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朝夕疾風記  作者: 桐谷瑞香
第一章 賽ノ地編
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第三話 夕暮恋慕記

 賽ノ地が茜色で覆われる時間帯、夕凪は大きく伸びをしながら道を歩いていた。真っ黒い髪もうっすらと色づき、もう少しすれば夜の帳が訪れるだろう。通りに視線を送れば、暗くなる前に足早に家へと戻る者や、これから一杯飲もうという人々など様々なひとが歩いていた。

 そのような人たちを眺めながら、今日もよく動いた自分を労うために、夕凪は風月庵に立ち寄ることにした。

 その時、反対方向から夕凪よりも背が低く、小柄な袴姿の人間が近づいてくるのに気づく。そして黒檀(こくたん)の髪を後ろに細かく編んでいる、黄金に近い鶯色(うぐいすいろ)の瞳と視線が合った。

「夕凪殿ではないか!」

「あら、立待(たちまち)じゃない」

 二人は嬉しそうに駆け寄り、風月庵の前で出会った。立待の肩には竹刀が担ぎ上げられており、その先に大きな袋が吊り下げられている。

 夕凪が目を瞬かせていると、立待は袋を見て、ああっと声を漏らした。

「出稽古の帰りです。父上の道場以外にも賽ノ地には多数の道場がありますので」

「今日も汗を流して鍛錬に励んでいたの。真面目ねえ」

「いえ、日々鍛えていなければ有事の際に適切な対応ができませんから」

 模範解答のような返答をされ、夕凪は口をつぐむ。真面目なのはいいが、少しくらい息抜きも必要である。

 夕凪はぽんっと立待の肩に手を置いて、風月庵を視線で示した。

「少し時間ある?」

「多少はありますが……」

「奢るから、お団子食べていこう」

「え……!? しかし……」

「たまにはいいでしょう。立待と話もしたいしね」

 顔を正面に戻すと、立待は観念したのか、肩をすくめつつも微笑んだ。

「わかりました。せっかくですので、夕凪さんにご馳走になります」

 一瞬見せた年相応の笑顔を見て、夕凪はほっと胸をなで下ろした。



 立待は浅葱家の次期当主として期待されている少女だ。胸が小さく、格好も袴が大半であり、常日頃剣の修行に明け暮れているため、男とほぼ間違えられるが、れっきとした女である。だが女であると知られると分が悪いと聞いているため、夕凪は決して言葉には出さないようにしていた。

 立待を見ていると、江戸で暮らしている妹のことをつい思い出してしまう。彼女ほど真面目ではないが、何かに対して一心に取り組む姿はどことなく似ていた。また妹と歳があまり変わらないのも一つの理由としてあるだろう。

 だからこうしてついつい気にかけてしまうのだ。

 二人は談笑しながら風月庵の中に入ろうとすると、その前に中から一人の青年が出てきた。立待が彼を見ると、びくりと肩を上下させた。青年も二人と視線が合うと、眼鏡越しから目をぱちくりさせる。

「夕凪さんと立待さん……?」

「景雲さん、お久しぶりです」

 夕凪が物腰柔らかな青年に挨拶をすると、景雲は笑顔で返してくれた。

「お久しぶりです。風月庵でお茶でもなさるのでしょうか?」

「はい。せっかく立待と会ったので、少しゆっくりしたいなと思いまして」

 寒色の着流しに羽織り姿の景雲はさりげなく体をどけて、道を作ってくれる。ささやかな気遣いもできる大人の男性に、好意を寄せる者も少なくない。

「ありがとうございます」

 夕凪と立待が風月庵の中に踏み入れ、その後に景雲が外に出ると、中から大きな声で待ったをかけられた。

「景雲、まだ時間大丈夫か?」

 岡っ引きの格好をしている少年――(らい)が暖簾に手をかけて、顔を覗きだした。

「何ですか、雷?」

「もうちょっといないか? 美味しい新茶、一杯いれるからよ」

「はあ……。まあ多少は時間がありますし、雷がそこまで言うのなら」

 景雲は首を傾げつつ、再び風月庵の中へと引き返してきた。

 陽が高く昇っているときよりも人の量はまばらである。もう少し時間が経過すれば、夜に訪れる客層になり人も増えるだろうが、今はちょうど昼と夜の境目のようで落ち着いた時間帯だった。

 夕凪と立待は店の奥で向かい合って座り、景雲は雷に促されるまま入り口から近く、入ってきた人と視線が合う、一番目立つ場所へと腰をかけさせられた。

 立待の視線が景雲へと向いているのを夕凪は察しつつも、不自然でないように声をかける。

「立待、何を食べる?」

「あ、はい、お団子でよろしいです。風月庵で一番有名な」

「わかった。――すみません!」

 お茶を運びに来ていた雷に声をかける。彼の口元が僅かだがにやけていた。

「注文をお願いします。お団子二皿ください」

「はいよ!」

 雷が元気よく返事をするのと同時に、暖簾をくぐりながら中に入る人がいた。下駄をならし、簪についている飾りが涼やかな音を鳴らせる。音につられて夕凪が視線を向けると、一人の若い女性が立っていた。

 背は夕凪よりも高く、雷よりも若干低い程度だろうが、高さのある下駄を履いているため同程度に見える。赤い口紅をさし、やや過度すぎる程の化粧をし、派手な着物を着ていた。だがその面立ちは誰もがついつい振り返ってしまいそうな美しい女性である。

 そして彼女は景雲を見るなり、駆け寄ったのだ。

「景雲様!」

 目を丸くしている景雲を余所に女性は彼を横から抱きしめた。豊満な胸を彼の体に押しつける。立待の表情がやや強ばった。

「お久しぶりです! 私のこと覚えていらっしゃいますか?」

「……以前色街の入り口でお声をかけた人でしょうか?」

「そうです! あの時景雲様に助けて頂かなければ、私危なかったんですよ!」

「助けただなんて、大袈裟です。ただ君が嫌そうな顔をしていたから、妙だなと思いまして……」

「私のことが気になってくださったんですね。嬉しいです!」

 女が景雲から離れると同時に、立待の表情が幾分和らいだ。お茶に手を伸ばそうとするが、彼女の次の言葉を聞いて伸ばしていた手が止まった。

「雷君、私にも景雲様と同じお茶とお団子頂戴!」

「はいよ!」

 雷が元気よく挨拶して厨房へと入っていくと、女性は景雲の左隣に座った。立待はやっとの思いで掴んだ湯飲みを口に付けて、上品にすする。そして深々と息を吐くと、夕凪のことをちらりと下から見た。

「夕凪殿、すまぬがここでお暇してもよろしいでしょうか?」

「え……? まだお団子出てきていないわよ。……様子がおかしいわね、体調でも悪くなった?」

「……少々出稽古の疲れが出てきてしまったようです。申し訳ありません」

「私は別にいいけど……」

 見る見るうちに顔色が悪くなり、舌が回らない立待の姿を見れば、誰もが強いて止めることはしないだろう。

 団子を持ってきた雷に包むよう頼んで、先に勘定を済ませてから外に出た。夕暮れ時、吹き抜ける風は心地よくも若干冷たい。

「本当に申し訳――」

「そんなに謝らないで。無理しなくていいのよ」

 あの女性が入ってきてから明らかに立待の様子は変わっていた。彼女の浮いた雰囲気が、真面目すぎる立待には毒だったのか、それとも別の意味からかはわからないが、一度あの人からは離れた方がいいだろうと踏んだのだ。

 外にある腰掛けに座ろうとすると、一人の少女の姿をした人間が橋の向こうから歩いてきていた。躑躅色(つづじいろ)の着物に身を包み、立待と同じ黄金に近い鶯色の瞳をしている。

「あら……? まだ道場にお戻りではなかったのですか?」

 立待の弟である居待(いまち)が軽く首を傾げながら近づいてくる。姿は少女だが、中身は男である。なぜこの子がそのような格好をしているかは知らないが、初見ではだいたいの人間が騙されてしまうほど、見事な女装っぷりだ。

「少し夕凪殿と話をしていた。これから戻る」

「顔色が優れないように見えますが……」

「問題はない」

 無理に笑顔を作るがあまり説得力のあるものではなかった。居待も軽く眉をひそめている。

 立待は二人が心配して眺めているにも気にもとめずに、平静を整えようと軽く胸に手を当てて呼吸をし始める。

 しかし風月庵の中から聞こえていた男女の声が大きくなり、やがて二人が外に出てくると、立待は肩をびくりとさせた。

「ねえ、景雲様。このあとお時間があったら私の部屋に来ない?」

 まとわりつくような甘えた声を出しながら、女は景雲の腕に手をぎゅっと巻き付けていた。胸を押し当てられている彼の頬が仄かに赤い。

 立待が歯噛みをしながら視線を逸らしていると、団子を包んだ雷が店の中からやってきた。

「ほらよ、夕凪。お待たせ」

「ありがとう、ら――」

 夕凪はお礼を言いながら受け取った途端、道に向いていた背中に激しい衝撃が走り渡った。団子が入った包みが手からこぼれ落ち、夕凪も前のりに倒れ込む。

 その隙に地面に転がった包みを、無精ひげを生やした見知らぬ男が拾い上げた。口元にはうっすらと笑みを浮かべている。夕凪がひるんでいる隙に、男はその場から去ろうとした。

 だがその前に、横から伸びた竹刀が男の腹を軽く弾く。男はほんの僅かに視線を向けると、その隙に振り上げられた竹刀が男の手元を軽やかに叩いた。

「……痛っ!」

 手から放した団子の包みが地面に落ちそうになるが、傍にいた躑躅(つつじ)色の着物の人間がそれを寸前で拾い上げる。そして竹刀は既に頭上まで振り上げられ、小気味のいい音と共に男の脳天を直撃した。

 男はうめき声すら発することなく、その場に気絶した。



「夕凪さん、お団子ですよ。お気をつけてお持ちくださいませ」

「あ、ありがとう……」

 夕凪は立ち上がり、居待から団子が入った包みを受け取る。立待は竹刀の先端を団子を盗もうとした男の顔にしばらく突き刺していた。その鶯色の瞳は鋭く、迂闊に声をかけられる雰囲気ではない。

 だが雷が店の中から縄を持ってきて、男の手を後ろ手にして縛り上げると、ようやく彼女は緊張の糸を解き、一息を吐いた。踵を返して無造作に放り投げられた竹刀袋を拾い上げる。

「――怖いわ、盗人だなんて」

 誰かに囁く甘い声が耳の中に入ってくる。

「大丈夫ですよ、賊は退治して頂いたようですから」

「そうみたいね。でも私だったら怖くて、あの子みたく盗人を叩けないわ。ねえ景雲様、私の身に何かがあっても守ってくれるよう、傍にいてくれない? 私、弱い女だから……」

 女は顔を景雲の口元のすぐ傍にまで寄せる。魅惑的な唇が景雲の唇を求めていた。

 立待は竹刀を袋に怖々と入れていく。

 景雲はくすっと笑い、女が寄せていた手に触れた。女の口元が緩む。だがその手を掴むなり、彼は女を引き離した。目を丸くする女性からさりげなく一歩下がった。

「私には貴女様を守れる技量は持ち合わせていませんよ。剣術に関しては多少心得はありますが、それもまだまだの腕です」

「そんなことないですよ、景雲様の腕なら!」

「貴女様のような魅力的すぎる女性には他の男性からも多数お声がかけられるでしょう。その方たちに護衛をお願いしたほうがいいですよ」

「でも……」

「私、実は待ち人がいるのです。その方を待たせてはいけないので、ここら辺で失礼いたします。――お元気で」

 そう言い切ると、景雲は柔らかな拒絶の意味を示すかのように、背を向けて歩き出す。女はわなわなと震えながら、悔しそうな表情をする。そして口を尖らせて踵を返してその場から去っていった。

 その様子を景雲はちらりと横目で見つつ、夕凪たちの近くにまで寄ってきた。

「皆様、大丈夫ですか? 特に夕凪さん、ぶつかられましたよね?」

「お気遣いありがとうございます。私は大丈夫ですが……」

 夕凪は俯いている立待に視線を向けた。景雲は一歩彼女に近づき、微笑みながら優しく声を投げかける。

「大丈夫ですか?」

「自分も大丈夫です。いらぬご心配をかけてしまい、申し訳ありません」

「――先ほどは見事な竹刀捌きでした」

「いえ、まだまだ未熟な身です」

「そんなことはありませんよ。――もしよろしければ、今度どのように捌くのが適当なのか教えてくれませんか?」

 立待は目を丸くして顔を上げた。穏やかな表情をしている青年と視線が合う。夕陽が二人を照らし出し、赤く染めていた。立待の頬はいつになく赤いようだ。

 その様子を見ていた居待は下がりながら、一人で別方向に歩き始めた。夕凪は何も言わずに去る少年を呼びかける。

「あ、居待!」

「――行くところがありますので、ここで失礼いたします」

「お団子拾ってくれて、ありがとう!」

「いえ、たいしたことはしていませんわ。すべては姉上の剣術のおかげです。その点をお忘れなく」

「う、うん……」

 鶯色の鋭い瞳を向けられて、夕凪は一瞬びくっとする。居待が離れていくと、速くなっていた鼓動が少しずつ落ち着いてきた。

 時折殺気に似たものを発する居待。謎が多い子でもあり、下手に敵には回したくない子であった。

 夕陽が夕凪たちを暖かく包み込んでくれる。

 美しい色合いを見ながら、夕凪は沈みゆく太陽を眺めていた。

 以下、今回の話で出た登場人物の設定考案者です。


 *立待、居待 (加藤ほろさん)

 *景雲、雷 (タチバナナツメさん)


 皆さま、どうもありがとうございます!

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