズレたことをいうリリーシャに対して、護はそう語るが、リリーシャは小さくため息を吐いて首を横に振った。
「結城護。あなたは私の騎士です。2年前、あなたは私の騎士になったのですよ? あなたは私に騎士の誓いを立てた。そのときに私の唇を奪ったのを忘れましたか?」
ただ事実を淡々と告げているだけという風な声色で、リリーシャはそういった。
護は顔を真っ赤にして反論しようとするが、冷静さを失った護には、反論の言葉が思い浮かばなかった。
そんな護の様子を、ケインは隣で笑いながら見ていた。
しかし、リリーシャが自分に視線を向けたことに気付くと、柔らかく微笑み、リリーシャが差し出した手の甲に口付けをした。
「ご苦労でした。サー・ブレイク」
「直々のお出迎え、感謝します。我が君」
その芝居がかった仕草をみながら、護は早鐘を打つ心臓を落ち着かせた。
あれは事故だった。不可抗力であった。それはこの姫も認めた。
責められる謂れは自分にはない。
心の中で結論を出した護は、手の甲を差し出してきたリリーシャに毅然と言い放った。
「あれは不可抗力だった! あんたも認めただろう! 悪いとは思ってるけど、それを理由に騎士としてこき使われるのはごめんだ!」
「悪いと思っているなら責任を取りますか? それと、護が嫌なら別に騎士として働かなくても結構です。ただ、形式というものがあるので、全世界に発表しますね。結城護は、私の騎士ではなくなった、と」
「脅しかよ!? 俺の名前が全世界に知れ渡ったら、今より厄介になるじゃないか!」
「では」
リリーシャは再度、手の甲を護へ差し出した。
視線で促された護は、リリーシャの前で跪き、唇をリリーシャの手の甲に押し当てた。
唇を離して立ち上がった護は、小さくため息を吐いた。
そんな護を置いて、リリーシャは踵を返して城に向かって歩き出していた。
いつもいつもこうやって、なし崩し的に騎士として働かされる。
どうして毅然と断れないのだろう、と護は常々悩んでいた。
「そろそろ諦めたらどうだ?」
「諦めたら一生、姫の騎士じゃないですか……」
「それを目指す奴はアストリアにはごまんといるぞ?」
「みんな頭がおかしいんですよ」
「断言するが、お前のほうが少数派だぞ?」
ケインの言葉に顔を顰めた護は、なにもいわずにリリーシャのあとを追った。
◆◇◆
リリーシャ・アストリアの私室。
そこに入ることを許されるのは、騎士の中でもごく僅かだ。
そのごく僅かな騎士である護は、リリーシャの後に付き従って、リリーシャの私室へと入った。
「相変わらず、なにもない部屋だなぁ」
そう感想を漏らした護に対して、リリーシャは聞く者に怜悧さを感じさせる声で答えた。
「私室といっても、寝て起きるだけの部屋ですから」
「なるほど。仕事漬けの日々なのも相変わらずか」
足腰の弱い国王に代わり、リリーシャは外交や視察などの多くの政務を執り行っており、地球に向かうこともあれば、国境の基地へ向かうこともある。
王都レギオンにいるときも、山のような書類を処理しており、毎日が激務であることを護は知っていた。
同時に、その卓越した処理能力で書類をいとも簡単に片付け、外交の場では自らに有利な条件で話しを纏める交渉術を持つハイスペックな少女である事も知っていた。
しかし、椅子に座ったリリーシャに護は違和感を覚えていた。
もしかしたら、と思いつつ、リリーシャの顔をまじまじと見た。
「なにか?」
「もしかして……疲れてるのか?」
クールな無表情からは疲れた様子を窺うことはできなかったが、それでも護にはリリーシャが疲れているような気がした。
護の言葉を聞いて、リリーシャは珍しく驚いたような表情を浮かべた。普通の人には気付けない程度の変化ではあったが。
「よく……わかりましたね」
「いや、自分で聞いておいてあれだけどさ……あんたも人並みに疲れるんだな?」
「当たり前です。私は機械じゃありませんから。ただ感情や体調が表情に出にくいだけです」
「出にくい、か。出さないじゃなくて?」
王女というのはいつも誰かに見られている。
それを意識してのことなのではないか、と思い、護はそう問いかけた。
しかし、リリーシャは相変わらずのクールさで首を横に振った。
「昔からです。別に意図してやっているわけじゃありません」
「意図してやってるんじゃないなら、疲れたら疲れたっていえよ。滅多に表に出てこないのに、今は出てくるくらい疲れてるんだろう?」
護はそういって呆れたようにため息を吐いた。
そんな護を見て、リリーシャは再度驚いた表情を浮かべた。
今日はよく顔が変わる日だなぁ、などと思いつつ、護は椅子に座るリリーシャに近寄った。
「なんかして欲しいこととかあるか? 戦場に出たり、化け物退治じゃなきゃ、してやるけど?」
リリーシャは護の意外な提案を聞いて、瞬きを何度もしたあとに、しばらく黙り込んでしまった。
今日3度目の意外な反応に、護は明日は雨だろうな、と予想をした。
「……では、その……肩を揉んで頂けないでしょうか……?」
「えらく庶民的なお願いだなぁ。まぁ、いいけど。しかし、肩こるほど仕事してたのかよ」
「最近は書類と向き合う仕事が多かったですし、それに肩がこりやすい体質なんです」
体質と聞き、護はなるほど、と小さく呟いた。
リリーシャの背中側に回った護の視界には、きめ細かいプラチナブロンドの髪と細い肩、そして非常に立体感のある胸が映っていた。
服を着ててもこれなのだから、やっぱり脱いだら相当なんだろうな、と思いつつ、護はそっとリリーシャの肩に手を置いた。
鼻をくすぐるリリーシャの髪の香りに護はドキッとした。
普段は氷の彫像のような雰囲気で包まれているリリーシャが、肩揉みとはいえ、されがままの体勢になっている。
これはちょっと失敗だったか、と自分の安易な提案を後悔しつつ、護は肩揉みを始めた。
「ん……もう少し左です」
たまに漏れる吐息と、いつもの怜悧さを感じる声の中に僅かに含まれる艶っぽさに、開始早々にも関わらず、護は耐え切れなくなっていた。
このままでは理性が拙いことになる、と思いつつ、しかし、自分から言い出したことを中途半端に放り投げるのはどうなんだ、という思いの板ばさみに晒された護に、リリーシャが話しかけた。
「あなたが私に優しくしてくれるのは、半年前、刺客に狙われたとき以来でしょうか?」
「その、俺が優しくないアピールやめてもらえます? だいたいあの時は……」
護は言葉を続けようとして、脳裏に過ぎった映像のせいでできなかった。
半年前、刺客に襲われたリリーシャを、護は助けたことがあった。
そのときに、着替え中だったリリーシャの下着姿を護は少しだけ見ていた。
刺激的すぎたことと、そのあとにごたごたが色々とあったせいで忘れていたが、確かに護は見ていた。
セクシー系グラビアアイドル並にスタイル抜群だったことを思い出した護は、その体を持つ少女に触れていることを意識して、ゴクリと唾を飲み込んだ。
しかし。
「痛っ!?」
「あのときは助けてくれたことに免じて、許しましたが、思い出すことを許した覚えはありませんが?」
「そっちが振ってきたんだろう? 俺は忘れてたのに……」
肩を揉んでいる手の甲をきつく抓られた護は、リリーシャに対してそう返した。
リリーシャは無表情のまま護の手を更にきつく抓った。
「ちょっ!? わかった! すみません! 忘れます! 忘れますから!」
皮膚をちぎり取られるのではないかと錯覚するほど、リリーシャが力を入れたので、護はすぐに謝罪の言葉を口にした。
その言葉を信じたのか、リリーシャは護の手から指を離した。
護は痛む手を軽く振ると、無心を心がけながらリリーシャの肩揉みを再開した。
できれば理性のためにやめたかったが、一度やり始めた以上、リリーシャが良いというまでは続けねばならないからだ。
「護」
肩を揉みながら素数を数えていた護に、リリーシャはそう声をかけた。
もう終わりか、と思った護は、肩から手を離したが、その手をリリーシャが押さえた。
「終わっていいとはいってません」
「え、あ、はい」
「続けながら、私の話を聞いてください。あなたの進路のことです」
「普通の高校に通うことを許可してもらった覚えがあるけれど……?」
「考えておくといっただけです。王国の貴重な戦力である騎士を、派遣しているわけでもないのに、地球においておくことを疑問視する声は大きいのです。今まではあなたの年齢や、騎士にした際の経歴を理由に私は他の者を黙らせてきました」
黙らせてきた、という過去形な言い方に、護は嫌な予感を覚えた。
ただ高校に行くだけなのに、どうしてそれを親でもない者たちに指図されなければいけないのか。
そんな反感を抱きつつ、護はリリーシャに先を促した。
「それで?」
「結果からいえば、あなたが望む高校に行かせることはできません。あなたは、自分が普通であるという意識を持っていますが、普通の地球の中学生は、レムリアの魔法師には勝てません」
「それは……」
「その意識が悪いというわけではありません。平凡でありたいと、普通の日常を送りたいという気持ちは、私にもわかります。私も王女でなければ、と思うときはたびたびありますから」
「……マジっすか……?」
王女をやっているのが当然のような顔をしているリリーシャが、心の中では、王女でなければ、などと考えたことがあるなど、予想外にもほどがあった。
唖然とする護に構わず、リリーシャは話を続ける。
「話が逸れましたね。それで、あなたがそう思ったり、望むのは構いませんが、間違いなくあなたが持っている力は一般人の域を超えています。その力をあなたがどう思っていようと、力には責任が付き纏います」
「……」
「望まぬ地位だったかもしれません。私が無理やらせたことかもしれません。けれど、それでも力を行使したのはあなたで、現状、あなたはアストリアの騎士として認識されています。もちろん、あなたの素性がバレないようには配慮しますが、もしもレムリアにバレた場合、あなたは狙われるでしょう。あなたは大丈夫でも、普通に高校に通う学生は自分の身を守るだけの力はありません」
「周りが巻き込まれる、と?」
「地球とエスティア、日本とアストリアは近くはありません。私たちの手が及ばぬ場面もあるでしょう。護の望みを叶えたいとは思いましたが……あなたを普通の高校に行かせるのはリスクが大きすぎます」
リリーシャの言葉を聞いて、護はリリーシャの肩から手を引いた。
リリーシャは振り返り、護の顔を窺った。
無表情ではあったが、その目は護を気遣っていた。
それを見て、護は苦笑を浮かべた。
「手を尽くしてくれたなら、文句はいわない。ありがとう。高校にいけないのは残念だけど……」
「いえ、あなたが通えないのは普通の高校です。普通ではない高校になら通えます」
「……は?」
「日本に8高ある、魔術師育成に特化した魔術学園。その内の1つ、彩雲学園は、ホールがある街、彩雲市にあります。ここなら何かあってもそれなりに対処できますし、私自身、学園理事の1人ですから、多少の無理がききます」
「……そこに通えと……?」
「はい。もう入学手続きは済ませてあります。寮への引越しを余儀なくされるでしょうが、ご心配なく。ご両親への説明や業者の手配はすべてこちらで何とかしますから」
ただただ淡々と告げるリリーシャを見ながら、護は頬を引きつらせた。
逆らっても無駄だろうということは、経験で知っていた。
このリリーシャ・アストリアという少女は、一度決めたことは必ずやる。
この少女に高校に行きたいといった自分のミスだと、護は激しく後悔した。
「さて、肩はもういいです。ありがとうございました。護は上手ですね」
「え? あ、いや、婆ちゃんの肩揉みしてたから、じゃなくて! せめて俺に相談しろよ!」
「再三にわたるこちらの呼び出しに応じなかったのは護では?」
「うっ……それは」
「まぁ、護のその言葉は予想していました。ですので、改善策を用意しました」
リリーシャはそういうと、椅子から立ち上がって、離れたところにある机に向かった。
その机の上にある手の平サイズの機械を手に取り、また椅子へと戻る。
そして、護へそれを手渡した。
「これは……?」
「マルチ・アシスタント・デバイス。通称MADです。日本ではこれが主流だと聞きましたが?」
「いや、そうだけど……わざわざ渡さなくても、持ってるけど……」
「いえ、それは特別製で、アストリアと日本にいても通話できます。これまで通話するには、それなりに大きな機器が必要でしたが、今回、技術局が小型化に成功しました」
「……マジで? ここ異世界だぞ?」
「ここで嘘をついても意味はありません。それを使えば、王都にいる私と連絡が取れます。とりあえず、2日に1回くらいのペースで私に電話をかけてください。まだ試作機ですから、テストが必要ですし」
いきなり登場した小型機器に驚いていた護だったが、すぐに先ほどの話の流れを思い出した。
「これと、さっきの改善策になんの関係が……?」
「連絡が取れないため、こちらで勝手に色々とやってしまったことを怒っていたのでしょう? だから、連絡手段を用意しました」
「これからのための改善策かよ!? 俺、魔術学園に行くくらいなら、高校は行かなくても……」
護はリリーシャの目を見て、言葉をつぐんだ。
ただでさえ、いつも冷たいリリーシャの視線が、さらに冷たさを増したからだ。
冷たい瑠璃色の瞳と目が合ってしまった護は、何もいえず、ただ頷くことしかできなかった。
「……わかりましたよ。行かせていただきます……」
「よろしい。それと、あなたが今つけているギアは私が預かります。代わりのギアを技術局で受け取ってください。そのギアに使われている技術は機密扱いですから」
「じゃあ、イージスは使えないか。まぁいいけど」
「……相変わらず、ギアに執着しませんね」
「俺が努力して手に入れたものじゃないからな。それに元々、アストリアのものだろう?」
護はそういって腕につけていた黒いギアを外して、リリーシャに渡した。
いうとおりにする護に、微かに不満気な表情をリリーシャは見せたが、すぐにそれを打ち払い、護のギアを受け取った。
「用件は以上です。私への連絡を忘れないように」
「はいはい。善処しますよ……」
こうして護は、願書すら提出することなく、魔術学園の1つ、彩雲学園に入学することになったのだった。