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もちろん、なんとか組まずに済むよう、ふたりとも抵抗を試みた。
「いや、俺が彼に教えられることなんてなにひとつありませんよ、主任。なにせ彼は大卒で警察学校トップ通過の、エリート中のエリートですから。勤務評定が連続マイナスの俺なんか、逆に彼から教えを請わないとならないくらいで」
へりくだりすぎていっそ嫌味な口調で、ハルが言い募る。負けじとレイも続く
「ぼくはまだ圧倒的に経験不足の若輩者です。先輩のような輝く実績を積んだ偉大な捜査官の教えを請うには十年、いや二十年早いと――」
「お黙り。上司の命令は絶対よ。勤務評定にさらにマイナスつけられたくなかったら、さっさと一緒に行って仕事をしなさい」
すごみのある声で命じられれば、了解、とふたりとも返すしかない。
アーケイディアは、行方不明のマシンドールを今日じゅうに発見すれば、ピュアドールズ社から市警察に報奨金も出るのだと続けた。ハルが片方の眉を上げた。
「なんで今日じゅうなんです?」
「明日から、彼女に有料レンタルの予約が入っているからよ。時は金なりってこと。きみたちも、張り合うなら拳の強さじゃなく事件解決のスピードにしたほうがお得よ?」
喧嘩してもかまわないけど、流血の事態になるようなら署の外で頼むわね。そんなあたたかいコメントとともに会議室を追い出され、ふたりは顔を見合わせた。
「とりあえず打ち合わせだ、新人」
ぶっきらぼうに告げ、ハルは刑事捜査課のオフィスのほうへ首を傾けた。
「一緒に仕事をするなら、新人って呼ぶのはやめてもらえませんか。ぼくにはレイって名前が――」
「新人で十分だ。おまえとなれあうつもりはない。俺のことは先輩と呼べ」
冷たく言って、ハルはさっさと歩きだした。
なにさまだよ、とレイは心中でつぶやく。配属初日からこんな不愉快な思いをするなんて、先が思いやられる。
特捜班の島に着いたハルは、私物がなにも置かれていない机を手振りでレイに示した。
「掃除はしておいた」
それから窓際に行き、トカゲのケージをのぞきこんだ。
ハルの表情に変化はなく、トカゲは無事らしいと考えながら、レイはまず机の引き出しを開けた。ゴキブリの頭が入っていないのを確認し、ほっとしつつ椅子に腰を落ち着ける。
ディスプレイを展開してDフォームをリンクさせ、掌紋と声紋スキャンで本人認証を済ませれば準備完了。市警察のネットワークに入れる。
「さっさと片づけるぞ、新人。報奨金なんざどうでもいいが、主任の手柄にはなるからな。いや待てよ、報奨金が出れば、休憩室のくそったれなコーヒー自販機を買い換えてもらえるかな。あれ飲んだことあるか?」
「いえ、まだです。まずいんですか?」
「半年掃除してないプールの水のほうがマシってレベルだ」
どれだけまずいんだ。というか、半年掃除をしてないプールの水ってどんな味なんだ?
「たまには合成コーヒーじゃなく、本物のコーヒーが飲みたいもんだぜ」
話しながらもハルは作業をしており、レイもデータを共有しているディスプレイに次々と、マシンドール・アリスの情報とメーカーの情報をはじめ、捜索願を出した担当者の話などの資料が映し出される。
メーカーの概要を一瞥し、レイはぴくりと眉を動かす。株主の欄になじみのある社名を見つけたからだ。
「ネオ・エルドラドか」と向かいの席でハルがつぶやき、顔をしかめた。
事件は昨日の午後六時頃、市の南にある遊興地区〝ネオ・エルドラド〟にあるカフェで起きた。実地の試験運用データ収集の目的で店に出していた高機能マシンドール・アリスが、ピュアドールズ社の担当者が五分ほど目を離した隙に消えてしまったというのだ。担当者が探したが見つからず、今朝になって捜索願を出したという。カフェの店内監視カメラは数日前から故障していた。アリスに組みこまれていたGPS機能は、原因は不明だが作動しておらず、現在位置の特定はできない。
資料をひと通り読んで、レイはげんなりした声を出す。
「試験運用って、どういう運用なんですかね。ここ、カフェはカフェでもメイドカフェですよ?」
メイドカフェとは、メイド服姿のウエイトレスが客を〝ご主人さま〟と呼んでサービスをする飲食店の一種だ。前世紀末に東アジアのどこかで生まれたものらしく、現在は地球連邦内のさまざまな都市にある。セントレアでも数件が営業しており、店によっては客に十九世紀貴族風なご主人さまの衣装を貸し出したり、逆に客がメイド気分になれるようメイド服を貸し出したりするサービスもあって、その手の客に受けているという。
「アリスのシリーズ製品名は〝セクシャルアンドロイド〟だからな。推して知るべしだろう」
「このカフェは一般飲食店扱いで営業許可が出てます。その手のサービスは違法でしょう」
「ネオ・エルドラドの辞書に違法という文字はないのさ。新人、警察学校で習ったことはいったん全部忘れろ」
不機嫌な声で言い、ハルは頬杖をついてディスプレイをにらんだ。
「まず考えられるのは、ライバルメーカーの産業スパイによる窃盗か」
「盗まれたとは限りませんよ。アリス自身が自分の判断で逃げだしたってこともあるかもしれません」
「SFの読みすぎじゃないのか?」
「そんなこともないですよ。人工知能(AI)はどんどん人間に近づいてますから」
「んじゃ、おまえはその線を調べてくれ。俺は産業スパイ方面をあたる。一時間でいったん切ろう」
あっさりと意見が受け入れられたことに、レイは拍子抜けした。向かいの机の男はすぐに自分の調査に没頭し、エイミーとディックが会議室から戻ってきて、またすぐに出かけていったのにも気づいていない様子だった。そのくせ、麻酔から覚めたトカゲが小さく鳴いたのは耳ざとく聞きつけ、ケージにすっとんでいって撫でていた。
きっかり一時間後に、ハルはリストをレイのDフォームに送ってきた。
「あの手のマシンドールを製造してるのはざっと七十社だ。世界中にあるが、輸送面を考え、研究所は北米内として絞った。セキュリティチェックが厳しい空港は使わないだろうからな。製品があそこまで人間もどきなレベルに達しているのは、ピュアドールズ社を含めて二社だ」
「産業スパイを雇った候補は一社ってことですか。あっけないですね」
「それがそうでもない。この二社は将来の合併も視野に入れて、特許の共有と技術供与の交渉が進んでいる。ライバル社のほうが業界での位置は上だ。つまりライバル社がアリスを盗む理由はないのさ。いずれその技術は手に入るんだから。ということで、産業スパイの線は薄くなった」
「もう一度、捜索願を出してきた男を聴取する必要がありますね。現場にも行ってみないと」
「現場なあ」
ハルは短い黒髪をかきあげる。
「事件発生からもう十六時間以上だ。科学捜査班に臨場頼んでも断られるだろうな。ゆうべ爆破事件があった関係で人手を取られてるらしいし。すぐに捜索願を出していてくれりゃあ、厄介度が多少は下がったのに」
今朝、捜索を願い出てきたのは、ジョナサン・ケントという中年の冴えない男だった。事情聴取の録画を見ると、ケントは警察官の前で泣いているだけで、まともな話はほとんどしていなかった。
「気の毒なくらい取り乱してましたよね、あの人。よほどショックだったんだな」
「オーダーメイドなら一体三十万UDの超高額商品だ。取り乱すのはわからなくもないが」
「さすがに保険くらいかけてるでしょう。金の問題じゃなく、製品への愛って気がしましたけど?」
「愛ね」
ばかにするように言って、ハルはまた髪をかきあげた。
「会社もアリスを愛してそうですよ。報奨金出すくらいだし。ピュアドールズ社は署の上のほうにコネがあるのかな。やけにうちの対応が迅速ですよね」
ハルは椅子の背に体をあずけて伸びをした。
「ああ。うちに下ろしてきたのを見ると、署長に直接泣きついたんだな。でなきゃこの種のヤマはゼータ班の担当だ」
「うちの班は署長に気に入られてるんですか?」
レイも署内の事情には興味があり、突っこんで尋ねた。
「たんに機動性が高いから使いやすいだけだ。要するに便利屋だよ。俺かエイミーをあてろって、署長の指名だろう」
ということは、それなりに信頼はされているのだなと、レイは判断した。はみ出し者の吹きだまりではあっても、無能な者の集まりではない。それは、目の前の男の仕事ぶりを見ても明らかだった。
天井を仰いで、ハルは毒づいた。
「面倒なほうを選ぶべきだったぜ。踊らされてるようで気に入らん」
「じゃんけんで負ければよかったんですよ」
「後悔先に立たず。で、そっちのSF路線はどうなんだ?」
「事件発生後の周辺路上設置カメラの画像には、それらしい人物は写ってません。あれだけ特徴的な容貌ですから、顔認証ソフトの誤認率はかなり低いでしょう。赤外線センサーの設置ポイントでも、不自然な温度分布の人物は認識されていません。アリスが自分から逃げだしたという証拠はありませんね」
現代は管理・監視社会だ。地球連邦でもとくに北米の大都市ではその傾向が顕著で、監視カメラや各種センサー、GPSによって人や物資の移動が詳細に記録される。急激な人口の増加に伴って犯罪も急増していた二〇五〇年代に、各都市は自衛のために監視システムを拡充させる必要に迫られたのだ。
連邦市民はIDカードによって管理され、生後すぐにDNAを連邦のデータベースに登録し、その後は連邦の要請に従って指紋や声紋、虹彩などの個人を特定するデータを登録していく。拒否することは可能だが、その場合は連邦市民としての保護も福利厚生も受けられず、各種保険に入ることもできない。その是非についての論議は尽きないが、文明的な生活を営みたければ管理を受け入れるしかないのが現状だった。
レイは息を吐いた。
「カフェに来た客が、彼女を気に入りすぎて誘拐した、という線はどうです?」
「ストーカーか。周辺カメラの画像、数日前からのデータを相互照会して、同じ人物が複数回写っていないかどうか確認してくれ」
「もうしました。でも該当者が多すぎて絞れませんでした」
「つまり、毎日メイドカフェに通ってる奴がわんさかいるわけか」
そいつらどんだけ暇なんだよ、とハルはつぶやき、あたりまえのようにレイのDフォームに侵入して該当者のリストをコピーしていく。新人の自分を監督する立場のハルはパスワードを知っているのだろうが、入る前にひと言断ってもよさそうなものだ。
多少むっとしながら、レイは応じる。
「大部分は近隣のカジノに通ってる人だと思いますけどね」
「カジノか。人生大事にしろよって、ばあちゃんなら諭しそうだな」
独り言のように言い、ハルは眉間にしわを寄せてリストを眺める。
「おばあさん、近くに住んでるんですか?」
「いや。ずいぶん前に死んだ」
「……すみません」
ハルはディスプレイから目を上げ、レイを見つめた。
「すまないと思ってるなら、コーヒー買ってきてくれ。ミルクと砂糖はなしで」
「それより、半年掃除してないプールの水を汲んできましょうか?」
「けっこう。コーヒーで我慢する」
謙虚ですね、とレイはつぶやき、立ち上がる。ハルがジーンズのポケットからコインを二枚出してレイに放った。
「おごってやるからおまえも味見してみろ。世界が変わるぞ」
なぜだろう、おごられても全然うれしくない。レイは首をかしげつつ、オフィスを出て休憩室に向かった。
◆
二十分ほどして、ペーパーカップを両手に持ってレイが戻ると、ハルは目を閉じて腕組みをし、椅子の背もたれに体を預けていた。待ちくたびれたというふうでもなく、ゆっくりと体を揺らしている。
「買ってきましたよ、コーヒー」
「サンキュ。置いといてくれ」と、目を開けもせずに答える。
自販機はレイがコインを入れたとたんに反乱を起こし、湯が垂れ流し状態になってしまった。総務に連絡すると男性職員が来て、コインではなくIDカードで買うのがこのフロアの常識だと叱られた。そんなローカルな常識を声高に叫ばれても困るが、新参者は文句も言えない。掃除を手伝わされ、結局コーヒーを買うだけのことにずいぶん時間がかかってしまった。
あのハルのことだ。これだけ長く待たせれば、トロいとかダサいとか罵倒されるに違いないと覚悟していた。だがハルの反応は思いがけずあっさりしていて、レイは拍子抜けした。
どす黒い液体の満たされたペーパーカップをハルの机に置き、レイは自分の席についた。おそるおそる自分のカップに口をつける。
たしかにまずい。だが飲めないほどではなかった。安っぽいながら香りもある。合成コーヒーなんてこんなものだろう。半年掃除していないプールの水を飲んだことはないが、いくらなんでもそれよりはましに思えた。
コーヒーは今世紀なかほどまで中南米やアフリカで盛んに生産されていたが、二〇六〇年代にコーヒーノキ属の植物のみが感染するウイルス性の病気が大流行し、以来、生産量が激減した。本物のコーヒーは貴重で、自販機のコーヒーはたいてい合成品だ。
十分ほどしてハルは目を開け、コーヒーをいっき飲みして顔をしかめた。
「くそう、いつ飲んでもまずいぜ」
「熱いうちはまだ飲めましたよ?」
「俺が飲むころにはいつも冷めちまってるんだ」
「どうしてですか?」
「考えがまとまらないから」
レイの顔に浮かんだけげんな色を無視して、ハルは椅子から立ち上がった。
「行くぞ、新人」
「どこへです?」
「決まってるだろう。厄介な失せ物を回収しにだよ」
レイは思わずまばたきした。
「どこにいるかわかったんですか?」
「いるというか、あるというか。推測の段階だが、たぶんはずれてない」