第三話 狼士組襲撃事件の顛末
早村友裕さん著、賽ノ地青嵐抄【江戸編】第五、六話の朝陽視点のお話です。
「朝陽、すまんが一つ頼みがあるんや」
「どうしたの、炯? そんなに朝早くから改まって。あたしができることなら、引き受けるよ」
朝食を終え、黒色の髪を一本にまとめている朝陽が家の外に出るなり、一人の少女に呼び止められた。蜜柑色の髪を結い上げた、紺碧色の羽織を着た少女は朝陽を見ると、唐突に手を合わし、そう言い放った。突然のことに朝陽はきょとんとしてしまう。
ある事件をきっかけに知り合った狼士組の炯。それ以後も交流は深いため、相当難しい内容でない限り、引き受けようとは思っていた。
「実は情報が欲しいんや」
「情報……もしかして狼士組が次々と襲われている事件?」
炯の目が大きく見開いている。当たりのようだ。朝陽は腰に軽く手を当てて口を開く。
「毎日起きていたら、多かれ少なかれ噂は聞くわよ。まだ犯人も見つかっていないんでしょ。昨日のはまだだけど、それより前のはだいたい取材は終えたわ」
「ほんまか!? そうなんや、その狼士組襲撃事件のことについてや。今はセイの眼鏡が割れた関係で離脱しているが、タケも含めた三人でその事件を追っているやねん。せやけど、情報が上手く集められなくて……」
「いいわよ。あたしの情報でよければ提供してあげる」
炯の顔がぱあっと明るくなる。朝陽はその顔を見てにやりと笑みを浮かべつつ、次に続く言葉をはっきり言い放った。
「ただし、あたしにも炯たちが持っている情報を教えて。そして欲を言うのなら、一緒に犯人を追いましょう。相手は狼士組を襲っているみたいだから、炯たちと一緒の方が犯人に遭遇しやすいわ」
「情報を差し出すのは構わない。そやけども、一緒に行動するのはどうやろ……。朝陽、攻撃手段ないやろう」
「どうして攻撃するのを前提で話しをするのよ。出会ったら、即路地裏に逃げて、後ろでその様子を観察しているわ」
さも当たり前のことをさらりと言うと、炯は一瞬虚を突かれたような表情をしたが、途端に声を出して笑い出した。
「そうやな、朝陽ならそうするわな。――あ、それと実はな、犯人を捕まえるにあたり、わてら以外に腕利きの二人に頼んだんや」
「腕利きの二人? あたしも知っている人?」
「うーん、この前江戸に来たばかりやから、知らんと思う。えらい派手な服着ている二人組やけど、腕は確かやで」
派手な服の二人組と聞き、朝陽はすぐにとある少年たちを思い出した。
「もしかして昨日の昼間に三人で相手をしていた子たち?」
炯は目を丸くしている。なぜそこまで知っているのかと、心底驚いているような様子だった。
(あれだけ騒げば、しかも近くにいたんだから、知っているわよ)
心の中で深々と嘆息を吐いた。
赤色と向日葵色の上着を着ている二人の少年。その二人が炯とタケ、セイの三人と爽亭の前でやりあっているのを、朝陽は間近で目撃していた。
ちょうど店の中でしらす丼を食している最中で、なにやら騒ぎになったので、矢立筆を片手に成り行きを観察していた。結果としてはすぐに炯たちは倒され、二人の少年たちは去っていったのだ。
狼士組を襲撃している人たちの実力がどの程度かわからない。少なくとも炯たちよりも上と考えるならば、あの少年たちのように実力がある者たちに手を借りるのは正しい判断だろう。
それにしても昨日の今日で、どうやって仲間に引き込めたのだろうか。そちらの方に感心してしまいそうだ。
朝陽は腕を組んで、首を縦に振る。
「――まあだいたい事情や用件はわかったわ。それでいつその人たちと情報交換をしたり、動き出したりするの?」
「今日の昼過ぎや。爽亭で落ち合うことになっとる」
「昼過ぎね……わかった」
朝陽はめも用紙に『午後』『爽亭』とさらさらと書き記す。
そうとなれば時間はない。
予定していた取材を即座に終わらせて、乱雑に得ていた情報をまとめる必要がある。今はまだ手元にある情報はただの点にすぎない。これを今から線でつなげよう。
炯に軽く挨拶をし、昼過ぎにまた落ち合おうと約束してから、朝陽は江戸の町を歩き始めた。
* * *
その日の午後の爽亭、朝陽は炯とタケ、そして青と耶八と名乗る少年たちと机を囲んでいた。
向日葵色の羽織を着ている耶八はいつも笑っており、非常に楽しい少年だが、やや知力に関しては劣っているようだ。一方、赤色の羽織を着た青は仏頂面で朝陽の話を聞いているが、内容に関しては理解しているのか、朝陽が頷いて欲しいと思った場面では、時折首肯していた。
良くも悪くも足して二で割るとちょうどいい二人組。だからこそ、共に行動しているのかもしれない。
「というわけで、あたしの調査結果は以上! ここまでで質問は!?」
朝陽は自分が持っていた情報をすべて言い放ち、ばんと机を叩いて周囲を見渡した。
四人からの返答を待っている間、朝陽は優月に茶を注いでもらい、同時にお団子を追加で注文する。喋るとどうしても喉が乾いてしまうが、ちょうどその時に優月が急須を持ってきてくれた。さすが朝陽のことをよくわかっている。
狼士組襲撃事件は二週間ほど前から発生している、襲われた人物は下っ端の役柄ばかりの事件だ。襲われた後は『不合格』という文字が残されているらしい。
さらに情報を突き詰めていくと、おそらく犯人は三人おり、今日の夕方にでもまた発生するだろう。次に発生する場所がある程度検討が付いているので、先回りした方がいい。
江戸の地図に襲撃された場所を記し、それ以外の場所を三カ所指で示す。
「あたしの予想ではここかここか、ここ。三カ所なら、五人もいれば何とかなると思うのよね」
朝陽が自分を含めた人数を呟くと、青が怪訝な表情をしていた。嫌なことなどは顔に出しやすい性格のようだ。どうやら朝陽が戦力にならないことを考えているのだろう。
耶八は逆にそれに関して声に出して、指摘してきた。さらには炯とタケの実力のなさまで容赦なく言っている。それを聞いたむっとした表情をしているタケを、炯は宥めていた。
その光景を眺めつつ、朝陽は三カ所を三回程度叩いて次々に移動していく。
「どうする、炯。分れていく? それとも……」
「そっちにしよ。……青、耶八、行くで!」
炯が声を出すと、青ははっとした表情で顔を上げた。何か考え込んでいたようだ。
「どこ行くんだ?」
もっともな返答だ。
「いっちゃん出そうなとこに決まってるやん。全員で行くで」
ある意味妥当な判断だろう。炯は朝陽、青、耶八を指で差しながら言葉を続けていく。
情報を集められるが戦えない者、戦えないが事件には興味がない者、事件を解決したいが何もできない者。
「せやから、全員居れば何とかなるやろ?」
炯が顔を上げて笑ったのを見て、朝陽もにやりと口元に笑みを浮かべた。
短所があれば、それを補える人物と協力しあえばいい。だがそれは自分の短所と対面することになる。
炯たちは弱い。でもこの判断ができる彼女たちは、いつかは狼士組を引っ張っていく人物になるかもしれないと、朝陽は思っていた。
青たちからも同意を得ると、炯は声をかけて立ち上がり、店から出ていく。外に出ると、朝陽が先頭で進むよう言われる。
快く返事をすると江戸の地図を片手に、朝陽は手を振りながら四人を先導し始めた。
江戸の町を西へ横断し、はずれにある荒川にほど近い町屋の端、葺屋町界隈に夕刻を迎える前に辿り着けた。近くには花街を囲んでいる細い水路がある。その付近で朝陽は待機を命じ、花街から離れて辺りを歩き出した。
予定の時間まではまだ時間がある。周囲に奇妙な人がいないか調べるためにも、先回りして歩いていた。炯たちにも頼んでもいいが、団体で行動すると逆に犯人が逃げてしまう可能性がある。こういう時は朝陽一人で行動した方がいい。
花街にあまり近づきたくない、というのも本音だったが。
しばらく歩き、聞き込みを続けたが、これといっておかしなところはなかった。空振りかと思い、うなだれながら人通りが少ない花街の入り口まで戻ると、一人の人物と視線があった。
覆面で顔を覆っている、黒衣を着た人物。鍛えられた体と、隙無く立っている姿を見れば、武道をしていない朝陽でさえ、その人が凄腕の人物だと察することができた。
その人は朝陽を見るとやや目を見開く。すぐに目の大きさを戻して、一歩後退した。
朝陽はちらりと周囲を見渡し、炯とタケがいないことを確認する。
(ここら辺で待機って言ったから、遠くまで行くはずないんだけど……。一芝居打ちますか)
実は炯とタケには言っていないが、おおよそ犯人の正体はわかっている。朝陽としては二人をその犯人の前に出したいがための手伝いだった。
深呼吸をしてから、朝陽は悲鳴を上げ、その場にへたり込んだ。
すぐに炯とタケは朝陽の前に現れ、武器を手に持って黒衣の相手ににらみつけた。相手はじりっとその場で立ち止まる。炯とタケの出方を伺っているようだ。
朝陽は想定の展開になり、ぎゅっと拳を握る。だが次の瞬間青と耶八が息のあった動きで刀を受け渡しすると、朝陽の横を颯爽と通り過ぎ、炯とタケの前に立ち、切っ先を相手に向けていた。
相手は青たちを見ると、構えを解いて逃走を謀ろうとした。しかし青と耶八はそれを見逃さず、左右に挟み込んで逃げ場を塞いだ。三人はお互いを睨み合うと、膠着状態になった。
騒ぎを聞きつけた町民たちが集まりだす。朝陽はいそいそ移動し、その周囲の者たちと共に攻防を見つつ、めも紙にさらさらと筆を動かした。
犯人側としては思ってもいない展開だろうが、朝陽にとっては関係ない。この攻防のどちらに軍配が上がるか、固唾を呑んで見守っていた。
青と耶八は連携をとりながら、相手の攻撃をかわし、隙を見て、攻撃を加えている。流れるような動きに、思わず朝陽も見入ってしまいそうだ。
青は隻腕にも関わらず、それを感じさせない動き。耶八の援護のおかげもあるが、見事なものだ。
やがて後ろをとった青が、黒衣の人物の後頭部を踵で鋭く蹴り込む。見事に攻撃が当たったその人は地面に手を付く。耶八が背中に飛び乗り、押し戻されそうになったところを、タケが足下に乗り上げ、炯が刺又で首根っこを押さえた。
「観念しろ! この野郎!」
炯とタケによってしっかり抑えられた人物は抵抗をやめた。彼の中に一つの水準に達したため、大人しくなったのだろう。
「あんたが『狼士組連続襲撃事件』の犯人やっちゅう事は分かってんねん!」
炯の言葉を聞いた人物は肩を震わせていた。そして笑い声を上げたのだ。
炯は不愉快そうな顔をしていたが、その人が「ごめん」と発した声を聞くと、はっとした表情になる。彼女は慌てて覆面を取ると、タケと共に顔を青ざめた。朝陽はその人物の顔を見て、目を爛々と輝かせた。
狼士組総隊長の真言。その微笑む優男の姿に多くの女性たちが胸打たれているという。朝陽もある事件で接してからは、憧れの対象となっていた。
炯が真言から刺又を離すと、彼は服に付いた土を叩きながら立ち上がった。そして彼女の頭をぽんぽんと叩く。
「な、何でまこさんが?」
「それはね……」
「狼士組の抜き打ち昇級試験だろう」
真言の言葉を遮ったのは青だった。
正直意外である。あまり関わろうとはしなかった彼が、まさかここで口を挟んでくるとは。
真言に代わり青が説明していく。それは朝陽が思い描いていたものと同じだった。
下っ端の奴が順番に襲われ、襲われた人物たちが誰一人、犯人の様子を明かそうとしなかった。それから内部の人間であると察することができる。
さらには『不合格』という言葉を残せば、それから何らかの試験の一つだと結論づけられるだろう。
さて、種明かしまでは分かっている者なら誰でもできるだろう。ここからは朝陽の出番だ。
筆とめも紙を持ったまま、朝陽はそそっと真言の傍に近づいた。
「ふんふん、じゃあ、今回の襲撃事件は悪意のあるものではなかったんだね。――真言さん、抜き打ち試験というのは貴方の独断ですか?」
「いや、賛同してくれた隊長たち一緒に」
その人物の名を聞き出すと、隊長の鳶彦と紅蔵が動いているようだ。
次に話の核心である。朝陽はさらに詰め寄って、真言に笑顔で尋ねた。
「で、今回の試験の結果はどうでしたか!?」
総隊長が炯とタケを眺めると、二人はそれぞれの武器を握りしめ、背筋を伸ばした。
「実は捕まるなんて思ってなかったんだ。本当にすごいと思うよ」
「でも……」
タケと炯が思い思いの事をこぼしていく。二人の力だけでは捕まえることはできなかった。朝陽、そして青と耶八がいなければ追いつめる事はできなかった――と。
「そうだね。君たち二人では他の隊員と同じように僕にやられていただろう」
事実をはっきりと述べつつ、真言は続けた。
「でもね、人に力を借りる事が出来るのも、君たちの強さだよ。一人で何かをしようと思わず、それぞれ得意な分野を持って集まったんだ。それが大きな力になるという事が分かっただけでも、今回、君たちは大きく成長したはずだ」
その言葉を炯やタケだけでなく、朝陽は脳内に刻み込んだ。
真言は鋏を取り出す。
「鳶彦がいつも言うだろう、『焦るな』って。少しずつでいい、もっともっと味方を増やすといい。大丈夫。そうすれば君たちはもっと強くなれる」
そして炯の鉢巻きを手にして、先の方を小気味のいい音と共に鋏で切った。
「合格だ」
顔を明るくする炯とタケ。だがすぐにセイの存在を思い出し、渋い顔をした。炯は鉢巻きを見て、意を決して評価に対する『保留』を申し出る。セイと三人で昇格したいようだ。
絶好の機会を逃し、真言は驚いていたが、すぐに微笑みながら首を縦に振った。
「それも君たちの強さなんだね」
タケの鉢巻きにも鋏を入れて切った。『保留』ということを承諾しつつも、鋏を入れるところが真言らしかった。
朝陽はその様子を眺めながら、めもを取っていたがやがて一区切り付いたのを見ると、勢いよく筆を走らせ出した。
真言の言葉を一字一句思い浮かべながら書き出していく。三人のやりとりも思い出しつつ、断片であるが書き記す。どれを瓦版の記事に使うかわからないが、記事のねたはあるに越したことはない。
ついでに青と耶八の姿も描いておこう。彼らとは機会がなければ、会える存在ではないからだ。
二人が炯たちから離れ、帰路に付いたのを横目で見つつ、朝陽はさらに真言に取材を続けた。彼は嫌な顔一つせずに、朝陽の質問に答えてくれる。
まだまだ続けたかったが、夜の帳も落ち始めていた。道ばたでの立ち話ではなく、詰め所に移動しないかと提案され、朝陽は即座に首を縦に振った。他の隊長にも話が聞ける可能性がある。
そこまで考えていることなど露知らずに、真言は朝陽と炯、タケを連れて詰め所に向かった。
* * *
翌日の昼過ぎ、朝陽は徹夜をした結果、見事に瓦版を書き上げた。
それを幾重の紙に刷り上げ、お腹に少しだけ食べ物を満たして、外に出た。青空が広がっている。いい天気だ。
そして朝陽は大量に刷った瓦版を持ち、それを配るために江戸の町を笑顔で駆けだした。
以下、江戸編にて今回の話で新しく出た登場人物及び設定考案者です。
*青 (早村友裕さん)
*耶八 (猫乃鈴さん)
*鳶彦 (himmelさん)
皆さま、どうもありがとうございます!




