第17話 演説
彩雲市上空・デュランダル。
午後5時30分。
魔力探査が一向に進まないことに護が苛立ち始めたとき、護のポケットにMADが振動した。
通信が完全に妨害されている中での出来事だったため、護は大いに慌てた。
「なっ!?」
「どうされました?」
ミカエラにそう聞かれ、護は振動するMADを見せた。
そのMADに表示されている名は。
「リリーシャ殿下から!?」
「どうして繋がるんです?」
ミカエラが驚いて大きな声をあげ、ホーエンハイムが呆れたように護に問うた。
しかし、それに対する答えを護は持ってはいなかった。
「俺に聞かないでください……。ちょっと出てきます」
護はそれだけいうと、メインブリッジから出た。
しばらく歩き、人気の無い場所で通話ボタンを押す。
「もしもし? シア?」
『ようやく繋がりましたか。戦闘中でしたか?』
「いや、もうデュランダルの中だよ。今は索敵中」
『そうですか……なんとか連絡を取れたのは幸いでしたね。状況を教えてもらえますか?』
リリーシャはそういって状況の説明を求めてきた。
すぐに説明することもできたが、護はその前に、電話が通じていることについて説明を求めた。
「その前に、どうして電話が通じてるの?」
『護に渡したMADと私が持っているMADは、技術局が開発したホール発生装置で繋がっています。ホールといっても、針の穴よりも小さなモノですが』
「ホール発生装置……?」
『意図的に次元の歪みを発生させているんです。ですから、どれだけ通信妨害しようと、私と護のMADを妨害するのは不可能なんです。世界中、どこにいようとつながりますよ。理論上は。糸電話みたいなモノですからね』
護は自分が持っているMADを見て、なんともいえない微妙な表情を浮かべた。
どれだけ画期的な技術なのか、完全には理解できなかったが、少なくとも個人で所有していていいレベルの代物ではないことは理解できた。
今度から大切に扱おうと心に決めた護は、とりあえずリリーシャに自分がわかる範囲で現状の説明を始めた。
「ちょっと厄介なことになってて、実は――」
◆◇◆
「――というわけで、市内は混乱。おかげで索敵も上手くいってない」
『どうにか市内の混乱を鎮めないといけませんね。ミカエラはそこにいますか?』
護はリリーシャに少し待つように伝えて、メインブリッジに急いだ。
リリーシャに何か考えがあると知っていたからだ。
すぐにメインブリッジに戻った護は、ミカエラにMADを渡した。
「殿下が代わって欲しいそうです」
「私にですか? 失礼いたします」
ミカエラが緊張した様子でMADを受け取る。
自国の王女と電話をするとなれば、仕方の無いことだろう。
護はリリーシャのことはミカエラに任せて、ホーエンハイムに視線を移した。
「索敵は?」
「芳しくありませんな。このままじゃ、カラミティの充填が終わるほうが早いでしょう」
「……それはもう仕方ありません。敵がホールを狙いそうな場所の特定も同時にしておいてください」
「生徒の救出よりもホールの防衛を優先するんですか?」
「同時進行です」
ホーエンハイムの問いに護はそう間髪いれずに答えた。
ホーエンハイムは苦笑しつつ、頷く。
「心得ました。彩雲市の高層ビルをピックアップしろ!」
カラミティの特性をよく把握しているホーエンハイムは、そう部下に指示を出した。
カラミティの威力が最大限に発揮されるのは最初のインパクトの瞬間。
複数の対象物を貫くような使い方もできなくはないが、それをすると威力の減衰が著しくなる。
そうなると、遮蔽物のない場所から直接、ホール周辺を狙う必要がある。
ホールはほぼ彩雲市の中央にあるため、最も射撃ポイントとして考えられるのは、その周辺に建設されている高層ビルなのだ。
「しかし、後手後手ですなぁ。これで相手が改良とかしてたら、万が一がありますよ?」
「そうですね。多少威力が上がっていたところで、イージスを貫くのはまず無理ですけど、問題は連射できるかどうか。攫われた生徒の総数は不明ですけど、おそらく50人以上は攫われてます。全員の魔力を吸い出せば、3発分にはなるでしょう」
「1射目を受け止めているときに、2射目が来ると危ないというわけですか」
ホーエンハイムの言葉に護は頷いた。
カラミティをそのまま日本に持ち込めるはずはないため、おそらく部品の段階から組み立てることになるはず。
耐久力に不安のある兵器で連射をすることが可能かどうか。
もしも連射が可能だった場合。
ただ受け止めているだけでは、押し切られる可能性もある。
「対策も考えておかないとですね」
「そんな時間がありますかね? 50人から強制的に魔力を吸い上げるのにかかる時間は、40分から50分だと試算されています。生徒が攫われ始めたと思われる時間が午後4時30分頃で、今は午後5時30分です。移動の時間なんかがありますから、絶対とはいえませんが、もうそろそろ充填が終わってもおかしくありません」
ホーエンハイムの予想に護は苦々しげな表情を浮かべた。
後手後手な上に時間もない。
どこかで大きなアクションを起こさなければ、相手に主導権を握られ続けてしまう。
しかし、攻めに出ようにも相手の居場所がわからない。
せめて市内の混乱が収まってくれさえすれば、索敵の精度も上がるのに。
そう思いながら、同時に無理だとも護はわかっていた。
小さな混乱が大きな混乱を誘発している。
止めるべき警察は市内の状況を把握できていないばかりか、レムリア連邦の特殊部隊を捜索するために人員を割いていた。
行動可能な警察官が少なすぎるのだ。
市内の各所には、警察や役所からの連絡を伝える装置もあるが、それすらも妨害されており、市内の混乱は増すばかりだった。
残された時間は少ない。
発射位置を特定できなければ、不意打ちでやられる可能性もある。
「……我らが殿下に策はおありですか?」
「はい。殿下はこれから市内全域に対して――演説するようです」
ミカエラの言葉に護はため息を吐いた。
単純ではあるが、確かに効果的だと納得してしまったからだ。
◆◇◆
デュランダルとMADを接続し、デュランダルに備え付けられているスピーカーを通して、市内にリリーシャの演説を流す。
とはいえ、そんなことでは聞こえる範囲は限られているため、デュランダルに搭乗していた15名の魔法師が、拡散系の魔法で市内にリリーシャの声を拡散させることになった。
「戦場では降伏勧告くらいにしか使い道のないスピーカーを使うとはねぇ。しかし市内っていっても広いですよ? 戦闘員が戦う前に力尽きてしまうのは、どうなんですかねぇ」
『騎士座乗艦の戦力はあくまで騎士です。ほかは補助でしかありません』
MADのモードがスピーカーになっているせいで、護に話しかけたホーエンハイムの声がリリーシャにまで届いたようだった。
ホーエンハイムは苦笑しながら、リリーシャが聞き取りやすいように大きめな声で応じた。
「はっきりといってくれますなぁ。殿下」
『事実ですから。1人で軍と同レベルの働きができるから、騎士なのです。その分、掛かる期待も大きいですが。自覚はしていますか? サー・ドレッドノート』
自分のほうに話が飛んできたため、護は嫌そうに顔をしかめる。
騎士の責任について語られることは、護にとって最も嫌なことの1つだった。
「重々承知していますよ……。しかし、原稿とかなくて平気ですか?」
部下の前ということもあり、言葉遣いに気をつけながら護はリリーシャに自分の懸念を示した。
しかし、リリーシャはいつもの感情がほとんど感じさせない平坦な声で断言した。
『問題ありません』
「……その自信の根拠は?」
『いつも使っていませんから。今も必要ありません』
メインブリッジに響いた氷のような声に、その場にいた全員が凍りついた。
大抵の場合、演説するときには原稿が存在する。
そしてリリーシャ・アストリアは地球にいる多くの政治家たちと比べて、明らかに演説の回数が多い。
「“いつも”?」
『私が紙を持って台に上がったことがありましたか?』
「……そういえばない……」
護は記憶を呼び起こして、その事実に愕然とした。
リリーシャの演説は、人を惹きつけると定評がある。
それは相手に語りかけるようにして喋るからだ。
原稿があるようには感じさせないのは、技術だと護は勝手に思っていた。
『もちろん、原稿は用意されてますが、たまに目を通す程度です。人の考えた言葉を口にするのは好きではありませんから』
「流石は我らが殿下というべきですかな?」
「ですね……」
『そろそろ準備はできましたか?』
「はい。各員の準備は整いました。ほぼ市内の全域に殿下の声を届けることが可能です」
準備は整った。
メインブリッジに緊張が走る。
緊急時とはいえ、王女の演説だ。失敗は許されない。
声だけのラジオ演説に近い形にはなるが、リリーシャが名を明かせば、多くの市民が耳を貸すはず。
混乱が少しでも収まることを祈りつつ、護はでGOサインを出した。
「演説開始」
「殿下。どうぞ」
ミカエラがそういって、リリーシャを促した。
◆◇◆
『――彩雲市におられる全ての方々。どうか少しだけ私の話に耳を傾けてください。私の名はリリーシャ・アストリア。アストリア王家に名を連ねる者です』
突如として空から降ってきたその声は、混乱する人々に衝撃を与えた。
通信は妨害され、状況がわからず混乱している人々にとって、それは新たな混乱の種になりえるモノだった。
だから、リリーシャは間髪いれずに喋り始めた。
『現在、彩雲市の市内にはレムリア連邦の部隊によって、魔法、魔術、機械を問わず、通信を妨害されています。その部隊は未だに市内に潜伏中であり、残念ながら彩雲学園の生徒が数十名も誘拐されています』
自分が本当にリリーシャ・アストリアだと証明する術を持たないため、リリーシャはそれを市民に認識させることには拘らなかった。
重要なのは、市民に冷静を取り戻させること。状況を理解してもらうこと。
その一点を意識しながら、リリーシャは見えない市民たちに語りかけた。
『混乱する気持ちも、焦る気持ちもわかります。ですが、まずは冷静になってください。今回の騒動で被害に遭われた方にはアストリア王国が責任を持って保障します。ですから冷静に。今、こうしている間にも、10代の学生が命の危険に晒されているのです。彼ら、彼女らを助けるために、私は皆様の助力を願いたいと思っています』
信号が作動しなくなったせいで、パニックになっていた人々が。
ビルの中で突然、どことも連絡が取れず、冷静さを失っていた人々が。
そして同じ学園の生徒が攫われ、恐怖に震えていた生徒たちが。
リリーシャの声に耳を貸し始めていた。
外にいる者、建物の中にいる者を問わず、誰もが上を見上げていた。
『まず、皆様で声を掛け合い、交通機関の麻痺を解消してください。困っている方がいれば、協力して救いの手を差し伸べてください。市内に散っている警察の方々は、自分のできる範囲で構いません。路地裏の捜索を行なってください。おそらく通信妨害の術式が刻まれている場所があちこちにあるはずです』
その言葉を聞く前に、市内のあちこちで人々が声を掛け合っていた。
外からの攻撃に晒されていると分かれば、協力することを拒む理由はなかったからだ。
全てはレムリアのせい。
そう分かった以上、些細なことで諍いを起こしている場合ではない。
危機感は薄れているとはいえ、レムリア連邦の脅威に晒され続けてきた日本なのだ。
緊急時のマニュアルもしっかりと存在する。
だれもが子供の頃に、混乱したときの対処法も教わっていた。
キッカケさえあれば、冷静さを取り戻すのは簡単だった。
『ホールを防衛する日本軍、およびアストリア軍は現状のまま待機を。とくに日本軍は然るべき所に連絡が取れるまでは軽率な行動を取ってはいけません。日本に渡航しているアストリアの国民は、アストリアの大使館へ。その他の外国の方はそれぞれの国の大使館へ。移動中だった方は無闇に動き回らぬように。損害を受けた方は、その損害を証明できるモノを持って、後日、アストリア大使館へお願いします』
軍に釘を刺し、一通りの指示を出し終えたリリーシャはゆっくりと息を吸った。
向こうの状況がわからない以上、これ以上はなにを言っても仕方ない。
ここで喋るのをやめたほうがいいのは、リリーシャにもわかっていた。
けれど、それでも示して置かねばならないことがあった。
『――レムリアの兵士たち。この声を聞こえていますね? 私は私が理事を務める学園の生徒を巻き込んだこと。アストリアと日本の友好の象徴である彩雲市を混乱に陥れたことを許しません』
日本とアストリアとの間に定められた協定は、騎士を彩雲市に駐屯させることを許してはいない。
そして、騎士の戦闘行為も。
全てを隠密に行なうことも可能であった。
けれど、それをリリーシャは望まなかった。
レムリア連邦の侵入を軽々しく許した日本政府と十三名家。
そしてレムリア連邦にも見せ付けねばならなかった。
アストリアを怒らせたらどうなるか、ということを。
日本政府と十三名家には認識を改めさせなければいけなかった。
アストリアと日本は決して対等ではないということを。
レムリア連邦には再認識させねばならなかった。
自分たちの敵がどれほど難敵なのかということを。
それは政治的な判断だった。
それは間違いなかった。
けれど、同時にリリーシャ自身の苛立ちも判断には含まれていた。
自分の騎士が戦うことになったのは、日本政府と十三名家がレムリア連邦の侵入を許し、騎士の駐屯を許可しなかったから。
自分の騎士が戦うことになったのは、そもそもレムリア連邦が攻めてきたから。
自分が、自らの唯一の騎士に戦うことを命じなければいけないのは、2つの国のせい。
リリーシャは拳を強く握った。
考えれば考えるほど苛立ちは募る。
その全てを吐き出すようにリリーシャは言葉を発した。
『私の名と全ての責任にかけて、私はこの事態を収拾します。たとえ、日本政府との協定違反となろうと。私は救える命を見捨てる気はありません』
突然、強い口調でレムリアに宣戦布告をしたリリーシャに、護は頭を抱えた。
声から伝わる雰囲気で、とんでもなく怒っていることがわかってしまったからだ。
護の横でホーエンハイムが小声で呟く。
「これは出撃命令が来ますなぁ」
「でしょうね……」
「では、殿下の言葉を格好良く演出するとしましょうか。構いませんか?」
「任せます」
ホーエンハイムはニヤリと笑う。
それと同時にリリーシャからの命令が下った。
『リリーシャ・アストリアが命じます。サー・ドレッドノート及び座乗艦デュランダルは、人命を最優先として、事態の収拾に全力を尽くしなさい。責任は私が取ります』
「了解いたしました。ステルス解除。同時に魔力翼を最大展開」
リリーシャの言葉を聞いて、ホーエンハイムがそう指示を出す。
ガラスが割れていくように、展開されていた偽者の映像がはがれていく。
その代わりに姿を現したのは、黒い剣に羽が生えたような形状の飛空艇だった。
アストリア王国が誇る騎士座乗艦。
サー・ドレッドノート専用飛空艇・デュランダルの姿だった。
そのメインブリッジの中央に座ったまま、護は小さく呟いた。
「仰せのままに。我が君」




