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朝夕疾風記  作者: 桐谷瑞香
第一章 賽ノ地編
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第五話 朝靄冒頭記

「夕凪は賽ノ地について、どう感じているの?」

 風月庵の腰掛けでお団子を食べていた夕凪は、看板娘の撫奈(なづな)の質問にすぐに返すことができなかった。

 様々なヒトがおり、多くの者たちはとても優しい。だが時折聞こえる噂話や、自警団という組織が江戸よりも発達していないこの地では、一人で出歩くのは心許ない場所だった。決して治安がいいとは言い切れない。そう判断せざるを得なかった。

 言葉を選びながらそれとなく夕凪は伝えると、撫奈は難しい顔をした。

「そこら辺は個人の感じ方によるね。……あ、未亜(みあ)、ちょっと待って」

 撫奈にすり寄ってきた焦げ茶色の毛並みで緑色の瞳の猫は、その場でちょこんと座り込んだ。撫奈はお盆の上に乗っている和菓子の鮎焼きを放り投げる。猫は軽やかに飛んで、ぱくりと噛みつき、その場に降り立つとすぐに食べ始めた。

「変わった猫ですね……」

「猫っていうか、化け猫?」

「ば――……!?」

 夕凪が唖然としている間に未亜は鮎焼きを飲み込んで、一言鳴き声をあげると、ふさふさした尻尾を揺らしながら素早くその場から去っていった。その様子をただその場で眺めるしかできない。

 撫奈はくすっと笑いながら、夕凪を見下ろした。

「そうだ、夕凪。いいものを教えて上げるよ。あのね……」



 * * *



 そしてまだ辺りが暗い中、黒髪を軽く結った少女が提灯を片手に歩いていた。人影はほとんどなく、通りを歩いている人は魚などの食材を仕入れるために奔走していたり、警備のために巡回している人たちだった。

 夕凪はいつもより一段と大きな羽織を被って、黙々と通りを突っ切っていた。途中で欠伸もしつつ、歩を進める。

 目的の場所は東を見渡せる川原。事前に撫奈から詳細な場所は教えてもらっていた。メモ書きした紙をちらちら見ながら、足早に歩いていく。

 川が見えたところで左に曲がり、風月庵を横目で見ながらひたすら進んでいくと、目の前に赤い羽織を着た少年と紅掛花色(べにかけはないろ)の髪を揺らした少女が並んで歩いていた。よく見ると少年の右手はないのか、不自然に右袖の部分が揺れている。

 そして視線を落とすと、二人の間には金髪の間から小さな角が見える子供がいた。

 角を見るなり夕凪は目を輝かせ、思考を巡らして、知識を引っ張り出した。

 あの子は鬼の子だ。

 鬼の子を連れている少年少女たち。左にいる少女が談笑すると、右にいた青髪の少年が横顔を向ける。

 ヒトではあまり見られない真っ赤な目。

 まさか――。

 夕凪は立ち止まり、ごくりを唾を飲み込む。幸か不幸か三人は夕凪と同じ方向に進んでいるようだ。

 彼らの動向を注視しつつ、足をそっと前に出した。



「ごめんね、青ちゃん、無理言って来てもらって」

「……別に。こいつに駄々こねられて、うるさかっただけだ」

「でも正直言って、すごく助かっている。こんな夜道、竹千代くんと二人だと心細かったから……」

 きさらは胸の前に軽く握りしめた手を置いていた。その手は僅かに震えている。本当に心細かったようで、提灯の明かりを通じて見える表情は頼りないものだった。

 青と呼ばれた少年は視線を前へと戻しつつも、左手で持っていた明かりを僅かにきさらの方へと向けた。

 夕凪は赤い目をした少年を後ろからじっと見つめる。ふと一瞬少年の視線が後ろへと向けられた気がしてびくっとし、思わず物陰に身を寄せた。そっと物陰から彼らの様子を伺うと、向けられた気配は消えてしまっている。もう一度物陰に戻って、ふうっと息を吐く。

 少年はただ者ではないと、直感で感じ取った。しかし一緒にいるきさらという少女は普通の人間のように見える。

 人間と鬼の子、そしてまた別の種族かもしれない者が並んでいる。

 彼らのことを知りたいと思いつつも、夕凪は首を大きく横に振った。そして大きな巾着袋に伸ばそうとした手を止め、だらりと腕を垂らす。

 何をしようとしたのだろうか、自分は。

 幸せに過ごしている者たちの日常を壊すのが瓦版書きなのか。

 彼らのことを面白おかしく書いたら、もしかしたら多くの人の驚きを得ることができるかもしれない。だが、確実に変わってしまうものもある。それを背負いきれる覚悟はまったくない。

 彼らの背中が見えなくなるまで夕凪はその場にいようと思ったが、月が段々と降りているのに気づき、本来の目的を思い出して慌ててその地に向かって走り始めた。



 青ときさら、そして竹千代と呼ばれた鬼の子と目的の場所は同じだったらしく、夕凪が開けた河原にかかる橋の上を歩いていると、その河原にいる彼らの背中が再び見えたのだ。

 ふと目を凝らすと玖音とでこぱちの姿もあり、河原の端で五人は合流していた。

「待った? ハチと玖音」

「今、来たところ。迎えを寄越すって聞いて待っていたら、ハチが来たから……ちょっとびっくりした」

「女子供だけだと危ないかなと思って」

 ここに一人で来ている人もいます、と内心思いながら苦笑していた。

 そのやりとりをつまらなそうに見上げていた竹千代の頭に、玖音の肩に乗っていたハムスターが飛び乗った。竹千代は頭に手をやり、ハムスターを捕まえようとするが、ちょこまかと動くためなかなか捕まえられなかった。

 きさらはその様子を微笑みながら眺めている。

「金次郎も一緒だったのね。暗いから気づかなかった」

「いつも一緒よ。あたしの相棒だもの」

 引き続き竹千代は必死になって捕まえようとするが、金次郎の動きは素早く、再び頭の上へと戻ってくる。そして捕まえるために手で押さえようとした瞬間、軽々と宙を舞ったのだ。そしてそのハムスターはハチの顔にしがみついた。

 数秒間があったが、すぐに驚きの声をあげて、顔についたハムスターを捕まえようとする。

「金次郎、何するんだよー!」

 ハチの顔をひっかきつつ、上へと駆け上った。それを見ていた玖音は顔を真っ赤にして、叱りつける。

「何しているの、金次郎! 駄目でしょう!」

 玖音が大声を発しながら、ちょこまかと動くハムスターを共に捕まえようとした。ハチがよろよろと動き出してしまうため、必然的に青やきさらたちからは離れることになる。

「……何やっているんだ、あいつは」

 青は頭をかきながら、その様子を眺めていた。その横できさらがくすくすと笑っている。

「いいんじゃないのかな、たまには。ずっと張りつめていた状態だったから、少しは気分を変えてみても」

 その台詞を聞いた青はむすっとした表情のまま、きさらから視線を逸らす。ほんの少しだがきさらが青に近づいていた。

「青ちゃん、怪我だけは気をつけて。ハチと仲良くね」

「……わかっている」

「――必ず戻ってきてね」

「ああ」

 端的だが、はっきりと青は返事をした。その言葉を聞いたきさらはほっとしたような顔つきだった。



 それからしばらくして風が一瞬止み、青ときさらは持っていた提灯の火を消した。夕凪もそれに倣って、唯一の心のより所であった火を消す。

 辺りが少しずつ明るくなってくる。河原の向こう側からは太陽が少しずつ現れてきた。陽の光が辺りを照らし出し、闇に覆われていた賽ノ地に光を注ぎ込んでくれる。朝靄で包まれる場所に光が射し込むと、幻想的な雰囲気を漂わせてくれた。

 その様子を夕凪はただじっと見つめ続ける。

 見る者を引きつける美しい光景、そしてどことなく感じる懐かしさ――。

 無意識のうちに頬に涙が伝っていた。すぐに気づき軽く拭い、視線をすぐに前へと戻し、昇りゆく太陽を眺めていた。

 きさらや玖音、ハチは感嘆の声を上げ、青は口を閉じたまま、ただその光景を見ていた。



 やがて太陽が昇りきり、賽ノ地に朝が訪れると、ハチが大きく伸びをして、大声でぼやいた。

「あー、お腹空いた! きさら、ご飯!」

「ハチったら、食べ物のことしか考えていないのね。大丈夫よ、用意してあるから。戻って一緒に食べましょう」

 きさらがハチに向かってにこりと笑いかける。ハチは目を爛々と輝かせて、首を縦に振った。後ろでは竹千代も笑顔で飛び上がっている。

「玖音もせっかくだから食べよう。青ちゃんも、皆で食べようね!」

「きさらの料理、美味しいから、楽しみ!」

「……わかったよ」

 玖音が嬉しそうに言葉を発し、青がぶっきらぼうに返すと、五人は並んで河原を歩き始める。

 その様子を夕凪は微笑みながら橋の上から見下ろしていた。やがて彼らが去ると、北東に視線を向けてぼそっと呟いた。


「朝日が昇る。始まりの朝が――」



 長屋へと戻る途中で風月庵の前を通り過ぎようとすると、既に店を開けていた店主と視線があう。ちょうど朝の掃除をしている最中で、手には箒とちりとりが握られていた。

「おはようございます」

「ああ、おはよう。早いな、こんな朝早くから」

「撫奈さんの勧めで、朝日を見ていたんです。とても素敵なものだと言われまして」

「朝日はこの賽ノ地で自慢できる風景の一つだな。靄と光の掛け合わせなんか、特に気に入っている」

 店主はにこにこしながら、首を縦に振っていた。夕凪は一礼してその場を離れる。だが店主が背中に向かって声を投げかけてきた。

「ちょっと待った!」

「何ですか?」

 疑問符を頭に浮かべながら夕凪は振り返る。風月庵の店主はにやりと笑みを浮かべていた。

「お茶漬けでも食べていくか? 簡単なものになるが」

 夕凪は目を丸くしつつも、すぐに頬を緩ませてしっかりと頷いた。

「はい!」

 店主に促されて中に入ろうとすると、店の外の端でうずくまっていた猫の未亜が鳴き声をあげながら、寄り添ってくる。化け猫と呼ばれた猫が寄ってきて一瞬びっくりするが、すぐにその警戒も解いて、屈んで頭を撫でた。

「先入観は絶対に駄目ね。ヒトをなかなか信じられない、情勢が不安定な今だからこそ、しっかりと見極めるためにも時間が必要なのかもしれない」

 中から声を投げかけられる。夕凪は未亜から手を離すと、足早に中へと入っていった。

 大きくなっていく太陽を背に受けながら。





 以下、今回の話で出た登場人物の設定考案者です。


 *撫奈、風月庵の店主 (べあねこさん)

 *未亜 (ごんたろうさん)

 *青 (早村友裕さん)

 *きさら (緋花李さん)

 *竹千代 (花垣ゆえさん)

 *耶八(でこぱち、ハチ) (猫乃鈴さん)

 *玖音 ((仮)さん)


 皆さま、どうもありがとうございます!

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