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朝夕疾風記  作者: 桐谷瑞香
第一章 賽ノ地編
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第二話 雨中喧騒記

 その日は昼ぐらいまでは太陽が辺りを照らしていたが、時間が経過するにつれて雲が空を覆っていき、やがて雨が降り始めた。それは降り出してから僅かな時間で本降りとなり、通りを歩いていた人たちは慌てて軒下へと避難している。

 夕凪も小降りの間は歩調を速めている程度だった。だが大降りになり、急いで雨宿り先を探し出している最中に茶屋『風月庵』を見つけて、中に飛び込んだのだ。外に置かれていた腰掛けはびしょ濡れである。

「いらっしゃい!」

 はきはきとした元気な女性の声が耳に飛び込んでくる。振り向くと、緑系統の着物に生える胡桃色の髪を持つ女性が手ぬぐいを差し出していた。

「ほら、風邪引く前に拭きなよ」

「ありがとうございます、撫奈(なづな)さん」

 笑顔で受け取ると、夕凪は濡れた髪を手拭いで拭き始めた。

 手ぬぐいを渡してくれたのは、風月庵の看板娘である撫奈。夕凪とも比較的歳が近く、お互いに噂話に敏感なため、通う度によく話し込むようになっていた。店の中は撫奈から手ぬぐいを渡された人で大多数を占めている。

「急に降り始めたから手近な店に入るのでみんな精一杯だったみたい。おかげで店は人でいっぱい」

「けどその分繁盛しているのではないのですか?」

 風月庵の主人がお盆に団子と茶を乗せて歩き回っている。忙しそうに見えるが表情はどことなく嬉しそうである。それを見た撫奈は苦笑した。

「まあ、それなりにね。夕凪もいる? 安くしておくよ」

「それなら喜んで」

 即快諾すると、撫奈はにやりと笑みを浮かべながら、店の奥へと入っていった。

 夕凪は近くに空いていた椅子に腰を掛ける。そしておもむろに店内を見渡した。いつもは外に並べてある腰掛けを使用しているため、店内を見る機会はあまりない。

 店内は無駄なものはなく、達筆に書かれたお品書きが左右に張られている程度。全体的にこざっぱりとした印象を受ける店だ。

 一通り見ると、夕凪は持ち歩いている大きな巾着袋を机の上に置いた。雨が降り始めてからすぐに袂の中に隠したためびしょ濡れではないが、さすがに大雨には対応できなかったのか、若干端が水で浸みている。この中には商売道具でもある、記事のネタを記した紙が入っている。

 もし仲間で水が浸透して、文字が滲みでもしたら――大損害である。

 ごくりと唾を飲み込み紐に手を伸ばした。



 だがその行為は入り口付近から聞こえた第三者の声によって阻まれる。水たまりを踏み分ける音と共に、一人の女性が中に入ってきた。

「すまない、しばらく雨宿りをさせてはくれぬか?」

 凛とした女性の声に惹かれて、夕凪の視線は自然と入り口へと向く。

 花緑青(はなろくしょう)色の髪を緩く結い上げ、輪を作っている女性がそこにはいた。意志の強そうな翡翠色の瞳から察すると、声と雰囲気が良く似合っている方のようだ。彼女の美しい髪からは水が滴り落ちている。

「あら、鳥之介(うのすけ)様のところの(よう)ちゃん?」

 撫奈が暖簾を上げて店に入ってきた女性を見る。視線が合うと軽く頷き返された。

「すまぬが雨が止むまでこちらにいてもいいか? よろしければ団子も頂きたい」

「ちょっと窮屈になってきたけど、どうぞ。――はい、これよかったら使って」

 撫奈は畳んで山になっている手ぬぐいから一枚取り出し、葉に手渡した。彼女は「申し訳ない」と堅い言葉を発しながら受け取り、濡れた髪に手ぬぐいを当てながら水滴を吸い始めた。

 その間に夕凪の目の前には団子が置かれる。

 黄金色の輝きを放つタレが団子を包み込み、そこから皿へとぽたぽたと落ちた。さりげなくついている焦げが、タレとの色合いを鮮やかにしている。

 串を持ち、一粒団子を口の中に入れ込んだ。ちょうどよい食感、甘すぎないタレ。どんな状況下であっても、風月庵の団子を食べるとそれだけで心が躍りそうである。

「とても美味しそうに食べるのだな、団子を」

 飲み込んだ直後に耳に飛び込んできたのは、あの凛とした声。ぎょっとして思わずむせそうになったが、そこは理性がどうにかして押さえ込む。

 視線を正面に戻すと、葉と呼ばれた女性が腰をかけていた。

「相席してもいいか?」

「は、はい、どうぞ!」

 他の席にはおじさんから少年まで大多数が男で占めている。女性の夕凪の元に来るのはある意味必然であろう。

 せっかくの機会である。この素敵な女性とお近づきになろうと思い、姿勢を正して夕凪は葉に向けて言葉を発した。

「お互い雨に降られて災難でしたね」

「ああ。だが風月庵が傍にあって良かった。屋敷に戻るまでには少々距離がありすぎる」

「私もです。長屋にまで戻っていたら、びしょ濡れで風邪でも引いてしまいそうでした」

「降られ始めた場所がまだ良かったのかもしれないな」

 葉がくすりと笑うと、つられて夕凪も微笑む。改めて見ると本当に美人な女性だと思う。いったい普段は何をやっている方なのだろうか。

 撫奈が団子を二皿もって現れると、一つは葉の前に、もう一つは夕凪と葉の間の空いている席の前に置いた。そしてそこに彼女は腰掛けたのだ。

「撫奈さん、お仕事は……?」

「休憩よ。雨の降りも強くなってきたから、お客も早々に来ないと思って。さあ、私に遠慮せず、お団子食べてくださいな」

 花開くような笑顔に促されて、夕凪と葉は団子の串に手を付けた。

 先に口の中に入れたのは葉だった。一粒入れるなり、彼女の頬が緩んでいく。そして軽く左手を口元に当てた。

「驚くくらいに美味しいな、この団子は……。持ち帰りで以前食べたはずだが……」

「葉ちゃん、できたてを食べるのは初めて? ……あのね、冷めた団子と味を一緒にしないで。冷めても美味しいけれど、出来立ては最高よ」

 にやりと笑みをこぼすと、撫奈は豪快に一粒口の中に入れて食べ、お茶をごくごくと飲む。そしてぷはーっと息を吐き出しながら湯飲みを置いた。

「今日も風月庵の団子は最高ね!」

 そして決め台詞まで吐く。その姿はまるで一杯お酒を飲んだ後の様子にも見えた。

 彼女の様子を見ていた周囲の人々は、看板娘の様子に呆気に取られていた。しばらく硬直していたが、我に戻ると団子の追加注文をし出す。あまりに美味しそうに食べていたのにつられて、誘発されたのだろう。

 撫奈は表情を仕事で使っている穏やかなものに戻して、すっと立ち上がる。しかし注文をとる前に、激しく雨の中を駆けてくる音が聞こえてきた。彼女は視線を入口へと向け、 転がり込むように入ってきた人に対して笑顔を振りまいた。

「いらっしゃいませ!」

 撫奈は微笑みを送っていたが客の顔を見るなり、途端に目をぱちくりとさせた。

 そしてずぶ濡れになっている少年に向かって、手ぬぐいを三枚ほどもって近寄る。

「こにしきじゃない、大丈夫?」

 橙色と茶色が混じり合ったくせっ毛の髪の少年は手ぬぐいをもらうと、ごしごしと顔を拭き始めた。ひょろりとした体型に足軽のような服装を着ている。少年の顔が垣間見えると、葉は眉を若干ひそめた。

「降られるとは思わなかったよ。けど途中で風月庵があって良かった」

「雨足酷くなっているんじゃない? どうして大雨になるまで、出歩いていたの?」

 暖簾の先から見える地面に大量の雨が打ち付けている。それは風月庵の瓦にも叩きつけており、あまりに音が大きいため軽く手で耳を覆ってしまいそうだ。

 こにしきこと音羽(おとわ)と呼ばれた少年は、次に髪をごしごしと手ぬぐいで拭きながら、口を開く。

「屋敷に着くまでに止むかと思ったんだ。ほら、ここまでの大雨、賽ノ地では滅多に降らないから。まだ歩ける範囲での雨の強さで、軒先とかに避難なんて普通はしないでしょう」

 ぼそりと漏れた言葉を聞いた人々から、一斉に鋭い視線が音羽に向けられる。だが彼はその視線をものともせずに、最終的には手拭いで全身を拭き、綺麗に畳んで撫奈へと戻した。

「ありがとう、おかげで助かったよ」

 多少はさっぱりした音羽を見た撫奈は軽く手を叩くと、嬉しそうな顔をした。

「こにしきもお団子食べていく? もちろんお金は取るけど、しばらく外にでられないでしょう?」

「あ、うん、そうだね。たくさんタレを付いたのちょうだい。――あれ、そこにいるのは……」

 音羽の視線がお茶をすすって、視線を逸らしている葉へと向けられる。

「――葉ちゃんも濡れたの? でもさっきまではたいした量の雨が……」

 音羽がぼんやり呟くと、葉はすっと立ち上がり、大股で彼に近づいた。そして躊躇いもなく右手で胸ぐらを掴み上げたのだ。

 葉の袖から覗く腕は意外にもしっかりとした肉付きのものだった。

「お前はもう少し周りの状況を察して言動を慎め!」

「え、何で怒っているの?」

「わからないのか。だからゆとりは!」

「ゆとりって酷いよ! 俺が何したって言うんだ。ただ、さっきまでの雨はたいしたことが――」

 葉の左手が堅く握られる。それを見た音羽はぎょっとした表情になった。

「ちょ、殴るなら頭はやめて、馬鹿になるから! せっかく頭がいいのに!」

「うるさい、黙っていろ!」

 ごつんと小気味のいい音が店内に響き渡った。音羽の頭に葉の拳が一発炸裂したのだ。衝撃で彼は地面に尻餅をついた。

 その様子を一歩下がって見ていた撫奈は深々と溜息を吐いている。

「まったく、もう少し別の方向にも頭が回ればいいんだけどね……」

 どうやら撫奈も音羽の感覚が若干ずれているのには気づいているらしい。

 先ほどの彼の発言は、先に風月庵に入っていた人々に対して喧嘩を売っているような内容だった。小雨が降り始めた段階で風月庵に雨宿りしていた人には馬鹿にされたように聞こえても仕方ない。それをおそらく彼と面識がある葉が止めに入ったのだろう。

「音羽はね、頭はそれなりにいいの。そろばんも速いし……。よく一緒にお酒を飲むけど、面白くて、いい子ではあるのよ?」

 せめて夕凪だけには第一印象を覆してもらうかのように、撫奈は言葉を続けていく。

「でも怖いもの知らずというか、ちょっと自己主張が強いというか……。まああんな感じのやつ。それでも良かったら仲良くしてあげてね」

 説明を放り投げて厨房へと戻っていく。同時に一通りの説教をした葉が店内の中にいた客に向かって深々と頭を下げた。

「すまない、騒ぎ立ててしまい。こいつが言ったことは私が謝罪する。以後馬鹿な発言をしないよう、躾ておく」

「俺、年上なのに躾られるの!?」

「いいから黙っていろ! 外に放り投げるぞ!」

「――ほう、葉もなかなか言いますね」

 気が付けば唐傘を畳んだ男性が風月庵に足を踏み入れていた。細身で黒い着流しを着こなし、うっすらと笑みを浮かべている。細目で、その左目尻の泣き黒子(ほくろ)が印象的だ。

 彼を見た瞬間、葉は背筋をぴんと伸ばし、音羽も素早く立ち上がった。さらには撫奈や店主まで顔を出していた。

 空気が一転する。張りつめた空気が店内を包む。

 だがその雰囲気を壊すかのように、男はにこりと笑った。

「おやおや、二人ともびしょ濡れで。ですがもう大丈夫ですよ」

「どう意味でしょうか、鳥之介様」

 葉がおずおずと言葉をかける。鳥之介は扇子を広げて口元に置いた。

「雨が止みそうですからよ。本当に大雨は一時のことだったようです。私もさすがに大雨の中では出歩きませんよ」

 音羽は鳥之介を差し置いて、風月庵の外へと出た。開かれた入り口に外から中へと光が射し込んでくる。夕凪もつられて外へと踏み出した。

 あれだけ大量に降っていた雨は嘘のように止んでおり、雲の合間から太陽が顔を覗かせていた。さらには雲の合間から虹らしきものまで見える。

 思わず表情をほころばすと、外に出ていた葉も同じような表情をしていた。

「通り雨だったようです。お帰りになる際は水たまりに気をつけた方がよろしいですよ」

 鳥之介が後ろから優しく言葉を添えてくれる。先ほど一瞬感じた空気は何だったのかと思うほど、和やかな表情をしていた。細い目が夕凪を見るなり、若干開いた。

「おや、あまり見ないお顔ですね。お住まいはどちらに?」

「江戸です。賽ノ地には取材がてら来ています」

「ほう、江戸からこちらに取材を……。つまり瓦版などを書いているのですか?」

「そうですね。江戸で父が瓦版を書いていまして、私もその手伝いをしているのです」

「ここで知ったことを江戸の瓦版で?」

「はい、そのつもりです」

 鳥之介はそっと近づき、夕凪の耳元でささやいた。


「決して妙なことには首を突っ込みませんように。お気をつけください」


「はい……?」

 呆然としていると、鳥之介は何事もなかったかのように葉と音羽の傍に寄っていた。

「お二人とも早く戻って着替えた方がよろしいですよ。なんなら湯治場に行っては?」

「湯治場ですか……、ご助言ありがとうございます。――鳥之介様はお戻りにはならないのですか?」

 彼が進み始めた方向を見て、葉が慌てて声をかける。鳥之介は扇子を畳んでにこっと笑った。

「私はこれから用事がありますので。では皆さん、またお会いしましょう」

 どこからともなく現れた一匹の(からす)が鳴きながら横を飛んでいく。その烏が進んだ方向に鳥之介は歩いていった。

 視線を周囲に移すと、僅かに出ていた虹は消えていた。夕凪はぼんやりとその跡を眺めながら呟く。

「気をつけて……か」

 鳥之介の謎の言葉に疑問を持ちつつも、残っていた団子を食べるために再び風月庵の暖簾をくぐった。

以下、今回の話で出た登場人物の設定考案者です。


 *撫奈 (べあねこさん)

 *葉 (かっぱ同盟さん)

 *猫西音羽【こにしき】 (おくらさん)

 *鳥之介 (猫乃鈴さん)


 皆さま、どうもありがとうございます!

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