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黎明の風に告ぐ ~刑事ハル&レイ~  作者: 早川みつき
【chapter1】冷めたコーヒーの方程式
3/37

(3)

 ハルは、自らの名前の真ん中に鎮座した花の名前を毛嫌いしている。レイがそれを知ったのは、ハルが血相を変えてトカゲを医務室に運んでいったあとだった。

「女みたいだって、小さい頃にさんざんからかわれたせいらしいよ。直接ハルから聞いたわけじゃなくて、伝聞だけど」

 痛むレイの頬に鎮痛ジェルを塗りながら、エイミーが説明した。

「直接なんて、怖すぎて訊けない」と続け、彼女はぶるっと体を震わせた。

「ところで、アルジャーノンはいったいどういう動物なんです? ただのトカゲじゃありませんよね」

 エイミーは息を吐いた。

「あの子は証拠品だったの」

 アルジャーノンは、市内のある研究所が遺伝子操作の実験で造りだしたキメラ動物だった。研究所は三年前に違法なヒトDNAの改変を行ったとして摘発され、解散させられた。当時、家宅捜索で押収された証拠のなかに、非倫理的な実験によって生まれた動物が何体かいたのだという。

「そういう面倒な件ってよくうちの班に持ちこまれるのよ。ハルが世話をしたんだけど、生き残ったのはあの子だけだった。生殖能力はないし、余命もひと月くらいだからって話で、署長も飼うのを認めてくれたんだけど。なぜかあの子、まだ生きてるのよね。しぶといわぁ」

「ペットは飼い主に似るって言いますからね」

 嫌味っぽく言ったレイを、エイミーが微妙な表情で眺める。

 とがめられているとレイは感じ、息を吐いた。

「ハルに謝らないと」

「……遺言書をつくってからにしたほうがいいよ」

 ぼそっと言われ、レイはたじろぐ。だが逃げてはいられないだろう。偶発的な事故とはいえ、アルジャーノンに怪我をさせたのは事実だ。彼は意を決し、建物の地下にある医務室へと足を向けた。署のアイドルだけあり、トカゲは動物病院ではなく署内の人間専門医に診てもらっている。

 看護師に示された処置室のカーテンを開けると、すでに手当ては終わったらしく、アルジャーノンはベッドの端に腰かけたハルの膝の上にいた。目はかたく閉じられ、ぴくりとも動かない。ぎくりとして、レイはその場に立ちすくんだ。まさか……。

 レイに気づいたハルが、顔を上げた。

「麻酔で眠ってるんだよ」

 その声は驚くほど穏やかで、レイにはかえって脅威だった。おそるおそるベッドに近づき、ハルの膝をのぞきこむ。トカゲは羽の一部を白いテープで固められている。

「死にませんよね?」

「骨が一本折れただけだ」

「治るんですか?」

「たぶん、ひと月もすれば飛べるようになる。前にも壁に激突して骨折したことがあるんだ。心配ないさ」

 己に言い聞かせるような口調に、レイは胸をつかれた。大声でなじられるよりこたえる。

「すみませんでした」

 ハルは首を振った。

「俺も反省してる。アルジャーノンを避難させてからおまえに殴りかかるべきだった」

「……え?」

「俺さまの神経を逆撫でしておいて、無事に済むとは思ってないだろうな、新人?」

 黒い目の奥には、静かな怒りが燃えている。

 マジだよ、この人。レイはあわててさらなる謝罪の言葉を探し、そこでふとわれに返った。待てよ、と自分に突っこむ。なぜぼくが謝る必要がある?

「ぼくは今日はじめてあなたに会ったんですよ? ミドルネームが禁句だなんて知るわけないじゃないですか」

 ハルの額に血管が浮き出す。

 ……ちょっと怖い。だがレイは虚勢を張り、ふんと鼻で笑ってみせた。

「だいたいなんでそんなに偉そうなんですか。上司でもないのに」

「言ってくれるじゃないか、新人。俺はおまえより五年もキャリアが長いんだよ、先輩なんだ」

「先輩風吹かせるなら、それなりの手本を見せてもらわないと。いきなり殴りかかるなんて、どれだけ子供なんですか。小学生だってもっと忍耐力がありますよ」

「きさま……」

 いったん真っ赤になったハルの顔がいまは青ざめて見えるのは、頂点に達した激怒が頭を突き抜けたせいだろう。殴りかかりたくても、膝の上に最愛のトカゲがいるのでできないのだ。力いっぱい握りしめた両の拳が震えている。

 レイは根拠のない勝利感に酔い、背筋を伸ばして両手を腰に当てた。

「どこが気に入らないんです? すてきな名前じゃないですか、〝デイジー〟」

「……遺言書は書いてあるか、新人?」

 ハルの周囲に、映画のCGよろしく紅蓮の炎が燃え上がった。……ようにレイには見えたが、もちろん気のせいに違いない。

「書いてありますよ、当然。警察官になると決めたときから、毎年書き換えています」

「いい心がけだ」

 悪魔が笑うとこんなふうかな、とレイが他人事のように考えたとき、ふたりがそれぞれ腰のベルトにとめている捜査用の携帯端末、〝Dフォーム〟が同時に鳴りだした。鳴るといっても可聴音が出るわけではなく、特殊な神経刺激パルスが皮膚から伝わって着信を知らせるシステムだ。

 ハルはDフォームの表示を一瞥してから、ぐったりしているトカゲを大事そうに両手でかかえて立ち上がった。レイに顔を向け、頭を軽くドアのほうに傾けた。

「いったん停戦だ、新人。仕事を片づけるほうが先だからな」


 ◆


 特捜班の島に戻ったふたりの顔を見くらべて、エイミーは意外そうな表情になった。

「どっちかボコボコにされてるんじゃないかって期待――いや、心配してたんだけど。仲直りしたんだ?」

「してねーよ」「してません」

 ふたりは同時に答え、お互いの顔をにらんだ。

 ハルはぷいと顔をそむけ、トカゲを窓際に運んだ。

 光量の自動調整フィルムが張られたガラス窓の向こうには、ビルの林立するセントレアの街並みと、建物を縫うように走るモノレールの軌道が見える。椰子の並木が続く大通りに面した市警察署のビルは十五階建てで、本署だけでも三千人が働く大所帯だ。向かいにはソルブライト郡保安官事務所と裁判所の合同庁舎、その右手にそびえる三十階建てのビルは市庁舎。半月を模した外観は湾の沖合いからもよく目立ち、セントレアを象徴するランドマークになっている。

 ハルは窓際でしゃがみこみ、床に置かれたケージに新しいタオルを敷いてトカゲを寝かせた。給水器に水があるのを確認してから、扉を閉めて鍵をかけ、ゆっくりと立ち上がって窓の外に顔を向けた。

 特捜班のあるオフィスは市警察署ビルの七階で、窓からは遠くセントレア湾と、強い太陽光に照らされた海原を望める。この青い海と輝く太陽こそが、常夏の都市セントレアへと観光客を導く源だ。

「みんな、C会議室でミーティングよ」

 ガラス壁で仕切られた専用オフィスから出てきたアーケイディアが、班のメンバーに声をかけた。

 五人は別室に移動し、楕円形のテーブルにつく。ここは十人ほどまでの小グループ用の会議室だ。電子機器担当のエイミーが、部屋の隅に設置されたシステムを操り、手早くテーブルの上にディスプレイを展開する。薄い膜状のディスプレイは、ふだんはたたまれてテーブルに収納されている。おのおのがDフォームを情報共有モードにしたのを確認して、アーケイディアは口を開いた。

「まず緊急の案件から。面倒な探し物と厄介な探し物。ネビュラ、デイビス、じゃんけんして」

 ディスプレイにはブロンド美人とカジノで使われるチップが映っている。

「主任、面倒と厄介の違いは?」と、グーでじゃんけんに勝ったハルが訊く。

「常識から言えば、厄介なのは女かもね」

「じゃあ俺は厄介なほう。悪いなエイミー」

 にやりとしたハルに、エイミーは唇をとがらせた。

「もー、面倒なのはいまかかえてる案件で十分すぎるのに!」

 ディックがそのとなりでぼやく。

「わたしもさ。もう二週間も息子に会ってない」

「まあ、そっちは面倒でも手間をかければ解決するから頑張って。厄介なのはこっちのお嬢さんよ」

 アーケイディアは手元のDフォームを操作した。ディスプレイに裸の女が映り、部下たちがぎょっとするのを見ておもしろそうに唇の端を上げる。灰色の床に立つ裸のブロンド美女をなめるようにカメラの視点が移動し、足元から腿、腰、胸、背中と細部を見せていく。背中に刻まれた正方形の傷が一度輝いたかと思うと、その部分の皮膚がぺらりとめくれ、コントロールパネルが現れた。

「マシンドールか」

 つぶやいたハルに、アーケイディアは片目をつぶってみせた。

「そうよ。これはピュアドールズ社のデモ映像の一部。デイビス、データを送ったから確認して。彼女の名はキューティ・アリス。本物の女性に限りなく近い外観を持ち、会話も動作もいままでになくマンライクな画期的な製品、だそうよ。来年四月の正式発売を目指して、試験運用データ収集中に行方不明になってしまったの。さらわれた――いえ、盗まれた可能性もある」

「なんでゼータ班じゃなく俺たちのところに?」

 ハルがDフォームを操作しながら、軽犯罪担当部署の名前を挙げる。

「彼女が美しすぎるから、とでも思っておいて。クラーク?」

「はい」

 レイは姿勢を改めた。アーケイディアがにっこりほほえみ、頭を振って豊かな巻き毛を揺らした。

「きみはしばらくデイビスと組んで、いろいろ学んでちょうだい」


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