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 医療拘置所のゲートは鋼鉄製で、高圧電流の流れるフェンスは三メートルの高さがある。三十分前に門前払いされたレイとヘルヴァは、頼れる応援を呼んだ。

『ハイパーアルティメットスマートなプリンセス・アンドロメダの計算によれば! 成功間違いなし! ただし、きみの運動神経とバイクの性能がマッチすることが条件!』

 本署にとどまって頭脳として働くエイミーが、Dフォーム越しに叫ぶ。

『きみのベリーキュートでフレンドリーなモトカノが秘密兵器を駆って急行中よ!』

《マスター、プリンセス・アンドロメダは信頼できる方ですか?》

 どうやらヘルヴァはエイミーのハイテンションな物言いに不安を抱いたらしい。

「うん、まあたいていは、そこそこ……」

 尻すぼみになりながらレイが返すと、ヘルヴァはため息を似せたと思われる音を出した。

《不安です。でもミスター・ハルのために頑張ります》

 そこに、Dフォームからディックの通信が入る。

『角を曲がるぞ、準備しろ!』

「了解! 行くぞヘルヴァ」

《はい、マスター!》

 うなりをあげて、マッハ・ダイナスティは街路樹の陰から飛び出した。向かいのはるか前方で、総務の車両係が貸してくれた救急車が、医療拘置所のゲートへ通じる角を曲がっていく。

 レイはバイクを駆り、膝が地面をこするほどの角度をつけてコーナーに侵入する。どっと放出されたアドレナリンで高まる心拍が耳に伝わり、痛いほどに鼓膜を打つ。

 前方に見える救急車は、閉ざされたゲートの手前にすでに止まっている。跳ね上げた後部ハッチから、パトリシアと、折りたたみ式の長梯子を抱えたディックが飛び出す。パトリシアはストレッチャーを引き出してハッチを下ろし、ストレッチャーをつっかい棒代わりに、ハッチが斜めになる位置に固定する。ディックが素早く梯子を展開し、ストレッチャーとハッチでできた斜面に渡して即席のカタパルトをつくった。

 運転席から降りてきたアルファ班の友人が、両手を大きく振って合図した。

 待機しているあいだにサイドボックスなどのよけいなものをはずし、マッハ・ダイナスティはできるかぎり身軽になっていた。

 カタパルトをめがけ、スロットルを全開にする。エンジンがうなり、グリップのきいたタイヤが梯子をつかんで駆けのぼる。救急車のボンネットを越え、マッハ・ダイナスティはその身を宙に投げ上げた。

 西日を受け、えんじ色の車体がいつもより華やかに見える。フレームやマフラーのシルバーメタルに太陽と青空が映りこみ、流星のエンブレムは日光を反射して、弧の残光を描いていく。ドライバーの赤みがかった金色のしっぽがなびき、青い目がゲートの向こうの建物をとらえる。

《マスター、すみません、ほんの少しだけ重すぎました》

 ヘルヴァが本当に申し訳なさそうに言った。

「太陽電池パネルを出せ」

《翼の代わりにはなりません。空気抵抗が――》

「冗談だ。ぼくを誰だと思ってる?」

 コントロールパネルのカメラに向かって、レイはにやりとしてみせた。

 マッハ・ダイナスティの後輪がゲートの最上部に接触する前に、腰を浮かせてハンドルを引き、車体を上に傾けた。フェンスには高圧電流が流れているが、ゲートなら接触しても問題はない。後輪でゲートを蹴って車体をはずませ、そのまま後輪から鋼鉄のゲートの向こうに着地した。

 タイヤが地面をつかみ、心地よい抵抗に、酔ったかのような一瞬のめまいをおぼえる。

 Fバイザーのスピーカーからエイミーやディックの歓声が聞こえてきた。

『やったねレイ! 惚れ直したよ!』

「プリンセス・アンドロメダのおかげだ」

『いや~んレイったら……』

 人をおだてている場合ではなく、問題なのはこれからだった。建物の玄関前には警備員が集まって人間バリケードを形成している。さすがに跳び超えるわけにもいかない。レイは急ブレーキをかけ、タイヤをきしませながらスライドさせてバイクを止めた。

「エイミー、出番だ、頼む」

 小声で言うと、スピーカーからエイミーの元気な声が返ってくる。

『まかせて!』

 レイは両手をあげて、抵抗の意思はないことを居並ぶ警備員たちに示す。視界の端を緑色の飛行物体がよぎるのをとらえ、心のなかでうなずいた。

「ぼくは署長に話があるだけだ。署長をここへ呼んでもらえないか。少し前から署長ともベスター捜査官ともDフォームが通じない。おかしいだろう?」

 警備員たちは顔を見合わせてなにか相談している。ゲートのほうからも警備員が集まってきてレイの背後を固める。

 そのとき、Fバイザーのスクリーンに映像が投影された。

『侵入成功! さすがわれらのアルジャーノン!』

 ディックが本署から連れてきたトカゲに、遠隔操作可能なタイプのフライングアイをくわえさせて飛ばしたのだ。戸外が初めてのトカゲがどう反応するかわからず、不安はあったが、アルジャーノンはなんなく建物に入りこんだ。

『ディック、フライングアイの操作はまかせたよ!』

『了解!』

『ファイル爆弾はあと二分でできる。レイ、時間稼いで!』

「了解」

 レイは両手をあげたまま周囲にぐるりと顔をめぐらせ、警備員の数を確認した。十二人。ヘルヴァのショックパルスで倒せるのはせいぜい三人だ。やはり強行突破は無理だろう。

 署長とバロウズ医師が医療拘置所に入ってから、もう三十分以上になる。ハルが無事かどうか、気が気ではない。冷たい汗が背中を伝い落ちる。

 時間稼ぎと言ったって、どうすればいい? 伯爵婦人のジョークでも披露するか? この場でそんなことを考えた自分に、レイはあきれた。焦りすぎておかしくなっているのかもしれない。

 警備員の環が狭まる。何人かが構えているショックパルス銃は発射の態勢で、威嚇のための赤い照準がレイの胸にあてられている。

「……ハルに会わせてくれ」

 ふと気づくと、レイはそう訴えていた。

「無事を確かめたい。わかるだろう? 大事な仲間なんだ」

 警備員たちの顔を順に見る。

「相棒の命がかかってるんだよ。でなきゃバイクでゲートを跳び超えるなんて無茶な真似するもんか!」

「命がかかってるとは大仰だな。強制供述は被疑者に有利な制度だぞ」

 警備員のひとりが返す。

「上司殺しだろう、同情の余地はない」

 別なひとりが侮蔑に満ちた口調で言うと、周囲の同僚たちがそれぞれうなずいた。

「罠だったんだ。濡れ衣だ!」

『オーケイ、爆弾投下するよ!』

 エイミーの声とともに、警備員たちのDフォームが一斉に鳴った。音が聞こえるわけではないが、彼らが一様にベルトにつけた機器を確認するのでわかる。

 レイのバイザーのスクリーンにも、彼らが見ているものが映された。

 警備員たちは息をのんでいる。一度は確認しているレイも、改めて見るとどぎまぎするような映像だった。

 鏡張りの部屋。正面に美しいプラチナブロンドの女が全裸で立っている。潤んだサファイアの瞳の女の影は、合わせ鏡のなかにさまざまな角度で何十も重なり、身動きするたびに影たちが揺れて、まるで万華鏡のようだ。そこに、ひとりの男が入ってきた。やはり全裸で、豊かな腹のその男は。

 カート・マッキンタイアだった。

 警備員たちのあいだにざわめきが広がった。みんな顔に動揺を浮かべ、レイのことは忘れたかのように、互いになにか言い合ったりDフォームで通信したりしている。

 警備員のひとりがレイを手招きし、玄関のほうへ導いた。

「きみが来る少し前に職員がひとり屋上から転落して、なかの連中はその処理にかかってる」

「自殺ですか」

「わからない。刑事に追われていたらしい」

 ベスターか。レイは唇を噛んだ。

「デイビスの件は、邪魔をしたらクビだって署長に言われてたんだよ」

 すまなそうに言いながら、警備員は玄関の警報装置を解除してドアを開けた。

 ありがとうと口早に告げ、レイは走った。前に一度来ていたので、処置室の場所は知っていた。

「侵入に成功。これから先輩を探します」

『了解。フライングアイで追ってすべて記録する』とディックが告げる。

 そのとき、男の悲鳴が廊下に響き渡った。

 誰の声かはわからなかった。それでも、もしやという暗い予感に打たれて、レイはその場に凍りついた。

「ハル――!」

 自分がその名前を呼んだのかどうかさえ、定かではなかった。

『レイ! しっかりして。ハルを探して!』

 聞こえて来たのはパトリシアの声だ。はっとして、レイは首を振った。また廊下を走り、処置室のドアが並ぶエリアに入る。そのひとつが開いていた。脇に吊ったホルスターから銃を抜き、なかに飛びこむ。

 瞬時に、床に倒れている複数の人間を視界にとらえた。そのうちのひとりに迷いなく駆け寄り、ひざまずく。

「先輩!」

 拘置服の前をはだけられ、センサーパッチもつけたまま、手錠をかけられた両手を前に投げ出すようにして、ハルは横たわっていた。左手を伸ばして首筋に触れ、脈を確認した。

 生きてる。

 安堵に息を吐いたところで、背後に人の気配を感じた。かすかに漂う甘い香りをとらえた刹那、後頭部に銃を突きつけられ、Fバイザーをむしりとられた。

「だめじゃないか、クラーク。用心が足りないよ? 警察学校でなにを教わってきた?」

「……署長」

「わたしのアリスをめちゃくちゃにしてくれたようだね?」

 右手から銃をもぎとられる。そこでレイは、署長がアリスを囲っているアパートメントをモニターしていた可能性に気づいた。それほど執着していたのか。たしかにアリスの目に隠されていたカメラの画像でも、その片鱗はうかがえた。ときどき署長から甘いにおいがしたのは、日中でも隠れ家に帰ってアリスとの時間を楽しんでいたからだろう。

「それを言うなら、署長は特捜班をめちゃめちゃにしたでしょう。主任を殺し、ぼくに自殺の暗示をかけてハルを脅して、主任殺しの罪を着せようとした」

「そこまでわかっていたんだ。思ったより賢いね。デイビスはどうせ長くない身だし、かまわないだろう」

 レイは思わず署長に向き直る。今度は銃に額を狙われ、憎しみをこめて相手の無表情な顔をにらんだ。

「勝手なことを……! ハルには死ぬつもりなんかない。ぼくとルナホープに行くって約束したんだ」

「残念だね、クラーク。一緒に行くのは無理みたいだよ。だってきみはここで死ぬんだから」

「署長、やめてくれ……」

 後ろからかすれた声がして、レイは肩越しに振り返る。ハルが薄く目を開け、体を起こそうとしていた。

「先輩!」

「罪は俺がかぶる。もともとそのつもりだったんだ。レイには手を出すな」

「でもねえ、もうずいぶん深く知られてしまったし。無理だな」

 署長はひざまずいて、レイのショルダーホルスターの前面に差したサバイバルナイフを抜き、鞘を払ってレイの手に握らせた。

「キーセンテンスを聞くといい」

 そして、レイの口元に耳を寄せた。

「署長……!」

 ハルの悲痛な声も、伸ばした手も、マッキンタイアには届かなかった。


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