第10話 2人の関係
4月10日。
土曜日も普通に授業のある彩雲学園で、いつも通り授業を受けた護は、この日は早めに寮の自室に帰ってきていた。
理由は一昨日行なった、レオナとの決闘だ。
決闘の後に峻のせいで、美咲とレオナを相手に弁解をする羽目になった護だったが、そのときにどうにか“美咲”の誤解を解くことには成功した。
しかし、美咲だけだった。
あの時のことを思い出し、護は部屋の中で後悔した。
事実確認をする美咲に対して、あるがままの事実を述べる護。
2人だけであれば、10分と掛からずに話しは終わり、護にさほど非がないことを美咲は理解しただろう。
けれど護の横で、辱められた、や、女の敵、という言葉を怨嗟のように呟き続けるレオナがそれを邪魔していた。
美咲から見れば、レオナは被害者のようであり、レオナも自分が被害者だと認識していた。
その認識が話をややこしくさせ、結局、美咲の理解を得るのに護は1時間近くを要した。
そして、美咲が納得したあともわめき続けるレオナに対して、苛立ちが募った護は、ついつい、思ったことを言ってしまった。
辱められたとかいうけど、自爆だろう、や、負けたんだから黙ってろよ、などなど。
下着を見られたことに動揺し、混乱していた少女に言い過ぎたと、発言のあとに後悔し、護は謝罪しようとしたが、遅かった。
カフェテリアで出会ったときと同じように、底冷えのする笑い声を上げて、レオナは怒り狂っていた。
そのあとは決闘を再度申し込むレオナを美咲が宥めたため、どうにか難を逃れたが、その次の日。つまりは昨日の放課後。
いきなりF組に現れたレオナは護に再戦を申し込んできた。
そこでようやく護はレオナという少女の人間性を理解した。
直情的で、しかも思い込みが激しい。
貴族のお嬢様らしいといえばそれまでだが、とにかく面倒な性格であることは完全に理解できた。
というよりも、既に理解していたが、理解を深めたという方が正しいかもしれない。
そんなレオナの再戦申し込みを断ると、レオナは苛々した様子で目を吊り上げ、地団駄を踏んで悔しがった。
悔しさのあまり地団駄を踏む人間を初めて見た護は、関わらない方がいいと判断し、逃亡を選択したが、レオナは獅子のような勢いで追いかけてきた。
ああ、この追いかけっこには覚えがあると思いつつ、その日は本気で逃げた護は、同じ轍を踏まないために、こうして今日は素早く帰宅していた。
いくら常識はずれな貴族でも、寮にまで押しかけることはあるまい、と考えていた護は、突然、MADが振動し始めたことに体をビクつかせた。
まさか、電話番号があのライオン女に流出したのでは、と恐る恐るMADを見てみると、電話の主は意外な人物だった。
「リリーシャから?」
アストリアの貴族からかと疑ったら、アストリアの王族から掛かってくるとは。
普通ならばレオナから掛かってくるよりも明らかに事件なのだが、護にとってはさほど事件というほどでもなかった。
リリーシャから掛けてくるだなんて、珍しいな、と友人から掛かってきた電話に出る気安さで通話を選択した。
「もしもし? そっちから電話してくるなんて珍しいな。なにか用か?」
『用がなければ電話をしてはいけませんか?』
いきなり不機嫌そうな声が護の耳に飛び込んできた。
あくまで不機嫌そうであって、はっきりと不機嫌だとわかるわけではなかったが。
それでも殆どリリーシャが感情を声や表情に出すときは、普通の人以上にそう思っている時であると護は知っていた。
そういえば美咲も、何か用か? と聞いたら、不機嫌になったな、と思い出しつつ、護は今度から電話に出るときは気をつけようと心に決め、とりあえずリリーシャの機嫌を取ることにした。
「いや、してはいけないってわけじゃなくて、ただあんたは用もないのに電話はしなそうだからさ」
『“あんた”というのは止めてください。その言葉遣いも嫌です』
幾分か落ち込んだような口調で、リリーシャはそう護にいった。
普段は気にしないのに、と思いつつも、護は素直にリリーシャの言葉に従った。
「申し訳ありません。”殿下”」
礼儀は払われるものであり、礼儀を払うことを強要したりはしない、というのがリリーシャの考え方だ。
ゆえに護がどれだけ粗雑な言葉遣いをしようと、リリーシャは敬語を使えなどいったことはなかった。
年初のときのように、護の反応を楽しむように、騎士としての挨拶を求めたりすることはあるが、それも本気で護が嫌がれば無理強いなどしたことはなかった。
だが、それはあくまで個人としてのこと。
アストリアの王女として公的な場にいるときや、王女と騎士という立場を明確にするときは、その限りではなかった。
だから、今回も王女として接しろという意味だと考え、護は言葉を改めたのだが。
『その言葉遣いも嫌です』
リリーシャの言葉に硬直してしまった。
どうにもリリーシャの望みがわからなかったからだ。
普段の言葉遣いでも、敬語でもないなら、どんな言葉を喋ればいいのだろうか。
英語か、それともアストリア語か。
そこまで考えて、護はありえないと首を振った。
アストリアの人間は大なり小なり魔法を使え、子供の頃に自動翻訳系の魔法を会得している。
だから、言語という点でアストリアの人間が困ることはない。
それはリリーシャも同じだった。
もっとも、リリーシャの場合はそれに頼らずに日本語を喋っているが。
とにかく、言語の問題ではないことは確かだった。
さて、どうするべきか。
そう悩んでいると、リリーシャの方から護にヒントをくれた。
『出会った頃を覚えていますか?』
出会った頃。
その言葉で、護はリリーシャがどのような扱いや態度を求めているのか察した。
けれど、それは王女としてでも、リリーシャ・アストリアという個人としてでもない扱いを求めるということだ。
戸惑う護の耳にさらにリリーシャの声が届く。
『私への呼び方も違いましたね』
懐かしむような声に、護は更に戸惑った。
いきなりこんなことを言い出すのは明らかにおかしかったからだ。
2年半ほど前。
護はある事件に巻き込まれ、リリーシャと出会った。
その事件の功績により、騎士に任じられた。
その事件の最中、リリーシャは護に対して偽名を使い、普通の外国人を装っていた。
そのときは王女と知らず、また騎士でもなかった護は、リリーシャをただの少女として扱っていた。
けれど、事件が終わり、騎士に任じられた護と、王女に戻ったリリーシャがそのときのような会話をすることは今まで一度としてなかった。
自分を手駒のように扱うリリーシャに微かに失望した護が、あえて距離を取ったからだ。
それを理解していたリリーシャも、あの時のことを護に思い出させるようなことはしなかった。
けれど、初めてリリーシャがそれを思い起こさせるようなことを口にした。
護は小さく息を吐き、自分だけが知っているリリーシャのもう1つの名を呼んだ。
「君らしくないな……“シア”」
『2年半ぶりにそう呼ばれると恥ずかしいですね……』
「シアが促したんだろう?」
『そうですね。できればもう少し早く呼んで欲しかったです。私があなたを騎士として接するようになってから……あなたは私に優しくなくなったから』
「それは謝るよ……それで、なにがあった?」
優しく問いかけると、リリーシャは黙り込んだ。
だが、護はリリーシャを急かすことはせずに言葉を待った。
しばらくすると、リリーシャは小さく謝罪の言葉を呟いた。
『……ごめんなさい……』
「答えになってない。なにかあったんだろう?」
『また……あなたを戦わせることになるかもしれません……。いえ、おそらくなるでしょうね……』
「気にするなよ。“いつも”のことだろう?」
言ってから、護は自分の失言に気付いた。
その“いつも”に耐え切れなくなったから、弱気になっている人間にいつものことなど言ったら。
しまった、と思ったときには、リリーシャの怒気に満ちた声が護の耳に届いていた。
『私は……あなたを戦場に送り出すために騎士にしたわけじゃありません……! 私はあなたを戦わせるためギアを与えたわけじゃありません! あなたを守りたかった! 私やアストリアではなく……護が自分を守れるように……そう願ってあなたにギアを……イージスを託したんです……』
何度も戦場に送り込んだ人間のいう言葉とは思えないな、と思い、護は首を振った。
ケインは、リリーシャが護を戦場に出すことを嫌がっているといった。
その言葉を否定しつつも、護は気付いていた。
リリーシャが本心から護に戦いを強要していたわけではないことを。
けれど、リリーシャがどれだけ望むまいと、王国の戦力である騎士は戦場に駆りだされる。
次期国王とはいえ、リリーシャにも限界がある。
騎士としては出撃回数が少ないのは、リリーシャの尽力があったから。
それでも出撃が回避できないときは、リリーシャは必ず自らの口から出撃命令を護に伝えた。
それが騎士として任命した自分の責任だとわかっていたからだ。
そんなリリーシャとは違い、護は自らの責任とは向き合えていなかった。
力はあっても覚悟はない。それが今の護だった。
強要された出撃で、レムリアの兵士を殺したことが護には何度もある。
それがこれから一生続くということに、護は向き合えなかった。
だから日常に執着した。
日常に置いてある軸足を動かしてしまえば、戻れないとわかっていたからだ。
だから、リリーシャは苦しかった。
その護の日常を壊してしまうから。
『……その彩雲学園は……アストリアの戦力を彩雲市に配置するために設けられた学園です。騎士をホール防衛に就けることができない以上、他の戦力で補うしかありませんから。日本の戦力を私も父も信用はしていません』
「知ってるよ。俺がここに入学させられたのも、実際のところはホールを守るためだろう?」
『気付いていたんですね……?』
「気付くだろう。わざわざホールに近いところに置いておくのは、日本側で俺の力を利用したいからだ。んで、日本で一番守りたいものはホールで、俺の力は防衛向きだ。ホールを守らせたい、そう望んでるんだろう? 国王や大臣たちは」
リリーシャもそう望んでいるのだろうと、今日まで護は思っていた。
しかし、こんなことをいう以上、必要性は感じていても心から望んでいるわけではないということはわかった。
それだけで護にとっては十分だった。
「で? 国王陛下たちは俺に何をしろと?」
『……レムリア連邦の魔法師部隊が彩雲市に潜入している可能性があります。有事の際はホール防衛の任についてください。可能であれば……潜入部隊の撃破を』
「レムリアの潜入部隊か……」
『その潜入部隊の中には、A級魔法師が含まれている可能性があります。狙いは間違いなくホール。ただ、どのような手段を用いてくるかはわかりません。一応、警察には情報をリークして、捜査が進んでいるため、そんなに長くは潜伏できないでしょう。今日から数日以内に動くかもしれません』
「じゃあ、俺はホールの防衛基地に居ればいいのか?」
防衛任務である以上、防衛対象であるホールから離れた場所にいるのは好ましくはない。
有事の際に備えるなら、ホールの防衛基地が一番なのは間違いなかった。
だが。
『いえ、まだ情報が不確定すぎるので、護は学園で過ごしていてください。こちらの備えを見抜かれても困りますから。それにイージスがそちらにつくのは12日になるでしょう。少なくとも12日までは学園にいてください』
「わかった。月曜日まで普通に学園で過ごす。けど、イージスは何か不調か?」
『はい。3ヶ月以上使っていないため、最終調整に手間取っています。できるだけ早く届くように努力しますが……』
「無きゃ無いで、やれるだけやるさ」
『……すみません』
「謝るな。シアのせいじゃない。じゃあ、なにか情報が入ったら連絡してくれ。いつでも出れるようにしておくから」
『はい……。それでは護。気をつけてください』
そういってリリーシャが通話を切った。
護はふぅと息を吐き、ベッドに仰向けで横になった。
また戦いと思うと気は重かった。
できればやりたくはない。
けれど、そう思っても、レムリアの潜入部隊は逃げてはくれない。
それにリリーシャが任命した騎士である護が失敗すれば、リリーシャの責任になりかねない。
護は目を閉じて、2年半前の事件で傷ついたリリーシャを思い出す。
騎士に任命されたとき、護は拒否しなかった。
理由は2つ。1つはリリーシャが心配であったからだった。
もう1つはリリーシャとの関係性が終わってしまうのを恐れたからだ。
人生でもっとも濃いと断言できる1日を共に過ごしたリリーシャと、もう会うことが叶わなくなるなら、主従の関係を結ぶのも悪くないと思ったのだ。
その甘い決断を、護は今も後悔しているのだが。
「はぁ……若さゆえに過ちか」
15歳にしてそれを痛感するのはどうなんだろうか、と思いつつ、護は体を起こした。
どれだけ思い悩んでも、目の前の難事は消えたりはしない。
リリーシャからの命令である以上、やらないという選択肢はない。
「とりあえず心構えだけはしておくか……」




