(3)
弁護人の自選を放棄したハルに、連邦選任の弁護人を拒否する権利はない。けれども、思わずテーブルに手をついて立ち上がり、叫ばずにはいられなかった。
「あんたを呼んだ覚えはない! 帰れキング!」
「ご挨拶だな、デイビス。呼ばれなくても来るのが連邦選任弁護人ってものだ」
クリスチャン・キングは堂々とした足取りで取調室に歩み入り、担当するアルファ班の三名の捜査官たちと挨拶を交わした。テーブルの上で握った拳を震わせ、キングをにらんでいるハルを、捜査官のひとり、ブランドン・ベスターがけげんな表情で見つめる。
「座れ、デイビス」
キングはハルに声をかけ、自分はハルの隣のスチールの椅子に悠然と腰を下ろして、ふんぞり返るような姿勢で腕を組んだ。片方の耳にだけ光るダイヤモンドのピアスが、弁護士というかたい職業の印象を裏切っている。
座る気配のないハルに気づき、キングは腕組みを解いて、しょうがないなという顔をした。面倒くさそうに腕を伸ばしてハルの拘置服の背中をつかみ、容赦なく引いて腰を落とさせる。
「なにをしに来た」
そう訊いてから、ハルは愚問だと気づく。連邦選任の弁護人だ。自分を弁護しに来たに決まっていた。
「にらむことはないだろう。わたしは味方だ。おまえさんを無罪にしに来たんだ」
「なんだって?」
宣戦布告に等しい言葉に、取り調べ担当の捜査官たちのあいだに緊張が走った。ハルは彼らになだめるような視線を送ってから、キングのほうを見る。
「俺は罪を認めている。あんたの仕事は俺の調書の立会人欄にサインすることだけだ」
「もちろんサインはするさ。だが依頼人が不利益を被らないよう努めるのが弁護士の本分だ」
「俺は主任を殺したんだよ。そのつもりで、家にあったサバイバルナイフを持って主任の家を訪ねた。以前から懲罰が厳しいことに不満があったんだ。計画的な犯行だ」
キングはまた椅子の背にもたれてふんぞり返り、聞こえよがしの大きなため息をついた。
「なんだ、その台本を読んでるみたいな芝居くさい説明は。嘘をつくならもっとうまくやれ」
ねえ、刑事さんたち、と言って、キングは正面に座っている年輩の捜査官と、その後ろに控えているベスター、部屋の隅で端末を前に記録を取る若い捜査官を順に見た。
「デイビスは同僚なんだから、職場での働きぶりは知っているだろう? 上司を残酷に刺し殺すような男だったかな?」
「外から見えるのは人間のごく一部だ、キング」と、正面のベテラン捜査官が答える。
「市警は仲間を大切にする組織だと思っていたが、違うのかな」
「おまえの魂胆はわかってるぞ、キング」
ベスターが人さし指をキングに向けた。
「デイビスは昔、おまえの飼い犬だった。いまもおまえに便宜をはかってるんじゃないのか? 手駒を失いたくないんだろう?」
「くだらんことを。悪い仲間とちょっと遊ぶくらい、ガキのうちは誰でもする。ベスター、おまえさんにだって覚えがあるはずだ。いくつか教えてやろうか?」
「それは……」
ベスターは口をつぐみ、いまいましげにキングをにらんだ。
「市警だって採用の前に調査はしている。素行に問題があればデイビスを雇いはしないさ。だいたい、おまえさんが問題なく採用されてるじゃないか」
辛辣に言って、キングは無表情になった。鞄から携帯端末をとって折りたたみ式のディスプレイを展開する。
「アーケイディア・バロウズの殺害直後に家を訪れたという捜査官、レイ・クラークの供述だけでは、デイビスが本当に手を下したとは判断できない。デイビスは当初、犯行を否定していた――」
「やめてくれ、キング」
ハルは手錠で繋がれた両手を伸ばし、ディスプレイを閉じようとした。だがキングの手に手錠の鎖をつかまれ、もう片方の手で拘置服の後ろ襟をつかまれて、動きを封じられる。
「邪魔をするな! 俺は刑に服す。あんたは調書にサインだけしてくれればいい」
「サイン程度ならマシンドールで事足りるんだよ。だがわたしは弁護士だ。なにを隠してるんだ、ハル。おまえさんの後輩は切られた記憶はないと証言してるぞ。最初に撃たれたのも後ろからだと」
「レイはショックで記憶が混乱してるだけだ。本当に俺がやったんだ。じきにレイも思い出す」
「誰をかばっているんだ?」
顔を間近に寄せて、キングは詰問した。
「かばってなんか――」
「いいさ、いつまでも否定していろよ。だが真実はひとつだ。おまえさんはなにもしてない」
にやりと笑ったキングの顔には、勝利の確信があった。キングはハルの手錠と襟から手を離した。テーブルの向かいで成り行きを見守っていた捜査官が、渋い顔で頬を撫でる。
「調書の読み上げを始めたいんだが、準備はいいのかな? どうやら依頼人と意思疎通がはかれていないようだが?」
「依頼人というのはだいたいが嘘つきなものでね、弁護するのも楽じゃない。だが幸い、今回の事件は第一級殺人だ。強制供述を要求する。検察と裁判所にはわたしから承認を申請するから、護送車の手配を頼む」
年輩の捜査官は目をむいた。
「なんだって? そんなの聞いたことがないぞ!」
「よかったな、なんにでも初めてはあるものさ」
あわてる相手に、キングは悠々と笑ってみせる。
「強制供述……」
ハルは青ざめた。その可能性はまったく考えていなかった。一瞬、頭が真っ白になる。
第一級殺人は、軽くても終身刑、重ければ死刑判決もあり得る重罪だ。誤認逮捕の末に裁判でも無実が認められず、冤罪で死刑を執行された例がかつてはいくつもあった。そんな悲劇を防ぐために、連邦は第一級殺人において〝強制供述〟――薬物使用による供述の強制を認めている。簡単に言えば、被疑者に自白剤を投与して真実を告白させるのだ。検察と裁判所が必要性を承認すれば、医療拘置所で精神科医の立ち合いのもと執行される。
あくまでも冤罪を防ぐための最終手段であり、すでに罪を認めている被疑者や被告人に対して執行されることはない。通常は。
「やめてくれ! 俺は自白してるだろう!」
椅子を蹴立ててキングにつかみかかったところを、後ろからベスターに抱えこまれて引き離された。立ち上がったキングに襟元をつかまれ、間近から目をのぞきこまれる。
「バロウズを殺したというのが真実なら、なにも問題はないはずだ、ハル」
「よけいなことをしないでくれ! 頼むから――」
「よけいなこと? このままだとおまえさんは終身刑だぞ?」
「俺はどうせ長くない。もう惜しむものはないんだ。……守らせてくれ」
血を吐くような思いで、ハルは訴える。キングの目に冷たい輝きが宿り、拒絶がハルの胸を刺した。
「わたしは弁護士だ。法の正義と平等を守る。裁かれるべきなのはおまえさんじゃない」
「……正義も平等も、この世には存在しない幻想だ。あんたは昔、そう言っていたはずだ」
ハルの襟元から手を離し、キングはその手で拳を握った。ハルの胸の、心臓の上にその拳を押しつける。
「存在しないからこそ美しく、あこがれるのさ。逃げている限り夜明けは来ないんだよ、ハル・デイビス。……チャンスなんだ」
離してやれ、とキングはベスターに言い、続けて命じる。
「自傷の恐れがある。デイビスに拘束衣を着せておけ」
「キング、いったいなにが目的なんだ? こいつは自白してるんだぞ。いかに刑を軽くするかがあんたの仕事じゃないのか」
不審げな顔で詰め寄るベスターに、キングは哀れむようなまなざしをそそいだ。
「捜査官の仕事はなんなのかな、ベスター。少なくとも、一方的な証拠だけをまるまる信じることじゃないはずだ」
ハルはベスターにすがりつく。
「ベスター、署長を呼んでくれ。キングを止めさせろ! 依頼人自身が望んでいないことをさせるのか? それが法の正義か! どこが平等なんだ!」
部屋の隅にいた記録係が立ち上がった。
「デイビス、マッキンタイア署長にはもう連絡した。署長は承認したよ。それで署員の疑いが晴れるなら結構なことだと。おまえを信じるとおっしゃってる」
「ばかな――」
ハルはうめいた。
「そりゃ、署長にしたら署員が上司を殺したなんて醜聞は避けたいだろうがね。市長選に響くってことか? いくらなんでもそんなのありかよ」
ベスターは納得できないという顔だ。
キングは無表情になり、いっとき考えてからうなずいた。
「行くぞ、ハル。CVの代価、支払ってもらおう。おまえさんが得た〝真実〟をね」