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黎明の風に告ぐ ~刑事ハル&レイ~  作者: 早川みつき
【chapter2】カサンドラは未来の夢を見るか
7/37

(1)

「で、なんでおまえが現場にいるんだ、デイビス?」

「偶然だ」

 ハルは不快感を隠しもせずに答えた。

「おまえの〝偶然〟は怪しすぎて真っ黒なんだよ」

「正真正銘、まったくの、嘘偽りない偶然だ。でなきゃこのくそ忙しいのに現場の保全なんか誰がするかよ。こうして規制テープも張って野次馬の侵入を防いでやっただろう。感謝してほしいね、ベスター」

 アルファ班のブランドン・ベスターは、ハルの警察学校時代の同期だ。当時から仲はよくないし、仲よくしようという気もない。お互いに顔を見るだけで不快になるのはもう、生理的なものと言っていい。

「おまえに感謝するくらいなら、くそったれの合成コーヒーをいっき飲みするほうがマシだ」

 吐き捨てるようにベスターが言う。彼の容貌は世の中の基準から言えばハンサムな部類に属するが、性格の悪さのせいで男前も三割減の残念な野郎だ。ハルは嘲るように笑ってみせる。

「あーそうかい、じゃあ今度十杯くらいおまえの机に置いといてやるよ」

「んなことしてみろ、おまえの悪食なペットの檻に全部ぶちまけてやる」

「おもしろい、やってみろ。翌日おまえの机の上がゴキブリと蛾の死骸だらけになるぞ」

「行儀の悪いペットだな。飼い主そっくりだ」

「アルジャーノンは俺に似て義理堅いからな、無礼には無礼を返すのさ」

 ベスターと額を突き合わせたところで視線を感じ、ハルははっとして横を見た。今朝特捜班に配属されたばかりの新人が、同じくアルファ班の新人女性と肩を並べて、先輩同士の舌戦を眺めている。青い目は蔑みの色があり、ハルは子供じみた口喧嘩にわれを忘れそうになったことを恥じた。

 ベスターも後輩の視線に気づいたらしく、肩を怒らせてスーツの上着の襟を整えた。拳をハルの胸にこつんと当て、ぎろりとにらむ。

「あとは俺たちがやる。帰れ、デイビス」

「言われなくても帰るよ」

 拳を乱暴に払いのけ、ハルは同期の男に背を向けた。メイドカフェの店内には十人ほどの捜査官がおり、本署との通信やカフェの店長の聴取などに忙しく動いている。さっき路地で人が死んでいると知らせてきたのはこの店長で、午後三時の開店に合わせて準備に来たところで発見したと語っていた。

 床に横たわる男が死んでいることは、先ほどハル自身が確認していた。

 空中には親指の爪ほどの大きさの飛行式記録カメラ、フライングアイが数台飛び回り、捜査の様子を記録している。ハルはそのなかの一台に目をとめ、自分の前に来たところを捕獲した。親指と人さし指でつまみ、カメラを自分のほうに向けてにらむ。

「どこの社か知らんが、盗撮とはいい度胸だな。持ち主洗って市警の出入り禁止にしてやるから覚悟しとけ」

 そう見栄をきったものの、この手の盗撮マシンは持ち主の特定が難しい。きっと無駄骨だろうと思いながら、ハルは証拠品を収めるビニールパックにフライングアイを密封し、胸のポケットに押しこんだ。その様子を見つめているブロンドの若い男に声をかける。

「帰るぞ、新人」

 レイ・クラークは世の中の基準から言えば最上級にハンサムな部類に属するが、鼻につく青臭さと生意気な態度のせいで男前は三割減、さらにかよわい小動物に暴力をふるった罪は重く五割減で、ハル的にはベスターと同等の残念な野郎という評価だった。

 まあ、アルジャーノンのことは新人ばかりを責められないと、ハルも反省はしていた。悪い癖だ、ミドルネームのことでついかっとなってしまうのは。

「手伝わなくていいんですか?」と、レイが名残惜しそうな顔で訊いた。

「アルファの奴らで手は足りる。俺たちはとりあえず昼飯にしよう」

「ああ、そういえば食べ損ねてましたね。でも食欲はあんまり……」

 レイは床に転がっている死体を一瞥した。科学捜査班も到着して証拠の収集と整理にかかっており、周囲はあわただしい。

 こんなふうにメイドカフェで死ぬのは最低だなと、ハルは考えた。死体は五十がらみで中肉中背の白人男性。特徴は、右のこめかみに金属弾の射入口があること、そしてメイド服を着ているということ。化粧にカツラはしていても、女にはとうてい見えない。同じメイド服姿でも、さっきのエロ人形とは天と地の差がある。アリスはまさに天使のようだった。外見だけは。

 昨日アリスが失踪したカフェで、今日は市の名士が死んだ。このふたつになにか関連はあるのだろうかと考え、ハルは息を吐いた。データの少ない状況で考えても時間の無駄だ。現場検証が終わったらデータをもらって、それからだ。

「じゃあ署に戻ろう。アーサー・ケントを締め上げて調書をとらないと」

 ハルは新人を促してカフェの出入口へ向かった。

 さっき逮捕した男は、すでに署長の指示によってアリスとともに本署へ護送されていた。市の南部で爆破テロ事件があった関係で、科学捜査班はそちらにも多くが駆り出されており、アーサー・ケントのオフィスの現場検証は明日以降になる。規制テープを張って見張りの警官を配置し、保全だけしておいた。

 ハルは地下にある店から階段を上がり、ロビーに出た。そこで、検死官のグレーの制服に身を包んだ女性と鉢合わせした。

「パット――パトリシア」

「ハル。どうしたの、こんなところで」

 肩までの茶色の縮れ髪を振り、パトリシアはぎこちなくほほえんだ。

「偶然、事件発生の報をいちばん先に受けたんだ。アルファのヤマを荒らす気はないよ」

「そんなことは訊いていないわ。あいかわらずね」

 パトリシアはハルの脇に並んだレイに目を移し、にっこりして、ツールボックスを持っていないほうの手を差しだした。

「新人さんね。検死官のパトリシア・フィールズよ。よろしく」

「レイ・クラークです。こちらこそ、よろしくお願いします」

 レイの声がうわずった。……ように聞こえて、ハルは顔をしかめた。パトリシアのほうもまんざらではなさそうに、ずいぶん長く手を握っている。……ように見える。

 配属初日だからか、レイはイタリア製とおぼしきスタイリッシュなスーツ姿で、先ほどの捕り物劇による服装の乱れもなく、文句のつけようのない、嫌味なほどのイケメンっぷりだ。しかも奴はソルブライト郡一の富豪、クラーク家の男だ。世の中の基準から言えば超のつく上物で、玉の輿を狙う女どもには絶好の標的だろう。

 もちろん、パトリシアはそんな安っぽい女ではない。おそらく。きっと。そう信じたい。

 ハルはわざとらしく咳払いをした。パトリシアがけげんそうにハルに目をやって握手の手を離し、苦笑をもらす。そして上目づかいにレイを見る。

「彼、ちょっと扱いにくい人だけれど、悪気はないのよ。ね、ハル?」

「よけいなお世話だ。早く現場へ行けよ、ベスターが鼻の下を長くしてお待ちかねだ」

「わたしが会いにきたのは気の毒な遺体よ。早くモルグへ運んであげないと。じゃ、またね」

 パトリシアはやわらかく笑み、ツールボックスを下げて階段を下りていった。魅惑的に揺れるヒップとカーリーヘアが消えるまで見送って、ハルはおもむろに建物を出た。外には警察車両が何台も止まり、群がる野次馬とマスコミを紺の制服姿の警官が規制している。

 路地に止めておいた白い車に戻り、ドライバーを交替するようレイに指示する。だが彼のIDカードではドアのロックが解除できなかった。

「免停になってるんじゃないのか?」

 レイの手のなかのIDカードをじろりと見て、ハルは不機嫌な声で訊いた。

「そんなことありませんよ。あと七ポイント残ってるはずです」と、同じく不機嫌な声が返ってくる。

 IDカードは運転免許証も兼ねており、違反ポイントがたまると一定期間免許が停止され、運転席に座れなくなる。元は二十ポイントなので、残りが七ポイントということはけっこう違反してるんだなと意外に思いながら、ハルは自分のIDカードをドアのスリットに通した。

 反応はない。ご臨終らしい。

「故障ですかね」と、レイがわかりきったことを訊いてくる。

「老体だからな」

 ハルはぶっきらぼうに返してドアをがんと蹴り、もう一度IDカードを通してみたが、無駄だった。

「アルファの奴らの車を借りるのも業腹だな」

 空を仰ぐ。ビルの隙間にのぞく空は青く、夕立の来る気配はない。時間があれば歩いて帰るところだが。

 常夏の都市、セントレアは年中気温が三十度近く、エアコンの効いていない屋外は不快指数百パーセントだ。エアコンなど贅沢品として育ったハルはなんとも思わないが、お坊ちゃんにはきつかろうと新人を見る。だがレイはきっちり着こなしたスーツの上着を脱ぐことも、シルクのタイをゆるめることもなく、顔を上げて空を見た。

「モノレールで帰りませんか」

 レイは一ブロック先のビルのあいだに見えている軌道を指さした。


 ◆


 セントレアに最初の軌道が設置されて、もう一世紀以上になる。リニアモーターカーやらエアロトレインやらの高速輸送機関を導入した都市もあるが、この街ではモノレールに代わるものなど考えられたこともない。気軽に乗れる市民の足として、これほど信頼性と安全性、コストパフォーマンスにすぐれたものがあるだろうか?

 十五年前に超大型ハリケーン・ジャネットの被害で市内全域が冠水したときも、モノレールは黙々と人と物資を運び続けた。電力は豊富な太陽光線を利用した郊外の大規模発電施設でまかなわれている。

 小型バスほどのコンパクトな車両は二両編成で、市の中心にあるオフィス街と周辺の歓楽街、郊外の住宅地を結ぶ軌道を走る。公務員はIDカードを携帯していれば無料で乗れる。

 車両の左右に据えられた座席は半分ほどあいていたが、レイは座らずに車両の前に行き、前方を見晴らす窓のそばに立った。車両が動き出し、高層ビルが次々に現れては車窓を通り過ぎていく。ハルは強化アクリルの窓に背をもたせかけ、隣で風景に見入る新人の横顔を眺めた。

 どうやら乗り物好きらしい。青い目がきらきらしている。赤みがかったブロンドは襟足をわざと長めにしてうなじで結わえており、それが犬のしっぽのように見える。足元までイタリア製らしい革靴で決めた粋な装いに、金色のしっぽはどこかアンバランスだった。

 そうか、今度喧嘩をするときはこのしっぽをつかんでやればいいんだ。ハルがそう思いついたとき、レイがこちらに視線を向け、照れたように少し肩を縮めた。

「楽しいですよね、モノレール。空を飛んでいる気分になれる」

「おまえならいくらでも自家用ジェットやヘリで飛べるだろう」

 嫌味が通じたらしく、レイは一瞬目を細めた。海の色の瞳に浮かんでいた楽しげな輝きはたちまち失せ、冷たい笑みが口元を飾る。彼はふいと目をそらし、視線を前に戻した。

 沈黙したまま三駅を過ごすあいだ、どうやらこの男にも禁句があるようだとハルは考えていた。金持ちなのが気に入らないなんて、どこまで贅沢なのか。一度、極限の飢えを経験してみるといいのだ。誰にも顧みられることなく、路地裏でゴミにまみれ、震えて眠るような夜をいくつか過ごせば世界が変わる。

 荒れていた十代の頃の記憶がよみがえり、ハルは無意識に親指の爪を噛んだ。

「着きましたよ、先輩」

 声をかけられ、われに返る。車両は市の行政地区に着いており、ハルは顔をしかめてホームに降りた。


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