狼男と薄幸少女
「ウルフィン様、ウルフィン様......」
真っ白でふさふさの毛に被われた大男、ウルィンは振り返ると、話しかけてきた部下のソルトミールを睨み付けました。
「何だ? 俺は飢えているんだ。お前も食われたく無ければ、さっさと用件を言え」
「は、はひっ、ウルフィン様。実は先日の珍味調達の件なのですが......」
「おぉ!? 手に入ったか?」
「それが......、この魔大陸で人間の、それも年若い女の肉の入手は困難でして」
ソルトミールは、豚鼻をずぴずぴ言わせて言い訳をします。
「なんだ? 詰まらないお前の弁解は聞き飽きた。早くしろ」
ウルフィンが詰め寄ると、ソルトミールは仕方なく手錠の掛けられた少女を前に差し出しました。
「お、お許しください。ウルフィン様。これでも私は精一杯努力したのです。脱法に密輸、不法入国。これ以上は無理です」
ウルフィンは十円ハゲの点在するソルトミールの頭を憎らしげに眺めた後に、少女に目を向けました。
一度撫でただけで、フケが雪のように降りそうな濁った金髪。死んだ魚のような光のない藍色の瞳。痩せこけた頬。
服の必要最低限さえ満たしていない汚れた布。そこから覗くあばらの浮いたお腹。
ウルフィンは思わず顔をしかめてしまいました。
「ソルトミール、お前は俺にこれを食えと言うのか?」
「......申し訳ございません」
「この死に損ないのどこに肉がある? 俺の飢えを満たすと思うのか?」
ウルフィンはへたり込んでいる少女ににじりよると、お腹の皮膚を引っ張りました。
「ひっ......」
「見ろ。皮と骨ではないか。しかも汚い」
ウルフィンは自慢の毛並みに、垢が落ちてしまったせいで余計に不機嫌になってしまいました。
「いっ、今すぐ新しいものを仕入れます。平にご容赦を」
ソルトミールはドタドタと穴蔵から消えていきました。ウルフィンは不快そうに鼻を鳴らします。
「さて、どうしたものか」
ウルフィンは先程から座ったままの少女に顔を近づけました。
「うむむ、臭い。これでは部下も食べないだろう」
「......い、いやっ」
少女は震え始めました。ウルフィンが足に冷たさを感じて地面を見れば、少女の股先から生暖かい液体が漏れ出ています。
「......お前!!」
ウルフィンは機嫌が良くありません。右手から鋭い爪を延ばすと、少女を真っ二つにしようと考えました。
恐ろしい狼面を殺気に染め上げたウルフィンを見て少女は泣き始めます。
「食べないで......」
「お前、食われると思っているのか。身の程知らずが! 食うにも値せんわ!」
「......え?」
「興が冷めた、来い! 食べ物としての心得を教えてやる!」
ウルフィンは少女の手を乱暴に掴むと、蟻の巣のごとくネジくれた拠点の一室に連れていきました。
◇◇◇
「ちょっ、や、やめてっ」
「大人しくしていろ!」
湯気の立ち上る浴室。
ウルフィンの光り輝くような銀色の毛並みを維持するために作られた場所です。
服とも呼べない代物を少女から剥ぎ取ったウルフィンは、その体を大きな浴槽に投げ込みました。
「きゃっ」
ばっしゃーん、と水柱が立ち上がり、後から茶色い液体が澄んだ水に広がります。
「うっ、汚い。食べたら食中毒だったな」
鼻に水が入ってしまったのか、けほけほっと咳をする少女。
その意地らしい視線を真っ直ぐに受けたウルフィンは満足気に喉を鳴らしました。
ウルフィンは莫大な予算を使って作り出したリンシャンを綺麗な布の上に泡立てます。
「こっちへ来い」
「いやっ」
ふわふわな白い泡を見たことがなかった少女は怯えて、広い浴槽の奥に逃げていきます。
しかし、その逃走空しく、あっさりとウルフィンの魔の手に捕まってしまいました。
「ほーら、ごしごし」
「ちょっ、そこ!? く、くすぐったい」
「暴れるな」
強引に少女の全身を余すところなく、あわあわに変えていきます。
真っ白な雪だるまになること三回。少女の体は、健康的な小麦色に戻り、その髪も黄金の輝きを取り戻しました。
「こんなモノか」
石鹸が目に入ったせいで、涙目な少女は、ウルフィンのされるがままに臭いを嗅がれていました。
「......、まだ臭いぞ。口か......」
少女の鼻を摘まんで、無理矢理開けさせた口の中は酷い臭いがします。
ウルフィンは仕方なく、自分のコロンと牙を研くためのヤスリを持ってきました。
「動くなよ」
「むむっっっあぁ!??」
格闘すること半刻。
そこには満足して凶悪な笑みを浮かべるウルフィンと、最初よりも死んだ魚のような光のない目をした少女がいました。
「うむ、少なくても食べて害はないだろう。だがこれではなぁ」
骨が浮いている少女の貧相な体を、ウルフィンは爪で優しく引っ掻きます。
「......っ」
「食べる場所がない。皮を油で揚げれば、パリパリでおいしいかもしれないが」
「......お願い。食べないで。なんでもするから」
少女はブルブルと震え始めました。それを見たウルフィンは少し考えてから背を向けました。
「じゃあ、背中を洗え」
「......え?」
「俺は背中がかゆい。だから洗え。それとも食べられたいのか?」
少女はぶんぶんと首を振ります。
ウルフィンは特性のリンシャンを少女の手渡すと、早くしろと促しました。
「うーんっ。そこそこ。いや、もっと下、あぁ良いぞ」
ウルフィンの指示のもと、少女は拙い手つきで白くサラサラの毛を洗いました。
「すごい......、ふかふか」
少女は、輝きを取り戻したウルフィンの毛並みを撫でると目を真ん丸にしました。
「そうだろ」
褒められたウルフィンは、少しだけ飢えが満たされました。
◇◇◇
「うむむっ。この人食い鳥のソテーはなかなか。付け合わせの、あの世草のバター和えも良い」
部下の取ってきた素材を調理したウルフィンは、舌鼓を打っていました。
しかしながら今日は不思議と、いつもの焼け付くような飢えがありません。
半分くらい食べたところでお腹が一杯になってしまいました。
残すのも勿体ない、と悩んでいると隣でヨダレを垂らしている少女が目に入りました。
「食うか?」
カリッと焼けたソテーをナイフで切り、フォークに刺して差し出しました。
少女は、ごくりと唾を飲み込みます。
「良いの?」
「あぁ、食いたきゃ食えば良い」
すると、少女はフルフィンの持つフォークをカプリとくわえました。フォークを引いてやると、少女は口をもごもごさせます。
「ん~♪」
「どうだ、旨いだろ」
ウルフィンが呼び掛けると、少女はにっこりと笑ったあと、突然泣き出してしまいました。
ウルフィンは少し焦ってしまいます。
「ど、どうしたのだ? ま、まさか人間には有毒な食材がっ」
ウルフィンは大慌てで解毒薬を探し始めます。でもそれは少女の小さな手で引き留められました。
「......?」
「違うの。とっても美味しかった」
「なら、どうして」
「こんなに美味しいもの食べたことなかったし、こんな優しくされたのも......」
少女の潤んだ藍色の瞳は、ウルフィンの心にざわめきを生みました。
「......っ。勘違いするな。俺は、お前を太らせて食べたいから、食べ物を恵んだだけだ」
「......それでも良いの。ありがとう」
ウルフィンは無言のまま、残りの皿を差し出しました。逃げるように席を立ちます。
「全部食べろ」
そう言い残すとウルフィンは自室に向かいました。
後ろでかちゃかちゃと食器が鳴る音を聞きながら、ウルフィンは久しぶりの満腹感に包まれていました。
◇◇◇
ウルフィンが暗い自室の羽毛の中でウトウトしていると、不意にコンコンと扉の音が鳴りました。
でも、寝入り端だったウルフィンはそれを無視してしまいます。しばらくすると扉が開かれました。
薄目を開けて確認すると中に入ってきたのは、枕を持った少女でした。
夜目が聞かないためかヨレヨレとウルフィンの方へ近づいてきます。
「きゃっ」
地面に落ちていた書物に足を掛けて、バランスを崩してしまいます。そしてウルフィンの毛並みの中に、ぽすりと倒れてしまいます。
「むっー」
「......」
ウルフィンは寝た振りをしました。
本来なら少女にも部屋を与えたので、そこで寝るはずだったのに、と思案します。
「狼さん、起きてる?」
ポンポンと背中を叩かれました。
「Zzz」
「良かったぁ」
少女は勝手に羽毛の中に紛れ込むと、ウルフィンに抱きつきました。突然の行動にウルフィンは動揺します。
「狼さんって、お顔怖いけど優しいね」
「......」
「嘘、あんまり上手じゃないね」
「......」
「ふふ、別に良いよ」
少女は、すぐにスヤスヤと寝息をたて始めました。背中の真ん中辺りの温もりにウルフィンも少しずつ眠りに落ちていきました。
◇◇◇
少女が来てからというものの、ウルフィンの乾くことの無かった飢えは、少しずつ満たされていきました。
日々の生活に笑顔が増え、部下のソルトミールには逆に怯えられてしまっていました。
「狼さん、浴槽掃除したよ~」
「おぉ、ありがとう」
トテトテと走ってきた少女をウルフィンは、優しく撫でました。「えへへ」と少女が笑います。
最近では少しずつ肉が付いてきて、昔で言うところの“食べ頃”でしたが、ウルフィンの心の中には微塵もそんな欲求は浮かびません。
それどころかウルフィンの食事量はドンドン減っていっていました。
「いつも悪いなぁ」
「良いの。私は狼さんの役に立つことぐらいしか出来ないから」
「うむ、何か欲しいものはあるか? 今度プレゼントしよう」
「うーん、良いの?」
「なんでも良いぞ!」
少女は悩む素振りを見せましたが、やがて小声で言いました。
「狼さんの毛......」
「ん?」
「狼さんの毛、少しだけちょーだい!」
「なんだ、そんなもので良いのか」
ウルフィンは二つ返事で承諾すると、去年の冬ごもりの後、生え変わった毛を差し出しました。
光り輝く毛を受け取った少女は嬉しそうにスキップして、今ではすっかり共用になってしまったウルフィンの部屋に消えていきました。
少女は三日三晩徹夜して、ウルフィンの毛で自分のセーターを編みました。
白銀のセーターに身を包んだ少女を見たウルフィンは、まるで自分の子供が出来たように喜び、それを見た少女もにっこりと微笑ました。
◇◇◇
ウルフィンと少女の不思議な関係が始まってから、四ヶ月ほど経ったある日のことです。
ウルフィンの拠点としている穴蔵に、一人の青年がやって来ました。
流れるような金髪。すっと線の通った鼻筋。恐れを知らない透き通った瞳。
何よりその美しい鎧と神々しい剣は、勇者の象徴でした。
「やい、暴食のウルフィン! 貴様を討伐しに来た。覚悟しろ」
何も知らないままに、二人で歩いていたウルフィンと少女は驚きました。戸惑ったように顔を見合わせます。
「俺は、お前たち人間に被害を与えていない。どうせこの毛皮が目的だろ」
ウルフィン言うと、図星を突かれた勇者は真っ赤になって怒り始めました。
ウルフィンの種族の毛皮は美しく、人間界では高価だったのです。
「それは関係ない。お前は邪悪な魔物だ。成敗!!!」
しかしウルフィンは襲撃を何度か経験したことがあったので、勇者に一太刀を許さず、圧倒しました。
「この程度で勇者とは、片腹痛いな」
「うぐっ」
爪を伸ばして、勇者を切り刻もうとしたとき、悲しそうな顔をした少女が目に入り、一瞬躊躇ってしまいました。
勇者はその隙を逃さず、ウルフィンの股を抜けると少女の首に剣をかざしました。
「あははっ、魔物にしては強かったが、所詮動物。知恵は人間に及ばない」
動けなくなったウルフィンを勇者は笑います。
「お前、卑怯だとは思わないのか」
「卑怯? 分からないな。勝った者が正義だよ」
勇者は少女の首を聖剣で軽く撫でました。血が、つぅっと落ちていきます。
「おっと動くなよ。今すぐ、自分の喉をかっ切れ。そうすればコイツは解放してやる」
「くっ」
ウルフィンの心は揺れました。しかしすぐに決意を固めると、自身の喉に爪を押し当てました。
「待って!!」
その時、少女の声が響きました。
勇者が眉を寄せて不快そうにします。
「狼さんが私の代わりに死ぬなんて嫌だよ」
「うっせぇ、餓鬼。黙ってろ」
勇者は容赦なくその可愛らしい顔を殴り付けました。
少女は地面に崩れ落ちてしまいます。
「......お前!!」
ウルフィンは勇者を睨みつけました。
「良いの。私、狼さんと居て幸せだった。だからもう幸福なままで死なせて。一人は嫌だよ」
きれいな瞳から涙を溢した少女に、ウルフィンはどうすべきか分からず動きを止めました。
少女の頭を踏んだまま、その様子を眺めていた勇者は腹を抱えて笑いだしました。
「ああ、笑いが止まんないわ。魔物にも親子愛ね。そういうの見るとぶっ壊したくなるんだよね」
勇者は、そういうなり背中側から少女の心臓に聖剣を突き刺しました。
少女の口許から、こひゅっという変な音と共に血が溢れ落ちます。
「!!!!!!!!!」
血と共に少女の命が流れ出しているのを見ていると、ウルフィンの中に収まっていたはずの飢えが膨れ上がりました。
勇者は余裕の面持ちでそれを眺めてから、少女のセーターを剥ぎ取って顔を青くしました。
「え? 人間......」
「殺す......」
ウルフィンの意識が真っ黒に染まってしまいました。
しばらくして正気を取り戻したとき、勇者はわずかな血痕を残してどこにもいなくなってしまいました。
それでも言い様のない飢えに襲われて、ついに少女の死体に手を伸ばしました。
冷たくなってしまった少女の手を取り、口許に運びました。
自分と同じ石鹸の香りがして、胸の張り裂けるような悲しみに襲われます。
「俺はお前のことを何も知らない。名前さえ知らない。これからもっと一緒に居て、もっとお互いを知りたかったのに、なんで俺を一人にするんだ」
ウルフィンはじめて涙を流しました。
少女が居なくなってから、自分の心の飢えを満たしてくれていたのが少女だと気がついたのです。
その夜、魔の森には一匹の狼の遠吠えが響き渡りました。
◇◇◇
天の神様は、その光景を見て責任を感じていました。
勇者は、神が人間界に遣わせた天使の血族。それがここまで傲慢でネジ曲がっていたことにはじめて気が付いたのです。
天の神様は、冥界の神様に頼み込んで少女の魂を天界に引き渡して貰いました。
「不幸な魂よ。我が問いに正直に答えよ」
『......はい』
「我は、主の人生に同情した。来世は王族で、それも一年中遊んで暮らせる場所に生まれさせてやろう。嬉しいか?」
『......嬉しくない』
天の神様は眉を寄せました。
「来世を決めるなど、破格の提案だぞ。それでもか?」
『......はい』
「何故だ?」
『......、私は大切な人を残して死んだの。来世はウジ虫でも良い。だからっ』
「うむ、皆まで言わずとも良い」
天の神様は朗らかな笑みを浮かべました。
「その幸福を手放すでないぞ」
◇◇◇
ウルフィンは夜中休まず泣き続けたので、疲れて少女の体の上で寝てしまっていました。
深いふかーい眠りの揺りかごに包まれていると、不意に頭を撫でられている感覚で意識が戻りました。
目を開ければ、少女が微笑んでいます。
「なん、で」
「分かんない。でも嬉しい」
少女の神様と会った記憶は消されていました。でも最後の言葉だけはボンヤリと覚えています。
「狼さん。もう一度やり直そう」
「なにをだ?」
「まずは自己紹介。私、ルー。よろしくね」
「あぁ、俺はウルフィン、よ、よろしくな」
少女はにっこりと笑いました。
「じゃあ、ウルフィンさん。末長くよろしくお願いします」
「もちろんだとも、ルーよ」
二人は仲良さげに手を繋いだ。
赤い夕日に伸びた段差のある二つの影は、穴蔵の中に消えていったとさ。
おしまい。