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朝夕疾風記  作者: 桐谷瑞香
第一章 賽ノ地編
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第四話 宵闇宴席記

「ああ、遅くなっちゃった……。どこかでご飯食べて帰ろうかな」

 辺りが暗くなり、提灯の明かりがぼんやりと通りを照らす頃、夕凪は足早に通りを歩いていた。まだ完全に陽が落ちてから間もない時間帯であるため人通りは多いが、あまりに遅くなると女一人で出歩きにくくなるだろう。

 よく昼に訪れる茶屋“風月庵”の前を通り過ぎようとすると、明かりが漏れているのに気づく。昼は茶屋だが、夜は酒も含めた飲食を提供していると聞いたことがあった。軽食くらいならいただけるだろうと思い、夕凪は暖簾(のれん)をくぐった。

「いらっしゃいませ! ――あら夕凪じゃない、珍しいね、こんな時間に」

 撫奈(なづな)の元気な声が飛び込んでくる。胡桃(くるみ)色の髪の女性が頬をほんのり赤くしながら出迎えてくれた。

「帰りが遅くなったので、ここで食べていこうかと思い……」

「ああ夕飯ね。好きなものを注文すればだいたい出てくるから、遠慮なく言ってちょうだい」

 そう言うと撫奈は厨房ではなく、客席の奥へと行ってしまった。そこには楽しそうに笑っている猫西音羽(ねこにしおとわ)、通称こにしきの姿がある。撫奈と彼は仲が良い間柄だと思い出す。

 その様子を横目で見つつ、夕凪は店の端にある椅子に腰をかけようとすると、撫奈が大声で言葉を投げかけてきた。

「そうだ、夕凪、こっちで一緒に食べない? 無理に飲ませたりしないからさ!」

 いつもよりもさらに明るい声をあげて酒を楽しんでいる撫奈に「無理に飲ませたりしない」と言われても、あまり説得力のないことだった。だが食事は誰かと楽しんで食べた方が美味しく感じらえる。彼女の勢いに飲まれないよう肝に銘じながら、夕凪は二人がいる席へと足を向けた。

 移動している間に暖簾がめくられ、むさ苦しいくらいに髭を生やした男性が中に入ってきた。撫奈は彼を見ると、手を大きく振った。

「虎ひげさーん、こっちこっち!」

「おお、撫奈殿、そこであったか。今行く!」

 以前、でこぱちに川へ突き落とされた男性が、机の合間を通りながら近づいてくる。夕凪は彼を見ると思わず足を止めそうになったが、撫奈に腕を握られ、無理矢理連れてこられた。彼女は自分が座っていた音羽の前へと夕凪を座らせ、自分は虎ひげの前へと座り込んだ。

 虎ひげは夕凪のことを見ると目を丸くした。

「そちらのおなごは……」

「夕凪よ。江戸から賽ノ地に出張に来ている、瓦版を書いている子。せっかくだから一緒にご飯食べようと思って」

「ほう、そうか……」

 酒を飲んでいないにも関わらず、虎ひげの頬が赤くなったのはおそらく気のせいだろう。

 夕凪はおつまみを、撫奈はさらに酒を追加する。それを聞いた夕凪は一杯くらいつき合うと思い、お猪口を追加して持ってくるよう頼んだ。注文が済んだところで多種多様な三人を眺めながら、夕凪は撫奈に問いかける。

「三人は仲がいいのですか?」

「飲み友達ってやつ? こにしき、こう見えて酒豪でさ、私も飲めるから意気投合しちゃって。あと寂しそうにしている虎ひげさんをこにしきが連れてきたのをきっかけとして、よく三人で飲んでいるの。二人の話を聞いていると面白いからさ」

「へえ、そうなんですか……」

 夕凪は三人のことをちらっと見比べた。音羽と撫奈の仲がいいのはわかる。歳も同じくらいで、雰囲気も似てなくはないからだ。その中で虎ひげという髭を生やした男性が入ってくるのは……少々首を傾げざるを得ない。

 風月庵の店主が日本酒が入っている徳利とお猪口を持ってくると、撫奈は虎ひげと夕凪にお猪口を持たせ、日本酒を注いだ。全員のお猪口に酒が入ったのを確認して撫奈が乾杯の音頭を取った。

「では今日もお疲れさまでした。かんぱーい!」

 軽くお猪口を触れ合わせてから、四人は日本酒に口を付ける。夕凪は僅かに舐める程度だが、撫奈と音羽、虎ひげは一気に飲み干していた。

「はあ、美味しい! こにしきと二人で飲むのとはまた違った美味しさがある!」

「今注文したこのお酒も美味しいね。風月庵が揃えているお酒はそれぞれ独特の美味しさがあるよ」

「いやはや、楽しくなってきたな! 夕凪殿ももっと飲めばいいではないか!」

 虎ひげが目敏く夕凪のお猪口に残っている酒を指で示す。それを聞いた夕凪は苦笑いをして、内心思った。


 既に酔っているのか、この人は。


 撫奈と視線が合うと、軽く片手を上げられて、申し訳なさそうな表情をされる。夕凪は仕方なく虎ひげの言動を受け流し、出された漬け物をぽりぽりと食べ始めた。

「虎ひげさん、最近どうなのお仕事? こにしきは内部処理が多いから、話を聞いていてもあまり面白くなくて。虎ひげさんは外回りなんでしょう。何かあった?」

「最近はそうだな……ちょろちょろ出回っている盗賊を捕まえようとしたが、惜しくも逃げられてしまっている」

 お猪口を置いて、ぎゅっと拳を握りしめる。

「まったく逃げ足の素早い奴らめ。しかも向日葵色やら赤い上着なんぞ目立つ服を羽織って! 盗賊というのはもっと隠密に行動をするものだ。目立たない服を着てこっそり侵入して事を為すのが道理だろ。なぜ道のど真ん中を歩いているんだ! なぜひらひらした服を着ているんだ! なぜ登場したばかりのわしを蹴落とすのだ。何なんだ、あの盗賊たちは……」

 段々と口調が速くなり、しまいには泣き出してしまう始末。音羽が乾いた笑いをしながら、虎ひげの背中をさすっていた。

 別に盗賊たちの服装など彼らの勝手なのだから、いちいち言及することではないだろう。

 夕凪は心の中でつっこみをしつつ、赤々としたマグロの刺身を一枚口の中に入れた。その美味しさを噛みしめながら、小さく微笑んだ。



 虎ひげの愚痴から、音羽の近居報告まで、撫奈が適度に相槌を入れつつ話が進んでいる中、外から客が二人入ってきた。

 視線を上げてその人物を確認すると、夕凪は目を大きく見開いた。

 切れの長い目の銀髪の町娘と、鮮やかな赤毛を高めに結い上げ、肌かけの下からは濃い刺繍が見られる男性が入ってきたのだ。

 夕凪の記憶が間違っていなければ、彼は町奉行の近松景元(ちかまつかげもと)と、そのお付きの朋香(ほうか)。数年前に町奉行の職につき、荒れた賽ノ地をここまで再建した人として有名である。町の中で彼の評判を聞くと、良い奉行者だと多くの者が口を揃えて言っていた。

「親父、日本酒を一合とお猪口二つ」

 景元たちは入り口からやや近い席に腰を下ろす。風月庵の店主は冷やを出しながら、溜息を吐いていた。

「景元様、来てくれるのは有り難いが、溜まっているツケはいつ返してくれるんだ?」

「そう焦るなよ、親父。とりあえず酒をくれ。それから考えるさ」

「まったく、その台詞を何度聞いたことか。……まあ日々色々と大変なようだから、迷惑かけない程度に気が済むまで飲んでいってもいいが、あとできっちり返してもらうからな」

 店主は肩をすくめながら厨房へと戻っていく。夕凪はその一連のやりとりに、目を瞬かせながら眺めていた。

 景元のことは以前遠目から見たことはあるが、ここまで接近して見るのは初めてである。しかも仕事をしている時ではなく飲もうとしているとき――私的な用事の彼を見るのも、もちろん初めてであった。

 風月庵での食事はツケており、未だに支払っていない……脳内に記憶をしつつ、景元の様子をじっと見つめながら、水を軽く一杯飲んだ。

「夕凪殿、酒はいらぬか? お冷やなんぞ、飲んでいないで――」

「結構です、虎ひげさん。私、あまりお酒は飲まないので」

 虎ひげからの誘いをきっぱり断る。酒を飲んで酔っぱらってしまい、貴重な町奉行の日常的な動向を見逃すわけにはいかない。瓦版の記事のネタとは別に彼自身に興味がある。何事にも興味を抱く性格が密かに現れだしていた。

 撫奈から差し出された熱々の厚焼き玉子を食べつつ、景元と朋香の様子をじっと見つめていた。

 風月庵の店主から徳利とお猪口を受け取ると、朋香が徳利を持ち、景元が持っているお猪口へと酒を丁寧に注ぎ込んだ。美しい横顔だなと思いながら、つい惚けて見てしまう。注ぎ終わると次に景元が朋香へと酒を注ぎ込む。それが終わると二人でしめやかに乾杯し合った。

「あれ、景元様と朋香さんだ。またお金払わないで行くのかな」

 頬が仄かに赤い音羽が、ようやく二人の存在に気づき、横目で眺めていた。

「お金を払わないのはいつものことなんですか?」

 夕凪が疑問を口にすると、撫奈が笑いながら声量を抑えずに大声を発する。

「私が見ている限り払ったところは一度も見たことがないわ。お偉いさんだから、むしろ多めに払うくらいが常識だと思っていたのにね。まあきっともっと稼ぐようになったら、五割り増しくらいで返してくれるでしょう! だって賽ノ地で一番偉い人なんだから! それくらいしてくれないと困るって!」

 あははと笑っていると、夕凪たちが使っていた机に黒い影が落ちた。視線を上げると、顔をひきつらせている景元の姿がある。

「おい、看板娘さんよ、俺の印象を落とすような言葉は出さないでくれるか?」

「あ、景元様、こんばんは。私、何か言いましたっけ? 事実しか言っていませんよ?」

 にこにこしながら撫奈は受け流す。笑い上戸なのか、酒が入る前よりも声を出して笑うことが多くなっていた。

 景元は頬をぴくぴくとさせながら言葉を漏らす。

「まったく、ここではゆっくりと酒すら飲めねえのか?」

「景元様、少しは周りを気にして言葉を出した方が賢明ですよ?」

 そう言うと撫奈は夕凪の腕をぎゅっと握りしめて寄り添った。

「この子のお父さん、江戸で瓦版を書いているんですよ。あまり変なことをすると江戸にまで噂が広がっちゃいますよ?」

「な、撫奈さん、何を言っているんですか。別に書きませんよ、そんなこと……」

 景元が話題に出された夕凪のことを、目を細めながらじっと見つめてくる。髪の毛から上半身で見える範囲まで。そしてぼそりと呟いた。

「お嬢さん、歳は?」

「十八ですが……」

「十八か……。可愛いが、もっと頑張らないと、いい体――ぐはっ!」

 空になったお猪口が投げられ、景元のおでこに容赦なく当たる。撫奈が拳を握りしめながら立ち上がった。騒がしかった店内が一瞬で静まる。

「痛っ……! おい撫奈、何しやがる!」

「何しやがる? それはこっちの台詞よ! いくら景元様でも私の友達に手を出さないで!」

「は、何を言って――!」

 平皿が宙を舞い、景元にぶつかる前に、彼はしゃがみ込んで難を逃れた。後ろで朋香が軽やかに飛んで皿を捕まえる。

 撫奈から発せられる殺気を感じ取った景元は三歩下がり、距離を取った。

「わ、わかった、俺が悪かった。だから大人しく……おおっと!」

 汁物を入れるための小皿が投げ出される。それを景元は避けることなく受け止めた。だが次の瞬間、彼は表情をぎょっとさせた。撫奈がぽろぽろ涙を流していたからだ。

「本当に信じられない! どうしてあいつはあなたみたいな適当な人間を慕うのか、意味がわからない!」

「撫奈さん……?」

 突然の豹変ぶりに夕凪たちでさえも、まったく状況が掴めなかった。

「岡っ引の格好したって、変わるわけでもないのに……。ああ、本当にあいつは馬鹿。大馬鹿ものよ……!」

 撫奈は座り込み、両腕を机の上に置いて、その中に顔を埋め込んだ。始めは鼻をすすっていたが、しばらくすると寝息が聞こえてきた。

 彼女の周りには空になった徳利が大量に置かれている。飲み過ぎて眠くなってしまったのだろうか。

「すみませんねぇ、うちの店員が」

 風月庵の店主が羽織を一枚持ってくるとそれを撫奈へとかけた。そして空になった徳利や皿をお盆に乗せている間に、夕凪は軽く首を横に振った。

「いえ、疲れていたみたいです。ゆっくり休ませてください」

「酒は強いほうなんだけどね、たまに羽目を外しちまうらしい。まああとで起こしておくから、そのままにしておきな」

 そう言い残して店主は中へと引っ込んでしまった。

 周囲を見るといつしか喧噪は戻り、他の客たちは自分たちの酒飲みへと戻っている。また騒がしくなり始めたのを実感し、夕凪は残っていた水を飲み干した。

 だいぶ時間も経過してしまった。そろそろ戻らなければ遅い時間の夜道を一人で歩くことになる。

 何銭か机の上に置いて、夕凪は立ち上がり音羽と虎ひげを見下ろした。

「今日はご飯をご一緒できて楽しかったです。そろそろ私はここで」

「撫奈のことは見ておくから、安心して帰りなよ」

「夕凪殿、一緒に飲めて嬉しかった。気をつけて帰るように」

 二人に一礼をすると夕凪はそそくさとその場を後にした。景元と朋香に軽く会釈をしつつ、風月庵を出る。

 そしてほっと一息をついたところで、ぽつりと呟いた。

「いろいろな人がいるんだな……」

 そう言葉を零しながら、夜が更ける前に足早に帰路へとついた。



 以下、今回の話で出た登場人物の設定考案者です。


 *撫奈、風月庵の店主 (べあねこさん)

 *猫西音羽 (おくらさん)

 *虎ひげ (卯堂成隆さん)

 *近松景元、朋香 (タチバナナツメさん)


 皆さま、どうもありがとうございます!

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