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狼の恋人  作者: Kずき
4/12

3

「例えばジェットコースターなんかがそうです。一番最初、カタカタと登っていく」


 一彰は聞こえてくる教師の声を右から左にながし、朝の屈辱を腹に据えかねていた。

 今は昼休み前の四時間目。かれこれ四時間以上経った今でも、一彰の頭は悠斗への怒りと憎しみでいっぱいのまま。

 あの下衆野郎め。

 どうやって仕返ししてやろうか。それしか考えられない。

 バスケ部主将の悠斗と、エースの一彰。

 そもそも、二人は一彰の入部当初から馬が合わなかった。

 それが決定的なものになったのが、去年の冬の大会。一彰が一年生ながらスタメンの座を獲得してから。

 一年生がスタメンを獲得するなんて異例のことであり、それだけで悠斗たち上級生の機嫌を損ねた。その上、オフェンスの第一オプションが長年その座を守り続けてきた悠斗から一彰への変更。

 お山の大将として君臨してきた悠斗にとって、これは看過できることではなかった。 

 以来、一彰と悠斗たち上級生の戦いは続いており、その過程で一彰サイドについていた大谷が退部においこまれた。


「最初に一番高い場所に登るのは何故か? わかりますね?」


 一彰が歯軋りしたくなる思いで今朝のことを思い返しているあいだ、教師は楽しそうに続けていた。


「わかりますね? ――青葉君」


 名前を呼ばれて顔を上げると、黒板に波のような線が引かれている。その横に『ジェットコースターと位置エネルギー』と書かれていた。

 一彰は今、ジェットコースターの話をしていたのだと思い出した。ついでに、今が物理の授業中である事も思い出す。


「何故ジェットコースターが一番最初に、一番高い所に登るのか――わかりますね? 〝仮に〟君が授業を聞いていたら、簡単なことです」


「えーと、つまり……」


「つまり、答えは?」


「授業を聞いていませんでした」


「正解。ノートぐらい広げたらどうです?」


 一彰は失笑が漏れる中、ノートを広げ、やりきれない思いで黒板の図を写した。

 ついていない日って、こうだよな――そう思った時、後ろの入り口が音をたてて開く。クラスの全員と一緒に振り向くと、鞄を抱えた柏木ヤエが入室してくる最中だった。

 ヤエはクラス全員の視線を集めている事にまるで気づいていないように、無言で入室し、ドアを閉めると、何も言わないまま此方に向かってくる。


「柏木さん」


 ヤエが着席するより前に、教師が呼ぶ。

 一彰のことがあったすぐ後なので、さすがに怒声が飛ぶのではないかと、クラスは緊張した。


「ジェットコースターが最初に一番高い場所に登るのは何故か、わかりますか? 丁度、貴方が入ってくる十秒前に最高の答えが出たばかりなのですが、果たしてそれを更新できますかな?」


 おどけた教師の調子に、クラスは安堵に包まれる。ただ矢先に上げられた一彰一人面白くない思いをした。

 何のことかわからないヤエは一瞬ポカンとしていたが、黒板にザッと視線を走らせると、口を開く。


「位置エネルギーを蓄えるためです。そのエネルギーを利用して、トロッコはコースターを走破する。だから、最初の位置エネルギーを越えるような高度はコース上には存在しない」


「素晴らしい」


 教師が満足そうに頷く。クラスからも感嘆の声が漏れた。


「では柏木さん。着席する前にもう一つ問題です。これはかなり難しいかもしれない」


 教師はそう言って、ことさら旨いワインを口に含んだ美食家のような顔をした。


「時計は読めますか?」


「は?」


 ヤエが目をパチクリする。


「今、何時かわかりますか?」


 そう言われて、やっとヤエは頷き、悪びれた様子を見せた。


「遅くなって、すみません」


「はい、正解です」


 教師は頷くと、黒板に戻っていった。その顔は清々しく、今までのやり取りは〝ユーモアに溢れウィットに富み、かつインテリジェンスに欠けていなかった〟と自分のセンスを誇っているような節が見受けられる。

 一彰は「鬱陶しい茶番だった」と頬杖をつき、ペンを投げた。

 一彰にとって教師のヤエに対する寵愛は面白くなかったし、何より面白くなかったのは、そのヤエが自分の隣に着席することだった。出席番号上、そうなるのだ。

 これじゃさらし上げだ――と思う。

 それでも教師が授業に戻ると、頭の中はまた悠斗たちのことに戻っていく。

 あいつら、本当にどうしてやろうか……。

 しばらく現実味もない復讐計画を思い描いていると、自分に向けられている視線に気づく。

 振り向くと、ヤエが引きつった顔で固まった。

 ばれた、と顔に書いてある。盗み見しているつもりだったのかもしれないが、あまりに露骨。ヤエは今更顔をそらして何事もなかったように振る舞おうとしているが、それは無理というもの。


「なにかようか」


 一彰は小声で訊いた。


「別に」


 ヤエは前を見つめたまま答える。


「ならなんで見てきた」


「見てない」


「あっそ」


 なんだこいつ。

 一彰はヤエの態度を訝しげに思いながら、頬杖をついてそっぽを向く。日頃から悠斗と対立することの多い一彰にとって、そのガールフレンドであるヤエはほとんど敵。

 ただ、悠斗の横にぶら下がっているとき以外、あまり顔を合わせなかったから、本当のところ、一彰は横に座っている少女の得体を知らない。

 聞いたところによると、ヤエは悠斗の従妹にあたり、高校入学と同時に悠斗の家に預けられたのだという。つまり、二人は同棲しているのだ。

 先輩と同棲している女として、ヤエは同級生の中でも近づき難いポジションにいた。

 長くて、少し赤味の混じるくせっ毛をいつも白いシュシュで束ねている。そんな他とは違う髪形と、先輩と同棲しているという想像力を駆り立てて止まない事情からか、ヤエは男子生徒に密かな人気があった。小さくて丸い鼻は〝まるでギリシャ彫刻のようだ〟とは言えないが、硝子球をはめ込んだような、瑞々しいアーモンド形の瞳は魅力があるのは確かだ。そこは一彰も認めている。

 ただ、女生徒達からは全体的に嫌われているようだ。同学年、先輩、共にヤエは「いけ好かない奴」で意見が一致している。男子と同棲しているという家庭環境が、どういう理屈でかは知らないが〝調子にのっている″と解釈されているのだ。


「大谷道也から」


 ヤエの声が聞こえてくる。目線だけむけると、少し怯えているようなヤエが、これまた視線だけ向けてきていた。


「なんだって?」


「大谷道也から、なにか連絡なかった? なにか、起こったとか。怪我したとか……」


「怪我? なんで」


「なにも連絡ないの?」


「ない。あいつに何かあったのか?」


 一彰が顔を向けると、ヤエは思案するよう眉をひそめ、それから首を振った。


「なら、いい」


「意味がわからない。何があった」


 勝手に話を終わらせようとするヤエに詰め寄る。しかし、ヤエは勝手に話を終わらせたまま、再開させようとはしなかった。

 ほんと、なんなんだこいつ。

 ヤエの意味不明な態度を怪訝に思う以上に、腹がたつ。一応携帯を確認してみたが、大谷からの連絡などない。「今、なにしてる」と短い文をメールでうって送ると、すぐに「うどん食って、家に帰って寝る準備中」と返ってくる。いつもどおりただサボっているだけの様子。

 いよいよ隣の女の話がわからない。

 しかし、大谷も無事とわかった以上、興味も失せたので、もう一彰はヤエにからまなかった。

 敵の女なんかと仲良くお喋りできるか。

 再度、悠斗たちを妄想のなかで拷問にかけようとしたとき、おさえがたい空腹を覚える。ヤエに横やりを入れられたせいで、怒りが多少しぼみ、そのかわりに別の欲求がわいてきたようだ。

 一彰はその欲求に逆らわず、机の下に隠してある購買部の袋からホットドックを取り出す。他にはクリームメロンパンがある。

 それは物理教室への移動の際、購買部に寄って買っておいたモノで、両方とも一彰の好物だった。

 普段から弁当を持ってこない一彰はもっぱら購買部に頼っている。もちろん食べ盛りの男子がパン二つで満足するわけがなく、今手元にある二つは〝前菜〟。主食は昼休みの終りに買う。六十円のお握りが残っていればあるだけ買うし、無かったらシュガーチーズサンドとココアを買う。シュガーチーズサンドは〝甘すぎる〟として不人気だったので、絶対に残っているのだ。そして、一彰はそれを悪くないと思っていた。


「何してるのよ」


 一彰が机の陰でスパイシーホットドックの包みを剥いていると、隣のヤエが目を丸くした。


「授業中よ? 何考えてるの」


 声を潜めて怒鳴るヤエの顔は歪んでおり、ばれる事を心底恐れているようだ。

 今日はよくからんできやがる、とヤエのことを訝しく思いながらも一彰はホットドックの包みを剥がす作業を止めない。


「気にするな。バレたって――」


我慢できず、話の途中で一口齧る。パンは柔らかく、粗引きのウインナーはまだ温かい。ウインナーを噛み切ると、ホットチリソースが口に広がり、その刺激は空腹の腹に痛いほど染みた――旨い。


「口からスパイシーな匂いがするのは僕だ。あんたじゃない」一彰は口の中が空になってから言った。


 ヤエは何か文句を言ってくるだろう――臭いとかなんとか。そう思っていたが、実際は違う。

 ヤエは穴が開くほどに此方を見ていた。まるで一彰がかぶりつき咀嚼し、飲み込んだホットドックが一週間ぶりに見る食べ物で、しかも地球最後の食べ物だったというように。

 その顔があまりにも悲痛だったので、一彰は驚き、つい口にしてしまった。


「欲しいのか?」


 ヤエがハッと顔を上げる。


「なんでよ。いるわけないじゃない」


 ヤエはそう言ってノートに戻っていく――その時、ゴゴゴゴと風呂桶の最後の水が抜けていくような音がヤエの腹からした。

 唖然とする。クラス中に響く――とは言わないまでも、周りの何人かに聞こえるほどの大きさ。少なくとも、一彰にはしっかり聞こえた。

 少しの間を置いて、うしろの席の女子達からクスクスと笑い声が漏れてくる。ヤエのことを「調子にのってる」として、日頃から嘲っている連中だ。ヤエは顔を火の様に赤くして、悔しそうに下唇を噛んでいた。


「すげぇ音」


「あれ腹の虫? オナラじゃないの?」


「やだー!」


 後ろは笑い声は続く。ヤエの手は小さく震えており、シャーペンがノートに突き刺さっている。


「腹、減ってるのか?」


 一彰はそっと訊いた。


「ほっといて」


「いる?」


 テーブルの下で、メロンパンの包みをヤエに勧める。

 ヤエがキッと睨んでくる。声にこそださなかったが、その顔には「馬鹿にしないで!」とはっきり書かれていた。


「やるよ。僕は、また昼休みの終わりに買うつもりなんだ、どのみち」


 怒っていたヤエの表情がやわらぎ、疑わしそうに眉をよせる。


「やるって」


 一彰はメロンパンを押しつける。

 ヤエは手元によせられたパンをみつめ、一彰の顔をみつめ、顔を赤くする。

 なんか妙な勘違いしてないか、こいつ。

 メロンパンを自分からの好意だなんて思われたら、ぞっとしない。敵の女に岡惚れするような間抜けじゃない。

 では何故メロンパンを譲ったのかと言えば――一彰自身にもよくわからない。ただ、笑われている彼女をほおっておきたくない気がしたのだ。


「いい。私、うけとれない」


 ヤエがメロンパンを押し返してくる。


「か、勘違いしてないか? 僕はただなあ――」


 慌てて弁明しようとすると、ヤエが首をふる。


「授業中にパンなんか食べてたら、それこそ笑われる。貴方は男の子だからいいけど……」


「あ、そう……」


 そりゃそうか。優等生が早弁なんかするはずない。

 仕方なく、戻ってきたメロンパンを受け取る。何だか似合わないことしてしまったなぁ、と後悔していると、ヤエが顔を赤くしたまま告げてきた。


「ありがと」


「……」


 彼女の一言は、朝から怒りと恥辱によって荒波だっていた一彰の心を、一瞬だけだけれど、穏やかに沈めてくれた。



 四時間目が終わると、一彰は地下トレーニングルームにおりて、第二体育館へと直行した。

 第二体育館は体育の授業などで使われることはなく、もっぱら盛んな運動部の部活動に使われている。そのため第一体育館の半分ほどしかなく、丁度バスケットコートが一つ納まる大きさだ。練習に使うだけだから来賓席もない。

 ボールをつき、一通りのモーションを確認しながら、一頻り汗を流した。

 一彰の他には誰もいない。

 ボールの音、フロアがバッシュで擦られる音、ネットが巻き上げられる音。

 単調なリズムの世界。

 そのルーチンのなかで、一彰は人恋しさを感じていた。

 ヤエに「ありがと」と言われたときから、胸のなかで疼いている。

 別に、ヤエに恋してしまったわけじゃない。

 ただ単純に、怒りがぬぐい去られ、その奥に眠っていた寂しさが顔をだしただけのはなし。

 以前なら、隣に大谷がいてくれた。

 昼休みの開始とともに体育館で合流し、五時間目の予鈴がなってもプレーをやめなかったものだ。部活では色々と問題を抱えている一彰だったから、一番楽しかったのは昼休みにおこなう大谷との1オン1。

 大谷の屈託のない笑顔を思いだす。その隣で、自分も笑っていた。汗で顔を光らせながら。

 本当に、楽しかった。

 気づくと、ボールが入り口のあたりに転がっている。

 いつのまにか、一彰はプレーを止めていた。けれど、もうバスケットをする気にはなれない。隅に座り込んで、ヤエに断られたメロンパンを囓る。

 帰りに、大谷の部屋に寄ろうか。

 今までは意地を張って、学校をサボる大谷とは距離をおいてきた。サボり癖がつく、というのは、一彰にとって悠斗たちに敗北を認めたことを意味する。奴らによって部活、学校からしめだされたことを認めることになるのだと。だから、学校をサボる大谷に「僕はそうはならない」と一線をひいてきた。そのせいで、最近の二人が以前のように大親友という間ではなくなってしまったことも、一彰はわかっている。

 それでもプライドを保ち、悠斗たちに屈しないことは、一彰にとって何より大事なことだったのだ――今までは。

 あいつらに負けるつもりはない。けれど、大谷を拒む必要はないんじゃないか? また前みたいに遊びにいって、楽しい時間を過ごしたって……。

 一彰の意地はゆるみかけていた。

 大谷に電話して、今夜、遊べるか聞いてみようか。

 きっと受け入れてくれるだろう。夕食だって、得意の焼きそばをご馳走してくれるだろう。ゲームをして、NBAの録画をみて、夜型の大谷にあわせてグタグタといつまでも喋って――。

 一彰が大谷との時間を思い浮かべ、何日かぶりに心の安らぎを覚えていたとき。 


「おやおや」


 ダン――とボールがフロアに叩きつけられる音が響く。


「メシを食う場所もないのか? それとも、一緒にメシを食ってくれる友達がいないのか?」


 入り口にバスケットボールを持って立っていたのは、悠斗とその取り巻きたち。皆、入り口を塞ぐように立ちはだかっている。その中に、隠れるようにはしていたがヤエもいた。


「わかったぞ」


 一彰が唖然としていると、悠斗がニヤリと笑った。


「どっちもないんだろ? 友達も、居場所も」

次回は2013/02/09を予定しています。

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