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黎明の風に告ぐ ~刑事ハル&レイ~  作者: 早川みつき
【chapter1】冷めたコーヒーの方程式
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(5)

 オフィスを出たところで、ふたりは署長のカート・マッキンタイアと鉢合わせした。

「やあデイビス、ピュアドールズ社の件はきみが担当だそうだね? バロウズから聞いたよ。至急だから、くれぐれもヘマをせんように気合いを入れてやってくれよ?」

 今年五十歳になったマッキンタイアは、豊かな腹をゆすりながら言い、ハルの肩をぽんとたたいた。

「市警のふところ事情もなにかと厳しいからねえ、この機会に貢献して、オメガ――いや、特捜班の存在感を全署に示してくれたまえ」

「全力で取り組みます、署長」

 ハルはきりっとまなじりを上げ、かかとをそろえて姿勢を正した。

「市の財産は壊さないように頼むよ? 今度懲戒処分くらうときみ、分署に飛ばされるから。そこのところ、よく考えるようにね?」

 マッキンタイアは言葉の内容とは裏腹に、柔和な笑みを顔に浮かべてうなずいてみせた。

「ああクラーク、きみは期待の星だから。頑張ってくれたまえよ」と、レイに顔を向けて言う。

「はい、署長」

 レイも姿勢を正す。

「特捜班は、まあちょっと特殊なところだけどね。どこだって得るものはある。困ったことがあればなんでもバロウズに相談するようにな」

 補佐官と秘書を引き連れてエレベーターホールのほうへ去っていく署長を見送ってから、ハルはやれやれといった顔で階段室のドアを開けた。

「いろいろと崖っぷちだぜ」

 独り言のようにつぶやき、階段を下りはじめた。


 ◆


 市警察に配備されているパトロールカーは旧式な電気自動車エレカーで、平均寿命を越えた蓄電池は頻繁にストライキを起こして動かなくなる。

 ハルは地下の駐車場で、パトロール用の派手な青に塗装された車ではなく、ありふれた外観の黒いセダンを選んだ。IDカードをドアのスロットに通してロックを解除し、運転席に座って電源を入れる。点灯した計器類をざっと確認して舌打ちをした。

「まったく、気まぐれは女だけで十分だってんだ」

 ハルは車から降り、ドアを閉めてあたりを見まわした。通路を隔てた向かいの駐車スペースにある白い車に目をとめ、そちらに向かう。起動した計器を確認してうなずき、乗れよ、とレイを促した。

 かなり年季の入った車だった。合成皮革のシートは劣化して、表面がひびわれている。安全性を危ぶみながらシートベルトを締めるレイには目もくれず、ハルは掌紋と音声で車のAIに本人認証をさせ、行き先を指示した。

 パトロールカーは盗難防止と制限速度超過の必要性のために、ドライバーの認証条件がシビアだ。呼気に含まれるアルコール濃度や禁止薬物のチェックも行われる。

 もっとも通常の場合、ドライバーは運転席に座って指示を出すだけで、実際に車を操るのはAIだ。制限速度を守り、信号と交通法規を遵守して、乗員を安全に目的地に運ぶ。ドライバーは眠っていてもかまわないのだ。

 車両のほぼ百パーセントがこういった自律運転型のエレカーになった現代では、交通事故はあまり起きない。幹線道路はセンサーによって監視され、車のAIと適宜通信することによって、交通量のコントロールが可能になった。今世紀半ばまでのような、渋滞で車が動かないという事態はいまや都市伝説だ。自分でハンドルを握ってドライブしたいという人ももちろんいるが、少数派だ。

 地下駐車場を出た車は、椰子の並木が両側を飾る大通りを南へ向かった。北に行けば金融業を中心とするオフィス街が広がるが、ハルがAIに指示した行き先は歓楽街の、マシンドールが行方不明になったメイドカフェの隣のビルだった。

 ハルがDフォームから本署に連絡し、アリスを回収に向かうと告げると、主任からじかに指示があった。

「例によって捜索令状はなしなの、デイビス?」

「たかが人形の回収です。お忙しい判事の手をわずらわせるようなことじゃないでしょう」

 Dフォームの画面のなかで、アーケイディアは警告するように眉をひそめた。

「今回は荒事は御法度よ。ショックパルス弾は彼女の疑似シナプス制御系に壊滅的なダメージを与えるそうだから、くれぐれも注意して。彼女を壊さずに保護してちょうだい。減俸されたくなかったら自制するのよ、デイビス」

 了解、と返してハルは通話を切り、行動捜査用のFバイザーを調整しはじめた。

「おまえのFバイザーは?」

「まだ支給されてません」

「ってことは使用認定試験を受けてないのか?」

「練習が足りなくて」

 ハルがちらりとこちらを見て、いただけないなというように首を振った。かちんときたが、まだ自分がFバイザーを使いこなせないのは事実なので、レイはなにも言えない。

「なぜアリスがそこにいると思うんですか?」

 ハルはほんの二時間ほど資料を見て、データベースを調べただけだ。それで結論が導き出せるとは、にわかには信じがたかった。

 ハルはちらりと助手席のレイに目をやり、またすぐに視線を手元に戻した。

「いろいろ考えて、まあ最後は勘だ」

「勘ですか」

「ひらめきと言い換えてもいい」

「あまり変わらない気がしますけど」

 ハルはFバイザー内側のスクリーンに、不動産データベースから呼び出した建物内の立体画像を投射している。

「データが古いな。模様替えで間取りが変わってたらアウトだ」

「先輩、ちゃんと答えてください」

「アリスが自分から逃げた可能性はなさそうだ。産業スパイの線もどうやらない。そこで、言い出した者を疑えっていうセオリーに戻る」

「捜索願を出したピュアドールズの担当者? ジョナサン・ケントですね」

 ハルはうなずき、Fバイザーを装着して何度かまばたきした。Fバイザーに付属しているさまざまな機能は、視線や意図的なまばたきでもコントロールできる。

「聴取の録画ではひどく取り乱していたが、事件発生から十四時間もたってるんだから、もう少し落ち着いていてもいいはずだ」

「アリスの失踪はケントの自演だと?」

「ケントにはアリスに関する詳細な知識があるから、GPS機能を停止させるのもわけはない。奴のクレジット使用歴を見ると、独身で恋人もいないのに女物の服や小物を大量に買いこんでいる。盗難現場近くの監視カメラには奴が何度か写っているが、まあ仕事をしていたんだからそれ自体は当然だ。しかし、来るときは大きな荷物を持っているのに、帰りは手ぶらということが何度もあった。逆はなし。ケントが最近よく外泊するのは、奴のアパートメントの監視カメラのデータからわかる。そして現場のカフェの隣のビルには、ケントの兄が営む調査会社のオフィスがある」

 自分がコーヒーを買いに行っていたあいだに、ハルはジョナサン・ケントの個人情報を調べていたらしい。早業だな、とレイは内心で舌を巻く。

「ケントはその兄のオフィスで、アリスの着せ替えをして楽しんでいたってことですか?」

「さあな。変態の習性なぞ知りたくもない」

 ハルはぶっきらぼうに答えてFバイザーを上げ、前方を見て目を細めた。フロントガラスの向こうには派手な色彩の看板群が現れ、車が目的地、ネオ・エルドラドに近づいたことを教えている。

 日が暮れれば、ここはソルブライト郡一の活気あふれる遊興地区の顔になる。カジノのネオン看板が明滅して人生を楽しめと誘惑し、露出度の高い服を着た客引きの女が、場慣れしていない観光客を狙って巧みに店に引きずりこむ。全財産を失った男が高層ビルから飛び下りたり、翌朝セントレア湾に浮かんでいたりするのも日常の光景だ。

 カジノに集まる客が目当てのクラブやバー、レストランも多い。アリスが実地の試験運用データとやらを収集していたのも、そんな店のひとつだった。

「明日にはアリスは別な場所に有料レンタルされる。ケントはそれが耐えられなかったのかな」

「闇マーケットで売り飛ばすのが目的かもしれないだろう。高額商品なんだから」

「ああいう製品はメンテナンスが特殊だから、メーカーのサポートがないと維持できません。そのまま売るってのはないと思うな……ケントは現在、兄のオフィスにいるようです。少なくとも彼の携帯端末はそこにある」

 レイはDフォームでGPSデータを確認し、ハルに告げた。捜索願を出した当人なので、いつでも連絡がとれるよう、GPS通信機能付きの携帯端末を警察のデータベースに登録させていた。

「よし。相手は技術者で腹の出た中年だ。荒事にはならんだろうが、いちおう耐ショックパルスベストはつけていけ。手錠は持ってるな? 装備品一式はいつも携帯しておけよ」

「いきなり逮捕するつもりですか? 家宅捜索令状もないのに。まず軽く事情を聞いてから本署に引っぱるのが――」

「んな面倒なことやってられるか。まずは窃盗品の現物を押さえる。それからケントを締めあげて吐かせ、現行犯逮捕だ」

 こともなげに言って、ハルはビルの裏手の路地に停車した車から降りようとする。

 なにかいま、すごく独善的な俺さまルールを聞いたような気がする。レイは思わず口を開けた。

「それって法執行の順番が間違ってるんじゃ?」

 だが、警察学校的なセオリーを説いてもハルが耳を貸すわけはなかった。

「新人、俺からいろいろ学べと主任に言われただろう。黙って従え」

 あからさまに見下したように言われて、レイは頭にきた。

「反面教師として学べって意味だったんですよ、きっと」

「言ってくれるな、ヒヨコ野郎。いいか、捜索令状なんてとってたら、あのエロ人形をうちが回収することはできなくなるんだよ。令状の申請情報は上からピュアドールズ社に回る。ケントが犯人なら、ピュアドールズ社は捜索願を取り下げるだろう。内部の犯行なんて社のイメージダウンにしかならないし、ライバル社との合併話も危うくなるからな。物騒な連中を雇って、ケントの死体をセントレア湾に投げこんでおしまいだ」

 レイは息をのみこんだ。事件はなかったことになるのか。裁判もなくケントは殺され、ピュアドールズ社は生き延びる。

「でもケントを逮捕して事件が公になれば、ピュアドールズ社の痛手は半端じゃない。市警察に報奨金を出すどころか、イメージダウンさせたって恨まれるかもしれませんよ?」

「さすがエリートさんだな、常に上を見ていらっしゃる」

 皮肉に満ちたハルの言葉が、レイの胸にぐさりと突き刺さった。

「……捜索願が取り下げられたとしても、ケントが殺されるとは限らないでしょう」

「連中のやり口をおまえは知らない。ずぶ濡れで腐りかけたケントの死体にモルグで会ったとき、おまえがいくら詫びたって奴は生き返らないぜ? それでもよければ令状を申請するといい」

 ハルの黒い瞳には、明らかな軽蔑が浮かんでいた。冷たく突き放すようなその目を、レイは挑むようににらみつけた。

「しませんよ。ぼくだって、金と権力にまみれた連中が好き勝手するのは許せませんから。ケントには窃盗と虚偽の届け出による公務執行妨害の、正当な量刑で罪を償わせる。それが法の正義ってものでしょう?」

 ハルは十秒ほど、真意をはかるかのようにレイの顔を見つめた。

「出世を望むなら、その思想は危険だと警告しておく」

「俺から学べとか言っておいて、いまさらなんですか」

「反面教師の可能性もあるからな」

「わかりましたよ、取捨選択して学びます。出世には興味ないし」

 また十秒ほどレイを見つめてから、ハルは軽く肩をすくめた。車を降りろと手振りで示す。後部に回ってトランクを開け、備品ボックスから耐ショックパルスベストを出してレイに放った。

「ケントとの交渉はまかせる。俺はこのツラだからな、説得には向かないんだ」

「人相が悪いっていう自覚はあるんですね」

「まあね。不良時代は大いに役に立ったんだがな」

 かなり失礼なレイの物言いを、ハルはとりあわずにさらりと流した。

 元不良だったんだ、この人。超納得、と心のなかで大きくうなずき、レイはスーツの上着を脱いで、薄い特殊繊維の生地でできたグレーのベストを羽織った。その上に上着をまた羽織ってボタンをとめながら、突入準備をするハルを眺めた。ハルは備品ボックスからネット弾や閃光弾などの非殺傷兵器をいくつか取り、腰に巻いたベルトのホルダーに手早く差した。その他、建物内部を探るスキャナーや脱出用の携帯ロープをベルトにとめ、ジーンズの裾をまくって、脛に小型のショックパルス銃をダクトテープでとめる。

「武器使用は御法度じゃないんですか?」

 耐ショックパルスベストに腕を通したハルに、レイは不審げにきいた。

「エロ人形には使わないさ。だがケントは別だ。疑似シナプス制御系なんてごたいそうな機構は奴には組みこまれてない」

「で、ぼくには丸腰で行けと?」

「相手は戦闘力ほぼゼロの中年おやじとエロメイド人形だぞ。うまく説得しろよ。本気でヤバイときは援護してやる」

 ハルはにやりと笑ってFバイザーを下ろした。薄いイエローのアクリルプレートの奥で、黒い瞳がいたずらっぽく輝く。

「……先輩って無駄に敵をつくるタイプですよね。この調子で五年も仕事してるとしたら、よく殺されずに済んでるなって感心します」

「みんな、墓の下から呪われたくないんだろう」

 そこまで執念深いのか、とレイはつぶやいた。

「なにか言ったか?」

「いえ、なにも。こんな無茶しててクビにならないのが不思議だと思って」

「味方もいるからな。主任は今回も俺を支持してくれるだろう。だが署長はきっとカンカンになるな、報奨金をあてにしてるだろうから」

「コーヒーの自販機を買い換えてもらうって野望は捨てたんですか」

「味は最悪だが香りはまあまあだ。贅沢言わずに我慢するさ」

 なんのかんの三年もあれで妥協してるんだし、あと少しくらい。そう言いながら、ハルはビルの入口のほうへ頭を傾け、行くぞ、とレイを促した。


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