表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
朝夕疾風記  作者: 桐谷瑞香
第二章 江戸編
12/15

第四話 女子のお喋り大会

「どうして雨が降るのよー」

「朝陽、ちょっとだらけすぎだよ。仮にも女の子なんだから」

 お茶を持ってきた優月が、椅子に座って机の上の突っ伏している朝陽を見て、冷や汗をかいていた。肩に触れて軽く揺すると、朝陽はむくりと顔を上げた。

「話でも聞こうか? 私も今日は暇だし」

 外を見ればしとしとと雨が降っている。普段は太陽の光がじりじりと地面を照らしているが、今日は朝から雨だ。夏真っ盛りの季節に一日中雨という日も珍しい。

 昼過ぎには雨がやむと思い、朝陽は番傘を手に爽亭まで辿り着いたのだが、いっこうに天気は良くならなかった。取材場所はここからさらに遠く、その付近には雨宿り出来るところはない。これでは今日は動くなと言っているようなものだ。

 取材内容が面白そうなだけに、その落胆ぶりは半端なかった。

「元気出して。人間がお天道様に勝てるわけないんだから」

「わかっているよ……。せめて楽しそうな話を持っている人でもいればな……」

 店内を見渡すと、朝陽が知らない客がちらほらいるのみ。話を弾ませてくれるお得意さんはいない。優月は店員だから遠慮していたが、この際彼女と――。

 その時、店の引き戸が音を立てて開かれた。朝陽は視線をそちらに向けると、二人の少女が飛び込んできたのが目に入った。傘を持っていなかったのか、髪や服が濡れている。

 優月は朝陽に一言断ってから、店に置いてある手ぬぐいを二枚持って、少女たちに駆け寄った。

 紅掛花色の髪の少女と短い茶色の髪の少女は、優月から手ぬぐいを受け取ると、たどたどしくお礼を言っている。その様子を朝陽はにやついて見ていた。

 背の高さや髪の長さから、優月のことを美男子だと思いこんでいる人は多い。そしてなぜか特に若い女性が勘違いしていることが多かった。

(また勘違いしている。まああたしには関係ないことだけどね)

 あの少女たちと優月のやりとりを見ているだけでも暇が潰せそうだ。

 朝陽は起き上がり、両手で湯呑みを持ってお茶をすする。せっかくだから温かいものでもいただこうと思い、お品書きを手に取った。

「――店員さんもいい人そうでよかったね。ハチがお団子美味しいって来てみたけど、それだけじゃないお店かも」

「青ちゃんも何だかんだ言って、ここのお店に来ているらしいよ」

 お品書きを開いていた朝陽は目が点になる。聞き耳をたてて少女たちの会話を聞いていると、聞いたことのある名前が飛び込んできたのだ。

(ハチと青。たしか耶八(やはち)君と一緒にいたのは青――)

 朝陽の脳内で一つの線が繋がる。

 優月が二人の少女の前に温かいお茶が入った湯呑みを置くと、にこりと微笑んだ。

「ありがとうございます、こんな雨の中に来てくださって」

 短い茶色の髪の少女が姿勢を正す。

「ハチがここのお店のお団子は美味しいっていうから、来てみたんです。ただ、こんなに雨が降るとは思わなくて……ちょっと誤算でしたね」

「ハチ? よく来る子なのかな?」

 紅掛花色の髪の少女が、隣の少女の肩を軽く叩く。

「ハチだと通じないと思うよ、愛称なんだから。――耶八っていう少年です。ちょっと派手な羽織を着た――」

 朝陽は立ち上がり、湯呑みを片手に少女たちの元へ近づく。目を爛々と輝かせているのを見た優月はぎょっとした表情をしていたが、それを気にせず朝陽は真向かいに座っている二人の横の椅子に腰を下ろした。

 突然の人物に少女たち二人も目を丸くしている。

「もしかして耶八くんたちのお友達!? あたし、朝陽っていうの。この前ちょっとした事件で耶八くんたちと行動を一緒にしたことがあって……」

 茶色の髪の少女が少し口を尖らしている。隣にいた少女は手をぱんっと叩いて、声を上げた。

「もしかして狼士組襲撃事件で瓦版を書いた子? 私も読んだけど、ハチと青ちゃんがよく描けていたわ」

「お褒め頂いて光栄です」

 頬を赤らめながら軽くかく。不特定多数に向けて渡したのだから、誰が読んでいてもおかしくはない。しかし真正面から褒められると、いささか気恥ずかしいものがある。

「私はきさら。こっちは玖音(くのん)。もしよかったら、江戸の町のこと色々と教えてくれないかな?」

 朝陽は顔を上げ、二人の少女を眺めた。町民たちが日常で着ている服の少女たち。だがほのかに感じる雰囲気はただの町民ではないことを物語っていた。

「まああたしでよければ、とりあえず卓上になるけど色々と教えるけど……。二人は江戸の町に来たばかりなの? 前は江戸とはまったく違うところにいたの?」

「うん。ここから南西にある賽ノ地にいたの」

「賽ノ地!?」

 その単語を聞いて、朝陽は即座に姉の夕凪のことを思い浮かべた。その地に取材に行ってからだいぶ月日が経つ。時折手紙はもらって町の概要を教えてもらっているとはいえ、未知の町だ。そっちの方に興味がいく。

 朝陽は言葉を選びながらさり気なく呟く。

「そこって、江戸よりも難しい町って聞いたけど……」

「そうだね、江戸の町が平和すぎるから、外から見るとそう感じるかもしれない。でも立派な人が納めてくれているし、一時期よりは危ない場所ではなくなっているよ」

「きさら、もう少しいい言い方があるでしょ!」

 玖音が慌てて間髪入れずに口を挟んでくる。今のきさらの発言だけでは、賽ノ地は安全な場所ではないと言っているようなものだ。朝陽はやや顔を引きつらせていると、きさらははっとした表情をした。

 空気が重くなっていると、いつのまにか机を離れていた優月がお団子を持ってきてくれた。草団子にあんこがのっている。少し高めの品だ。これは注文していない。

 目を瞬かせて優月を見ると、彼女は朝陽の隣に座り、ちらっと厨房を見て囁いた。

「お父さんのおまけらしいよ。雨の中わざわざ来てもらったお礼」

 串が四本あるので、四人は一本ずつ手にとって団子を口に運んだ。口に入れると、張りつめていた空気が緩んだのが身を持って感じられた。

 その町の出身者が大丈夫だと言うのならば、それを信じるしかない。

 朝陽は気を取り直して、肩下げ鞄の中からある一冊のめも帳を取り出した。

 表紙には朱色の字で『江戸の町の諸々』と書かれている。

「お腹も満たされたところで、話に戻ろう。――江戸の町の情報ならここに書き溜めてあるから、これを参考に話をする。ざっくりと町の全体像を説明した後に、季節ごとに訪れた方がいい場所や、女子向けの雑貨店や服飾店、甘味処を紹介するね」

「甘味処!」

 玖音が声を上げて単語を繰り返す。朝陽は内心笑みを浮かべていた。

 女子を手玉に取るには、甘味処を紹介するのが一番手っ取り早い。

 隣で優月が苦笑いしているのを察しつつも、朝陽の独壇場は始まった。



 初めはなかなか距離があった玖音だったが、話すうちに打ち解けてきた。話を聞いていると、どうやら彼女は耶八のことが気になるご様子。

 知らない町で知らない女と仲良くしていたという話を聞いたら、あまり楽しいものではないだろう。

 朝陽はただのお喋り相手、そのような感情など一切持ち合わせていない、と強調すると、玖音は疑り深い様子で見つめてきた。

「ならさ、朝陽は普段どんな男の子とお喋りしているの?」

「適当に誰とでも喋るよ。取材しているときは相手を選んでいられないから」

「いや、そうじゃなくて……。仕事以外で気軽に世間話ができる相手」

「炯とか?」

「狼士組の女の子じゃなくて……」

「一緒にいるタケとかセイとかも会えば話すよ。爽亭に顔出す翔とかも」

「それってただの友達だよね……。じゃあ、素敵だなって人はいる?」

 玖音に言われて、朝陽は一人の青年を思い浮かべた。途端に頬が赤くなる。優しい微笑みに、大人の気遣い。笑顔が素敵な狼士組の隊長。

「いるんだ、ねえ、誰!?」

「ええっと、この人……」

 朝陽はおずおずとお気に入りの錦絵を取り出した。そこには微笑んでいる真言(しんげん)が描かれている。

 玖音はおおっと声を上げてその錦絵をじっと見ていた。きさらも手を口元で抑えて目を瞬かせている。

「朝陽、持ち歩いているんだ……」

 優月はちらりと錦絵を見つつ、湯呑みに口を付けていた。彼に一目惚れした後、さんざん見せながら説明したせいか、見飽きているらしい。

「たしかにかっこいい……。でも憧れって対象でしょ」

「うーん、そうかもね。あ、他の人の錦絵はあるよ。見るー?」

「見るー」

 玖音は身を乗り出して、朝陽の鞄から出てくる錦絵を見た。朝陽が手際よく机に並べていく。

 きさらと優月はその二人の姿を見て、お互いに笑いあった。

「どの人も綺麗な顔立ち。かっこいい人ばかり!」

「そりゃ、あたしがかっこいいなって思った人だもの。それ以外の人をどうして買うの? お付き合いするなら性格がいい方を選ぶけど、観るだけなら顔よね」

「面食いねえ、朝陽は」

「それは否定しないけど、真言さんは性格もいいんだから! ……玖音はどっちかと言うと性格だよね。明るく奔放な子が好きなんでしょう?」

 玖音が椅子に座り込んだ。錦絵を並べ終えた朝陽は彼女の顔を見て、僅かに声を漏らした。玖音の顔がひきつっている。

(直球で聞き過ぎた!)

 慌てて挽回を試みる。

「た、たとえばの話よ。玖音って明るく元気な子だから、きっとそんな人がいいのかなって……」

「そ、そう思う!? そういう人も悪くはないかもねー、あはは」

(これ以上、玖音に恋愛話を振るのは駄目だ)

 朝陽は即座に話の対象を優月と紅掛花色の髪の少女に変える。

「ねえ、きさらって青くんのことを追ってここまできたんだよね。こんなに距離が離れているのに、どうしてわざわざ?」

「心配だったからよ。青ちゃんにハチ、目を離していると、傷ばっかり作るんだもの」

 きさらは両手を握りしめ、そこに口元を当てた。

「本当にびっくりしちゃうくらい酷い傷を負ったかと思えば、傷が治ればすぐに二人で仲良く刀を交じり合わせて特訓。まだゆっくりしていればいいと思うのに、どうして動くのかな……」

「男の子ってそんなもの。動かないと生きていけない人種なのよ」

「朝陽ははっきりとものを言うよね」

 きさらは苦笑して、視線をゆっくりあげた。

「でもね、その姿を見ているとほっとするの。ああ、二人でいるなって。そして当たり前のことが繰り返されていて、安心するのよ」

 湯呑みを握りしめて、きさらは天井に視線を向けた。


「永遠に平和な日常が続くと思っていた。でも、時代は流れていく。私たちには今、自ら変わりつつ、その変化を受け入れる時期に迫っているのかもしれない――」


 雨の音が耳の中にはっきり響いてくる。

 きさらの言葉は当たり前のことだ。だが彼女が口にすることで、さらに重々しく感じられた。

 青と耶八を追って、賽ノ地から江戸まで駆けつけた二人の少女。

 彼女らが何を心に秘めて来たのか聞けるわけもない。しかし、その瞳に宿っている意志の堅さに触れると、朝陽が昔決意したことを思い出すきっかけになる。

「……ぼんやりと過ごしているだけじゃ、何も変わらないよね」

「え?」

 ぽつりと朝陽が呟くと、きさらがきょとんとして首を傾げた。その姿を見て、慌てて首を横に振る。

 彼女たちには関係ない。これは朝陽自身のことだ。

 楽しい日々を過ごすためだけに、瓦版屋の手伝いをしているのではない。

 辛くても苦しくても、真実を求めるために自ら江戸の町を駆け回ると決めたのだ。

 朝陽は表情を緩まして、きさらを見る。

「きさらって、お母さんみたい。青くんや耶八くんの」

「一緒に過ごして、ご飯とか作っていたから、そう見られるのかもしれない」

「お母さんって、こんな人なのかな。優しくて、しっかりしていて、頼れる人で」

「朝陽のお母さんは違うの?」

「そんな感じだった気がする」

「だった……?」

「昔、殺されちゃった、羅刹族に」

 すっと立ち上がり、急須を持って優月の父からお湯を入れてもらう。触れられたくない話題が出ると、すぐに席から離れるのは悪い癖だ。

 目頭がうっすらと熱くなる。ぎゅっとつぶって、軽く拭った。



 平静を装って、朝陽は三人の元に戻り、湯呑みにお茶を注ぐ。優月が手を伸ばそうとしたが、それをやんわり断る。

「……なんか湿っぽくなっちゃったね。話題変えようか。二人ともさ、初めて優月を見て、完全に男の子だと勘違いしたでしょ」

 話し始めた頃に、優月がそうそうに事実をばらしてしまったので、朝陽はあまり面白くないやりとりを眺めていたのだ。

 玖音ときさらは顔を向かい合わせる。そして玖音は口を尖らせて呟いた。

「だって背も高いし、短髪で中性的な顔立ちだし……」

「優月が気にしていることをぐさぐさ言わないー」

 朝陽が再び椅子に座ると、優月が乾いた笑いをあげていた。

「しょうがないよ、事実だから」

「ああ、もうもっと女の子らしくすれば男だって間違わないのに!」

「どうすれば女の子らしくできるの、朝陽」

 優月に言われて、うっと言葉を詰まらす。考えながら、自分の黒髪を結っている赤い布に触れた。

「……顎の下から頭の上にかけて布を巻いて、上で蝶蝶結びをするとか?」

「……気持ちだけ受け取っておくよ。性別を誤解されるのに、そこまで不便を感じていないから」

 引き続き笑い続ける優月を朝陽は見ていると、きさらはにっこり微笑んだ。

「二人って仲いいよね。いつからの付き合いなの?」

「いつからだろう……。六年くらい前だっけ? そう考えると付き合い長いわね」

 朝陽が優月に話を振ると、彼女も首を縦に振っていた。

「たしか何かの機会に優月が困っているところを、あたしが跳び蹴りして参上した覚えがある」

「あれは鮮やかだったね。人ってあそこまで飛べるのかとびっくりしたよ」

「優月も練習すればできるよ!」

「いや、あれはさすがに……」

「冗談、冗談。けど多少護身術くらいはできておいたほうがいいよ」

 同意するかのように、玖音ときさらも頷いている。三人から言われ、優月は渋々と返事をした。

 その後、四人は他愛もない話をしながら、時を過ごしていた。

 同じくらいの歳なので、話は盛り上がっていく。江戸のことを話に出したり、恋愛について話をしたり。喉を潤すお茶も定期的に注がれれば、それだけ勢いを落とさず進めることができた。

 次第に外から聞こえる雨音が小さくなっていく。雫が落ちる間隔が長くなると、朝陽は出入り口に視線を向けた。立ち上がり、戸を引いて外に出る。

 雲の間から夕陽が射し込んでいた。話に没頭していたため、あっという間に時間が過ぎ去ってしまったようだ。

「そろそろ戻って、夕飯の支度をしないと」

「私たちもそろそろ戻ろうか。目的である爽亭でお団子を食べられたし」

「そうだね」

 きさらと玖音はお互いに頷きあうと、お勘定を優月に渡して、通りへ出た。

「今日は楽しかったよ、朝陽。また機会があれば、喋ろう」

「色々と教えてくれて、ありがとう。朝陽は本当に物知りなのね」

 朝陽は胸を張って口を開いた。

「瓦版屋は情報が命だからね。困ったことがあったらいつでも言って。相談に乗るから」

 朝陽が家の地図を渡すと、二人は快く頷いた。

 朝陽と優月は歩いて帰る二人を、手を振って見送る。彼女たちの姿が雑踏に紛れると、朝陽もお勘定を渡し、別れを告げて歩き出した。

 鼻歌をしながら、朝陽は通りを進んで行く。

 取材は出来なかったが、素敵な娘たちと友達になれた。今日の夕飯は少し奮発して、凝った物を作ろうかと思いながら、江戸の町を歩く。

 以下、江戸編にて今回の話で新しく出た登場人物及び設定考案者です。


 *きさら (緋花李さん)

 *玖音 ((仮)さん)


 皆さま、どうもありがとうございます!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ